マリアは頭を振った。
「取り返しの付かない事なんてありまセン。アナタが元気でいてくれるのがワタシには世界で一番大事なんデス。この世の中で家族ほど大切なものはありまセン。アナタはワタシの掛け替えのない宝物デスヨ」
「お母様」
「アナタの名前、汐恩の元はSean(ショーン)デス。それは神の恩寵、つまりご加護がありますようにとワタシが名付けマシタ」
「お母様が?」
「Si。アナタが好きなガラシャと同じ意味デス。アナタが産まれてきてくれた事に感謝シテ」
「そうだとも」
忠時も汐恩の頭を撫でているマリアの手の上に手を重ねた。
「スペイン語のグラシアスもそこから来ているんだ。神の恩寵が、やがてありがとうへと変わった。私達はお前が産まれてきた感謝と同様に、お前が人生に感謝できるようにという願いも込めたんだよ」
「お父様………」
「汐恩、お前が細川家のために頑張ってくれているのは嬉しい。しかし、私達はお前が何者でなくても娘というだけで誇りに思っている。それに家のことは兄の忠史に任せてお前はもっと自由に生きればいいんだよ」
「そうデス。アナタはアナタの幸せを掴んで欲しいのデスヨ、ボニータ」
するとまた泣き出して汐恩はマリアに抱き付いた。
「ありがとう、ママ!」
「アア、初めてママと呼んでくれマシタネ」
感激してマリアも汐恩をギュッと抱きしめた。
「ママ、大好き、ママ、ママ!」
「ワタシも愛してマスヨ、ボニータ」
【主、吾もそなたに礼を申す】
キッチンでその成り行きを静かに見守っていた吉継に唐突に胸の金吾鉛筆が切り出した。
【何だよ、突然】
【これも立派な人助けじゃ。主の尽力で吾の成仏も一段と近くなったに違いないからの】
ああそうだったな、と人助けなど全く考えてもなかった吉継は一人笑った。そして隣の秀晶に振り向いた。
「ありがとな、晶。ケーキの十字型とか作ってもらって助かっ………」
「うわああん」
秀晶が汐恩達一家を見て泣いていた。
「ど、どうした、晶」
「いい光景だよね、やっぱり家族はこうじゃなきゃ駄目だよね」
「もらい泣きかよ、お前も涙脆いな」
以前の母親と仲違いしていて最終的に仲直りした自分の境遇と重ね合わせたのだろう。涙を袖で拭く秀晶に吉継はテッシュを渡した。
「だってさあ」
秀晶はブビと鼻をかんだ。
「なあ、晶、ところで前のガラシャ灯籠の写真覚えてるか?京都にあるの」
「え?あの鶏が上に載ってるやつ?」
「あの時、俺、汐恩に忠興が作ったかもしれないって話したろ?」
「うん」
「実は、あれ作ったの、俺の中では忠興とは別に候補が二人いるんだ」
「どういう事?」
「あの灯籠がどうして京都にあるかという事を踏まえて考えてみたんだよ。京都は場所によって隠れキリシタンが多かった土地だ。現に今もマリア観音とかが残っているしな。でもあの灯籠にはガラシャの名前が彫られていた。となると細川家の縁の品であるのは間違いない」
「うんうん」
「じゃあ忠興かと思うと関ヶ原後は京都から直ぐに九州の小倉へ領地替えされている。そして熊本に移った。熊本の忠興が作ったなら手元に置いているだろう。それにキリシタンを最後には追放しているから自分からその灯籠を持っているのは危ない。となれば京都にいた細川に関係ある人物じゃないかって考えるのが妥当だ」
「京都の細川?」
「一人目はガラシャの長男・忠隆だ。一度は廃嫡され仲違いした忠隆は和解した忠興が八代で一緒に暮らそうと誘ったけどそれを断って京都に住み続けた。その家系は後に長岡内膳家として継承されている。裏紋も明智の桔梗紋を使ってるから、忠隆が母の供養に作ったという可能性も考えられなくはない」
「なるほど」
「忠隆は次男の興秋と同じくヨハネの洗礼名を持っている。でもそれをあまり表に出すことはしなかった。だからもう一人の候補の方が俺自身はしっくり来るんだ」
「もう一人の候補ってもしかして幽斎?」
「惜しい。晶、お前、その幽斎の妻知ってるか?」
「ああ、えっと、沼田麝香(じゃこう)、だっけ」
「そう、幽斎夫妻は関ヶ原合戦後京都にいた。正室の麝香も当然一緒だ。その麝香なんだけど、嫁であったガラシャの死に様を聞いてから、一年後にカトリックの洗礼を受けてる」
「えッ、義理のお母さんだよね、麝香?そこまでガラシャに思い入れあったの?」
「よっぽど感銘を受けたんだろうな。自分が犠牲になって細川家を守る事となったガラシャの死は姑の心を動かした。その洗礼を受けて授かった名前が驚きだよ」
「何?」
「麝香の洗礼名はマリア。細川マリア、今のマリアさんと全く同じ名前さ。後に麝香は人質になる途中で逃げた孫の興秋の代わりに江戸へ人質として渡ってその地で亡くなった悲しい運命を辿ったけどさ」
吉継はまだ抱き合っている汐恩とマリアの姿を見て言った。
「Ave Maria,gratia plena、『アヴェマリアの祈り』にはマリアとガラシャの名前が並んでる。細川マリアと細川ガラシャ、時を超えた親子の出会いに見えないか、あの二人?」
「もう、止めてよ、ヨシ」
また感激にむせび出す秀晶に笑った吉継であったが、ある事を思い出してバックヤードに戻って、細川一家の前にやってきた。
「汐恩、ほら、これ忘れてるぞ」
吉継の腕には大量のピンクのカーネーションの花束があった。
「あ、そうでした」
涙を拭いて汐恩はその花束を受けるとマリアに、「ママ、これを」と手渡した。
「ワタシに?」
「このピンクのカーネーションの花言葉は『感謝』です。スペインの国花のカーネーションは聖母マリアの涙から生まれたとコバ君から聞きました。ですから私は私のせいで辛い思いをしてきたママにこの花を贈りたいのです。今までごめんなさい、そして私を産んでくれてありがとう」
「ボニータ、人生で最高のプレゼントデス。アリガトウ」
マリアは再び花束越しに汐恩を抱擁した。
キッチンではワーンと秀晶がまた泣いている。
ホントに泣き虫だな、あいつ、と微笑ましく笑いながら吉継はマリアに手を向けた。
「マリアさん、その花、お帰りになるまでこちらでお預かりします。それと忠時さん、あれをそろそろ汐恩に見せますね。汐恩、ちょっとこっちに来てくれ」
吉継はカーネーションを音依に渡すと汐恩を奥座敷の前に誘導し、扉を開けた。
「見せたいのはこれだ」
「まあ、これは!」
衣紋掛けに掛かった細川ガラシャの着物に汐恩は驚いた。
「それな、マリアさんが前もって作ってくれてたんだ。いつかお前に着せたいって。今日忠時さんにマリアさんには内緒でここに運んできてもらってたんだ」
「ママが?」
汐恩はマリアに振り返った。
マリアは、いつの間にと夫に呆れながらも答えた。
「ええ、いつでも着れるようにサイズを合わせてありマスヨ」
「ママ………」
「汐恩、感激するのはまだ早いぞ。ほら、こっちも見てみろ」
吉継は緑色の茶碗を木箱から取り出した。
「これはマリアさんの故郷の焼き物『テルエル焼き』だ。これもマリアさんが前々からお前に使って欲しいって特別に焼いてもらってたんだ」
「綺麗………」
手にとってうっとり模様を眺める汐恩に吉継は更に提案した。
「どうだ、今度の茶会にそれ使ってみないか?そのガラシャの着物を着て」
ハッと大きく目を開けて汐恩は吉継を見た。
「それはとても名案です。いいえ、それ以外考えられません」
「だ、そうですよ、マリアさん。よかったですね、長年の願いが叶って」
吉継は万事計画通りに運んだ得意顔をマリアに向けた。
するとマリアは急に吉継を固く抱きしめ、Muchas gracias(ムーチャス・グラシアス/本当にありがとう)と礼を言ってから飛び切りの笑顔を表した。
「¿Te casarás con mi hija bonita cuando crezca?(テ・カサラス・コン・ミ・イーハ・ボニータ・クアンド・クレスカ?)」
「え、何て言ったんです?」
ボニータだけは聞き取れたが後は分からない。
「今はまだ秘密デス」
吉継はマリアに唇へ人差し指を当てられウインクされて戸惑った。
「プッ、ヨシちゃん、いよいよこれは大変ねえ」とスペイン語を理解している音依が笑うと、「うーん、ヨシ君なら、有りかな。父親としては複雑だけど」と忠時は腕を組んで考え込んだ。
【おい、金吾。マリアさん、今何て言ったんだよ。お前なら分かるだろ】
吉継は二色鉛筆に尋ねたが、
【アハハ、面白そうだから教えてやらぬ】
とケラケラ笑って拒否された。
「ねえ、音依さん、今の何て意味なの?」
秀晶が音依の袖を引いて尋ねると、音依は秀晶の耳元でヒソヒソと話した。すると突然驚いた顔をした秀晶が大慌てでマリアに向いて両腕をブンブン振った。
「マリアさん、ダメです!そんなの!」
「ん?何故ダメなんデスカ、晶?」
「ええ、それは、その………」
と、その秀晶の煮え切らない態度で察したマリアは汐恩を背中から抱きしめて秀晶に言った。
「ワタシのボニータは負けまセンヨ、晶」
「そういうのは本人の気持ちです!親が決める事じゃないです!!」
「おい、晶、そんなに興奮して何だったんだ?」
「うるさい!全部ヨシが悪いんだからね」
「ええー、俺なんで悪い事してないのにいつも責められんの?」
理不尽さにブツブツ文句を呟きながらもキッチンに戻った吉継は着座を勧めた。
「ま、とにかく色々一段落ついた所で、このケーキ食べませんか?折角焼いたので」
「お、そうだね、頂こう。さ、汐恩、カウンターで私達の間へ座りなさい」
「はい、お父様」
従順に腰掛けた汐恩に忠時は笑った。
「ところで私はパパとは呼んでもらえないのかい?」
「お父様は日本人ですからお父様です。でもママはスペイン人ですからママと呼びます」
汐恩は右隣のマリアの腕に引っ付いて反論した。
「うーん、マリーと仲良くなってくれたのは嬉しいけど、急に寂しいな」
「お父様にはお兄様がいらっしゃるから良いではありませんか」
バッサリ父親を切り捨てて汐恩はマリアに向いて言った。
「ママ、あの、巡礼の貝なんですけど、壊してしまって本当にごめんなさい」
「コンチャならもういいんデスヨ、ボニータ。気にしないで下サイ」
「あ、そうでなくて、その、よろしければ私もいつかサンティアゴ巡礼に連れて行って頂けませんか?ママと一緒にママの歩いた道を歩きたいんです」
「カミーノに?」
「はい。それと、ママの産まれたアルバラシンも見たいです。駄目ですか?」
マリアは満面の笑みでまた汐恩を抱きしめた。
「それナラ夏休みとかにグァポと三人で行きマショウ。ボニータに案内したいところスペインに一杯ありマス。デモ、カミーノは距離長いカラ、数年に分けて行きまショウネ」
「はい!あ、それと」
体を離して汐恩はある事を願った。
「スペイン語とスペイン料理も教えて下さい。私、ママに教わりたいです」
「¡Vale!(バレ)」
マリアは嬉しそうに親指を立てた。
「バレ?」
「スペイン語でOKという意味デス。シカシ、あのミガスの出来ではボニータに料理教えるの中々骨が折れそうデスネ」
「あ、酷いです、ママ」
「アハハ、スペイン料理は良いですケド、他の日本料理トカハ音依に教えてもらったらどうデスカ?音依それは凄い料理人デスヨ」
「あ、確かにそうです」
「何、汐恩ちゃん、私に料理習いたいの?」
音依はカットしたアーモンドケーキを三人に出しながら笑った。
「はい、お母様の料理の手解きはとても丁寧でよく理解出来ましたので。大雑把なコバ君とは天地の開きがあります」
するとそれを耳にした吉継は前も同じような比較されたなと思い出しつつもひねくれ気味に言った。
「ふん、教え方が雑で悪うございましたね」
「拗ねないの、ヨシちゃん。それより、皆さんコーヒーは?マリアさんはいつものようにカフェ・コルタードを、レチェ・テンプラーダでいいんですか?」
「Claro!(クラーロ/もちろん)」
「では私はカフェ・ソロで」と忠時が注文すると汐恩は「私はママと同じで」とまた母親にベッタリくっついていた。
「じゃ、ヨシちゃん、コーヒーお願いね」
「ダコール」
「しかし、汐恩のこの変わりようったら」
秀晶もキッチンテーブルでタルタを食べながら冷笑した。
汐恩は照れながらも秀晶へ睨みを利かせた。
「よろしいではございませんか。何か悪いですの?」
「別に悪いとは言ってないけど。あ、そうだ、ヨシ」
「うん?」
エスプレッソマシーンを操作しながら吉継は秀晶に振り向いた。
秀晶は花瓶に活けた先程のカーネーションの花束を指さした。
「大茶湯の花ってさ、そのピンクのカーネーション使えない?ほら、汐恩は茶碗もテルエル陶器使うんでしょ?だったら国花のスペインで統一出来ないかな。それに関ヶ原桜少ないからピンクって花見に映えると思うんだけど」
するとこの発言に直ぐさま一同は酷く驚いた顔を揃って秀晶に向けた。
基本的に茶席にいける茶花(ちゃばな)は季節に応じた日本の花が使われる。しかし日本の花であっても沈丁花、深山樒、鶏頭の花、女郎花(おみなえし)など禁花(きんか)といって嫌われる種類もあり、西洋の花はそもそも日本古来の茶道の茶花には考えられておらず、一般的に合わないと言われている。
「あ、やっぱり茶会向きの花じゃないかな、アハハ」
よくよく考えてみた秀晶は頰を掻いたが、汐恩は余計目を見開いた。
「晶さん、貴女凄い発想なさるのね!それとても素敵だと思います!」
「え、マジ?」
「西洋の花が絶対に禁花と決められている訳ではありません。それに椀がスペインなのですから花も日本産にこだわる必要がどこにありましょう。それに決めます!」
真剣な顔付きで汐恩はポンと掌を叩いた。
「いいの、ホントに?」
意外な高評価に驚く秀晶であったが、吉継も「カーネーションいいな」と賛成した。
「今年寒くて桜の開花遅れそうって気象予報で言ってたから。大瓶で活ければ結構桜の代わりに見栄えいいんじゃないか?マリアさん、テルエルの花瓶で良さそうなのあります?」
「フフッ、実はいくつか用意してありマスヨ」
「わあ、さすがママ、頼りになります」
「じゃあ花入れと花は決まったな。茶碗もテルエル焼きで汐恩の着物も決まったし。他の細かい道具はみんなで相談するとして、大まかな菓子作りの基盤が出来てきたな。でも、さすがは晶。何気ない閃きで流れを変えるんだから、味方でいてくれて心強いよ」
細川家にコーヒーを出した後、吉継は秀晶にカフェオレを差し出した。
「えへへ、そ、そうかな」
「むむ、さすがは私の好敵手の晶さんですわね。一瞬たりとも侮れません」
「ちょっと、汐恩、今は茶会の仲間なんだから、そういうのは休戦」
「ああ、そうです。今後の課題は茶屋比べですわね」
ケーキを食べながら汐恩は戸惑った顔を上げた。
「こらこら、また一人で抱え込むな。これからはみんなで取り組んでくって決めたろ?」
「は、はい。そうでした。でも具体的にどうしたらいいんでしょう」
「三人だけで話し合っても平行線だからな。とにかく一度『チーム汐恩』を立ち上げよう。伊知花と咲良と合流して作戦会議を開く。晶、女子の方は任せて良いか?」
「了解」
秀晶はナイフとフォークでVサインを作った。
「じゃ、俺は三大に声掛けてみるよ、っていつ集まろうか。茶会記の締め切り十八日だっけ。集めるの来週の水曜か。あんま時間ないな。俺抜きで先に細々したの決めてもらうしかないかな」
厳しい目付きで吉継はカレンダーと睨み合いした。
しかし汐恩が口を尖らせた。
「いえ、それは困ります。コバ君が茶菓子作りのメインなのですから、不在ですと足並みが揃いません。それに同時進行で進めていかないと到底間に合いませんし」
「うーん、そうは言っても学校終わったら俺仕事だし、週末も朝昼仕事だし。定休日の水曜しか空く時間無いしな」
するとここで音依が開口した。
「ヨシちゃん、全部決まるまでお店の手伝い休んで良いわよ。土日のランチタイムも」
「は?いや、でもそれじゃ、母さんと父さんに負担が」
「あのね、ヨシちゃんが店に出るまでは私達はずっと一人で回してきたのよ。親を信用しなさい。それよりヨシちゃんは全力で汐恩ちゃんの力になってあげなさい。これは師匠としての命令です。いいわね?」
「母さん、ありがとう」
「だったら、ヨシ、早速明日の日曜集まる?私、伊知花とかにメッセ送るけど」
秀晶がLINEの開いたスマホを挙げた。
「そうだな、茶屋のレイアウトとかもあるし急ピッチで進めていかないと。汐恩それでいいか?」
「申し分ございません」
「場所はどうする?」
「それはよろしければ私の家で」
「おいおい、みんなが集まるにはあの茶室は狭すぎるだろ」
「いえ、私の部屋に集合しましょう。一応二十畳ありますので、ある程度の人数でも大丈夫です」
「個室に二十畳って相変わらずスゲえな。じゃ、作戦本部は汐恩の家で決定な。晶、女子へ連絡頼む。俺も男子の方はやっておくから」
吉継はLINEでメッセージを送っていた。
「イエッサー」と秀晶も手早く画面にタッチしていた。
そんな二人の様子を見ていたマリアは汐恩にこっそり耳打ちした。
「素敵な友達が出来て良かったデスネ、ボニータ」
汐恩は上機嫌に笑って答えた。
「Si、mama!」

「あはは………」
翌三月十二日、日曜日、午前十時。
約束通り汐恩の部屋へ皆が集合した途端、吉継は笑うしかなかった。
温泉旅館を思わせるような広い畳敷きの和室の壁には不釣り合いなスペインサッカークラブ、レアル・サラゴサの旗が幾つも垂れ下がり、その下には大小様々の烏帽子を付けたくまモンのぬいぐるみが所狭しと並べてあった。
「汐恩、お前、一日で極端に変わり過ぎだろ」
汐恩の格好も百八十度の転換である。
普段の和装でなく、肩の出たオフホワイトのセーターに白百合が多数プリントされた紺色のミニフリルスカート、それに黒いニーソックスを履いている。そしてトレードマークともいえるストレートヘアがウェーブのかったスタイルへと変わっていた。
すると、焦げ茶色のローテーブルに片肘をついて胡座で座った吉継の右隣に腰を下ろした汐恩が、呆れている吉継の右頬をいきなり思い切りつねった。
「いてて、何するんだよ、汐恩!」
「そういう時は珍しがるより、先ず着こなしを褒めるべきです。セレブレティーとしてのマナーがなっておりませんわね、貴方」
胸に垂れ下がった黄金色のホタテ貝の小さなネックレスがチャラリと揺れた。
「お前は庶民の俺に何を求めてるんだよ!それにつねる事はないだろうが」
この破壊王め、と小声で吉継は文句を吐いた。
「何ですって!?」
「いいえ、何でも無いです………」
恐怖の眼差しに吉継は汐恩から少し離れ身構えた。
しかし、汐恩は負けじと吉継の右腕を掴んで自分の方に引き寄せ、顔を近付けた。
「いつまでもレディーに怯えるなんて失礼です。これでも結構傷つきますのよ」
「悪かった、悪かったって」
吉継は汐恩の腕から抜けて、壁の赤い紋章旗を見た。王冠の下には後ろ足で立つライオンが描かれている。
「それより、サラゴサのフラッグとはある意味マニアックだな」
「ママが育った地元のクラブですもの。ママも応援しているようなので私もそうしようかと」
「はは、サッカーの話なら左人志の奴喜ぶぞ。あいつスペインリーグとかもすげえ好きだし。一度二人で話してみれば………いててててて」
またしても汐恩に頬をつねられた。それも二倍ぐらいの力強さである。
「いってーな!俺が何したよ!」
汐恩の手から離れた吉継は食ってかかったが汐恩は自分の手を見て不思議そうに聞き返した。
「いえ、何となく。本当にどうしてでしょう?」
「それは俺の台詞だ。今日の集まりが武将の敬称不要ってのは分かるけど、お前、変なイメチェンしてからどうかしちまったんじゃねえの?」
「へ、変?」
「そうだ、その髪だっていつもの真っ直ぐなのが良いのに」
「………ストレートがお好みなんですの?」
「お前にゃ前の方がマシなだけだ」
「そうですか」
軽い笑みを浮かべて汐恩は吉継の隣にきちんと座り直した。
「ねえねえ、ヨシ、私は?」
左隣に座った秀晶が吉継の左腕を取って揺すった。
「何だよ、晶?」
「私の格好は変じゃない?」
白デニムのホットパンツに紺色のリーボックのパーカーを着た秀晶が聞いてきた。
「は?」
「だってさ、汐恩ばっか褒めてズルイ」
「………おーい、今の流れのどこにそんな要素あった?」
吉継は訳も分からず左右に揺られたが、目の前の胡座をかいていた京極伊知花が、さも下さらそうに短い八重歯を出して掌をヒラヒラと振った。
「晶、コバにお洒落の感想求めたって時間の無駄無駄。何、その、よっしーがソースカツ丼食べてるプリントのパーカーは。ダッサ!」
「お前、全国のよっしーファンに謝れ。それよか、お前のそのミリオタ満載の格好には言われたかねーよ。ここのお手伝いさん玄関でメチャクチャ警戒してただろうが。それに人の家来るのにモデルガン装備してくる奴がいるか!執事さんに取り上げられるのは当たり前だろ」
帽子から靴下までミリタリーファッションで固めた、額に迷彩ストールを巻いてその上から透明なレギュレーターゴーグルを着用している伊知花に吉継は言い返した。
「チッ、気の利かない執事ね。折角汐恩を守ろうとしてきたのにさ」
「あのな、今日はお前らのサバゲー大会に来たんじゃねえぞ。汐恩が撃たれるはずないだろ」
伊知花は小学生ながら「クイーン」という大人のサバイバルゲームの女子チームに属していて、東海大会では常に上位にいた。伊知花は銃器の扱いに慣れていて仲間からは「リトルクイーン」と呼ばれている。その伊知花が声高に反論した。
「甘いわね、コバ。私達の中ではいつでも戦場よ。敵もどこから攻めてくるか分からないから武装は鉄板でしょうが。大将の首取られたら負けなんだからね。今川義元が良い例でしょ」
「ここは桶狭間じゃねえ!茶会の相談に無粋な武器持ち込むな、この馬鹿伊知花」
「馬鹿とは何よ、コバのくせに」
「何だと!」
すると伊知花の右隣の、ピンクセーターを着た小田咲良が赤いヘアゴムで止めただけのおさげ髪を揺らせて仲介に入った。
「伊知花ちゃんも、コバ君も喧嘩はめっ、よ~!二人は寝返り組なんだから仲良くね~」
「一緒にするな!」「一緒にしないでよ!」
とハモる二人に咲良はニコニコとして手を合わせた。
「ほら、やっぱり似た者同士だよ~。スマイルスマイル~」
間延びした声で咲良が言った。
「………もう、あんたのそのほわっとした顔見てるとどうでも良くなってくるわ」
伊知花は咲良の頭を和んだ顔で撫でた。
ちなみに寝返り組というのは関ヶ原小学校五年一組の中での不名誉なあだ名である。小早川吉継(小早川秀秋)を筆頭に、脇坂英治(脇坂安治)、橘川広樹(吉川広家)、京極伊知花(京極親子)の四人であり、伊知花だけは女子一人なので特にその名称は嫌がっていた。
「でもお前らホント仲良いな」
吉継が姉妹のような同級生に笑った。
「当たり前。私達は共にキリシタン、特にジョアン繋がりなんだから。だからガラシャ好きの汐恩に協力するのは当然でしょ。ね、咲良」
「うん、そうだね~。汐恩ちゃんに友達って言ってもらえたんだからすっごく嬉しい~。友達の力になるのは当たり前だよ~」
それを聞いて汐恩は少し照れていた。細川家に着いた早々名前で呼んで下さいと頼んだら二人は何のためらいもなくあっさり了承した。
「京極高知(たかとも)と織田長益(ながます)の洗礼名か。なるほど、有楽の茶室も『如庵』だもんな。でも京極家と細川家は超仲悪かったぞ。忠興が丹後宮津から小倉へ所領替えになった時に寺の釣り鐘を持って行こうとしてそれで京極家臣と揉めてから高知とは絶縁したからな。それに高知の次男の広高は三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の祖となった千宗旦の弟子になってて、細川三斎流とは関係ないだろ」
「歴史の事は細かいわね、コバは。だったら咲良はどうなのよ。それこそ織田有楽流で三斎流とは関係ないでしょ!」
「有楽は三斎とは仲良かったからいいんだよ。何たって敬愛してた信長の弟だからな。それに織部に有楽は茶が下手って馬鹿にされてたからこっちにつくのは道理だろ。な、源五?」
「………ゲンゴ?」
それを耳にした咲良は、
「コバ君、私、昔のあだ名で呼ばないでっていつも言ってるよね~。撃ち殺すよ~。月の出てない夜には気を付けな~」
と目だけが笑っていない満面の笑顔で指の銃をあっという間に額へ突き付けた。
茶道有楽流の祖となる織田長益は信長の弟であり、本能寺の変の折、甥の信忠を自害させ自分だけが逃げ延びてそれを「織田の源五は人ではないよ お腹召せ召せ 召させておいて われは安土へ逃げるは源五 むつき二日に大水出て おた(織田)の原なる名を流す」と皮肉られていた。
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