「業者にオーダーするには時間が足りませんから。でもママはとても楽しそうです」
「それならいいんだけど。それよか、汐恩、あそこで伊知花と咲良が何か弄ってるけど平気か?」
吉継はさっき汐恩が立っていた舞台を指さした。そこには料理が盛られた皿を持ちながら伊知花が壁のスイッチを興味深げに触っている。
すると何かのスイッチを押してしまったのか、グインという機械音と共に天井からミラーボールや間接照明がゆっくりと下がってきて、会場中を様々な色でキラキラ照らし出した。
奥の壁には巨大なスクリーンも同時に降りている。
「わッ、何、これ?汐恩、ごめん、変なボタン押しちゃったみたい」
伊知花が慌てて汐恩に大声で手を振ってこっちに向かってきた。
「焦らずとも大丈夫ですわよ、伊知花さん。それただの通信カラオケのセットです」
「カラオケ?」
「ええ、ここの迎賓館には様々なお客様が出入りなさいますから、歌好きの方のためにお父様が設えたのですよ」
「お、じゃあ、何でも歌えるの?」
「業務用なので大体は可能かと」
「なら食べながら大会やろうよ。こんなオケボみたいなのあるなら歌わないと損じゃん」
「あ~私も歌いたかも~」
咲良も隣で手を挙げた。
それを聞いたチーム全員が「カラオケ大会いいね」とわらわら集まってきた。
「おい、汐恩どうするよ?」
吉継が思い掛けない状況に苦笑した。
「今日は慰労会ですからよろしいんじゃありません?皆さん、只今用意させておりますので暫しお待ちを」
すると舞台用テーブルと楽曲検索タブレット、数本のマイクなどをお手伝いさんが運んできた。
「じゃ、歌う順番はクジ引きでね」
伊知花がナプキンで作った即席クジを全員に引かせた。
その結果、一番が吉美、二番が咲良、三番が吉継、四番が愛輝、五番が近子、六番が汐恩、七番が伊知花、そしてトリが秀晶となった。
「んじゃ、チーム汐恩、カラオケ大会の始まりだー!」
伊知花がノリノリで吉美にマイクを渡した。
そうして歌会は始まり、吉美はGReeeeNの『キセキ』、咲良が西野カナの『トリセツ』、吉継が日野聡の『六の巷に』、愛輝が星野源の『恋』、近子が中島みゆきの『糸』、そして汐恩が島津亜矢の『お玉』、伊知花がチュリサスの『バトル・メタル』を歌った。
「い・ち・か~、お・ま・え・は~」
吉継は額に怒りマークを浮かべて、歌い終わって満足している伊知花の口にバゲットを丸まま突っ込んだ。
「ちったあ空気を読め。なんでここでへヴィメタル歌うんだよ!みんな引いてただろうが!」
すると伊知花はパンを噛み切りゴクリと飲み込んで反撃した。
「いいじゃん、好きな歌歌っても」
「時と場所を弁えろって言ってんだよ。それに何だあの歌詞は。どこの勇者だ、お前は!」
「あ、チュリサスの良さが分からないなんてモグリね、あんた。あれを口ずさみながら敵を銃撃する快感たらないのに」
「ここはサバゲーフィールドじゃねえ」
すると汐恩がその奇妙な遣り取りを見て、
「ぷっ、ククク、アハハハ!」
溜まらず大笑いした。そして涙をぬぐいながら伊知花を庇った。
「私、こういう音楽初めてですけど面白かったですよ、伊知花さん。活き活きと歌ってらっしゃったんですもの。コバ君、今日は慰労会ですし、どんなジャンルでも構いません」
伊知花は汐恩の背中に回り込み、両肩を掴んで吉継にべえと舌を出した。
「ほら、汐恩だってこう言ってるじゃん。大体コバだって無双のキャラソン歌ってたし。この下手くそ!」
「うるさいよ。本当はさくらゆき歌いたいんだけどカラオケに入ってないから代わりに歌ったやつだから練習もしてねーの!」
「男の癖に言い訳するな。それより汐恩の演歌始めて聞いたよ。ガラシャの歌ってあったんだね」
「はい。私の大好きな曲の一つです。それより晶さんがそろそろ歌われますよ」
汐恩は舞台を指さした。
するとピアノの伴奏と共に秀晶の迫力ある声がうねる波となって館内に響いた。
声域が驚くほど広く、バイブレーションの利いた声は聞く者の体を震えさせ、今までの歌とは桁違いにレベル差を見せ付けていた。
「これ、確かイギリスの歌姫、アデルの『ハロー』ですわ。二年前に大ヒットした」
まさか秀晶が洋楽のバラードを歌うとは予想していなかった汐恩はその伸びやかで声量のある歌声に忽ち酔いしれた。
「まさにアデルそのものの声じゃありませんか。凄いですわ、晶さん」
「晶の声はある意味神の声だからな。でも俺も晶が洋楽を歌うのは始めて聞いた。さては伊知花に当てられたか。しかしあいつ洋楽もマジに上手いな」
「………晶さんはズルいです」
汐恩は秀晶の天性の歌声に聞き惚れつつ悔しそうな顔をした。
「ズルイ?」
「だって私に無いものを一杯持ってらっしゃいますもの」
「はは、晶も似たような事言ってたぞ、汐恩が羨ましいって」
「そうですの?」
「頭も良くて美人で優しくてスポーツも出来て、おしとやかで完璧だってさ」
「そ、そんな事、晶さんはお友達も多いではありませんか」
「それは最近の汐恩だって一緒だろ。俺からすれば似た者同士だよ。俺なんて歴史と料理以外は興味ないからなあ。単純にお前達はすげえと思う」
「でも何かに特化するのは悪い事ではございませんわよ。一番に秀でていればそれは立派な才能です。コバ君も世界一の料理人になればよろしくて」
「サラッと簡単に言ってくれるな、おい」
「男児たるもの大志を抱かねばいけません。しかし、本当に晶さんの歌声は神の声ですわね。お一人なのにまるで賛美歌を歌う合唱団のように響きます」
「!」
この時不意に吉継の脳裏に何かのイメージが過ぎった。
「汐恩、お前、今なんて言った?」
「え、晶さんの声は神の………」
「その後だよ!」
「賛美歌を歌う合唱団のようだと」
「それだ!!」
するとここで吉継は歌い終わったばかりの秀晶の元へ猛ダッシュで走って行き、タブレットリモコンを操作してから曲名とアーティスト名を秀晶に示した。
「晶、この曲歌えるか?」
「どうしたの急に?」
「いいから教えてくれ」
「あ、うん。ヘイリーのなら歌った事あるよ」
「じゃあ続きで悪いけどこれ歌ってくれ」
「え、今から?」
「頼む!茶会の成功はお前にかかっているかもしれないんだ。詳しい理由は後で話すから」
合掌して頼む吉継に秀晶は短く息を吐いた。
「訳分かんないけど、ヨシの頼みじゃしょうがない。いいよ、歌う」
「サンキュ。じゃ、用意できたら頼むな」
吉継は舞台を降りて汐恩の元へ戻ってきた。
「何かあったんですの、コバ君?」
「ああ、ガラシャの茶を飾る最後の一押しがやっと見つかったんだよ。舞台に注目していてくれ」
「あ、はい」
汐恩は吉継の言に従って歌う準備を整えた秀晶を見つめた。
すると静かなピアノソロから始まったその曲に秀晶は歌を乗せた。
「………」
それは三分ほどの短い歌であったが、会場の誰もが物音一つ立てず静かに聞き入っていた。
汐恩はその歌に体中に鳥肌を立てていて、聞き終わると吉継に向いた。
「コバ君、まさかこれを私の茶屋で」
「どうだ、インパクトのある演出になるだろ?タイトルもずばり『恩寵』だしな」
「はい!これなら、これならもう負ける気が致しません!」
「ちょっと、コバ、汐恩、何か私の歌で盛り上がってるみたいだけど一体どういう事なのよ」
舞台から降りてきた秀晶が尋ねてきた。
吉継はチーム全員を集めるとその理由を話した。
すると全員の顔が嬉しそうに輝いた。
「これは絶対イケるよ!」
声を揃えてみんなが頷いた。
そんな興奮冷めやらぬ中、秀晶が汐恩に向いた。
「あ、汐恩、どうせならみんなで景気付けにアレやらない?」
「アレ?」
「ほらほら、円陣組んで、こうやって手を合わせてさ」
秀晶は七人全員を近くへ呼び寄せると丸くなって手を円の中心に重ね合わせさせた。
「わはッ、これ野球とかでよく見るヤツだ。最後にオーって手を挙げるの」
伊知花がワクワクして言った。
秀晶が隣の汐恩に向いた。
「汐恩、あんたが茶屋のリーダーだから発破掛けてよ」
「私がですか?」
「当たり前でしょ、チーム汐恩なんだから。ほら、早く早く。簡潔にパワーが出るの頼むよ」
「わ、分かりました。では」
すうっと息を吸うと手を一番下に置いていた汐恩は叫んだ。
「敵は桃配山にあり!皆さんで関ヶ原をひっくり返しますわよ!」
「オウ!」
威勢良く全員の手が高々と挙がった。
それから時が経ち、遂に四月一日、「関ヶ原東西大茶湯」が開催された。
雲一つ無い暖かな晴天という理由もあり、また徹底した宣伝も効果があったのか、初日の会場は町中大賑わいとなっていた。
全国各地から集まった武将隊は甲冑姿が禁止なので直垂(ひたたれ)姿で参加している。
一般客は長命寺と道明寺という二種の東西桜餅を愉快そうに食べ比べていたし、懐石弁当や日本全国の茶菓子販売のテントには長蛇の列が出来、朝妃が売り子に専念したひすとり庵ブースでも「越中寿司」は瞬く間に売り切れていた。
茶道具や、御茶屋、陶磁器市にも大勢の客が集まり、各種イベントも滞りなく進行していった。
忠時が亭主を務める黄金の茶室コーナーと、野外の三英傑による能狂言は特に集客率が高かった。更に着物を着てくれれば二百円割引の効果もあったのか、客の中には女性、男性を問わず着物姿も多く見られ、外国人観光客も出張していたレンタル着物を着て楽しんでいるようであった。
また、体験できるとあってか、簡易の茶道教室と茶杓造りコーナーにはそれら外国人観光客が押し寄せ、その脇には通訳チームの指導者でもある音依が控えていた。
音依は以前より大茶湯のHPを英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・中国語・韓国語などに訳しており、日本各地から学生の通訳ボランティアを募っていた。それに応じた学生は船形をした通訳証明書を首から提げていて、それはどの国の言葉が話せるのか色分けしてあり、外国人からすると一目瞭然で彼らは便利な案内役となっていた。
しかしメインイベントはやはり茶屋比べである。
「大人の部」と「中高生の茶道部の部」は土日の二日間通しで行われる。
様々の流派が競い合う茶屋には何枚ものチケットと、プリントされた茶会記を持ったお客が並んでいて、「どこどこの茶屋の造りがいい」だの「あそこの茶菓子が美味しかった」だの「何とか学校の茶道部は結構上手」だとの会話がそこら中で飛び交っていた。
そうして一日目の大茶湯は無事終了し、二日目の日曜日を迎えた。
いよいよ茶屋比べ「小学生の部」の対決である。
ただし、この部は元と汐恩の二組しか申請がなかったので事実上の一騎打ちとなっていた。
「うわー、テレビ来てる。緊張するよ~」
水家に控えているお運び役の女子達のはしゃぐ声がテントの中から漏れ聞こえてきた。
どうも忠時が面白がってライブ映像を中継する会社に依頼したらしく、吉継の控えている近くのモニターには笹尾山駐車場に設けられた織部流茶屋の様子が映し出されていた。
(やっぱり向こうの方が並んでるな)
古田織部の肖像画を等身大にプリントアウトした看板が備えられている案内所の前には既に開場を待つお客が三十人程ズラズラと列をなしていた。
紺の長着とグレーの袴を着けた吉継はこちらの茶屋の受付を眺めて人数を数えた。
「こっちは十人か。やっぱり最初から差を付けられてるな」
吉継はこの日のために茶会記とは別にスペインのテルエル焼きや、汐恩が着る色鮮やかなガラシャの着物などをインスタグラムやツイッターにアップしていた。
しかしそれは向こうも同じ考えで織部の歪んだ沓形茶碗や、織部がいかに美濃との接点があるかなどを面白おかしく書き込んでいた。
息を吐いて見上げた桜の木には二分の花しか咲いておらず寂しい風景となっている。
「こら、小早川君。新学期からは六年生になるんだからそんな暗い顔してちゃ駄目よ」
吉継の視界を覆い被さるように急に皇武美の顔が近くに迫った。
「わッ、テンムちゃん!」
驚いて吉継はひっくり返った。
「いてて」
「あら、ごめんなさい。驚かせちゃったかしら。でも担任に向かってテンムちゃんは止めなさいね」
武美は起き上がった吉継の背中についた芝を払いながら笑って謝った。
「どうして先生がここに?」
吉継はキョトンとして尋ねた。
教師らしい白黒のスーツに身を固めた武美は呆れて話した。
「あら、どうしてとは心外ね。茶屋比べのクラス審査の責任者は私でしょ。一般審査とは別にクラス投票の結果を知らせるのは私の役目」
一般審査は三百の茶菓子が無くなるか、つまり三百人が茶屋に来てくれるか、そしてどちらの茶屋が優れているかの一般客の投票であり、それは音依たち船団の方からの発表となるが、クラス投票はあくまでも内々の競争なので、茶屋比べが終了したのと同時に武美が男子と女子に色分けした投票用紙を集めに両陣営を回るのである。
要するに一般審査とクラス投票を総合して元と汐恩のどちらが勝っているかが今日決まるのである。
「さっき訪問してきたけど松平さんの茶屋は随分賑わってたわね。前評判も良いみたいだし」
赤い野点傘が立てられたこちらの緋毛氈の縁台をチラリと眺めてから武美はスマホのSNSをチェックした。
吉継は強がった表情を作った。
「それは想定内ですよ。勝負は今からです。ただ折角の桜が満開だったらなと考えてただけです」
「ふふ、その意気なら面白くなりそうね。あ、そろそろ会場入りの時間だわ。じゃ、先生も応援してるから頑張ってね」
武美はそそくさとその場を後にした。
そうして二日目の開会を宣言する町長のスピーチが終わった途端、汐恩の待つ五畳の畳敷き茶屋へ若草色の一ツ紋袷の女性が静かに歩いてきた。年の頃は五十代前半で、髪を綺麗にまとめ上げ厳とした表情を崩さずに吉継へ会釈した。
(この人が汐恩の師、三斎流家元・梅町昭子先生か。見るからに厳格そうだな)
吉継も出で立ちを観察しながら丁寧なお辞儀を返した。
汐恩から聞くところによると昭子は弟子にも容赦は無いらしく、汐恩の母マリアが褒められているのはむしろ珍しい方だという。
【この宗匠にお嬢の茶が認められるか否かが勝負の分かれ目になるのう】
袂に入れてある金吾が言った。
【ああ、会場のお客がスマホで観れるよう動画サイトでライブ中継されているからな。賭けに失敗すると逆に大打撃を食らう可能性もある。薄氷を踏む思いだけれど、後は運を天に任せるしかないな】
それから各茶屋に少しずつ客が流れ始めた。
正客となっている昭子の隣には県知事や関ヶ原町長などが正座していた。
「汐恩さん」
昭子が電器風炉の前で支度を調えたカラフルな着物姿の汐恩に声を掛けた。
「はい、先生」
元結い髪の汐恩は軽く頭を下げた。
「本日は大茶湯の主催者側の要望で色々な場面で茶屋や道具の質問をしてほしい言われてます。本来の作法とは大きく離れておりますけんどそれは堪忍しておくれやす」
「それは私も伺っております。何なりとご質問下さい」
「ほな早速」と昭子は茶屋を見渡した。
元達の茶屋を印刷した衝立で三方を囲うのでなく、桜の木を背景にした汐恩の茶屋は、汐恩の背後に畳一畳程の縦長の厚いアクリル板で出来た衝立が三枚並列に立っていて、脇の二枚にはキリストの誕生と磔刑を表したステンドグラスのシールが対に貼ってある。そして中心の衝立には「和敬清寂」と書かれた掛け物がまるで宙に浮いているようにも見えた。
ちなみに「和敬清寂」は茶道の心得を現した言葉で、和はお互い仲良くする事、敬はお互い敬いあう事、清は物と心が清らかである事、寂はどんな時にも動じない不動の心を持つ事を意味する。
そしてその掛け物の下には緑色と黒が特徴のテルエル焼きの壺にベビーピンクのカーネーションの花がこんもり活けられていた。
「あんさんのお姿は細川ガラシャの着物。ほなこの風変わりの茶屋にも何か意味がおますな」
「左様にございます。先生のご賢察の通り、私達の茶室は全てガラシャに関する物で造られております」
「そうですな。壁のステンドグラスはイエス・キリスト、キリシタンに改宗したガラシャならばそれは理解出来ます。そやかて他のものはえらいけったい(奇妙)でしょうがあらしまへん。先ずその魚の印が周りに描かれている花入れから伺いましょか」
昭子は花瓶の曲線が上下に交差した魚の模様に目を遣った。
汐恩は丁寧に答えた。
「はい、この花入れは私の母の故郷であるスペインのテルエルの陶器です。ガラシャはスペインの宣教師とも交流がありました。またその魚はキリストを表した印なのです。ギリシャ語でキリストはΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ(イエスース・クリストス・テウー・ヒュイオス・ソォーテール)と言い、イエス・キリスト・神の・子・救い主となりその頭文字を集めるとΙΧΘΥΣ(イクトゥス)となり、それはギリシャ語で魚を意味します。つまり魚は古代のキリストのシンボルであったのです」
「なるほど。ほな花は?あないな西洋の花を飾るんは普通考えられまへんえ」
「カーネーションはスペインの国花です。それと同時にカーネーションは感謝を意味します。私は花入れと、後に出てきますが茶碗をテルエルで用意してくれた私の母に感謝したいとこの花を選びました。またガラシャの元となったグラティアの言葉はスペイン語のありがとうのグラシアスにも変化しましたので敢えてカーネーションを活けたのです」
「ふむ。そやけんど何故に壁を透明に?」
「それは利休七則の一つに従ったのです」
「茶聖の?」
「はい。御存知のように七則は『一、茶は服のよきように点て 二、炭は湯の沸くように置き 三、花は野にあるように 四、夏は涼しく冬は暖かに 五、刻限は早めに 六、降らずとも傘の用意 七、相客に心せよ』の利休居士が唱えた茶の極意です。私達はその三の『花は野にあるように』との教えから壁を透き通らせました。この壺に活けてあるカーネーションの後ろに立つのはソメイヨシノの木です。掛け物はその木の幹に掛かっているように見えます」
「ほな壺は空にすべきでは?」
「桜がもっと咲いていれば私もそうしていたかもしれません。しかし、茶屋全体の調和を考えると花が無くては纏まりに欠けてしまいます。それにこの茶屋は和洋折衷、花はやはり西洋のものが最適だと判断したのです」
臆することなく汐恩はニッコリ笑って説明した。
対して昭子は黙って頷き、次いで汐恩の手元に視線を移した。
「その茶杓はどないです?」
そこには茶筅と共に茶碗に立ててあるガラス製の長い茶杓が見えていた。先端はスプーン状になっており、反対の持ち手の飾りは百合の形になっていた。
「これは大阪玉造教会にある壁画のガラシャが手に持っている百合をそのままイメージしたものです。百合は聖母マリアの象徴でもありますので」
「ちゃいます。材質を問うておりますのや。竹でのうてガラスの訳は?」
「この茶杓の原型はマドラーです」
「マドラー?お酒を混ぜるあれですか?」
「はい。それはお茶菓子を召し上がって頂いた後で説明致します」
汐恩は吉継に目配せした。吉継は九曜紋の幔幕に覆われた水屋の中に控えている女子達に無言で合図した。
すると中から菓子が五つ載った盆を持って伊知花達が颯爽と姿を現した。
「何とまた!」
昭子を始め、この茶屋の縁台に座っていた客もその風体に全て驚愕した。
何と全員が修道女に扮していたのである。
黒いベールを被り、胸元には、本物の十字架の代わりに金糸でそれが刺繍してあった。
着物を想像していただけに度肝を抜かれた客は呆気にとられるしかなかった。
「汐恩さん、こら一体」
「別段驚かれる事ではございません。ガラシャが生きていた戦国時代はキリスト教教会の中に茶室が造られていました。もちろん当時の日本に外国の修道女がいた訳ではございませんが、この茶屋はキリシタンの茶屋です。ですからここの茶屋の窓はステンドグラス窓なのです。それよりもお茶菓子をどうぞ」
昭子は半東でありつつ修道女姿の秀晶から菓子を配られると、懐紙に載せた、縦切りしたゆで卵を伏せたような白い茶菓子を不思議そうに見つめた。
それは葡萄の葉を象った紙の上に載っていて、その紙の端には「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」との文字が印刷されていた。
「それが私達『チーム汐恩謹製・たまゆら』です。お召し上がり下さい」
汐恩が昭子に促した。
「え、ええ。ほんなら頂戴致しましょ」
昭子は黒文字で真ん中を割ってみた。すると外側はフワリと柔らかく切れ、中心には黄色い丸い餡が見えた。
続いて昭子は切った一片を口に入れた。
「うん、こら何や!?」
口に含むや外側の白身の部分は忽ち雪のように溶けていき、核となる黄色い餡からは爽やかで甘い果物の味が舌に触ってきた。
「もしや泡雪羹(あわゆきかん)ですか?」
昭子は汐恩に尋ねた。
淡雪羹は、寒天に砂糖を加えて作る錦玉羹にメレンゲに加えて、冷やしたものである。
「はい。そして中身は黄身餡に熊本の特産でもあるマンゴーのピューレを主張しすぎない分量だけ加え、それを卵の型で冷やし固めました」
「果物はマンゴーでおましたか」
「それだけではございません。白身の部分だけもう一度お召し上がり下さい」
「白身だけ?」
「どうぞ」
昭子は勧められるまま黒文字で上の部分だけ切って口に入れて噛みしめた。
「ん?」
溶けていくメレンゲの間に微かながら別の風味も感じられた。恐らく味覚は体験しているだろうが何故か分からない。それだけ微量な分だけが混ざっている。
ニコニコと微笑む小憎たらしい弟子に昭子は聞き質した。
「こら何が入っているのです?」
汐恩は種明かしをした。
「ワインです」
「ワイン?」
「材料の水を減らして僅かにノンアルコールの白ワインを混ぜてあります。ですからこれはいわゆるマンゴーワインカクテルの菓子なのです」
「ほいで茶杓がマドラーやと?」
ニコッと無言で汐恩は肯定の笑みを浮かべた。
「そやけんど、どないな訳でワインを入れたんです?この謎掛けには意味があるんでっしゃろ」
「はい。ワインはキリストの血だと言われています。ワインは葡萄酒です。そしてその菓子の下に敷いてあるのは葡萄の葉です。そこに書いてある文言は聖書のヨハネによる福音書十五章からの抜粋です」
「聖書の?」
「キリストは自分が葡萄の木と喩えています。キリストという木に繋がればキリストもその枝となる者に繋がるとの言葉です」
汐恩は「和敬清寂」の掛け物に首を上げて言った。
「この和敬清寂の和は和合、そして調和です。今回の茶屋比べにおいて私は友達や母を始め多くの方々に支えられてこのような茶会を開くことが出来ました。それは私にとって掛け替えのない大切な繋がりです。人は一人でなく他の人と手を携えて何かをなしえるのです。お茶の一杯も私とお客様あっての事です」
「そらそや」
了解して頷く師匠を見て汐恩は次にソメイヨシノを見上げた。
「菓子の名のたまゆらは玉が触れる僅かな時間を指します。ガラシャの名の珠子から卵のお菓子にしたのはほんの洒落でもありますけど、卵はキリスト教における再生を現します。この桜の木も何れ満開となり、そして葉桜となり、冬には枯れて葉を落とします。そしてまた再生して花を一杯に咲かせます。私達はその自然のサイクルの中に生きています。しかし歴史から見ればそれは僅か一瞬の間なのです。まさにたまゆらのように」
「ふうむ。この菓子はほんま儚げではあってもはんなりしたお味です。ガラシャの人生によう似ておりますな」
「そうです。その儚さも私達はイメージしました。人偏に夢と書いて「儚」。私達の生きている時間ははほんの短い夢の間なのです。中国故事の『一炊の夢』と同じく」
唐の青年盧生(ろせい)が、立身のために楚へ向かう途中、邯鄲(かんたん)の地で一眠りし、その夢の中で贅沢な一生を送るものの、目が覚めてみると、まだ炊きかけの粟飯(あわめし)が出来上がっていなかった。僅かな時間の喩えであるが汐恩はそれを引用した。
「それならいいんだけど。それよか、汐恩、あそこで伊知花と咲良が何か弄ってるけど平気か?」
吉継はさっき汐恩が立っていた舞台を指さした。そこには料理が盛られた皿を持ちながら伊知花が壁のスイッチを興味深げに触っている。
すると何かのスイッチを押してしまったのか、グインという機械音と共に天井からミラーボールや間接照明がゆっくりと下がってきて、会場中を様々な色でキラキラ照らし出した。
奥の壁には巨大なスクリーンも同時に降りている。
「わッ、何、これ?汐恩、ごめん、変なボタン押しちゃったみたい」
伊知花が慌てて汐恩に大声で手を振ってこっちに向かってきた。
「焦らずとも大丈夫ですわよ、伊知花さん。それただの通信カラオケのセットです」
「カラオケ?」
「ええ、ここの迎賓館には様々なお客様が出入りなさいますから、歌好きの方のためにお父様が設えたのですよ」
「お、じゃあ、何でも歌えるの?」
「業務用なので大体は可能かと」
「なら食べながら大会やろうよ。こんなオケボみたいなのあるなら歌わないと損じゃん」
「あ~私も歌いたかも~」
咲良も隣で手を挙げた。
それを聞いたチーム全員が「カラオケ大会いいね」とわらわら集まってきた。
「おい、汐恩どうするよ?」
吉継が思い掛けない状況に苦笑した。
「今日は慰労会ですからよろしいんじゃありません?皆さん、只今用意させておりますので暫しお待ちを」
すると舞台用テーブルと楽曲検索タブレット、数本のマイクなどをお手伝いさんが運んできた。
「じゃ、歌う順番はクジ引きでね」
伊知花がナプキンで作った即席クジを全員に引かせた。
その結果、一番が吉美、二番が咲良、三番が吉継、四番が愛輝、五番が近子、六番が汐恩、七番が伊知花、そしてトリが秀晶となった。
「んじゃ、チーム汐恩、カラオケ大会の始まりだー!」
伊知花がノリノリで吉美にマイクを渡した。
そうして歌会は始まり、吉美はGReeeeNの『キセキ』、咲良が西野カナの『トリセツ』、吉継が日野聡の『六の巷に』、愛輝が星野源の『恋』、近子が中島みゆきの『糸』、そして汐恩が島津亜矢の『お玉』、伊知花がチュリサスの『バトル・メタル』を歌った。
「い・ち・か~、お・ま・え・は~」
吉継は額に怒りマークを浮かべて、歌い終わって満足している伊知花の口にバゲットを丸まま突っ込んだ。
「ちったあ空気を読め。なんでここでへヴィメタル歌うんだよ!みんな引いてただろうが!」
すると伊知花はパンを噛み切りゴクリと飲み込んで反撃した。
「いいじゃん、好きな歌歌っても」
「時と場所を弁えろって言ってんだよ。それに何だあの歌詞は。どこの勇者だ、お前は!」
「あ、チュリサスの良さが分からないなんてモグリね、あんた。あれを口ずさみながら敵を銃撃する快感たらないのに」
「ここはサバゲーフィールドじゃねえ」
すると汐恩がその奇妙な遣り取りを見て、
「ぷっ、ククク、アハハハ!」
溜まらず大笑いした。そして涙をぬぐいながら伊知花を庇った。
「私、こういう音楽初めてですけど面白かったですよ、伊知花さん。活き活きと歌ってらっしゃったんですもの。コバ君、今日は慰労会ですし、どんなジャンルでも構いません」
伊知花は汐恩の背中に回り込み、両肩を掴んで吉継にべえと舌を出した。
「ほら、汐恩だってこう言ってるじゃん。大体コバだって無双のキャラソン歌ってたし。この下手くそ!」
「うるさいよ。本当はさくらゆき歌いたいんだけどカラオケに入ってないから代わりに歌ったやつだから練習もしてねーの!」
「男の癖に言い訳するな。それより汐恩の演歌始めて聞いたよ。ガラシャの歌ってあったんだね」
「はい。私の大好きな曲の一つです。それより晶さんがそろそろ歌われますよ」
汐恩は舞台を指さした。
するとピアノの伴奏と共に秀晶の迫力ある声がうねる波となって館内に響いた。
声域が驚くほど広く、バイブレーションの利いた声は聞く者の体を震えさせ、今までの歌とは桁違いにレベル差を見せ付けていた。
「これ、確かイギリスの歌姫、アデルの『ハロー』ですわ。二年前に大ヒットした」
まさか秀晶が洋楽のバラードを歌うとは予想していなかった汐恩はその伸びやかで声量のある歌声に忽ち酔いしれた。
「まさにアデルそのものの声じゃありませんか。凄いですわ、晶さん」
「晶の声はある意味神の声だからな。でも俺も晶が洋楽を歌うのは始めて聞いた。さては伊知花に当てられたか。しかしあいつ洋楽もマジに上手いな」
「………晶さんはズルいです」
汐恩は秀晶の天性の歌声に聞き惚れつつ悔しそうな顔をした。
「ズルイ?」
「だって私に無いものを一杯持ってらっしゃいますもの」
「はは、晶も似たような事言ってたぞ、汐恩が羨ましいって」
「そうですの?」
「頭も良くて美人で優しくてスポーツも出来て、おしとやかで完璧だってさ」
「そ、そんな事、晶さんはお友達も多いではありませんか」
「それは最近の汐恩だって一緒だろ。俺からすれば似た者同士だよ。俺なんて歴史と料理以外は興味ないからなあ。単純にお前達はすげえと思う」
「でも何かに特化するのは悪い事ではございませんわよ。一番に秀でていればそれは立派な才能です。コバ君も世界一の料理人になればよろしくて」
「サラッと簡単に言ってくれるな、おい」
「男児たるもの大志を抱かねばいけません。しかし、本当に晶さんの歌声は神の声ですわね。お一人なのにまるで賛美歌を歌う合唱団のように響きます」
「!」
この時不意に吉継の脳裏に何かのイメージが過ぎった。
「汐恩、お前、今なんて言った?」
「え、晶さんの声は神の………」
「その後だよ!」
「賛美歌を歌う合唱団のようだと」
「それだ!!」
するとここで吉継は歌い終わったばかりの秀晶の元へ猛ダッシュで走って行き、タブレットリモコンを操作してから曲名とアーティスト名を秀晶に示した。
「晶、この曲歌えるか?」
「どうしたの急に?」
「いいから教えてくれ」
「あ、うん。ヘイリーのなら歌った事あるよ」
「じゃあ続きで悪いけどこれ歌ってくれ」
「え、今から?」
「頼む!茶会の成功はお前にかかっているかもしれないんだ。詳しい理由は後で話すから」
合掌して頼む吉継に秀晶は短く息を吐いた。
「訳分かんないけど、ヨシの頼みじゃしょうがない。いいよ、歌う」
「サンキュ。じゃ、用意できたら頼むな」
吉継は舞台を降りて汐恩の元へ戻ってきた。
「何かあったんですの、コバ君?」
「ああ、ガラシャの茶を飾る最後の一押しがやっと見つかったんだよ。舞台に注目していてくれ」
「あ、はい」
汐恩は吉継の言に従って歌う準備を整えた秀晶を見つめた。
すると静かなピアノソロから始まったその曲に秀晶は歌を乗せた。
「………」
それは三分ほどの短い歌であったが、会場の誰もが物音一つ立てず静かに聞き入っていた。
汐恩はその歌に体中に鳥肌を立てていて、聞き終わると吉継に向いた。
「コバ君、まさかこれを私の茶屋で」
「どうだ、インパクトのある演出になるだろ?タイトルもずばり『恩寵』だしな」
「はい!これなら、これならもう負ける気が致しません!」
「ちょっと、コバ、汐恩、何か私の歌で盛り上がってるみたいだけど一体どういう事なのよ」
舞台から降りてきた秀晶が尋ねてきた。
吉継はチーム全員を集めるとその理由を話した。
すると全員の顔が嬉しそうに輝いた。
「これは絶対イケるよ!」
声を揃えてみんなが頷いた。
そんな興奮冷めやらぬ中、秀晶が汐恩に向いた。
「あ、汐恩、どうせならみんなで景気付けにアレやらない?」
「アレ?」
「ほらほら、円陣組んで、こうやって手を合わせてさ」
秀晶は七人全員を近くへ呼び寄せると丸くなって手を円の中心に重ね合わせさせた。
「わはッ、これ野球とかでよく見るヤツだ。最後にオーって手を挙げるの」
伊知花がワクワクして言った。
秀晶が隣の汐恩に向いた。
「汐恩、あんたが茶屋のリーダーだから発破掛けてよ」
「私がですか?」
「当たり前でしょ、チーム汐恩なんだから。ほら、早く早く。簡潔にパワーが出るの頼むよ」
「わ、分かりました。では」
すうっと息を吸うと手を一番下に置いていた汐恩は叫んだ。
「敵は桃配山にあり!皆さんで関ヶ原をひっくり返しますわよ!」
「オウ!」
威勢良く全員の手が高々と挙がった。
それから時が経ち、遂に四月一日、「関ヶ原東西大茶湯」が開催された。
雲一つ無い暖かな晴天という理由もあり、また徹底した宣伝も効果があったのか、初日の会場は町中大賑わいとなっていた。
全国各地から集まった武将隊は甲冑姿が禁止なので直垂(ひたたれ)姿で参加している。
一般客は長命寺と道明寺という二種の東西桜餅を愉快そうに食べ比べていたし、懐石弁当や日本全国の茶菓子販売のテントには長蛇の列が出来、朝妃が売り子に専念したひすとり庵ブースでも「越中寿司」は瞬く間に売り切れていた。
茶道具や、御茶屋、陶磁器市にも大勢の客が集まり、各種イベントも滞りなく進行していった。
忠時が亭主を務める黄金の茶室コーナーと、野外の三英傑による能狂言は特に集客率が高かった。更に着物を着てくれれば二百円割引の効果もあったのか、客の中には女性、男性を問わず着物姿も多く見られ、外国人観光客も出張していたレンタル着物を着て楽しんでいるようであった。
また、体験できるとあってか、簡易の茶道教室と茶杓造りコーナーにはそれら外国人観光客が押し寄せ、その脇には通訳チームの指導者でもある音依が控えていた。
音依は以前より大茶湯のHPを英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・中国語・韓国語などに訳しており、日本各地から学生の通訳ボランティアを募っていた。それに応じた学生は船形をした通訳証明書を首から提げていて、それはどの国の言葉が話せるのか色分けしてあり、外国人からすると一目瞭然で彼らは便利な案内役となっていた。
しかしメインイベントはやはり茶屋比べである。
「大人の部」と「中高生の茶道部の部」は土日の二日間通しで行われる。
様々の流派が競い合う茶屋には何枚ものチケットと、プリントされた茶会記を持ったお客が並んでいて、「どこどこの茶屋の造りがいい」だの「あそこの茶菓子が美味しかった」だの「何とか学校の茶道部は結構上手」だとの会話がそこら中で飛び交っていた。
そうして一日目の大茶湯は無事終了し、二日目の日曜日を迎えた。
いよいよ茶屋比べ「小学生の部」の対決である。
ただし、この部は元と汐恩の二組しか申請がなかったので事実上の一騎打ちとなっていた。
「うわー、テレビ来てる。緊張するよ~」
水家に控えているお運び役の女子達のはしゃぐ声がテントの中から漏れ聞こえてきた。
どうも忠時が面白がってライブ映像を中継する会社に依頼したらしく、吉継の控えている近くのモニターには笹尾山駐車場に設けられた織部流茶屋の様子が映し出されていた。
(やっぱり向こうの方が並んでるな)
古田織部の肖像画を等身大にプリントアウトした看板が備えられている案内所の前には既に開場を待つお客が三十人程ズラズラと列をなしていた。
紺の長着とグレーの袴を着けた吉継はこちらの茶屋の受付を眺めて人数を数えた。
「こっちは十人か。やっぱり最初から差を付けられてるな」
吉継はこの日のために茶会記とは別にスペインのテルエル焼きや、汐恩が着る色鮮やかなガラシャの着物などをインスタグラムやツイッターにアップしていた。
しかしそれは向こうも同じ考えで織部の歪んだ沓形茶碗や、織部がいかに美濃との接点があるかなどを面白おかしく書き込んでいた。
息を吐いて見上げた桜の木には二分の花しか咲いておらず寂しい風景となっている。
「こら、小早川君。新学期からは六年生になるんだからそんな暗い顔してちゃ駄目よ」
吉継の視界を覆い被さるように急に皇武美の顔が近くに迫った。
「わッ、テンムちゃん!」
驚いて吉継はひっくり返った。
「いてて」
「あら、ごめんなさい。驚かせちゃったかしら。でも担任に向かってテンムちゃんは止めなさいね」
武美は起き上がった吉継の背中についた芝を払いながら笑って謝った。
「どうして先生がここに?」
吉継はキョトンとして尋ねた。
教師らしい白黒のスーツに身を固めた武美は呆れて話した。
「あら、どうしてとは心外ね。茶屋比べのクラス審査の責任者は私でしょ。一般審査とは別にクラス投票の結果を知らせるのは私の役目」
一般審査は三百の茶菓子が無くなるか、つまり三百人が茶屋に来てくれるか、そしてどちらの茶屋が優れているかの一般客の投票であり、それは音依たち船団の方からの発表となるが、クラス投票はあくまでも内々の競争なので、茶屋比べが終了したのと同時に武美が男子と女子に色分けした投票用紙を集めに両陣営を回るのである。
要するに一般審査とクラス投票を総合して元と汐恩のどちらが勝っているかが今日決まるのである。
「さっき訪問してきたけど松平さんの茶屋は随分賑わってたわね。前評判も良いみたいだし」
赤い野点傘が立てられたこちらの緋毛氈の縁台をチラリと眺めてから武美はスマホのSNSをチェックした。
吉継は強がった表情を作った。
「それは想定内ですよ。勝負は今からです。ただ折角の桜が満開だったらなと考えてただけです」
「ふふ、その意気なら面白くなりそうね。あ、そろそろ会場入りの時間だわ。じゃ、先生も応援してるから頑張ってね」
武美はそそくさとその場を後にした。
そうして二日目の開会を宣言する町長のスピーチが終わった途端、汐恩の待つ五畳の畳敷き茶屋へ若草色の一ツ紋袷の女性が静かに歩いてきた。年の頃は五十代前半で、髪を綺麗にまとめ上げ厳とした表情を崩さずに吉継へ会釈した。
(この人が汐恩の師、三斎流家元・梅町昭子先生か。見るからに厳格そうだな)
吉継も出で立ちを観察しながら丁寧なお辞儀を返した。
汐恩から聞くところによると昭子は弟子にも容赦は無いらしく、汐恩の母マリアが褒められているのはむしろ珍しい方だという。
【この宗匠にお嬢の茶が認められるか否かが勝負の分かれ目になるのう】
袂に入れてある金吾が言った。
【ああ、会場のお客がスマホで観れるよう動画サイトでライブ中継されているからな。賭けに失敗すると逆に大打撃を食らう可能性もある。薄氷を踏む思いだけれど、後は運を天に任せるしかないな】
それから各茶屋に少しずつ客が流れ始めた。
正客となっている昭子の隣には県知事や関ヶ原町長などが正座していた。
「汐恩さん」
昭子が電器風炉の前で支度を調えたカラフルな着物姿の汐恩に声を掛けた。
「はい、先生」
元結い髪の汐恩は軽く頭を下げた。
「本日は大茶湯の主催者側の要望で色々な場面で茶屋や道具の質問をしてほしい言われてます。本来の作法とは大きく離れておりますけんどそれは堪忍しておくれやす」
「それは私も伺っております。何なりとご質問下さい」
「ほな早速」と昭子は茶屋を見渡した。
元達の茶屋を印刷した衝立で三方を囲うのでなく、桜の木を背景にした汐恩の茶屋は、汐恩の背後に畳一畳程の縦長の厚いアクリル板で出来た衝立が三枚並列に立っていて、脇の二枚にはキリストの誕生と磔刑を表したステンドグラスのシールが対に貼ってある。そして中心の衝立には「和敬清寂」と書かれた掛け物がまるで宙に浮いているようにも見えた。
ちなみに「和敬清寂」は茶道の心得を現した言葉で、和はお互い仲良くする事、敬はお互い敬いあう事、清は物と心が清らかである事、寂はどんな時にも動じない不動の心を持つ事を意味する。
そしてその掛け物の下には緑色と黒が特徴のテルエル焼きの壺にベビーピンクのカーネーションの花がこんもり活けられていた。
「あんさんのお姿は細川ガラシャの着物。ほなこの風変わりの茶屋にも何か意味がおますな」
「左様にございます。先生のご賢察の通り、私達の茶室は全てガラシャに関する物で造られております」
「そうですな。壁のステンドグラスはイエス・キリスト、キリシタンに改宗したガラシャならばそれは理解出来ます。そやかて他のものはえらいけったい(奇妙)でしょうがあらしまへん。先ずその魚の印が周りに描かれている花入れから伺いましょか」
昭子は花瓶の曲線が上下に交差した魚の模様に目を遣った。
汐恩は丁寧に答えた。
「はい、この花入れは私の母の故郷であるスペインのテルエルの陶器です。ガラシャはスペインの宣教師とも交流がありました。またその魚はキリストを表した印なのです。ギリシャ語でキリストはΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ(イエスース・クリストス・テウー・ヒュイオス・ソォーテール)と言い、イエス・キリスト・神の・子・救い主となりその頭文字を集めるとΙΧΘΥΣ(イクトゥス)となり、それはギリシャ語で魚を意味します。つまり魚は古代のキリストのシンボルであったのです」
「なるほど。ほな花は?あないな西洋の花を飾るんは普通考えられまへんえ」
「カーネーションはスペインの国花です。それと同時にカーネーションは感謝を意味します。私は花入れと、後に出てきますが茶碗をテルエルで用意してくれた私の母に感謝したいとこの花を選びました。またガラシャの元となったグラティアの言葉はスペイン語のありがとうのグラシアスにも変化しましたので敢えてカーネーションを活けたのです」
「ふむ。そやけんど何故に壁を透明に?」
「それは利休七則の一つに従ったのです」
「茶聖の?」
「はい。御存知のように七則は『一、茶は服のよきように点て 二、炭は湯の沸くように置き 三、花は野にあるように 四、夏は涼しく冬は暖かに 五、刻限は早めに 六、降らずとも傘の用意 七、相客に心せよ』の利休居士が唱えた茶の極意です。私達はその三の『花は野にあるように』との教えから壁を透き通らせました。この壺に活けてあるカーネーションの後ろに立つのはソメイヨシノの木です。掛け物はその木の幹に掛かっているように見えます」
「ほな壺は空にすべきでは?」
「桜がもっと咲いていれば私もそうしていたかもしれません。しかし、茶屋全体の調和を考えると花が無くては纏まりに欠けてしまいます。それにこの茶屋は和洋折衷、花はやはり西洋のものが最適だと判断したのです」
臆することなく汐恩はニッコリ笑って説明した。
対して昭子は黙って頷き、次いで汐恩の手元に視線を移した。
「その茶杓はどないです?」
そこには茶筅と共に茶碗に立ててあるガラス製の長い茶杓が見えていた。先端はスプーン状になっており、反対の持ち手の飾りは百合の形になっていた。
「これは大阪玉造教会にある壁画のガラシャが手に持っている百合をそのままイメージしたものです。百合は聖母マリアの象徴でもありますので」
「ちゃいます。材質を問うておりますのや。竹でのうてガラスの訳は?」
「この茶杓の原型はマドラーです」
「マドラー?お酒を混ぜるあれですか?」
「はい。それはお茶菓子を召し上がって頂いた後で説明致します」
汐恩は吉継に目配せした。吉継は九曜紋の幔幕に覆われた水屋の中に控えている女子達に無言で合図した。
すると中から菓子が五つ載った盆を持って伊知花達が颯爽と姿を現した。
「何とまた!」
昭子を始め、この茶屋の縁台に座っていた客もその風体に全て驚愕した。
何と全員が修道女に扮していたのである。
黒いベールを被り、胸元には、本物の十字架の代わりに金糸でそれが刺繍してあった。
着物を想像していただけに度肝を抜かれた客は呆気にとられるしかなかった。
「汐恩さん、こら一体」
「別段驚かれる事ではございません。ガラシャが生きていた戦国時代はキリスト教教会の中に茶室が造られていました。もちろん当時の日本に外国の修道女がいた訳ではございませんが、この茶屋はキリシタンの茶屋です。ですからここの茶屋の窓はステンドグラス窓なのです。それよりもお茶菓子をどうぞ」
昭子は半東でありつつ修道女姿の秀晶から菓子を配られると、懐紙に載せた、縦切りしたゆで卵を伏せたような白い茶菓子を不思議そうに見つめた。
それは葡萄の葉を象った紙の上に載っていて、その紙の端には「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」との文字が印刷されていた。
「それが私達『チーム汐恩謹製・たまゆら』です。お召し上がり下さい」
汐恩が昭子に促した。
「え、ええ。ほんなら頂戴致しましょ」
昭子は黒文字で真ん中を割ってみた。すると外側はフワリと柔らかく切れ、中心には黄色い丸い餡が見えた。
続いて昭子は切った一片を口に入れた。
「うん、こら何や!?」
口に含むや外側の白身の部分は忽ち雪のように溶けていき、核となる黄色い餡からは爽やかで甘い果物の味が舌に触ってきた。
「もしや泡雪羹(あわゆきかん)ですか?」
昭子は汐恩に尋ねた。
淡雪羹は、寒天に砂糖を加えて作る錦玉羹にメレンゲに加えて、冷やしたものである。
「はい。そして中身は黄身餡に熊本の特産でもあるマンゴーのピューレを主張しすぎない分量だけ加え、それを卵の型で冷やし固めました」
「果物はマンゴーでおましたか」
「それだけではございません。白身の部分だけもう一度お召し上がり下さい」
「白身だけ?」
「どうぞ」
昭子は勧められるまま黒文字で上の部分だけ切って口に入れて噛みしめた。
「ん?」
溶けていくメレンゲの間に微かながら別の風味も感じられた。恐らく味覚は体験しているだろうが何故か分からない。それだけ微量な分だけが混ざっている。
ニコニコと微笑む小憎たらしい弟子に昭子は聞き質した。
「こら何が入っているのです?」
汐恩は種明かしをした。
「ワインです」
「ワイン?」
「材料の水を減らして僅かにノンアルコールの白ワインを混ぜてあります。ですからこれはいわゆるマンゴーワインカクテルの菓子なのです」
「ほいで茶杓がマドラーやと?」
ニコッと無言で汐恩は肯定の笑みを浮かべた。
「そやけんど、どないな訳でワインを入れたんです?この謎掛けには意味があるんでっしゃろ」
「はい。ワインはキリストの血だと言われています。ワインは葡萄酒です。そしてその菓子の下に敷いてあるのは葡萄の葉です。そこに書いてある文言は聖書のヨハネによる福音書十五章からの抜粋です」
「聖書の?」
「キリストは自分が葡萄の木と喩えています。キリストという木に繋がればキリストもその枝となる者に繋がるとの言葉です」
汐恩は「和敬清寂」の掛け物に首を上げて言った。
「この和敬清寂の和は和合、そして調和です。今回の茶屋比べにおいて私は友達や母を始め多くの方々に支えられてこのような茶会を開くことが出来ました。それは私にとって掛け替えのない大切な繋がりです。人は一人でなく他の人と手を携えて何かをなしえるのです。お茶の一杯も私とお客様あっての事です」
「そらそや」
了解して頷く師匠を見て汐恩は次にソメイヨシノを見上げた。
「菓子の名のたまゆらは玉が触れる僅かな時間を指します。ガラシャの名の珠子から卵のお菓子にしたのはほんの洒落でもありますけど、卵はキリスト教における再生を現します。この桜の木も何れ満開となり、そして葉桜となり、冬には枯れて葉を落とします。そしてまた再生して花を一杯に咲かせます。私達はその自然のサイクルの中に生きています。しかし歴史から見ればそれは僅か一瞬の間なのです。まさにたまゆらのように」
「ふうむ。この菓子はほんま儚げではあってもはんなりしたお味です。ガラシャの人生によう似ておりますな」
「そうです。その儚さも私達はイメージしました。人偏に夢と書いて「儚」。私達の生きている時間ははほんの短い夢の間なのです。中国故事の『一炊の夢』と同じく」
唐の青年盧生(ろせい)が、立身のために楚へ向かう途中、邯鄲(かんたん)の地で一眠りし、その夢の中で贅沢な一生を送るものの、目が覚めてみると、まだ炊きかけの粟飯(あわめし)が出来上がっていなかった。僅かな時間の喩えであるが汐恩はそれを引用した。
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