「それとお前には分からないかもしれないが、この料理にヨシ君はとても努力してくれている。ア・ラ・プランチャに入っているチョリソーソーセージも、日本の辛いメキシコ経由のソーセージでなくスペイン産のソーセージを使ってくれている。ほら、今だって『クラーラ』というレモネードでビールを割ったお酒を出してくれている。これはバルでは定番だからだ。高影さんもそうだ。私たちのためだけにボカディージョ用のパンシージョをわざわざ焼いて下さる。スペインのパンと日本のパンでは固さが全然違うんだ。暫くスペインに滞在していた私にはよく分かる。マリーのためにお二人とも本当によくもてなして下さっている。その心遣いを私たちは有り難く受け取っている」
「………もう、講釈は結構です。お母様は何でもどうぞご自由に召し上がって下さいまし」
汐恩は不機嫌にそっぽを向いた。
忠時はやれやれと溜息を吐いて吉継を見た。
「それはそうと、ヨシ君、その君が持っているトレーに載っている料理は?」
「ああ、そうでした。今日は新作を三つ作ったんです。忠時さんとマリーさんに味見をして頂こうと思いまして」
吉継は二人前の料理の載った三皿をテーブルに置いた。
一つは海老とムール貝のむき身が入ったシーフードと赤パプリカが入ったパスタがパンシージョに挟まったサンドイッチ、二つ目は爪楊枝が二本刺さったたこ焼き六個、三つ目は四角く抜かれた厚いちらし寿司のようであった。
「これは、まさか中身はフィデワかい?」
サンドイッチを持ち上げて忠時が面白そうに聞いた。
「はい、パスタパエリアの、フィデワのボカディージョです。焼きそばパンをスペイン風にアレンジしてみました。付け合わせのレモンを軽く搾ってお召し上がり下さい」
フィデワは米でなくフィデオという極細パスタを使用した変わりパエリアである。
「あはは、ナポリタンやミートスパゲティーのバゲットサンドは見た事はあるけど、フィデワのは初だね。うん、でも面白い味だよ。美味しい」
「ありがとうございます」
「ヨシ、コレ、たこ焼き?にしては変わった香りがしマス」
マリアが爪楊枝の刺さった褐色玉に鼻をクンクンとさせた。外側にはマヨネーズと青のりのようなものが掛かっている。
「それは特製ピンチョスです。どうぞ、召し上がってみて下さい」
悪戯っ子の笑みを浮かべて吉継は手を向けた。
ピンチョスは一口サイズの串料理やバゲットに具材をトッピングした料理である。
マリアは爪楊枝を持ち上げてパクリと食べ、じっくりと良く噛み、ごくりと呑み込むと吉継を不思議そうに見上げた。
「美味しい!デモ、コレ、たこ焼きじゃありまセン!揚げたポテトボールデス。中には沢山タコ入ってマスが」
「それは外見だけたこ焼きに似せました。言うなれば『Bolitas de patata rellenas de pulpo a la Gallega(ボリータス・デ・パタタ・レジェーナ・デ・プルポ・ア・ラ・ガジェーガ)』です」
「タコを詰めたポテトボール・ガリシア風?」
タコのガリシア風(プルポ・ア・ラ・ガジェーガ、またはポルボ・ア・フェイラ)は、茹でたタコを丸い木皿の上で一口にカットして、粗塩、パプリカパウダー、オリーブオイルで味付けする至って簡単なスペインを代表するおつまみである。
「そうです。スペインバルではお馴染みのタパスを元に作りました。タコのガリシア風をマッシュポテトで包み、油で揚げてから、そこにアリオリソースと刻みパセリをかけました。プルポ・ア・ラ・ガジェーガはジャガイモと共に食べる事が多いのでいっそそれならと包んで揚げました」
「アハハッ、とても日本人らしい考え方デス。スペイン人そんな変わった発想しまセン」
マリアは笑ってもう二つ食べた。
「でもコレ本当に美味しいデス。中のタコも柔らかいデスし、ピメントン(パプリカ)もスペインの懐かしい味がしマス」
「プルポ・ア・ラ・ガジェーガはタコの柔らかさとパプリカパウダーが命です。タコは硬くならないよう銅鍋でタマネギと一緒に弱火でじっくり煮て、パプリカも辛くないドゥルセと辛口のピカンテをミックスして味に深みを与えます。オリーブオイルはもちろんエクストラバージン、塩は伯方の粗塩を使いました。それで評価はどうでしょう?」
するとマリアは右手の親指・人差し指・中指の三本を唇に当てて吉継に向けてチュッと離した。
「Está muy rico.(エスタ・ムイ・リコ)」
「な、な、な………」
この投げキスのような仕草に汐恩と秀晶が途端顔を真っ赤にした。
ここで吉継が半ば呆れて笑った。
「あのな、今のは『美味しい』ってスペインのジェスチャーだぞ。このサインが出るか、出ないかで俺の腕が問われるんだ。マリアさんはスペイン料理に関して結構点数厳しいんだから」
「そ、そうなんだ。ところで、ヨシ、アリオリソースって何?」
「簡単に言えばニンニク入りマヨネーズソース。ウチの手作りマヨネーズを作る時に一緒に仕上げるんだ。ただ普通のサラダ油じゃなくオリーブオイルとレモン汁を加えるけど。さっきのフィデワにもかけてあるぞ。アリオリでぐんと旨さが増すんだ」
「マヨネーズねえ。あんまりスペインのイメージじゃないけど」
「そうじゃない。スペインでは今やマヨネーズは無くてはならない調味料なんだ。もちろんオリーブオイル、ニンニクも同じくな。サラダにもたっぷりオリーブオイルを掛けるし」
「あれ?そういえば外国の人ってタコって食べないんじゃなかったっけ?」
「いや、スペインもそうだけど地中海に面したイタリアやギリシャとかアルジェリア、チュニジアとかも普通に食べるよ。フランスも南仏の方ではタコも珍しくないんだ」
「それはそうと、ヨシ君、最後のこれは何だい?バルの料理ではないよね。京丹後の名物『ばら寿司』に見えるけど」
忠時が話を遮って不可解な顔で金糸卵・カマボコ・スライスきのこの甘煮が四角い押し寿司の上に載っている料理を眺めた。それに寿司飯の間には茶色いペースト状のものが挟み込んである。
「ええ、ある意味そうです」
「ある意味?」
「どうぞ」
吉継は含みのある笑顔で忠時とマリアに割り箸を渡した。
「食べて当ててみろって事だね。よし」
忠時は箸で二層になっている寿司飯と上の具をすくうように食べた。
「ふんふん、成る程、これは確かにばら寿司だけどばら寿司じゃないね。金糸卵は、これはコンソメスープでのばした薄焼き卵で焼いてある。そして普通は椎茸を使うのをマッシュルームに、カマボコは………これはカマボコじゃないね」
「それは宮津の山芋をコンソメでのばして焼いた『洋風山芋おやき』です」
「ほう、丹後の食材をカマボコ代わりにね。ふむ、寿司飯に挟んであるのは本来なら焼き鯖そぼろだけどこれは………牛肉のそぼろだ。それも味付けが和じゃない。そうか、これはワイン煮のしぐれだね!」
「正解です、ですからこの寿司の名前は『越中寿司』です。今度の大茶湯の時に売り出そうと思いまして」
「越中?あはは、忠興公の寿司とはよく思い付いたね」
と、この時汐恩の体が何故だか微かにビクと揺れ動いた。
「味のご感想は?」
「うん、全体的に洋風になっていてバランスが取れている。美味しいよ。これなら売れるんじゃないかな。そもそもばら寿司もお祝いとか祭りの席で食されるんだから茶会にも良いかもしれない」
「グァポ、コレどんな意味なんデスカ?越中とは忠興公の事デスヨネ」
マリアは寿司を一口食べて忠時に聞いた。
この時また汐恩の体がギクリと動いた。
「そうだよ。越中流の頭形兜(ずなりかぶと)、越中褌など忠興公の名を冠した物は多いと言われている。おっと、そうか、マリーをまだ丹後へ連れて行ってあげてないな。京都の丹後地方は戦国期細川幽斎公親子が先ず治めていた所なのは知っているだろう」
「Si、藤孝公、忠興公のパパ、デスネ」
「その丹後の名物がこの押し寿司なんだけど、これは具材を鯖でなく牛肉に変えてある。それは忠興公のエピソードによるものなんだ。マリーは小田原攻め、覚えているかな」
「モチロン!太閤と北条との戦いデス。小田原評定に伊達の遅参、石垣山一夜城」
「わあ、マリアさん、詳しー!」
秀晶が驚くと少しはにかんでマリアは答えた。
「戦国時代は全て関ヶ原に繋がってマスから、ガンバって勉強しマシタ。それでグァポ、小田原と牛肉がどう関係してるノデスカ?」
「小田原は籠城戦で長引いてね、秀吉軍も茶会や酒宴を催すなど暇を持て余していた時もあったんだ。そこで忠興公は高山右近の陣へ出向いた時に牛肉をご馳走になったんだよ。本当は当時牛馬を食してはいけない掟があったんだけど、右近はキリシタンだったから牛肉には馴染みがあったしね。その肉料理が大変美味しかったらしく、忠興公も満足していたそうだ。ワインで煮込んだのは忠利(ただとし)公に関連しているんだよ。違うかい、ヨシ君?」
「細川家の方に説明するのは気が引けますよ」
苦笑いしつつも吉継はマリアに話した。
「忠興公の三男の忠利公は肥後熊本藩の初代ですけど、それ以前小倉藩を治めていた時に国産初のワイン製造に成功しているんです。忠利公の命令書にも『ぶだう酒を作り申す時分にて候間(そうろうあいだ)、上田太郎右衛門に便宜次第申遣作(べんぎしだいもうしつかわせつくら)せ可申旨(もうすべきむね)、御意之由(ぎょいのよし)(葡萄酒・ワインを造る時期になったので、上田太郎右衛門に造らせるように。主のご命令である)』とあります。それでただの牛肉しぐれでなくワインで煮たんです」
「あはは、相変わらずヨシ君は大人並みの博識だね」
「ありがとうございます」
大人びた知識と話し方に慣れている忠時の賛辞をサラリと流して吉継は補説した。
「全体的に洋風の具にしたのは細川家がキリスト教に深く関与しているからですが………ま、その話はここで止めておきましょう。これから、汐恩の料理を仕上げてきますね」
さっきから完全に固まっている汐恩の横顔を見て吉継は説明を止め、キッチンに向かった。
「ねえ、ヨシ、何か汐恩の様子がおかしいんだけど。特にあのお寿司の話になった時くらいから」
何かを感じ取っていたらしく秀晶が吉継の腕を取ってヒソヒソと耳打ちした。
「悪い、今は忙しい。今度話すよ」
吉継はキッチンに戻るとボウルに卵を割り入れ、黄身と卵白を分けて、卵白をミキサーで泡立て始めた。そしてそれが角立つとそれを攪拌した黄身にゆっくりと混ぜ、他の材料をミックスしながら、熱したフライパンにバターを溶かし入れ、卵液をジュワっと流し入れた。
弱火でじっくり温まれていくそれは店中に甘い香りを広げていく。
やがて吉継は火力を調整しながらフワフワに膨らんだオムレツを二つに折ってフライパンに盛り付け、そこへ椎茸のソースを添えた。
「お待たせしました。『関ヶ原スフレオムレツ椎茸クリームソース添え』セットです」
調理を済ませた吉継はバゲットスライスが二枚と胡麻ドレッシングが和えられたグリーンサラダ、とオムレツの皿を汐恩の前に並べた。
落胆した顔で汐恩はプックリ膨らんだスフレリーヌを見て嫌味を言った。
「やはり期待外れですわね。よくある、オムレット・ドゥ・メール・プラ-ルの紛い物ではありませんか」
フランスのモン・サン・ミシェルにはラ・メール・プラ-ルという、コースで六千円もする有名なスフレオムレツの店があり、東京にも出店している。
汐恩は細川家のシェフにもそれを作らせた事がある。スプーンを入れると泡だった柔らかい卵液が流れる独特のオムレツである。
しかし、今やそれも在り来たりになっている手法であり、何か特別な仕掛けがあるのかと期待していただけに拍子抜けした表情は偽れなかった。
実際スプーンで卵をすくってみると中身が流れないだけで似たようなビジュアルである。
中を観察しただけで食べようとしない汐恩に吉継は急かした。
「早く食べてくれ。スフレは萎(しぼ)むと美味しくない」
「分かっておりますわよ」
注文した手前さすがに食べない訳にはいけない。
不服そうに汐恩はオムレツの部分だけ一口口に入れた。
すると、
「………これは!!!!」
驚いた。口当たりはラ・メール・プラ-ルのものより少し堅めであるものの卵の味が濃厚である。
汐恩は次いで椎茸のソースを絡めて二口目を食べた。
するとまたオムレツの味がぐっと複雑になった。単なるクリームソースではない。口の中で椎茸と洋酒とミルクが濃密に襲ってきた。
「何ですの、この得も言われぬまろやか且つコクのあるクリームソースは………」
知らず内に汐恩のスプーンを運ぶスピードが速くなった。本来ラ・メールのオムレツはバターの味付けが基本である。それにキノコソースもソテーしたシメジを生クリームで調味したものである。しかし吉継のオムレツは卵液がもっと濃く、ソースも玄妙な味わいになっていた。
汐恩はその問いを解くように一口一口スプーンを進めていったのであるが、やがてオムレツは空になり、その謎は最後まで解けなかった。
「コバ君、一体何をしたんですの、貴方!」
スプーンを置くなり汐恩は憤った顔を向けた。
「おい、美味しくなかったのか?」
「とても美味しかったですわよ!でもこのオムレツの秘密が分からないから苛立っているのですわ」
「無茶苦茶な理屈だな、お前」
「良いから説明して下さらない?」
「分かったって。ならバゲットとサラダもちゃんと食べながら聞いてくれ」
「あ、そ、そうですわね」
汐恩はパンを千切って口に入れた。
「美味いか?」
「ふん、美味しいですわよ。でもこの味なら当家の食卓にもいつも出て参ります」
すると、ここで忠時が笑った。
「それはそうだろう。私達がいつも食べているパンは全て高影さんが焼いてくれたものを毎朝取りに来ているのだから」
「えッ、そうなのですか、お父様?」
「ウチには高影さん以上にパンを焼く技術を持ったシェフはいないよ。そしてヨシ君のオムレツも決して真似できない。今やヨシ君はひすとり庵の三枚看板の一人と言われているんだ」
「三枚看板?」
「オールラウンダー(万能)の音依さん、カフェ全般のスペシャリスト高影さん、そして神童のヨシ君。土日のモーニングとランチはヨシ君の料理担当だからわざわざ週末を狙ってお客がどっと押し寄せる。でもその神童のヨシ君でさえ、お母さんのおねさんに何年も鍛えられてやっとこのオムレツを焼けるようになったんだ。だね、ヨシ君?」
「神童は止めて下さい」
吉継は困惑した笑みを浮かべた。
「オムレツは店に出せるまで丸一年掛かりました。もっとも、美味しいと認められるまで更に一年要しましたけど。母は柔和に見えて厳しい人ですから。でも母のオムレツに比べると今も全然追いついていません」
「コバ君、貴方三年生の時からオムレツを焼いていたと仰るの!?」
「オムレツ程難しい料理はないからな。早く焼けるようになりたかったんだ。その間はずっと夕飯は失敗作のオムレツばかり食べてたけど」
「心底料理馬鹿なのですね、貴方」
「うるさいよ」
「褒めているのです。光栄にお思いになって。それより、オムレツの話です。あの玄人はだしの味付けは何ですの。バターだけではありませんわよね?」
「ああ、卵は垂井町の慈鶏園の産み立て卵と、ミルクは池田町にある棚橋牧場のを使ってる」
「そして?」
追求の眼差しは誤魔化しを許さない。吉継は渋々説明した。
「バターはフランス・エシレのブール・ドゥー、いわゆる発酵無塩バターを、塩はゲランド産を使っている。それだけだ」
エシレはフランスで有名なバターメーカーであり、発酵バターは日本の生乳をクリームと脱脂粉乳に分離して作る非発酵バターと違い、生クリームに乳酸菌を足す事で生まれる。そのため酸味の強いバターとなるが、オムレツのようなコクとその爽やかさを強めたい料理に向いている。
「いいえ、ごまかさないで下さい。それだけではないはずです。私には分かります」
「あのな、店の秘伝を赤の他人にホイホイ教える馬鹿がどこにいる?」
吉継は呆れて睨んだ。
「うッ」
汐恩は正論に口を詰まらせた。
そんな言い負かされる汐恩を見て忠時が助け船を出した。
「ははは、そうだね、出来れば私もこのオムレツの秘密を知りたいよ。決して誰にも口外しないからよかったら教えてくれるかい?」
忠時は吉継に視線を向けた。脅しでもない、純粋に興味を持った眼差しである。
「え、でも、それは………」
吉継は躊躇った。いくら恩人とはいえどレシピは店の生命線である。
しかしここでトントンとタップ音がキッチンから鳴った。
振り返ると高影が少し頷いた。
「えッ、いいの、父さん?」
吉継は驚いた顔で忠時に向いた。
「父さんが信用できる忠時さんになら話して良いと」
「お、そうかい。高影さん、ありがとう」
忠時は高影に手を挙げた。高影は目を閉じてまた少し頷いた。
吉継はフーッと長い溜息を吐くとキッチンから黄金色の液体が入った小さなボウルと小皿を持ってきた。
「そんなに難しい内容ではありません。これを卵液に足したんです」
ボウルから小皿にお玉で移し替えられ、差し出された液を忠時は味見した。
そして馴染みのある味覚に忽ち驚いて聞いた。
「これは、和食の出汁かい!」
「はい、干し椎茸の戻し汁と鰹、昆布でとった濃いめの出汁です。そこへ関ヶ原たまり醤油を数滴混ぜてあるんです。それをオムレツの風味を損なわない分量で隠し味として卵黄にミックスします。そしてホイップした卵白の泡を消さないようさっくり混ぜ込み、低温でゆっくりと焼き上げます。その戻した干し椎茸はクリームソースの具材として使っています。ソースはクロテッドクリーム・塩・椎茸の戻し汁・白ワインで仕上げました。本来ならポルチーニ茸等を使えば良いんでしょうけど高級ですし。その点関ヶ原の今須には手ごろな価格の椎茸もありますので和のソースに調えました」
「いや、でもあのソースは椎茸だけの旨味ではないと思うのだけれど」
「それは使う塩が違うからです。同じゲランド塩でも『黒トリュフ塩』を使っています」
「トリュフ塩を?」
「フランスであれば三大珍味のトリュフそのものを使用するのでしょうが、それではオムレツの値段が高価になってしまいます。それで黒トリュフ入りの塩を使ってソースの味をより豊かに仕上げました。
それがこのスフレオムレツの全てです」
「そうか、和風の出汁だから舌に馴染んでいたんだね。オムレツもソースも椎茸で統一感が取れているし」
「後は焼き方です。日本人向けとしてあまりにも液状に過ぎてもいけない、かと言って硬くしようとするとスフレ独特の食感が無くなってしまい、外側も焦げてしまうんです」
「なるほど、されどオムレツだね」
忠時は腕を組んで納得したが、ここである疑問をぶつけた。
「そういえばどうして関ヶ原でスフレオムレツなんだい?関ヶ原椎茸を使ったから?」
「いいえ、そうではありません。実は歴史的な背景からこのオムレツは生まれたんです」
吉継は意味ありげに語った。
「歴史的?ん、卵に関係している武将が関ヶ原にいたかな?」
忠時は考え込んだが思い浮かばなかった。
すると急にマリアが口を開いた。
「『大友の 王子の王に 点うちて つぶす玉子の ふわふわの関』。蜀山人(しょくさんじん)の作デスネ。それでスフレオムレツ作ったのデショウ?」
「あ、よくご存じで………」
正解に驚いた吉継は目を瞬かせた。
「関ヶ原は合戦だけではありマセン。この料理作った音依はとても面白いトコロに目を付けてマス」
「お母様、一体その歌は何です?」
汐恩も喫驚して尋ねた。
「ボニ………いいえ、汐恩は壬申の乱知ってるデショ?」
「それはもちろん。後の天武天皇となる大海人皇子と弘文天皇と呼ばれた大友皇子が己の権威を掛けて戦った戦です。関ヶ原もその戦いの場ともなりましたもの」
「その通りデス。そしてその戦いの結末を歌に詠んだのが狂歌三大家の一人蜀山人デス」
「蜀山人?」
ここで吉継が聞き覚えのない名前に困惑する汐恩へ解説した。
「大田南畝(おおたなんぼ)の号だよ。江戸天明期に活躍した狂歌師さ」
「ヨシ、狂歌って何?」
と、秀晶が聞いてきた。
「そうだな、分かりやすく言うと五・七・五・七・七の短歌をパロディーにしたもの、かな」
「例えば?」
「え?例えば、か………うーん、何があったっけな」
と吉継が考え込んでいるとマリアがまた話し出した。
「例えば、百人一首で中納言朝忠が詠んだものに『逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし』というのがありマス。コレは会えない恋の歌なんデスガ、それが狂歌では『すく人の絶えてしなくば真桑瓜皮をも実をもかぶらざらまし』となりマス。畑を鋤(す)いてくれる人がいなければマクワウリも出来ず、それを皮ごともかぶりつけない、と変わりマス」
「おぇー、全然違う。おもっしぇんにゃ!」
秀晶は単にケラケラ笑っていたが、吉継はこの人はどれだけ日本文化に詳しいんだと内心驚愕していた。
「それより晶、さっきの壬申の乱の歌なんだけど洒落が効いてる。負けた大友皇子の皇子を王子という漢字にして、それに点を打てば玉子になる。そしてふわふわの関というのは不破関だからな。その南畝の記念石碑はこの松尾地区の不破関守跡に建ってるよ。ちょっと風化して読みづらくなってるけどな」
「ちょっとお待ちになって、コバ君!おかしいじゃありません?江戸時代にスフレオムレツなどなかったでしょう?なればそんな歌は信憑性に欠けます!」
汐恩は急に気色ばんで反論した。吉継は肩をすくめた。
「そりゃそうだろ、あるはずがない」
「でしたら何故!」
「スフレオムレツはなかったけれど『玉子ふわふわ』という料理は既に日本に存在していたからだ。南畝はそれを逆さに詠んだ」
「玉子、ふわふわ?」
「それは日本最古の卵料理と言われている。寛永二十年(一六四三年)の『料理物語』にその名前がある。鍋で煮立たせた出汁汁に泡立てた卵を流し入れ蓋を閉めて蒸す。そして卵が膨らんだら完成だ。茶碗蒸しの原型とも言われているけど、日本初のスフレ料理だな。今では静岡の袋井市が再現して名物料理になっているよ」
「あ、そっか!スフレオムレツに出汁を入れたのはそこから来てるんだ!」
「さすが晶。ま、玉子ふわふわで料理しようと思えば、うどんとか蕎麦に柔らかいかき玉をかける事も出来るし、ふわふわだけならスフレチーズケーキとかも作れない事はないけど、ウチはカフェとダイニングだからオムレツにしたんだ」
「ではこの関ヶ原オムライスもそうなんですの?」
汐恩はメニューを指さした。
「いいや、オムライスは普通のフワトロオムライスだよ。その代わり東西決戦の関ヶ原らしく二色のソースを添えてある」
「二色?」
「今月は越前ガニの身がたっぷり入ったトマトソースと福岡明太子クリームソースだな。コンソメとタマネギで炊きあげ、バター醤油で和えたライスの上にフワトロオムレツをのせて、それを中心にして左右にさっきのソースを添えたものがウチのオムライスだ」
「越前と福岡という事は大谷吉継と黒田長政の所領ですわね」
「ああ、月ごとに武将所領の名産ソースに変えてる。そうするとお客さんも毎月楽しめるだろ?」
「よくもまあ次から次へとそのようなアイデアが出せますわね、貴方」
「これはみんな父さんと母さんの考えだよ。俺はそのレシピに従ってるだけさ。ところでそろそろデザートとドリンクを作っていいか?」
「ええ、お願い致しますわ」
「あっと、そうだ、これ、マリアさんに」
吉継は思い出してマリアの前にシナモンパウダーと砂糖のかかった小さな揚げ食パンを二枚出した。
「オウ、コレ、『トリハス』デスカ?」
「はい、セマナ・サンタの時期ではありませんけど、サービスに作りました。よろしければ」
「グラシアス(ありがとう)!」
マリアは懐かしそうにその揚げパンを夢中に頬張っていた。
次いで吉継は忠時に注文を聞いた。
「忠時さん、お飲み物は?」
「私は関ヶ原の和紅茶を頂こうかな。デザートはレアチーズケーキを」
「畏まりました。マリアさんは?」
「カフェ・コルタードを、レチェ・テンプラーダでお願いシマス」
「承りました。父さん!」
吉継は高影に振り返った。
高影は一度頷くと紅茶を淹れながらエスプレッソマシンを操作し始めた。
「ね、ヨシ、あのお菓子って何?それとマリアさんの注文の意味分かんないんだけど」
キッチンでデザートを用意する吉継に秀晶が小声で説明を求めた。
「ああ、あれはトリハスって言ってフレンチトーストを油で揚げたスペインの菓子なんだ。セマナ・サンタ、つまり復活祭に出す名物なんだよ」
「復活祭?」
「………もう、講釈は結構です。お母様は何でもどうぞご自由に召し上がって下さいまし」
汐恩は不機嫌にそっぽを向いた。
忠時はやれやれと溜息を吐いて吉継を見た。
「それはそうと、ヨシ君、その君が持っているトレーに載っている料理は?」
「ああ、そうでした。今日は新作を三つ作ったんです。忠時さんとマリーさんに味見をして頂こうと思いまして」
吉継は二人前の料理の載った三皿をテーブルに置いた。
一つは海老とムール貝のむき身が入ったシーフードと赤パプリカが入ったパスタがパンシージョに挟まったサンドイッチ、二つ目は爪楊枝が二本刺さったたこ焼き六個、三つ目は四角く抜かれた厚いちらし寿司のようであった。
「これは、まさか中身はフィデワかい?」
サンドイッチを持ち上げて忠時が面白そうに聞いた。
「はい、パスタパエリアの、フィデワのボカディージョです。焼きそばパンをスペイン風にアレンジしてみました。付け合わせのレモンを軽く搾ってお召し上がり下さい」
フィデワは米でなくフィデオという極細パスタを使用した変わりパエリアである。
「あはは、ナポリタンやミートスパゲティーのバゲットサンドは見た事はあるけど、フィデワのは初だね。うん、でも面白い味だよ。美味しい」
「ありがとうございます」
「ヨシ、コレ、たこ焼き?にしては変わった香りがしマス」
マリアが爪楊枝の刺さった褐色玉に鼻をクンクンとさせた。外側にはマヨネーズと青のりのようなものが掛かっている。
「それは特製ピンチョスです。どうぞ、召し上がってみて下さい」
悪戯っ子の笑みを浮かべて吉継は手を向けた。
ピンチョスは一口サイズの串料理やバゲットに具材をトッピングした料理である。
マリアは爪楊枝を持ち上げてパクリと食べ、じっくりと良く噛み、ごくりと呑み込むと吉継を不思議そうに見上げた。
「美味しい!デモ、コレ、たこ焼きじゃありまセン!揚げたポテトボールデス。中には沢山タコ入ってマスが」
「それは外見だけたこ焼きに似せました。言うなれば『Bolitas de patata rellenas de pulpo a la Gallega(ボリータス・デ・パタタ・レジェーナ・デ・プルポ・ア・ラ・ガジェーガ)』です」
「タコを詰めたポテトボール・ガリシア風?」
タコのガリシア風(プルポ・ア・ラ・ガジェーガ、またはポルボ・ア・フェイラ)は、茹でたタコを丸い木皿の上で一口にカットして、粗塩、パプリカパウダー、オリーブオイルで味付けする至って簡単なスペインを代表するおつまみである。
「そうです。スペインバルではお馴染みのタパスを元に作りました。タコのガリシア風をマッシュポテトで包み、油で揚げてから、そこにアリオリソースと刻みパセリをかけました。プルポ・ア・ラ・ガジェーガはジャガイモと共に食べる事が多いのでいっそそれならと包んで揚げました」
「アハハッ、とても日本人らしい考え方デス。スペイン人そんな変わった発想しまセン」
マリアは笑ってもう二つ食べた。
「でもコレ本当に美味しいデス。中のタコも柔らかいデスし、ピメントン(パプリカ)もスペインの懐かしい味がしマス」
「プルポ・ア・ラ・ガジェーガはタコの柔らかさとパプリカパウダーが命です。タコは硬くならないよう銅鍋でタマネギと一緒に弱火でじっくり煮て、パプリカも辛くないドゥルセと辛口のピカンテをミックスして味に深みを与えます。オリーブオイルはもちろんエクストラバージン、塩は伯方の粗塩を使いました。それで評価はどうでしょう?」
するとマリアは右手の親指・人差し指・中指の三本を唇に当てて吉継に向けてチュッと離した。
「Está muy rico.(エスタ・ムイ・リコ)」
「な、な、な………」
この投げキスのような仕草に汐恩と秀晶が途端顔を真っ赤にした。
ここで吉継が半ば呆れて笑った。
「あのな、今のは『美味しい』ってスペインのジェスチャーだぞ。このサインが出るか、出ないかで俺の腕が問われるんだ。マリアさんはスペイン料理に関して結構点数厳しいんだから」
「そ、そうなんだ。ところで、ヨシ、アリオリソースって何?」
「簡単に言えばニンニク入りマヨネーズソース。ウチの手作りマヨネーズを作る時に一緒に仕上げるんだ。ただ普通のサラダ油じゃなくオリーブオイルとレモン汁を加えるけど。さっきのフィデワにもかけてあるぞ。アリオリでぐんと旨さが増すんだ」
「マヨネーズねえ。あんまりスペインのイメージじゃないけど」
「そうじゃない。スペインでは今やマヨネーズは無くてはならない調味料なんだ。もちろんオリーブオイル、ニンニクも同じくな。サラダにもたっぷりオリーブオイルを掛けるし」
「あれ?そういえば外国の人ってタコって食べないんじゃなかったっけ?」
「いや、スペインもそうだけど地中海に面したイタリアやギリシャとかアルジェリア、チュニジアとかも普通に食べるよ。フランスも南仏の方ではタコも珍しくないんだ」
「それはそうと、ヨシ君、最後のこれは何だい?バルの料理ではないよね。京丹後の名物『ばら寿司』に見えるけど」
忠時が話を遮って不可解な顔で金糸卵・カマボコ・スライスきのこの甘煮が四角い押し寿司の上に載っている料理を眺めた。それに寿司飯の間には茶色いペースト状のものが挟み込んである。
「ええ、ある意味そうです」
「ある意味?」
「どうぞ」
吉継は含みのある笑顔で忠時とマリアに割り箸を渡した。
「食べて当ててみろって事だね。よし」
忠時は箸で二層になっている寿司飯と上の具をすくうように食べた。
「ふんふん、成る程、これは確かにばら寿司だけどばら寿司じゃないね。金糸卵は、これはコンソメスープでのばした薄焼き卵で焼いてある。そして普通は椎茸を使うのをマッシュルームに、カマボコは………これはカマボコじゃないね」
「それは宮津の山芋をコンソメでのばして焼いた『洋風山芋おやき』です」
「ほう、丹後の食材をカマボコ代わりにね。ふむ、寿司飯に挟んであるのは本来なら焼き鯖そぼろだけどこれは………牛肉のそぼろだ。それも味付けが和じゃない。そうか、これはワイン煮のしぐれだね!」
「正解です、ですからこの寿司の名前は『越中寿司』です。今度の大茶湯の時に売り出そうと思いまして」
「越中?あはは、忠興公の寿司とはよく思い付いたね」
と、この時汐恩の体が何故だか微かにビクと揺れ動いた。
「味のご感想は?」
「うん、全体的に洋風になっていてバランスが取れている。美味しいよ。これなら売れるんじゃないかな。そもそもばら寿司もお祝いとか祭りの席で食されるんだから茶会にも良いかもしれない」
「グァポ、コレどんな意味なんデスカ?越中とは忠興公の事デスヨネ」
マリアは寿司を一口食べて忠時に聞いた。
この時また汐恩の体がギクリと動いた。
「そうだよ。越中流の頭形兜(ずなりかぶと)、越中褌など忠興公の名を冠した物は多いと言われている。おっと、そうか、マリーをまだ丹後へ連れて行ってあげてないな。京都の丹後地方は戦国期細川幽斎公親子が先ず治めていた所なのは知っているだろう」
「Si、藤孝公、忠興公のパパ、デスネ」
「その丹後の名物がこの押し寿司なんだけど、これは具材を鯖でなく牛肉に変えてある。それは忠興公のエピソードによるものなんだ。マリーは小田原攻め、覚えているかな」
「モチロン!太閤と北条との戦いデス。小田原評定に伊達の遅参、石垣山一夜城」
「わあ、マリアさん、詳しー!」
秀晶が驚くと少しはにかんでマリアは答えた。
「戦国時代は全て関ヶ原に繋がってマスから、ガンバって勉強しマシタ。それでグァポ、小田原と牛肉がどう関係してるノデスカ?」
「小田原は籠城戦で長引いてね、秀吉軍も茶会や酒宴を催すなど暇を持て余していた時もあったんだ。そこで忠興公は高山右近の陣へ出向いた時に牛肉をご馳走になったんだよ。本当は当時牛馬を食してはいけない掟があったんだけど、右近はキリシタンだったから牛肉には馴染みがあったしね。その肉料理が大変美味しかったらしく、忠興公も満足していたそうだ。ワインで煮込んだのは忠利(ただとし)公に関連しているんだよ。違うかい、ヨシ君?」
「細川家の方に説明するのは気が引けますよ」
苦笑いしつつも吉継はマリアに話した。
「忠興公の三男の忠利公は肥後熊本藩の初代ですけど、それ以前小倉藩を治めていた時に国産初のワイン製造に成功しているんです。忠利公の命令書にも『ぶだう酒を作り申す時分にて候間(そうろうあいだ)、上田太郎右衛門に便宜次第申遣作(べんぎしだいもうしつかわせつくら)せ可申旨(もうすべきむね)、御意之由(ぎょいのよし)(葡萄酒・ワインを造る時期になったので、上田太郎右衛門に造らせるように。主のご命令である)』とあります。それでただの牛肉しぐれでなくワインで煮たんです」
「あはは、相変わらずヨシ君は大人並みの博識だね」
「ありがとうございます」
大人びた知識と話し方に慣れている忠時の賛辞をサラリと流して吉継は補説した。
「全体的に洋風の具にしたのは細川家がキリスト教に深く関与しているからですが………ま、その話はここで止めておきましょう。これから、汐恩の料理を仕上げてきますね」
さっきから完全に固まっている汐恩の横顔を見て吉継は説明を止め、キッチンに向かった。
「ねえ、ヨシ、何か汐恩の様子がおかしいんだけど。特にあのお寿司の話になった時くらいから」
何かを感じ取っていたらしく秀晶が吉継の腕を取ってヒソヒソと耳打ちした。
「悪い、今は忙しい。今度話すよ」
吉継はキッチンに戻るとボウルに卵を割り入れ、黄身と卵白を分けて、卵白をミキサーで泡立て始めた。そしてそれが角立つとそれを攪拌した黄身にゆっくりと混ぜ、他の材料をミックスしながら、熱したフライパンにバターを溶かし入れ、卵液をジュワっと流し入れた。
弱火でじっくり温まれていくそれは店中に甘い香りを広げていく。
やがて吉継は火力を調整しながらフワフワに膨らんだオムレツを二つに折ってフライパンに盛り付け、そこへ椎茸のソースを添えた。
「お待たせしました。『関ヶ原スフレオムレツ椎茸クリームソース添え』セットです」
調理を済ませた吉継はバゲットスライスが二枚と胡麻ドレッシングが和えられたグリーンサラダ、とオムレツの皿を汐恩の前に並べた。
落胆した顔で汐恩はプックリ膨らんだスフレリーヌを見て嫌味を言った。
「やはり期待外れですわね。よくある、オムレット・ドゥ・メール・プラ-ルの紛い物ではありませんか」
フランスのモン・サン・ミシェルにはラ・メール・プラ-ルという、コースで六千円もする有名なスフレオムレツの店があり、東京にも出店している。
汐恩は細川家のシェフにもそれを作らせた事がある。スプーンを入れると泡だった柔らかい卵液が流れる独特のオムレツである。
しかし、今やそれも在り来たりになっている手法であり、何か特別な仕掛けがあるのかと期待していただけに拍子抜けした表情は偽れなかった。
実際スプーンで卵をすくってみると中身が流れないだけで似たようなビジュアルである。
中を観察しただけで食べようとしない汐恩に吉継は急かした。
「早く食べてくれ。スフレは萎(しぼ)むと美味しくない」
「分かっておりますわよ」
注文した手前さすがに食べない訳にはいけない。
不服そうに汐恩はオムレツの部分だけ一口口に入れた。
すると、
「………これは!!!!」
驚いた。口当たりはラ・メール・プラ-ルのものより少し堅めであるものの卵の味が濃厚である。
汐恩は次いで椎茸のソースを絡めて二口目を食べた。
するとまたオムレツの味がぐっと複雑になった。単なるクリームソースではない。口の中で椎茸と洋酒とミルクが濃密に襲ってきた。
「何ですの、この得も言われぬまろやか且つコクのあるクリームソースは………」
知らず内に汐恩のスプーンを運ぶスピードが速くなった。本来ラ・メールのオムレツはバターの味付けが基本である。それにキノコソースもソテーしたシメジを生クリームで調味したものである。しかし吉継のオムレツは卵液がもっと濃く、ソースも玄妙な味わいになっていた。
汐恩はその問いを解くように一口一口スプーンを進めていったのであるが、やがてオムレツは空になり、その謎は最後まで解けなかった。
「コバ君、一体何をしたんですの、貴方!」
スプーンを置くなり汐恩は憤った顔を向けた。
「おい、美味しくなかったのか?」
「とても美味しかったですわよ!でもこのオムレツの秘密が分からないから苛立っているのですわ」
「無茶苦茶な理屈だな、お前」
「良いから説明して下さらない?」
「分かったって。ならバゲットとサラダもちゃんと食べながら聞いてくれ」
「あ、そ、そうですわね」
汐恩はパンを千切って口に入れた。
「美味いか?」
「ふん、美味しいですわよ。でもこの味なら当家の食卓にもいつも出て参ります」
すると、ここで忠時が笑った。
「それはそうだろう。私達がいつも食べているパンは全て高影さんが焼いてくれたものを毎朝取りに来ているのだから」
「えッ、そうなのですか、お父様?」
「ウチには高影さん以上にパンを焼く技術を持ったシェフはいないよ。そしてヨシ君のオムレツも決して真似できない。今やヨシ君はひすとり庵の三枚看板の一人と言われているんだ」
「三枚看板?」
「オールラウンダー(万能)の音依さん、カフェ全般のスペシャリスト高影さん、そして神童のヨシ君。土日のモーニングとランチはヨシ君の料理担当だからわざわざ週末を狙ってお客がどっと押し寄せる。でもその神童のヨシ君でさえ、お母さんのおねさんに何年も鍛えられてやっとこのオムレツを焼けるようになったんだ。だね、ヨシ君?」
「神童は止めて下さい」
吉継は困惑した笑みを浮かべた。
「オムレツは店に出せるまで丸一年掛かりました。もっとも、美味しいと認められるまで更に一年要しましたけど。母は柔和に見えて厳しい人ですから。でも母のオムレツに比べると今も全然追いついていません」
「コバ君、貴方三年生の時からオムレツを焼いていたと仰るの!?」
「オムレツ程難しい料理はないからな。早く焼けるようになりたかったんだ。その間はずっと夕飯は失敗作のオムレツばかり食べてたけど」
「心底料理馬鹿なのですね、貴方」
「うるさいよ」
「褒めているのです。光栄にお思いになって。それより、オムレツの話です。あの玄人はだしの味付けは何ですの。バターだけではありませんわよね?」
「ああ、卵は垂井町の慈鶏園の産み立て卵と、ミルクは池田町にある棚橋牧場のを使ってる」
「そして?」
追求の眼差しは誤魔化しを許さない。吉継は渋々説明した。
「バターはフランス・エシレのブール・ドゥー、いわゆる発酵無塩バターを、塩はゲランド産を使っている。それだけだ」
エシレはフランスで有名なバターメーカーであり、発酵バターは日本の生乳をクリームと脱脂粉乳に分離して作る非発酵バターと違い、生クリームに乳酸菌を足す事で生まれる。そのため酸味の強いバターとなるが、オムレツのようなコクとその爽やかさを強めたい料理に向いている。
「いいえ、ごまかさないで下さい。それだけではないはずです。私には分かります」
「あのな、店の秘伝を赤の他人にホイホイ教える馬鹿がどこにいる?」
吉継は呆れて睨んだ。
「うッ」
汐恩は正論に口を詰まらせた。
そんな言い負かされる汐恩を見て忠時が助け船を出した。
「ははは、そうだね、出来れば私もこのオムレツの秘密を知りたいよ。決して誰にも口外しないからよかったら教えてくれるかい?」
忠時は吉継に視線を向けた。脅しでもない、純粋に興味を持った眼差しである。
「え、でも、それは………」
吉継は躊躇った。いくら恩人とはいえどレシピは店の生命線である。
しかしここでトントンとタップ音がキッチンから鳴った。
振り返ると高影が少し頷いた。
「えッ、いいの、父さん?」
吉継は驚いた顔で忠時に向いた。
「父さんが信用できる忠時さんになら話して良いと」
「お、そうかい。高影さん、ありがとう」
忠時は高影に手を挙げた。高影は目を閉じてまた少し頷いた。
吉継はフーッと長い溜息を吐くとキッチンから黄金色の液体が入った小さなボウルと小皿を持ってきた。
「そんなに難しい内容ではありません。これを卵液に足したんです」
ボウルから小皿にお玉で移し替えられ、差し出された液を忠時は味見した。
そして馴染みのある味覚に忽ち驚いて聞いた。
「これは、和食の出汁かい!」
「はい、干し椎茸の戻し汁と鰹、昆布でとった濃いめの出汁です。そこへ関ヶ原たまり醤油を数滴混ぜてあるんです。それをオムレツの風味を損なわない分量で隠し味として卵黄にミックスします。そしてホイップした卵白の泡を消さないようさっくり混ぜ込み、低温でゆっくりと焼き上げます。その戻した干し椎茸はクリームソースの具材として使っています。ソースはクロテッドクリーム・塩・椎茸の戻し汁・白ワインで仕上げました。本来ならポルチーニ茸等を使えば良いんでしょうけど高級ですし。その点関ヶ原の今須には手ごろな価格の椎茸もありますので和のソースに調えました」
「いや、でもあのソースは椎茸だけの旨味ではないと思うのだけれど」
「それは使う塩が違うからです。同じゲランド塩でも『黒トリュフ塩』を使っています」
「トリュフ塩を?」
「フランスであれば三大珍味のトリュフそのものを使用するのでしょうが、それではオムレツの値段が高価になってしまいます。それで黒トリュフ入りの塩を使ってソースの味をより豊かに仕上げました。
それがこのスフレオムレツの全てです」
「そうか、和風の出汁だから舌に馴染んでいたんだね。オムレツもソースも椎茸で統一感が取れているし」
「後は焼き方です。日本人向けとしてあまりにも液状に過ぎてもいけない、かと言って硬くしようとするとスフレ独特の食感が無くなってしまい、外側も焦げてしまうんです」
「なるほど、されどオムレツだね」
忠時は腕を組んで納得したが、ここである疑問をぶつけた。
「そういえばどうして関ヶ原でスフレオムレツなんだい?関ヶ原椎茸を使ったから?」
「いいえ、そうではありません。実は歴史的な背景からこのオムレツは生まれたんです」
吉継は意味ありげに語った。
「歴史的?ん、卵に関係している武将が関ヶ原にいたかな?」
忠時は考え込んだが思い浮かばなかった。
すると急にマリアが口を開いた。
「『大友の 王子の王に 点うちて つぶす玉子の ふわふわの関』。蜀山人(しょくさんじん)の作デスネ。それでスフレオムレツ作ったのデショウ?」
「あ、よくご存じで………」
正解に驚いた吉継は目を瞬かせた。
「関ヶ原は合戦だけではありマセン。この料理作った音依はとても面白いトコロに目を付けてマス」
「お母様、一体その歌は何です?」
汐恩も喫驚して尋ねた。
「ボニ………いいえ、汐恩は壬申の乱知ってるデショ?」
「それはもちろん。後の天武天皇となる大海人皇子と弘文天皇と呼ばれた大友皇子が己の権威を掛けて戦った戦です。関ヶ原もその戦いの場ともなりましたもの」
「その通りデス。そしてその戦いの結末を歌に詠んだのが狂歌三大家の一人蜀山人デス」
「蜀山人?」
ここで吉継が聞き覚えのない名前に困惑する汐恩へ解説した。
「大田南畝(おおたなんぼ)の号だよ。江戸天明期に活躍した狂歌師さ」
「ヨシ、狂歌って何?」
と、秀晶が聞いてきた。
「そうだな、分かりやすく言うと五・七・五・七・七の短歌をパロディーにしたもの、かな」
「例えば?」
「え?例えば、か………うーん、何があったっけな」
と吉継が考え込んでいるとマリアがまた話し出した。
「例えば、百人一首で中納言朝忠が詠んだものに『逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし』というのがありマス。コレは会えない恋の歌なんデスガ、それが狂歌では『すく人の絶えてしなくば真桑瓜皮をも実をもかぶらざらまし』となりマス。畑を鋤(す)いてくれる人がいなければマクワウリも出来ず、それを皮ごともかぶりつけない、と変わりマス」
「おぇー、全然違う。おもっしぇんにゃ!」
秀晶は単にケラケラ笑っていたが、吉継はこの人はどれだけ日本文化に詳しいんだと内心驚愕していた。
「それより晶、さっきの壬申の乱の歌なんだけど洒落が効いてる。負けた大友皇子の皇子を王子という漢字にして、それに点を打てば玉子になる。そしてふわふわの関というのは不破関だからな。その南畝の記念石碑はこの松尾地区の不破関守跡に建ってるよ。ちょっと風化して読みづらくなってるけどな」
「ちょっとお待ちになって、コバ君!おかしいじゃありません?江戸時代にスフレオムレツなどなかったでしょう?なればそんな歌は信憑性に欠けます!」
汐恩は急に気色ばんで反論した。吉継は肩をすくめた。
「そりゃそうだろ、あるはずがない」
「でしたら何故!」
「スフレオムレツはなかったけれど『玉子ふわふわ』という料理は既に日本に存在していたからだ。南畝はそれを逆さに詠んだ」
「玉子、ふわふわ?」
「それは日本最古の卵料理と言われている。寛永二十年(一六四三年)の『料理物語』にその名前がある。鍋で煮立たせた出汁汁に泡立てた卵を流し入れ蓋を閉めて蒸す。そして卵が膨らんだら完成だ。茶碗蒸しの原型とも言われているけど、日本初のスフレ料理だな。今では静岡の袋井市が再現して名物料理になっているよ」
「あ、そっか!スフレオムレツに出汁を入れたのはそこから来てるんだ!」
「さすが晶。ま、玉子ふわふわで料理しようと思えば、うどんとか蕎麦に柔らかいかき玉をかける事も出来るし、ふわふわだけならスフレチーズケーキとかも作れない事はないけど、ウチはカフェとダイニングだからオムレツにしたんだ」
「ではこの関ヶ原オムライスもそうなんですの?」
汐恩はメニューを指さした。
「いいや、オムライスは普通のフワトロオムライスだよ。その代わり東西決戦の関ヶ原らしく二色のソースを添えてある」
「二色?」
「今月は越前ガニの身がたっぷり入ったトマトソースと福岡明太子クリームソースだな。コンソメとタマネギで炊きあげ、バター醤油で和えたライスの上にフワトロオムレツをのせて、それを中心にして左右にさっきのソースを添えたものがウチのオムライスだ」
「越前と福岡という事は大谷吉継と黒田長政の所領ですわね」
「ああ、月ごとに武将所領の名産ソースに変えてる。そうするとお客さんも毎月楽しめるだろ?」
「よくもまあ次から次へとそのようなアイデアが出せますわね、貴方」
「これはみんな父さんと母さんの考えだよ。俺はそのレシピに従ってるだけさ。ところでそろそろデザートとドリンクを作っていいか?」
「ええ、お願い致しますわ」
「あっと、そうだ、これ、マリアさんに」
吉継は思い出してマリアの前にシナモンパウダーと砂糖のかかった小さな揚げ食パンを二枚出した。
「オウ、コレ、『トリハス』デスカ?」
「はい、セマナ・サンタの時期ではありませんけど、サービスに作りました。よろしければ」
「グラシアス(ありがとう)!」
マリアは懐かしそうにその揚げパンを夢中に頬張っていた。
次いで吉継は忠時に注文を聞いた。
「忠時さん、お飲み物は?」
「私は関ヶ原の和紅茶を頂こうかな。デザートはレアチーズケーキを」
「畏まりました。マリアさんは?」
「カフェ・コルタードを、レチェ・テンプラーダでお願いシマス」
「承りました。父さん!」
吉継は高影に振り返った。
高影は一度頷くと紅茶を淹れながらエスプレッソマシンを操作し始めた。
「ね、ヨシ、あのお菓子って何?それとマリアさんの注文の意味分かんないんだけど」
キッチンでデザートを用意する吉継に秀晶が小声で説明を求めた。
「ああ、あれはトリハスって言ってフレンチトーストを油で揚げたスペインの菓子なんだ。セマナ・サンタ、つまり復活祭に出す名物なんだよ」
「復活祭?」
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