元と汐恩の茶屋比べは一般投票審査とは別にクラス三十人の投票を内々に行う、つまりいかに自分の陣営へクラスメートを集められるかというのも勝敗の大きな鍵となっていた。
茶の評価以上に人望を判定されるのである。これは元の発案であり、汐恩もそれを了承していた。
しかしながら汐恩に味方するのは吉継と秀晶を含めて僅かしかおらず、他は元に付いているか中立を保っている。その浮動票を取り込むのが大事なのであるが、汐恩は全く動く気配がなかった。
「一旦汐恩に付いたからな。俺は寝返らない」
小早川の苗字に楯突いて吉継は言い切った。
借りを返すのも理由の一つであるが、妙に虚勢を張る汐恩が不憫にも思えていた。
汐恩に取り巻きはいる。しかしそれが果たして友達かどうかは分からない。秀晶が以前「汐恩って誰かと遊びに行った事あるの?」と聞いてきた時吉継にはその噂すら無い事に気付いた。
才色兼備で運動神経もずば抜けていて、幼いながら古武術の達人でもある。いつも凛とした姿勢を保持していても別段冷酷でもなく、むしろ他人には親切で、時折意地悪な面も見せ、そのギャップが男子受けしているようであった。
しかし、吉継はその頑固な部分に何か言いようのない憂いを隠しているようにも見えた。
「律儀だね、ヨシは。でも私はヨシが相手でも手加減はしないよ。じゃね」
長月はピースをすると自分の席に戻っていった。
吉継は元がクラスの中立の生徒にやたら声をかけている姿と長月の背中を見て長く息を吐いて再び机にうつ伏せた。

「うわー」
二日後の三月一日の水曜日、放課後、一人先に帰った汐恩とは別にロールスロイスに乗せられ、瑞龍寺の奥の山を暫し登り、大名屋敷のような細川家の正門を潜ると、秀晶は目の前の広大な手入れの行き届いた砂紋が描かれた庭園と、石畳の両脇に植えられたかえでや紅葉の並木道を見て絶句した。
こんな冬場の時期なので落葉しているものの木々はびっしり生い茂り、左右を見るだけでも境界線が見えない。そして遙か視線の先にはこれもまた名家に相応しい重厚な日本家屋がどっしり鎮座している。
ラーンバッグを肩にかけ直して秀晶はキョロキョロと辺りを見渡した。
「汐恩がお嬢様ってのは聞いてたけど、ここどれだけの敷地なの、ヨシ?」
「大体東京ドーム十個分って母さんが言ってた。前はよく見てなかったけどやっぱり広いな」
「ヨシは来たことあるの?」
「一度だけ母さんと一緒に忠時さんへ挨拶にな。本宅にお邪魔したんだけどあまりの広さに迷いそうだった。あの建物の奥にも蔵が五つ程あるし、他に迎賓館とか、武術の道場とか馬場もあるぞ」
「ほへー、お金ってある所にはあるんだねえ」
「名古屋とか岐阜にもいくつか不動産持ってる昔からの大地主だからな。それに忠時さんはやり手の投資家でもあるから年収は十億近いみたいだぞ」
「………私達とは別世界だね」
秀晶が苦笑いをすると門の近くから紺色の着物を着た中年の使用人が、
「小早川吉継様と大谷秀晶様でございますね。汐恩お嬢様が茶室にてお待ちしておりますのでどうぞこちらへ」
と丁寧な挨拶で二人を正面へと静々導いていった。
「は、はい」
茶室もあるの?と半分呆れながら秀晶はぎこちなく後を付いて細い石畳を歩いていく。
綺麗に枝打ちされた紅葉林の苔生した林道には長く続く竹の柵が真っ直ぐ五十メートル程続いている。竹も青いままなので定期的に柵を作り直している証拠である。一目見ただけでいかに手入れに金銭がかかっているか小学生でも理解できた。
「晶、お前、緊張しすぎ」
「だ、だって私、こんな場違いなトコきたのも初めてだし、茶室なんて入るの初めてだもん。作法とかも全然知らないしさ」
「あのな、俺達は茶会に招かれた訳じゃない。和菓子の打ち合わせに来ただけだ」
「それはそうだけど………ん、ヨシ、何あれ?」
不意に秀晶は道の左奥の林の上を指さした。
「お、何だ?」
目をこらすと枝の上に小さな金色の十字架が夕焼けに反射している。下には建物があるようであったが薄暗い林に隠れてはっきりと観察できない。
日本家屋には不釣り合いの光景に二人が立ち止まると使用人は簡単に説明した。
「あれは奥様専用の小聖堂にございます」
「マリアさんの?」
「それよりもどうぞ茶室へ」
不自然とも思える態度で右へ折れる道へと急かされた。
そして踏み石が連なる先に竹垣の見える簡素な茶室が目に入った。
柿葺の切妻と土間庇の草庵のような詫びた数寄屋が周りの枯れた風景と見事に馴染んでいた。ちょうど庭に面したこちらからは古ぼけた躙り口(にじりぐち・客が屈んで入る入口)と、その側面には細い竹が格子になった四角い連枝窓と風炉先窓の障子が開いているのが見えた。
【ほう、松向軒(しょうこうけん)を模した茶室か。ここの主人は中々の数寄者(すきしゃ・茶道を好む者)のようじゃな】
胸ポケットの二色鉛筆の秀秋がテレパシーで話した。
【え、何だって、金吾?】
庭先で立ち止まって吉継は聞いた。
【北野大茶湯の際、細川越中どのが造作した茶室じゃ。影向(ようごう)の松の西に建てられた故そう名付けられた。一六二八年(寛永五年)に越中どのが造ったものを京都紫野大徳寺の塔頭 (たっちゅう・脇寺の事) 高桐院(こうとういん)へ移築した。先程の門も細川家の薬医門をそっくりにあしらえておる。なるほど、分家とはいえここはまごう事なき細川の屋敷じゃ】
【そうなの、刑部?】
確認するように秀晶も立ち止まり、自分のMONO消しゴムに尋ねた。
【うむ、左様じゃ。北野天満宮にも復元された松向軒があるからややこしいがな。おそらくこの中も青黒い壁でそっくりに仕上げてあるはずじゃ。二畳台目といって畳二畳と四分の三畳の広さを持ち、茶を沸かす炉の脇に中柱が立つ。そこに袖壁(そでかべ)を付けてあるのは正しく利休どのに師事する越中好みの造りよ。しかし、ちとこの庭は面妖な風情となっておる】
【何か変なの?】
【高桐院は越中が父・幽斎のために寄進した寺じゃ。大徳寺は恩人の総見公(信長)も眠っておられるし、利休どのの墓もある。その敬愛する両人が祀られている大徳寺に細川の脇寺を造ったは自然な成り行きであろう。越中ももちろん入っている細川家代々の墓もある】
【そうなんだ】
【なればこそ、そのままを模するとすれば鳳来茶室の前庭に苔生した蹲(つくば)いの複製があるはず】
【つくばい?】
【つくばいとは低く作ってある手水鉢(ちょうずばち)の事じゃが、高桐院のそれは『降りつくばい』と申して加藤主計(清正)が朝鮮から持ち帰って越中に贈った物。なれど吾が視る限りにはそれが無く、代わりに変哲もない手水が置いてあるのみ。ましてほれ、数寄屋の庭を見なされ。一基の灯籠が立っておろう?】
【え、ああ、うん、そうだね】
秀晶は言われるまま古びた灯籠を見た。上下二段に分かれた灯籠は、人物が彫り込まれた下の土台となる(竿と呼ばれる)部分は細い人型をしており、その円になった頭の部分に四角い窓のある立方体の石が載っている。しかしそれはよく神社で見かけるような灯籠ではなかった。
【本来ならばあれは利休どのから贈られた春日灯籠(かすがとうろう)でなくてはならぬ。なんとなれば、高桐院にそれが墓石代わりとなっておるからじゃ】
【墓石?】
【越中の奥方、明智珠子どの、今で言うガラシャどのの墓標よ。越中の墓標ともなっておるがのう】
【刑部どの、先程の手水鉢であるが………】
と金吾が合いの手を入れた。
【よもやあれは珠子どのが大坂で愛用されておったものではあるまいか?この庭の灯籠は豊前中津の織部灯籠そっくりじゃ。あれはまさしくガラシャどのの菩提を弔う為に造られたと伝わっておる】
【織部灯籠?】
【利休七哲の一人であり、越中どのとはその弟子仲間であった古田織部正(おりべのかみ)どのが考案したとされる灯籠の事でござるよ、晶どの。別にキリシタン灯籠とも呼ばれておる。ガラシャどのは御存知のようにキリシタンであったがため】
【ふむ、確かに金吾どのの申される通りじゃ。鉢も灯籠も珠子どのの品によう似ておる。となればこの茶室は奥方の茶室となろうか?珠子どのも茶を嗜まれておったと聞いておるしのう】
【さすが二人とも戦国大名、お茶に色々詳しいね】
秀晶が苦笑して言った。
【吾のみにあらず、大名ともなれば誰でも茶の道には詳しゅうなければならぬ。現に細川幽斎どのは『もののふの知らぬは恥ぞ、馬茶の湯 恥よりほかに恥はなきもの』と詠んでおるしの。総見公以来、武者にとって茶の湯を許されるのは特に名誉であった。太閤殿下も総見公より釜を賜った時は大層お喜びであったぞ】
【乙御前(おとごぜ)の釜ですね、三木攻めの時の茶会で初披露された】
【ほう、ヨシ殿はよう存じておられるな】
【もちろん知ってますよ。刑部どのもその茶会に加わっていましたからね】
【なれど総見公の茶は純粋のみとは言い切れぬぞ、主】
金吾がここで再び入ってきた。
【ん、どういう事だ?】
【後に『茶の湯御政道』と申してな、茶道具などの名物一つを国一つと同格に高め禄として家臣に与えた。つまり知行などの実利より武士としての誉れを茶でまかなった訳じゃ。早い話が安上がり】
【身も蓋もない事を言うな、お前………】
【逆に滝川左近(一益)どのなどは総見公から上野(こうずけ)一国より珠光小茄子(じゅこうこなすび)の茶入れを賜りたかったと悔しがった程じゃ。また松永弾正(久秀)どのは信貴山落城の際、平蜘蛛茶釜だけは渡したくないとばかりにそれを抱いて焼死した。冷静に考えればただの土塊を焼いたものと鉄の釜よ。たわけた話ではないか】
【それを言っちゃお終いだろ!】
【ではあるがそれ程名物の権威が浸透していた証左でもある。しかしながら戦国にあって茶の効能そのものは素晴らしかった。明日はわが身との殺伐とした世で心休まる場所が茶室であったし、現代風に言えば茶の香りはアロマでもあった。それに狭い茶室は密談するには格好の場所でもあり、回し飲む茶は連帯感を生む。人間関係を構築するには最適な空間、それが茶室じゃ】
と、このように金吾と吉継がこんな話をしている一方秀晶と刑部は別の会話を交わしていた。
【ところで、刑部、お茶なら治部は?】
【………治部と吾の茶会の話ならばもうせぬぞ。巷で騒がれすぎて辟易(へきえき)しておるわい】
気の重い声で大谷吉継は秀晶に答えた。
【あはは、ごめんね。つい】
【治部もここにおれば『やれ、三献茶三献茶とやかましいのう』と苦笑いするであろう。あやつは豊臣身の繁栄のみを願い己の賞賛を嫌う質ゆえな。なれど治部と茶器に関する事ならば一つ話がある】
【何?】
【関ヶ原の戦の寸前に己が持っていた肩衝茶入れを堺の万代屋宗安(もずやそうあん)に手渡した。万が一を考えておったのじゃろうな】
【へえ、負けた時の事を覚悟してたのね】
【うむ。それより、二方共そろそろそのお女中へ背中のバッグを渡しなされ、古の刀の如く茶室に入るにはそれらを預けねばならぬ】
先程から無言で立ち止まってお互い向き合い百面相をし合う二人を訝しげに見ていた使用人に吉継達はラーンバッグを手渡した。
「お嬢様、小早川様、大谷様、お着きにございます」
使用人の女性は躙り口に近付いて茶室の中へ声を掛けた。
「では直に入って頂きなさい」
中から汐恩の声が響いた。
「え、しかし」
使用人は吉継達を振り返って躊躇った。
すると汐恩がきっぱりと言い放った。
「初心者のお二方に作法など期待しておりません。躙り口を開けて席入りを」
「は、はい」
スラリと躙り口が開けられた。
しかし、それと同時にドクンと心臓が脈打ち、金吾と吉継少年の意識が入れ替わった。
【お、おい、金吾。何だよ、急に!】
【すまぬのう、主。彼のお嬢の高飛車な態度が些か気に入らぬゆえ暫し吾の好きにさせてもらうぞ】
尸者(ものまさ・死者が物に憑いたの者)である金吾に霊依(たまより・尸者に依巫が憑依される事)をされたら中からの感覚はあるが声は金吾に届かない。
ところが今は何故かお互いの声が往き来している。
霊依の時間は金吾の場合せいぜい一時間が限界である。とはいえ、汐恩に対して挑戦的な感情が芽生えた金吾に吉継は不安を禁じ得なかった。
【おい、金吾、おかしな事を始める気じゃないだろうな】
【よいから大船に乗ったつもりで吾に任せろ】
【馬鹿、それが一番心配なんだよ!あ、そうだ、刑部どの、聞こえますか?ウォークス・デリで金吾を止めて下さい】
吉継少年は隣の秀晶が持つMONO消しゴムにアルス・マグナという相互通信術を使って呼びかけた。大谷吉継の持つウォークス・デリという神の声を発すれば対象の動きや時間を僅かながら止めることが出来る。だが突然秀晶がこちらに首を向けニヤリと笑った。
【ヨシ殿、すまぬが吾も細川の風下に立つのは性に合わぬゆえ好きにさせて頂く】
【ええッ!】
吉継少年は驚いた。何と大谷吉継までが秀晶の体に霊依していたのである。
【刑部どのまで!?助さん、助さん、何とかして下さい】
吉継はMONO小消しゴムの湯浅五助にも呼びかけた。しかし、
【すまぬ、ヨシ殿、吾も殿と同意じゃ】
とこちらも頼りにならない。
【ヨシ、こうなったら黙って成り行きを見届けましょ】
気忙しい吉継とは対照的に霊依された秀晶がのんびりと諦めた口調で言った。アルス・マグナは共に霊依された場合、その対象以外は自由に通信が出来るようで、それどころか隣に秀晶のイメージがそのまま流れ込み、まるで隣に立っているかのように見えた。
(アルスってこんな仕組みなのか)
ぎょっとしつつも興味が湧いた吉継は秀晶の頬を指でツンツンと突いてみた。
【ひゃッ、何すんのよ、ヨシ!】
いきなり突かれて驚いた秀晶は飛び退いた。
【あ、悪い。霊体だから通り抜けるかな、と】
実体でないのに感触がある。それに気付いた秀晶も吉継の肩を触った。
【あ、そういえば二人同時に霊依されたなんて初めてだもんね。ふーん、普段と変わらないんだね。魂の共有ってのかな、おもしろーい】
秀晶はおかしそうに笑った。吉継は肝の据わった秀晶に呆れた。
【こういう時、俺はお前が凄いヤツだってマジに思い知らされるよ】
【あ、それはそうとさ、ヨシ………】
急に恥ずかしそうに秀晶は質問してきた。
【あのの、ウチが必要やてこの前言うてたのってさ、どんな意味なん………?】
【は?】
【ほやさけ、汐恩が店に来て、ヨシがお菓子作り手伝うって言うた時に、ウチの事必要やって】
【ああ、そりゃあお前がいないと刑部どのに協力してもらえないだろ】
途端ピキッと秀晶の額に怒りマークが浮かんだ。
【つまりヨシはウチやのうて刑部だけが必要やって!?】
面映ゆさが急に腹立ちへ変換した秀晶に吉継は手を振って言い逃れた。
【ち、違う。刑部どのと晶でワンセット】
【何やそりゃ。いつもいつも。ウチは付け合わせのポテトやねーんじゃ!】
ボカボカと力任せに太鼓のように殴ってくる秀晶の拳を両腕で避けながら吉継は弁明した。
【だからそうじゃなくて、茶の知識は刑部どのに、閃きは晶に頼みたかったんだよ!】
【………閃き?】
秀晶はピタリと殴打を止めた。
【そうだ、テンムちゃんの見舞いの時(第三話参照)みたいにお前の一言はよくヒントとかきっかけになる。上手く説明できないけど、今回も晶の言葉が必要だと直感したんだ】
【ほんな事なら先に言うてんか、ひって紛らわしいさけ】
【ご両人、お取り込みの所申し訳ないが、そろそろ茶室へ入るぞ】
と躙り口を潜る大谷吉継の声がした。
吉継少年が意識を戻すと金吾は既に正座して床の長く垂れた、文字だけが筆でたおやかに書かれた丸表装の掛け軸を眺めていた。
「『紅炉一点雪(こうろいってんのゆき)』か。今は弥生(やよい・三月)、いかに寒き時であれ如月(きさらぎ・二月)の掛け物を掛けておくのは如何なものかな、亭主?」
金吾は点前畳で座っている汐恩に問い掛けた。目の前の茶釜からは僅かに湯気が立っている。
いつものバレッタで後ろ髪をアップにまとめ、墨絵の梅に鶯柄が散りばめられた桃色の着物を着ていた汐恩は物々しい話し方に少し驚いた表情で聞いた。
「コバ君、それがお分かりですの?」
「中国の仏教書『碧巌録(へきがんろく)』第六十九則の文言だな。炉にかかった一片の雪は直ぐに溶けてしまう。この世の儚さとでも言おうか。川中島の決戦の謙信と信玄との一騎打ちの遣り取りでも有名な禅語だ。謙信が刀を振りかざし『如何なるか剣刃上の事(一刀両断されたら、貴方はどうする)』と聞けば、信玄はまさにこの死を恐れない句を用い鉄扇で謙信の刀を受け止めたという。もちろんそのシーンは創作ではあるけどな」
「あ、ああ。歴史好きな貴方らしい知識からですわね」
汐恩は博識な吉継に目を見張ったが、出所が戦国話という事が分かって腑に落ちた。
「でもこれは汐恩の書か?横にお前の『珠子』の号と印が押してある」
汐恩が小学生ながら雅号を持っているのは学校では有名である。それに珠子はガラシャ(伽羅奢)の、玉・玉子の名前の一つであり、汐恩はそのままを号に使用していた。
「そうです。これでも書道は三段の腕前ですのよ」
汐恩は名家の女子たるもの当然の嗜みといった風に自慢した。茶道・書道の他に華道・日舞・馬術・古武術にも精通している。ただその英才教育は親から押し付けられたものではなく、全て自ら望んで師についているというのを風の噂で聞いていた。
「ふーん、汐恩らしいといえば汐恩らしい字だな。カチッと整って手本みたいだ」
つまらない顔で金吾は薄笑いした。
「それ貶(けな)してらっしゃるの?」
「別に。それよりそろそろ席に向かってもいいか?」
「ええ。どうぞ。晶さんもこちらに」
汐恩は秀晶にも着座を勧めたが、おもむろに「亭主」と言われた。
「は、はい?」
「よくぞここまで松向軒を模したものよ。そなたの上に掲げられている松向の額も、袖壁の煤けた風合い、詫びた中柱といい誠に利休好みの茶室に仕上げられておる」
「そ、そなた?」
「あ、いいえ、とにかく素晴らしいわ」
コホンと咳払いをして秀晶を乗っ取っている大谷吉継は立ち上がり、上座に座った金吾の隣にどかっと胡座をかいた。
「あの、晶さん。出来れば正座でお願いしたいのですが」
「お、おう。これは気付かぬ事ゆえ、いや、気付かなかったわ、あはは」
「貴女、今日些か変ですわよ、まるで殿方のような口振りで」
正座に直す秀晶を汐恩は思い切り不自然な眼差しを向けた。
「ちょっと緊張しててさ、ごめんね、汐恩」
大谷吉継はぺろっと舌を出し頭をコツンと叩いた。
「え、あ、そうですの。おくつろぎ下さいな」
「それよりその着物、超似合ってんね、グッジョブ!」
「ありがとう、ございます」
テンションの高い秀晶に目を白黒させる汐恩とは反対に、心の内の吉継は、
【こんなの俺が知ってる刑部どのじゃない、こんなの俺が敬愛する刑部どのじゃない】
女言葉とその仕草にショックを受けてブツブツと暗い顔で呟いていた。
依巫が持つ言語最適化フィルターのエディティオ・ウルガータは子供が大人の口調に変換する神から授かった術であるが、その機能を霊依した尸者が逆に使うと誤作動を起こすという事情を秀晶は知っていた。
知ってはいたが、妙に気恥ずかしい秀晶は刑部に注意した。
【刑部、私、そんなキャラじゃない。汐恩に怪しまれるよ、力をセーブして】
【う、うむ、左様か。ならば留意しようぞ】
大谷吉継はきっと姿勢を正して一度深呼吸し、棚の前に置いてある風炉の上の細長い角柱のような茶釜を指さして言った。横面には筆で書かれたような和歌が分散されて浮き彫りになっていた。
「汐恩、炉で沸いている阿弥陀堂釜もそうだけどその四方釜(よほうがま)もよく再現されているね。季節外れの風炉に置いてあるのがこれ見よがしだけど」
「え?」
「細川家の至宝を管理する永青文庫にある『とまや』の茶釜と瓜二つだわ。作者はその阿弥陀堂釜と同じ大西浄清。そしてその釜の側面に鋳出してある藤原定家の歌は忠興、いえ、三斎(さんさい)の直筆によるもの」
「まあ、よく御存知ですのね!」
汐恩は心底驚いて秀晶を見た。
秀晶は、正確には大谷吉継は、言った。
「『見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕ぐれ』。その釜に浮き出た歌は茶人武野紹鴎(たけのじょうおう)と千利休が詫び茶の真髄を表現していると好んだもの。利休の弟子であった三斎がその志を込めて作った名品がその釜だからね。まして貴女が習っている細川三斎流の原点のような釜でもあるから」
「これは驚きましたわ。私の流派を御存知なのですか?」
「もちろん。利休の茶を愚直なまでに継承したのは弟子の中でも三斎ただ一人。それにこの茶室を見れば一目瞭然。細川三斎、剃髪(ていはつ)する前の名前は細川越中守忠興。関ヶ原で東軍として石田三成隊と対峙した。そのあたりは汐恩が一番詳しいはずだけど」
「え、ええ………まあ………」
汐恩は何故か口を濁した。
刑部は構わず続けた。
「細川藤孝の子として産まれた忠興は足利義昭の関係から織田信長に仕えるようになった。与一郎の通称であったのが、元服の際、信長の嫡男・信忠の一字を拝領し忠興となった。信長のお気に入りとなった忠興は尊敬する信長のために必死に戦った。そして嫁に明智光秀の娘、珠子をもらい受けた。珠子は聡明で絶世の美女とも言われ、忠興も珠子を気に入りお互い良い夫婦だった。ただし、あの本能寺の変が起きるまでは」
するとビクビクと汐恩の体が小刻みに揺れた。
「まあ、本能寺の変については今更詳らかに語らないけど、そこから夫婦間に亀裂が走った。何と言っても尊敬する主君信長を自分の嫁の父親が殺したんだからね。逆賊の娘を細川家においておけない忠興は珠子を京丹後の味土野(みどの)へ幽閉した。そこは隔離された、寂しい人気のない田舎の山奥だった。太閤で………いや、秀吉が天下を取っても直ぐに細川家に戻された訳じゃない。そこで珠子はキリスト教と出会って改宗し、神の恩寵(おんちょう・恵みの事)を意味する『ガラシャ』の洗礼名を授かった。やがて秀吉から許され幽閉を解かれたガラシャは細川に復縁したものの、忠興へは以前のような情愛はなくなっていた。一方忠興は秀吉に仕えるようになってから利休に師事した。それから頭角を現した忠興は、蒲生氏郷、高山右近、芝山監物、瀬田掃部、牧村兵部、古田織部の、いわゆる利休七哲の一人に数えられるようにまでなった。それから時が流れて関ヶ原でガラシャは西軍の人質になるのを拒んで家臣に自分を殺させた。それを知って怒りに燃えた忠興は関ヶ原で勝利を収め、やがて徳川幕府から福岡、次いで熊本の所領を与えられた。年を取り息子の忠利に家督を譲ってから、忠興は茶に専念するよう号を三斎宗立(さんさいそうりつ)とし、それが現在伝えられている三斎流の源流となった。とまあこんな感じかしら?」
「まあまあ、よくぞそこまで!」
「ちなみに汐恩の着物の柄もガラシャの筆による花鳥図を基に作らせたのでしょ?」
「これはお見逸れ致しました。さすが私が認める晶さんです。短期間でこのように研鑽を積まれたとは」
汐恩は秀晶対して急に態度を改めた。
その時、ふふと金吾が笑った。
「何がおかしいんですの、コバ君?」
「武野紹鴎の師である村田珠光(じゅこう)の茶の心得を思い出したのさ。『初心の者をば見下す事、一段勿体(もったい)無き事共也』ってな」
秀晶を素人と侮ってそれが反対に遣り返されて恥ずかしい思いをしているのに金吾に痛い所を突かれて汐恩はカッと赤くなった。
「ではコバ君は晶さんより造詣が深いと仰るの?」
「その箱を開けてくれ」
突然金吾は汐恩の後ろに置いてある四つの桐の小箱を指さした。真田紐で結わえられた蓋には達筆な筆付が見えている。
「それは今度の大茶湯で忠時さんが使う茶碗なんだろ?茶会のパンフレットに有名な茶碗を披露するとの明記があったし、そこの箱書きに仰々しい銘がある」
「え、コバ君、貴方この書が読めますの?」
「いいから順番に開けてくれ」
「わ、分かりましたわよ」
本当は後でお見せしようとしておりましたのに、と小声で文句を言いながら箱を一つずつ開封して中の椀を取り出すとそれを金吾の前に差し出した。
一つ目は半筒型で卵殻色の素地に赤く焦げたような筆遣いの井桁模様に半透明の釉薬がかかった志野茶碗である。二つ目は口づくりが歪んだ、開き気味に立ち上がった赤茶色の飯茶碗のような椀、そして三つ目が志野と同じように半筒で椀の真ん中で白黒二色に分かれた、丁度富士山のような風合いをしていた。
金吾はそれを手にとって慎重に一つ一つを眺めると言った。
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