「さすがは先生」
「それなら私からも桃に纏わる二つの戦国話をしてあげましょうか。一つ目は石田三成の話ね」
「あれ、三成って柿じゃなかったっけ」
「松平さん、慌てず先ずは先生の話を聞いて頂戴」
「あ、ごめんなさい」
「では改めて」
と武美は背筋を正した。
「ある時毛利輝元が大きな桃を豊臣秀吉に献上してきた。それは大層立派な桃だった。でも秀吉の取り次ぎ役だった三成はそれを丁重に断ったの。それは桃の時期じゃなかったから、殿下の体調が崩れたら大変だという理由でね。中国の『論語』にも不時不食(時ならざるは食らわず)って注意があるから、秀吉に忠義を尽くした三成らしい逸話でしょ」
「ううむ」
渋い顔で元は唸った。敵なので褒められない。
「もう一つは家康のエピソード。家康は信長から季節外れの十一月の上旬に一籃(かご)の桃を貰ったの。家康は三成と違って突き返しはしなかったけど、自分は食べずに家臣に分け与えてしまった。家臣がその理由を聞くと『身分の高い信長公と違って小さな徳川がこんな贅沢に慣れては立ちゆかなくなってしまう』と答えたの。個人の欲望より徳川家そのものを大事にした家康らしい話だわね」
「うん、これこそまさに天下人家康!」
元は単純に喜んだ。
「小早川君は、この話は知ってるわよね、多分」
全く感動しない吉継に武美はスカッシュのグラスを傾けた。
「出典は『古老諸談』ですね。でも、それには続きがあります。武田信玄がその話を耳にした時、季節でない桃を食べない事で健康に留意したのは大いなる立身、つまり天下取りを心懸けているからだと家康を警戒したとあります」
「あらら、やっぱり釈迦に説法だったわねえ」
「関ヶ原の果物なら三成の柿の話(一話参照)も、家康が関ヶ原合戦の前に大柿を献上された伝承も知ってます。ウチの店には『関ヶ原マフィン』というクリームチーズに柿ゼリーと桃ムースが入ったスイーツがメニューにありますからね」
「あはは、そうね。あのマフィンを作ったのは小早川君だもの、詳しいのは当たり前か」
「ちなみに美濃と甲府は柿で関与しています。山梨の枯露柿(ころがき)は信玄が美濃の蜂屋から蜂屋柿を甲府へ移植して干し柿作りを奨励したそうです。それを陣中食にしたのも信玄だとか」
「甘い物繋がりね」
「プラス、このスイーツ、先生をジョークでかけてます。天武天皇の前の名前で」
「何?」
「おおあま(大甘)の皇子」
ヒューと冷たい沈黙が流れ、元が固まった顔でエアコンの送風口に振り向いた。
「先生、ちょっとエアコン止まってない?」
「悪かったよ、寒いギャグで!」
するとここで汐恩がふと吉継に向いた。
「コバ君はお店に出すお菓子も手掛けるのですか?」
「え、ああ。少しだけな。母さんがパティシエもやってたから色々教わってる」
「そうですか………」
何故か汐恩は暫く吉継を漫然と眺め、それから黙ってしまった。
「でも、相変わらず不思議ね。小早川君と言い、細川さんと言い、まるで同年か、それ以上の歳の人と話しているようだわ。私が今まで受け持った生徒でこんなに語彙(ごい)が豊富なのはあなた達が初めてよ」
「ゴイ?池の?」
「それは錦鯉ね、松平さん。語彙は言葉数みたいな意味。まあ、小学五年生なら松平さんのような反応が普通なんだけど、二人は何か特殊なのよね。どうしてかしら」
スカッシュを飲み干して武美は笑った。
一方吉継は額に汗して非常に焦っていた。
もちろん大人の客がひしめくひすとり庵で幼少期から働いているので一般的な同級生より大人びるのは仕方ないにしろ、流暢に難解な用語が口を衝いて出てくるのはいくら何でも不自然である。
同年同士ではそれなりのくだけた会話が成立するのだが、大人相手だと普段話している口調が全く別物に変化してしまう。
例えば、「グッドジョブ」が、「見事なお手前にございます」に、「仕方ない」が「是非に及ばず」と転化してしまうように、逆もまたしかりで、小難しい大人の会話も安易な単語に同時変換されて吉継の脳に届く。
もちろん母の音衣に歴史を教わったり、自分で世界の料理を調べたりしているためある程度は他者より外国語や調理の知識はあるものの、会話だけは無意識に老成した感じになっているのは吉継自身も金吾に出会う以前より妙だとは感じていた。それが金吾と出会い、生まれ持った能力だと気付かされてからはなるだけ特異に見られないよう注意していた。
しかしそれを改めて武美に指摘されると焦れる事この上ない。
【モンストルゥムの依巫はEDITIO VULGATA(エディティオ・ウルガータ)という、神が持つ言語最適化のフィルター越しに話すゆえ年齢に応じて内容が熟(こな)れるのが特徴の一つじゃ】
とMONO消しゴムと化している大谷吉継に教わって真相が分かったとはいえ、他人から見ればやはり奇妙なのだろう。
まして国語能力が上がった訳でもなく、所詮は一時的な変換フィルターを通して話しているに過ぎないのでテストで高得点が取れるのではない。
当然教師の武美からすればそのギャップに不可解さを感じるのは道理であった。
するとここで汐恩が武美に淡々と話し出した。
「私は何も奇異とは感じません。私にとっては年長者との会話は日常茶飯事にございます。父と共に各省庁の大臣をはじめ、大企業のCEO(最高経営責任者)、手習いのお師匠様と懇意にさせて頂いておりますので自然と身についております」
「え?大臣?CEO?」
「我が細川家は戦国時代よりの家門にございます。古来の風習に従って幼き頃より茶華道・舞踊・武術など様々な稽古に励んでおります。遙か昔などは寿命が短かったがために十二才から十六才までに元服(げんぷく・成人の意)の議を済まし、女子も婚期が早く、子供であっても大人びるのは珍しくない事象です。それは現代でも変わりません」
「いえ、それはあなたの場合だけで………」
「LA VALEUR N’ATTEND PAS LE NOMBRE DES ANNEES(ラ・ヴァラール・ナタン・パ・ル・ノンブル・デ・ザンネ)」
「え、何?」
「才能があるかどうかと年齢は関係がない、とのことわざです。フランス大使館で教わりました。良い言葉なので覚えています」
「そ、そうなの。大使館、ね………」
次々と自分とは無縁の世界に武美は苦笑いした。
「料理上手な小早川君も同じです。ENFANT TERRIBLE(アンファン・テリブル)、即ち大人びた早熟で非凡な恐るべき子供達は実在します。大人並みの身体能力や大人顔負けの芸術的センス、或いは天才的な頭脳の持ち主もおります。海外では十一才の子供が大学に飛び入学したケースも存しており、希有なケースというだけであり得ない話ではございません」
「うーん、それもそうね。考えすぎなのかしら」と武美が納得させられると、
「ませガキ共」
と元が一言で終わらせた。話がうまく逸れた吉継は安心して続けた。
「それより先生、さっきのガレットとポテト料理も挽肉を使えたんですけど、天武天皇の謂われで変更したんです」
「天武天皇の謂われ?」
「実は、天武天皇は、恐らく仏教上の理由からだと思いますけど、動物の殺生や肉食を禁止していたんです。鹿や猪以外の肉は食べちゃいけないって」
「あら、そうだったの?」
「先生は山梨出身であっても今は関ヶ原小学校の教師です。ですから天武天皇の方が俺達には馴染みがあるんです。それで今日の料理は前半が信玄の、後半を天武天皇の料理にしました。先生がいないとみんな寂しがります。早く元気になって学校に来て下さい。な?」
吉継は元と汐恩を交互に見た。
「そうだよ、私達の担任はやっばりテンムちゃんじゃないとしまんないよ」
「そうですね。皇先生の授業はとても分かりやすいので助かります。お早い復帰を願います」
「みんな………」
教え子の温かい励ましにジーンと来て武美は涙を浮かべた。
その時ピピッと吉継のスマホのアラームが鳴った。
「あっと。もう最後の一品が出来上がったかな」
「あら、未だ何かあるんですの?」
こんな短時間でどれだけのメニューを作り上げたのかと汐恩は呆れ返っていた。
「今持ってくるよ」
立ち上がった吉継はキッチンから湯気の立つ小さい二杯の白い陶製マグカップを運んできた。
「先生、どうぞ」
「これは、何?」
「どうぞ、飲んでみて下さい」
解説もなく吉継は勧めた。目の前に置かれたカップは一つ目が澄んだ赤色の液体にスライスレモンが、そしてもう一つは白く泡立つ液体に半分溶けたマシュマロが四つ浮いていた。
武美は赤い飲料から口をつけてみた。
するとさっぱりした葡萄の風味にレモンの酸味、そして甘さとスパイスの香りが立ち、その後に体がポカポカとする刺激的な喉越しが感じられた。
「………美味しい!」
身に覚えのある味に思わず一気に飲んだ。
「これホットワインね、小早川君?」
「はい。でもそれは和製英語で、正確には『MULLED WINE(モルド・ワイン)』と言います。フランスでは『VIN CHAUD(ヴァン・ショー)』と名前が変わります。赤ワインに果物やスパイスなどを入れて鍋で温めるんですが、今回は赤ワインとシナモンパウダーと生姜、ハチミツを入れて温め、それをまろやかにするために十分程度休ませます。それを漉してもう一度軽く温め直してレモンを浮かせたものがそれです。アルコールは血管を広げて体を温め、シナモンと生姜とハチミツは共に殺菌作用があります。それにお酒の効果でよく眠れます」
「じゃあ、こっちは」
と武美は二つ目のドリンクを飲んだ。
「はあー、こっちも甘くて美味しい~」
うっとりととろけそうな顔で武美はコクコクと飲んだ。
「それは『ブランデー・エッグノック』です。全卵と牛乳と砂糖にブランデーをミックスしてあります。ブランデーミルクセーキと言ってもいいかもしれません。砂糖と卵を泡立てて、そこにブランデー、そして温めた牛乳の順に入れて混ぜれば出来上がりです。卵の白身にはリゾチームと言って風邪に良い成分も入っていますし、牛乳のタンパク質も同時に取れます。普通は入らないマシュマロを追加したのは甘さを足すのはもちろん、主成分のゼラチンが喉に良いからです」
「どうして最後にこれを?」
飲み干したコップを置いて武美は吉継に尋ねた。
吉継は真意を明かした。
「フランスでは『医者に行くよりパン屋へ行くほうがよい』ってことわざがあります。治療するより予防が大事って意味なんです」
「予防か、そうよねえ」
「この二つは欧米で代表的な風邪の時に飲むお酒です。もちろん国によってはウオッカやウイスキーやテキーラになるんですが、根本的な効能は薬用です。日本でも卵酒がそれに当たります。でもこれはアルコールなので風邪を引いてしまってから飲むより、引かない予防として飲むのが妥当です。寒い日の夜に寝る前の適量の一杯でよく眠れます」
睡眠不足も風邪の原因になりますから、と吉継は言った。
「それに先生は体面上、外ではお酒をあまり飲めないでしょ?これなら薬にもなって楽しめますから一石二鳥です。二つのホットカクテルの分量とレシピはメモに書いておきましたから自分で作れます」
「小早川君………」
そのメモ用紙を渡す吉継に武美は感激した。
「後、ついでに冷蔵庫に残っていた食材で明日の朝食も用意しておきました」
「え?」
「ビミサンで作った卵焼きと、切り干し大根と鶏ササミのマヨネーズサラダ、後は白菜と春雨の生姜スープ、これはカップうどんの余ったスープの素で作りました。そして桃の牛乳寒天です。米は朝の七時に炊き上がるように洗ってジャーにセットしておきました。余った生クリームとベーコン、しめじとコンソメでクリームスープを作ってありますので、温かいご飯をそれに混ぜてリゾット風にして食べて下さい。他のおかずはラップして冷蔵庫に入れてありますのでいつでもどうぞ」
全ての段取りを思い通り完遂し終えた吉継は安堵してにっこり笑った。
ここで武美はガバッと吉継の両手を握って上体を近付けた。鼻息荒く目が爛々と輝いている。
「小早川君、年の差って気にする?年上の女の人って興味ない?」
「は?」
「皇・せ・ん・せ・い!?」
ここで汐恩がどす黒いオーラを放って武美の左腕を取った。
「教師にあるまじき下劣な発言はお控え下さい。ご冗談でも今は情報が拡散しやすい時代です。聖職に携わるお方が不祥事報道で関ヶ原を賑わすなど細川家としては看過しかねますが」
虎のような鋭い眼光と骨が折れそうな握力にヒイッと武美は驚いて背中を反らせベッドにもたれかかった。
「もちろん冗談よ、冗談。あたっ!」
するとその拍子に武美の後頭部に、テーブルから退けていた音楽の教本の角がゴツンと当たった。
「あちゃー、天罰だね」
頭を押さえて痛がる武美に元は冷ややかに笑ったが、汐恩は何故か両目をゴシゴシ擦ってベッドの上を見た。
「どうした、汐恩?」
「いえ、今、本が縦に立ち上がったような………」
「………気のせいだろ」
と吉継は誤魔化したが、半透明の秀晶が武美の後ろへ回って本の角で叩いていたのを目撃していた。
【晶、お前………】
【ちょ、しぇんしぇー(先生)がしょもねーから】
【だからって担任の頭を叩くなよ】
【ほやったかって、あーもー、これも全部ヨシが悪いんやざ】
【は?俺は人助けをしてるだけだぞ。何、怒ってるんだよ。さっきの廊下の時もそうだったし、今日のお前おかしいぞ】
【あんた、のくてー事言うてんなま!ヨシのあんぽんたれ!】
馬鹿馬鹿と立て続けに罵られた吉継はベッドの上で膨れる秀晶に不可解な顔をした。
【なあ、主、おぬし『源氏物語』を知っておるか?】
金吾が突然アルスで割ってきた。
【え、何だよ】
【よいから答えは?】
【確か平安時代とかの小説だろ。母さんの書棚でタイトル見た】
【やれやれ、その程度の認識か。まあ小学生では仕方ないの。料理に熱心なのも良いが、いずれそういった話も人生を深めるために読むべきじゃ、のう、晶どの?】
【ありがと、カマちゃん】
遠回しに慰められた秀晶は幾分機嫌を直した。金吾は秀晶に続けて語り掛けた。
【晶どの、吾が主は朴念仁(ぼくねんじん)で唐変木(とうへんぼく)で頓痴気(とんちき)な所もあるが決して悪気は無いのじゃ。料理狂いで天然な気質は許してやってほしい】
【うん、分かってる。本当にボクネンジンのトーヘンボクだもんね】
秀晶はクスリと笑った。
【………お前ら、黙って聞いてりゃ人のことをボロクソに】
吉継は額に怒りマークを浮かべた。
「あ、そうだ、動画の残りを見ないと」
元が放課後に撮ったクラスのメッセージを武美に見せようと汐恩のスマホの一時停止ボタンを押した。すると何人かのメッセージの声をかき消すように、
「アハハ、テンムちゃんに彼氏?絶対無い無い!」
との元の声がバックに大きく流れた。
「………松平さん、これは私が一生独身だという宣言かしら?」
ピキピキと額の血管が破裂しそうな音が聞こえそうに武美の表情は硬くなった。
「いやいや、そういう意味じゃないよ」
「ハイ、月曜日はテスト確定ね」
物凄く怒りを堪えた微笑みを武美は浮かべた。
「元、お前、何て爆弾を」
「あ、遅くなったし、そろそろ帰らなきゃ」
元はバツが悪そうに立ち上がって玄関に急いだ。
「先生、お疲れの所、すっかり長居致しました。私達はこれでお暇させて頂きます」
家に電話を掛け終わった汐恩は玄関の扉で深々と頭を下げた。
「細川さんは、お家の方が車で迎えにいらっしゃるの?」
「はい、暗いので用心のために。松平さんも同じみたいです」
「そう、でも気を付けて帰ってね。小早川君、今日はありがとう。全部美味しかったわ」
「今度は是非ひすとり庵に食べに来て下さい。お待ちしてます」
「最後にきちんと営業してくのね」と笑う武美を後にして吉継と汐恩は先に階段を下りた元の後を追った。
「コバ君はご自宅まで徒歩ですか?」
駐車場に降りて汐恩は突然問い掛けてきた。
「ああ」
「よろしければ当家の車でお店までお送り致しますけど」
「………いや、いい」
ロールスロイスやリムジンを店に横付けされては目立ってたまらない。
「遠慮なさらずとも」
「いや、お前達の迎えが来たら歩いて帰るよ」
女子二人を置いて先に帰る訳にはいかない吉継は寒い駐車場で待っていた。本当はどの車であろうが乗って帰れれば楽なのだが、直ぐ近くに秀晶がいるので吉継はその申し出を断わった。
その証拠に事情を察した半透明の秀晶が隣で嬉しそうにこちらを向いて笑っている。
「そうですか」
「折角の誘いなのに悪いな」
白い息を吐いて吉継は謝った。
「いえ、それより今日は色々な逸話を学べて良かったです」
「そうか」
「………」
目の前の国道を乗用車がライトを点灯させて次々と通り過ぎていく。少し離れて汐恩は黙ったまま暗くなっていく空を見上げていた。
やがて元の迎えの車がやってきて元を乗せて遠くに消えていった。
取り残された吉継は手持ち無沙汰でスマホをいじり、食材のウェブサイトを眺めていた。
それでもこういう状況に慣れていないためか変に落ち着かない。
【なあ、晶、今日の賄い、ドフィノワでいいか?テンムちゃんちでガレットとかクレープ作ってて、ジャガイモの話になったらフランスの家庭料理を思い出した】
妙な空気から逃避するのと、夕食の時間が近付いてきたのもあってアルスで吉継は晶に話し掛けた。
ドフィノワとは「グラタン・ドフィノワ」の事でベシャメルソースを使わない、バターとニンニクを塗った耐熱皿にスライスしたジャガイモを並べ、チーズをかけ、牛乳と生クリームを注いで焼くだけというドフィネ地方のシンプルな郷土料理である。
【あ~、ジャガイモのグラタン?いいよのぉ!あれ、うまいんやざ】
【後、リクエストあるか?】
【うーんと、オムレツ。あの具が沢山入ってるの】
【バスク風オムレツだな。お前、本当に好きだな】
【ヨシの卵料理めっちゃ好き】
【そ、そうか】
すっかり機嫌の直った秀晶に吉継は安心した。
秀晶は気が置けない親友というのもあるが、現時点で世界にたった一人の依巫仲間なのである。仲が良いに越した事は無い。
今日の武美へのレシピも秀晶との会話の中からヒントを得た。でなければ何もしないまま食材を冷蔵庫へ片付けただけで終わっていただろう。
依巫には必ず依巫と尸者を繋ぐ祭神がいる。
秀晶の神の正体は吉継も分からない。
金吾曰く「依巫であっても互いの神の名を明かせないようになっている」のだそうだ。その神がイタズラ心で秀晶に言霊の力を貸したのかもしれない。
吉継の神は食事を司る「御饌都神(みけつかみ)」であるが故に料理で人助けに関与しているのだという。それが間接的に小早川秀秋の成仏に力添えをしている。
手っ取り早く神の力でとっとと成仏させてやればいいものを、あの世の仕組みは単純ではないらしい。
秀晶の手助けで今回は何とかクリア出来たが、もっと助力があれば秀秋の望みも早く達成できるのに、誰か他にモンストルゥムの依巫はいないのかと吉継は溜息をついた。
RPGでも勇者だけでラスボスに辿り着くのは容易ではない。普通は単独でなく騎士や魔法使いやヒーラーなどでパーティーを組み冒険に挑む。吉継の場合怪物を倒すのではないが、助勢してくれる味方は多い方が頼もしい。
小早川秀秋も大谷吉継も湯浅五助も戦国武将である。それが尸者となっているのは単なる偶然なのだろうか。もし、武将以外にも尸者になっている魂があればそれこそ星の数だけ存在する可能性がある。しかし、現在吉継の周辺には依巫や尸者の気配は無い。
仮に新たな依巫が現れ、それが吉継や秀晶に接点を持つとすれば、秀秋の成仏の他に何らかの意味付けがあるのではないか、とも考えていた。
(しっかし俺が人助けねえ。ははは、金吾との契約とはいえ柄でもないなあ)
RPGにおける職業も勇者でなく、戦わない村人か宿屋の主人を選択したいのが本音であり、料理以外、生来面倒臭がりである吉継は思わず自嘲した。
と、この時、
「コバ君」
「ワッ!」
吉継は驚いて飛び上がった。知らない内に直ぐ隣で汐恩が吉継の横顔を覗き込んでいた。
「ど、どうした、汐恩?」
引き攣った顔のまま吉継は固まった。
学校でも一二を争う美少女でクラスでも超人気者であろうがどうも汐恩は苦手である。真面目なのだが、その反面雲を掴むような、何を考えているか分からない性格は好き勝手に翻弄されるようで全くつかみ所がない。
性格は良いが性根が読めない魔女なのである。
クラスの男子は神秘的な所がいいと褒めているのだが裏には毒がありそうで恐ろしい。
元が単純明快なら汐恩は複雑怪奇に絡まっている。
そんな汐恩が吉継の顔を凝視して真顔で放言した。
「コバ君は取り立てて美男でもありませんし、成績もスポーツも凡庸です。十把一絡げな、その他大勢に埋もれるタイプです。無難すぎて男子として魅力にも面白味にも欠けます。他山の石、枯れ木も山の賑わいとの表現が見事に当てはまりますね」
「唐突に随分なご挨拶だな、おい」
吉継は基本目立つのが嫌いである。目指している所はまさにそこなのだが、人から言われると無性に腹が立つ。それも結構な毒舌で指摘されれば面白くない。
「でも珍奇で奇特な人です。そして何故か周りに人が集まります。砂糖に群がる蟻のように」
「馬鹿にしてんのか?」
「褒め言葉です」
「にはとても聞こえんぞ」
顔を渋くして吉継はそっぽを向いた。
「そんな砂糖のコバ君にお願いがあります」
「………願い?」
汐恩からの頼み事など初めてな吉継は目をパチクリした。
一度深く息を吸ってから汐恩はキッと表情を硬くして、胸に手を当てた。
「私と付き合って頂けませんか?」
ガタタンガタタンと後ろで東海道線を通過する素早い列車の音に混じって汐恩の意味不明な言葉が流れた。
ツキアウ?
全く聞き慣れない一口に聞き違いかと思った吉継はロボットのように尋ね返した。
「ハ?ナンダッテ?」
「その耳が飾りでなければよくよくお聞き下さいまし」
汐恩は呆れた顔で言った。
「ですから、お嫌でなければこの私と付き合って頂けませんかと申し上げているのです」
吉継と秀晶は一瞬間を置いて、驚いて叫んだ。
「………えーッ!!!」【………おえー!!!】
四話に続く
「それなら私からも桃に纏わる二つの戦国話をしてあげましょうか。一つ目は石田三成の話ね」
「あれ、三成って柿じゃなかったっけ」
「松平さん、慌てず先ずは先生の話を聞いて頂戴」
「あ、ごめんなさい」
「では改めて」
と武美は背筋を正した。
「ある時毛利輝元が大きな桃を豊臣秀吉に献上してきた。それは大層立派な桃だった。でも秀吉の取り次ぎ役だった三成はそれを丁重に断ったの。それは桃の時期じゃなかったから、殿下の体調が崩れたら大変だという理由でね。中国の『論語』にも不時不食(時ならざるは食らわず)って注意があるから、秀吉に忠義を尽くした三成らしい逸話でしょ」
「ううむ」
渋い顔で元は唸った。敵なので褒められない。
「もう一つは家康のエピソード。家康は信長から季節外れの十一月の上旬に一籃(かご)の桃を貰ったの。家康は三成と違って突き返しはしなかったけど、自分は食べずに家臣に分け与えてしまった。家臣がその理由を聞くと『身分の高い信長公と違って小さな徳川がこんな贅沢に慣れては立ちゆかなくなってしまう』と答えたの。個人の欲望より徳川家そのものを大事にした家康らしい話だわね」
「うん、これこそまさに天下人家康!」
元は単純に喜んだ。
「小早川君は、この話は知ってるわよね、多分」
全く感動しない吉継に武美はスカッシュのグラスを傾けた。
「出典は『古老諸談』ですね。でも、それには続きがあります。武田信玄がその話を耳にした時、季節でない桃を食べない事で健康に留意したのは大いなる立身、つまり天下取りを心懸けているからだと家康を警戒したとあります」
「あらら、やっぱり釈迦に説法だったわねえ」
「関ヶ原の果物なら三成の柿の話(一話参照)も、家康が関ヶ原合戦の前に大柿を献上された伝承も知ってます。ウチの店には『関ヶ原マフィン』というクリームチーズに柿ゼリーと桃ムースが入ったスイーツがメニューにありますからね」
「あはは、そうね。あのマフィンを作ったのは小早川君だもの、詳しいのは当たり前か」
「ちなみに美濃と甲府は柿で関与しています。山梨の枯露柿(ころがき)は信玄が美濃の蜂屋から蜂屋柿を甲府へ移植して干し柿作りを奨励したそうです。それを陣中食にしたのも信玄だとか」
「甘い物繋がりね」
「プラス、このスイーツ、先生をジョークでかけてます。天武天皇の前の名前で」
「何?」
「おおあま(大甘)の皇子」
ヒューと冷たい沈黙が流れ、元が固まった顔でエアコンの送風口に振り向いた。
「先生、ちょっとエアコン止まってない?」
「悪かったよ、寒いギャグで!」
するとここで汐恩がふと吉継に向いた。
「コバ君はお店に出すお菓子も手掛けるのですか?」
「え、ああ。少しだけな。母さんがパティシエもやってたから色々教わってる」
「そうですか………」
何故か汐恩は暫く吉継を漫然と眺め、それから黙ってしまった。
「でも、相変わらず不思議ね。小早川君と言い、細川さんと言い、まるで同年か、それ以上の歳の人と話しているようだわ。私が今まで受け持った生徒でこんなに語彙(ごい)が豊富なのはあなた達が初めてよ」
「ゴイ?池の?」
「それは錦鯉ね、松平さん。語彙は言葉数みたいな意味。まあ、小学五年生なら松平さんのような反応が普通なんだけど、二人は何か特殊なのよね。どうしてかしら」
スカッシュを飲み干して武美は笑った。
一方吉継は額に汗して非常に焦っていた。
もちろん大人の客がひしめくひすとり庵で幼少期から働いているので一般的な同級生より大人びるのは仕方ないにしろ、流暢に難解な用語が口を衝いて出てくるのはいくら何でも不自然である。
同年同士ではそれなりのくだけた会話が成立するのだが、大人相手だと普段話している口調が全く別物に変化してしまう。
例えば、「グッドジョブ」が、「見事なお手前にございます」に、「仕方ない」が「是非に及ばず」と転化してしまうように、逆もまたしかりで、小難しい大人の会話も安易な単語に同時変換されて吉継の脳に届く。
もちろん母の音衣に歴史を教わったり、自分で世界の料理を調べたりしているためある程度は他者より外国語や調理の知識はあるものの、会話だけは無意識に老成した感じになっているのは吉継自身も金吾に出会う以前より妙だとは感じていた。それが金吾と出会い、生まれ持った能力だと気付かされてからはなるだけ特異に見られないよう注意していた。
しかしそれを改めて武美に指摘されると焦れる事この上ない。
【モンストルゥムの依巫はEDITIO VULGATA(エディティオ・ウルガータ)という、神が持つ言語最適化のフィルター越しに話すゆえ年齢に応じて内容が熟(こな)れるのが特徴の一つじゃ】
とMONO消しゴムと化している大谷吉継に教わって真相が分かったとはいえ、他人から見ればやはり奇妙なのだろう。
まして国語能力が上がった訳でもなく、所詮は一時的な変換フィルターを通して話しているに過ぎないのでテストで高得点が取れるのではない。
当然教師の武美からすればそのギャップに不可解さを感じるのは道理であった。
するとここで汐恩が武美に淡々と話し出した。
「私は何も奇異とは感じません。私にとっては年長者との会話は日常茶飯事にございます。父と共に各省庁の大臣をはじめ、大企業のCEO(最高経営責任者)、手習いのお師匠様と懇意にさせて頂いておりますので自然と身についております」
「え?大臣?CEO?」
「我が細川家は戦国時代よりの家門にございます。古来の風習に従って幼き頃より茶華道・舞踊・武術など様々な稽古に励んでおります。遙か昔などは寿命が短かったがために十二才から十六才までに元服(げんぷく・成人の意)の議を済まし、女子も婚期が早く、子供であっても大人びるのは珍しくない事象です。それは現代でも変わりません」
「いえ、それはあなたの場合だけで………」
「LA VALEUR N’ATTEND PAS LE NOMBRE DES ANNEES(ラ・ヴァラール・ナタン・パ・ル・ノンブル・デ・ザンネ)」
「え、何?」
「才能があるかどうかと年齢は関係がない、とのことわざです。フランス大使館で教わりました。良い言葉なので覚えています」
「そ、そうなの。大使館、ね………」
次々と自分とは無縁の世界に武美は苦笑いした。
「料理上手な小早川君も同じです。ENFANT TERRIBLE(アンファン・テリブル)、即ち大人びた早熟で非凡な恐るべき子供達は実在します。大人並みの身体能力や大人顔負けの芸術的センス、或いは天才的な頭脳の持ち主もおります。海外では十一才の子供が大学に飛び入学したケースも存しており、希有なケースというだけであり得ない話ではございません」
「うーん、それもそうね。考えすぎなのかしら」と武美が納得させられると、
「ませガキ共」
と元が一言で終わらせた。話がうまく逸れた吉継は安心して続けた。
「それより先生、さっきのガレットとポテト料理も挽肉を使えたんですけど、天武天皇の謂われで変更したんです」
「天武天皇の謂われ?」
「実は、天武天皇は、恐らく仏教上の理由からだと思いますけど、動物の殺生や肉食を禁止していたんです。鹿や猪以外の肉は食べちゃいけないって」
「あら、そうだったの?」
「先生は山梨出身であっても今は関ヶ原小学校の教師です。ですから天武天皇の方が俺達には馴染みがあるんです。それで今日の料理は前半が信玄の、後半を天武天皇の料理にしました。先生がいないとみんな寂しがります。早く元気になって学校に来て下さい。な?」
吉継は元と汐恩を交互に見た。
「そうだよ、私達の担任はやっばりテンムちゃんじゃないとしまんないよ」
「そうですね。皇先生の授業はとても分かりやすいので助かります。お早い復帰を願います」
「みんな………」
教え子の温かい励ましにジーンと来て武美は涙を浮かべた。
その時ピピッと吉継のスマホのアラームが鳴った。
「あっと。もう最後の一品が出来上がったかな」
「あら、未だ何かあるんですの?」
こんな短時間でどれだけのメニューを作り上げたのかと汐恩は呆れ返っていた。
「今持ってくるよ」
立ち上がった吉継はキッチンから湯気の立つ小さい二杯の白い陶製マグカップを運んできた。
「先生、どうぞ」
「これは、何?」
「どうぞ、飲んでみて下さい」
解説もなく吉継は勧めた。目の前に置かれたカップは一つ目が澄んだ赤色の液体にスライスレモンが、そしてもう一つは白く泡立つ液体に半分溶けたマシュマロが四つ浮いていた。
武美は赤い飲料から口をつけてみた。
するとさっぱりした葡萄の風味にレモンの酸味、そして甘さとスパイスの香りが立ち、その後に体がポカポカとする刺激的な喉越しが感じられた。
「………美味しい!」
身に覚えのある味に思わず一気に飲んだ。
「これホットワインね、小早川君?」
「はい。でもそれは和製英語で、正確には『MULLED WINE(モルド・ワイン)』と言います。フランスでは『VIN CHAUD(ヴァン・ショー)』と名前が変わります。赤ワインに果物やスパイスなどを入れて鍋で温めるんですが、今回は赤ワインとシナモンパウダーと生姜、ハチミツを入れて温め、それをまろやかにするために十分程度休ませます。それを漉してもう一度軽く温め直してレモンを浮かせたものがそれです。アルコールは血管を広げて体を温め、シナモンと生姜とハチミツは共に殺菌作用があります。それにお酒の効果でよく眠れます」
「じゃあ、こっちは」
と武美は二つ目のドリンクを飲んだ。
「はあー、こっちも甘くて美味しい~」
うっとりととろけそうな顔で武美はコクコクと飲んだ。
「それは『ブランデー・エッグノック』です。全卵と牛乳と砂糖にブランデーをミックスしてあります。ブランデーミルクセーキと言ってもいいかもしれません。砂糖と卵を泡立てて、そこにブランデー、そして温めた牛乳の順に入れて混ぜれば出来上がりです。卵の白身にはリゾチームと言って風邪に良い成分も入っていますし、牛乳のタンパク質も同時に取れます。普通は入らないマシュマロを追加したのは甘さを足すのはもちろん、主成分のゼラチンが喉に良いからです」
「どうして最後にこれを?」
飲み干したコップを置いて武美は吉継に尋ねた。
吉継は真意を明かした。
「フランスでは『医者に行くよりパン屋へ行くほうがよい』ってことわざがあります。治療するより予防が大事って意味なんです」
「予防か、そうよねえ」
「この二つは欧米で代表的な風邪の時に飲むお酒です。もちろん国によってはウオッカやウイスキーやテキーラになるんですが、根本的な効能は薬用です。日本でも卵酒がそれに当たります。でもこれはアルコールなので風邪を引いてしまってから飲むより、引かない予防として飲むのが妥当です。寒い日の夜に寝る前の適量の一杯でよく眠れます」
睡眠不足も風邪の原因になりますから、と吉継は言った。
「それに先生は体面上、外ではお酒をあまり飲めないでしょ?これなら薬にもなって楽しめますから一石二鳥です。二つのホットカクテルの分量とレシピはメモに書いておきましたから自分で作れます」
「小早川君………」
そのメモ用紙を渡す吉継に武美は感激した。
「後、ついでに冷蔵庫に残っていた食材で明日の朝食も用意しておきました」
「え?」
「ビミサンで作った卵焼きと、切り干し大根と鶏ササミのマヨネーズサラダ、後は白菜と春雨の生姜スープ、これはカップうどんの余ったスープの素で作りました。そして桃の牛乳寒天です。米は朝の七時に炊き上がるように洗ってジャーにセットしておきました。余った生クリームとベーコン、しめじとコンソメでクリームスープを作ってありますので、温かいご飯をそれに混ぜてリゾット風にして食べて下さい。他のおかずはラップして冷蔵庫に入れてありますのでいつでもどうぞ」
全ての段取りを思い通り完遂し終えた吉継は安堵してにっこり笑った。
ここで武美はガバッと吉継の両手を握って上体を近付けた。鼻息荒く目が爛々と輝いている。
「小早川君、年の差って気にする?年上の女の人って興味ない?」
「は?」
「皇・せ・ん・せ・い!?」
ここで汐恩がどす黒いオーラを放って武美の左腕を取った。
「教師にあるまじき下劣な発言はお控え下さい。ご冗談でも今は情報が拡散しやすい時代です。聖職に携わるお方が不祥事報道で関ヶ原を賑わすなど細川家としては看過しかねますが」
虎のような鋭い眼光と骨が折れそうな握力にヒイッと武美は驚いて背中を反らせベッドにもたれかかった。
「もちろん冗談よ、冗談。あたっ!」
するとその拍子に武美の後頭部に、テーブルから退けていた音楽の教本の角がゴツンと当たった。
「あちゃー、天罰だね」
頭を押さえて痛がる武美に元は冷ややかに笑ったが、汐恩は何故か両目をゴシゴシ擦ってベッドの上を見た。
「どうした、汐恩?」
「いえ、今、本が縦に立ち上がったような………」
「………気のせいだろ」
と吉継は誤魔化したが、半透明の秀晶が武美の後ろへ回って本の角で叩いていたのを目撃していた。
【晶、お前………】
【ちょ、しぇんしぇー(先生)がしょもねーから】
【だからって担任の頭を叩くなよ】
【ほやったかって、あーもー、これも全部ヨシが悪いんやざ】
【は?俺は人助けをしてるだけだぞ。何、怒ってるんだよ。さっきの廊下の時もそうだったし、今日のお前おかしいぞ】
【あんた、のくてー事言うてんなま!ヨシのあんぽんたれ!】
馬鹿馬鹿と立て続けに罵られた吉継はベッドの上で膨れる秀晶に不可解な顔をした。
【なあ、主、おぬし『源氏物語』を知っておるか?】
金吾が突然アルスで割ってきた。
【え、何だよ】
【よいから答えは?】
【確か平安時代とかの小説だろ。母さんの書棚でタイトル見た】
【やれやれ、その程度の認識か。まあ小学生では仕方ないの。料理に熱心なのも良いが、いずれそういった話も人生を深めるために読むべきじゃ、のう、晶どの?】
【ありがと、カマちゃん】
遠回しに慰められた秀晶は幾分機嫌を直した。金吾は秀晶に続けて語り掛けた。
【晶どの、吾が主は朴念仁(ぼくねんじん)で唐変木(とうへんぼく)で頓痴気(とんちき)な所もあるが決して悪気は無いのじゃ。料理狂いで天然な気質は許してやってほしい】
【うん、分かってる。本当にボクネンジンのトーヘンボクだもんね】
秀晶はクスリと笑った。
【………お前ら、黙って聞いてりゃ人のことをボロクソに】
吉継は額に怒りマークを浮かべた。
「あ、そうだ、動画の残りを見ないと」
元が放課後に撮ったクラスのメッセージを武美に見せようと汐恩のスマホの一時停止ボタンを押した。すると何人かのメッセージの声をかき消すように、
「アハハ、テンムちゃんに彼氏?絶対無い無い!」
との元の声がバックに大きく流れた。
「………松平さん、これは私が一生独身だという宣言かしら?」
ピキピキと額の血管が破裂しそうな音が聞こえそうに武美の表情は硬くなった。
「いやいや、そういう意味じゃないよ」
「ハイ、月曜日はテスト確定ね」
物凄く怒りを堪えた微笑みを武美は浮かべた。
「元、お前、何て爆弾を」
「あ、遅くなったし、そろそろ帰らなきゃ」
元はバツが悪そうに立ち上がって玄関に急いだ。
「先生、お疲れの所、すっかり長居致しました。私達はこれでお暇させて頂きます」
家に電話を掛け終わった汐恩は玄関の扉で深々と頭を下げた。
「細川さんは、お家の方が車で迎えにいらっしゃるの?」
「はい、暗いので用心のために。松平さんも同じみたいです」
「そう、でも気を付けて帰ってね。小早川君、今日はありがとう。全部美味しかったわ」
「今度は是非ひすとり庵に食べに来て下さい。お待ちしてます」
「最後にきちんと営業してくのね」と笑う武美を後にして吉継と汐恩は先に階段を下りた元の後を追った。
「コバ君はご自宅まで徒歩ですか?」
駐車場に降りて汐恩は突然問い掛けてきた。
「ああ」
「よろしければ当家の車でお店までお送り致しますけど」
「………いや、いい」
ロールスロイスやリムジンを店に横付けされては目立ってたまらない。
「遠慮なさらずとも」
「いや、お前達の迎えが来たら歩いて帰るよ」
女子二人を置いて先に帰る訳にはいかない吉継は寒い駐車場で待っていた。本当はどの車であろうが乗って帰れれば楽なのだが、直ぐ近くに秀晶がいるので吉継はその申し出を断わった。
その証拠に事情を察した半透明の秀晶が隣で嬉しそうにこちらを向いて笑っている。
「そうですか」
「折角の誘いなのに悪いな」
白い息を吐いて吉継は謝った。
「いえ、それより今日は色々な逸話を学べて良かったです」
「そうか」
「………」
目の前の国道を乗用車がライトを点灯させて次々と通り過ぎていく。少し離れて汐恩は黙ったまま暗くなっていく空を見上げていた。
やがて元の迎えの車がやってきて元を乗せて遠くに消えていった。
取り残された吉継は手持ち無沙汰でスマホをいじり、食材のウェブサイトを眺めていた。
それでもこういう状況に慣れていないためか変に落ち着かない。
【なあ、晶、今日の賄い、ドフィノワでいいか?テンムちゃんちでガレットとかクレープ作ってて、ジャガイモの話になったらフランスの家庭料理を思い出した】
妙な空気から逃避するのと、夕食の時間が近付いてきたのもあってアルスで吉継は晶に話し掛けた。
ドフィノワとは「グラタン・ドフィノワ」の事でベシャメルソースを使わない、バターとニンニクを塗った耐熱皿にスライスしたジャガイモを並べ、チーズをかけ、牛乳と生クリームを注いで焼くだけというドフィネ地方のシンプルな郷土料理である。
【あ~、ジャガイモのグラタン?いいよのぉ!あれ、うまいんやざ】
【後、リクエストあるか?】
【うーんと、オムレツ。あの具が沢山入ってるの】
【バスク風オムレツだな。お前、本当に好きだな】
【ヨシの卵料理めっちゃ好き】
【そ、そうか】
すっかり機嫌の直った秀晶に吉継は安心した。
秀晶は気が置けない親友というのもあるが、現時点で世界にたった一人の依巫仲間なのである。仲が良いに越した事は無い。
今日の武美へのレシピも秀晶との会話の中からヒントを得た。でなければ何もしないまま食材を冷蔵庫へ片付けただけで終わっていただろう。
依巫には必ず依巫と尸者を繋ぐ祭神がいる。
秀晶の神の正体は吉継も分からない。
金吾曰く「依巫であっても互いの神の名を明かせないようになっている」のだそうだ。その神がイタズラ心で秀晶に言霊の力を貸したのかもしれない。
吉継の神は食事を司る「御饌都神(みけつかみ)」であるが故に料理で人助けに関与しているのだという。それが間接的に小早川秀秋の成仏に力添えをしている。
手っ取り早く神の力でとっとと成仏させてやればいいものを、あの世の仕組みは単純ではないらしい。
秀晶の手助けで今回は何とかクリア出来たが、もっと助力があれば秀秋の望みも早く達成できるのに、誰か他にモンストルゥムの依巫はいないのかと吉継は溜息をついた。
RPGでも勇者だけでラスボスに辿り着くのは容易ではない。普通は単独でなく騎士や魔法使いやヒーラーなどでパーティーを組み冒険に挑む。吉継の場合怪物を倒すのではないが、助勢してくれる味方は多い方が頼もしい。
小早川秀秋も大谷吉継も湯浅五助も戦国武将である。それが尸者となっているのは単なる偶然なのだろうか。もし、武将以外にも尸者になっている魂があればそれこそ星の数だけ存在する可能性がある。しかし、現在吉継の周辺には依巫や尸者の気配は無い。
仮に新たな依巫が現れ、それが吉継や秀晶に接点を持つとすれば、秀秋の成仏の他に何らかの意味付けがあるのではないか、とも考えていた。
(しっかし俺が人助けねえ。ははは、金吾との契約とはいえ柄でもないなあ)
RPGにおける職業も勇者でなく、戦わない村人か宿屋の主人を選択したいのが本音であり、料理以外、生来面倒臭がりである吉継は思わず自嘲した。
と、この時、
「コバ君」
「ワッ!」
吉継は驚いて飛び上がった。知らない内に直ぐ隣で汐恩が吉継の横顔を覗き込んでいた。
「ど、どうした、汐恩?」
引き攣った顔のまま吉継は固まった。
学校でも一二を争う美少女でクラスでも超人気者であろうがどうも汐恩は苦手である。真面目なのだが、その反面雲を掴むような、何を考えているか分からない性格は好き勝手に翻弄されるようで全くつかみ所がない。
性格は良いが性根が読めない魔女なのである。
クラスの男子は神秘的な所がいいと褒めているのだが裏には毒がありそうで恐ろしい。
元が単純明快なら汐恩は複雑怪奇に絡まっている。
そんな汐恩が吉継の顔を凝視して真顔で放言した。
「コバ君は取り立てて美男でもありませんし、成績もスポーツも凡庸です。十把一絡げな、その他大勢に埋もれるタイプです。無難すぎて男子として魅力にも面白味にも欠けます。他山の石、枯れ木も山の賑わいとの表現が見事に当てはまりますね」
「唐突に随分なご挨拶だな、おい」
吉継は基本目立つのが嫌いである。目指している所はまさにそこなのだが、人から言われると無性に腹が立つ。それも結構な毒舌で指摘されれば面白くない。
「でも珍奇で奇特な人です。そして何故か周りに人が集まります。砂糖に群がる蟻のように」
「馬鹿にしてんのか?」
「褒め言葉です」
「にはとても聞こえんぞ」
顔を渋くして吉継はそっぽを向いた。
「そんな砂糖のコバ君にお願いがあります」
「………願い?」
汐恩からの頼み事など初めてな吉継は目をパチクリした。
一度深く息を吸ってから汐恩はキッと表情を硬くして、胸に手を当てた。
「私と付き合って頂けませんか?」
ガタタンガタタンと後ろで東海道線を通過する素早い列車の音に混じって汐恩の意味不明な言葉が流れた。
ツキアウ?
全く聞き慣れない一口に聞き違いかと思った吉継はロボットのように尋ね返した。
「ハ?ナンダッテ?」
「その耳が飾りでなければよくよくお聞き下さいまし」
汐恩は呆れた顔で言った。
「ですから、お嫌でなければこの私と付き合って頂けませんかと申し上げているのです」
吉継と秀晶は一瞬間を置いて、驚いて叫んだ。
「………えーッ!!!」【………おえー!!!】
四話に続く
スポンサードリンク