(そういや汐恩の友達って誰だろ。私?ヨシは、うーん、汐恩の中では友達じゃないな。男子には友達はいないだろうし。女子も元は敵だし、長月もそうかな。今のところ茶会でこっちに付いてるのは伊知花(いちか)と咲良(さくら)くらいだけど、二人とも汐恩の事呼び方『細川さん』だし、汐恩も『京極さん』、『小田さん』だもんな………)
すると、
「晶さん」
と唐突に汐恩が呼び掛けてきた。
「な、何?」
動揺して秀晶は顔を上げた。
貴女は、と汐恩は言い始めた。
「貴女は勉学も優秀、スポーツも万能、気さくで大勢から人気がある。そのたまに口に付く福井弁も愛嬌があり、何より歌の才能は誰よりも抜きん出ている」
「何よ、突然。褒め殺し?」
「貴女は私の良き好敵手です。でもそれに対しコバ君は歴史の知識と料理の腕に関しては些か認めますがその他は凡庸な男子に過ぎません」
「今度はヨシの悪口なの?」
不快な顔で秀晶は目を吊り上げた。
「悪口ではありません。悉く真実です」
「あのね」
「だから私は不思議なのです」
「何が」
「優秀な貴女がそんな冴えないコバ君を何故好きなのか、という心境がです」
「なななななななななななななななななななななな、おめ、何言ってるやって!!」
動じた秀晶は顔を真っ赤にしてバシャバシャとお湯を叩きまくった。
「非常に分かりやすい人ですわね、貴女。今更誤魔化さなくてもよろしいでしょう」
「………いつから気付いてたの?」
冷静な汐恩に秀晶も落ち着き、首までお湯に浸かり直して尋ねた。
「貴女、コバ君にバレンタインチョコレートあげていたでしょう」
「でもそれは私だけじゃないもん。長月とか真央だって」
「畔田さんは幼馴染みですし、井伊島さんはどう考えても義理です。それを横目に見ていた晶さんの顔は露骨に面白くなさそうでしたわよ。あれで露見していないとお思いでしたの?」
「う」
「まあ、コバ君は鈍感ですから、貴女からのチョコレートもお礼くらいしか思ってないでしょうけど」
「うう」
他人に指摘されると余計辛くなった。
「しかし、受け取ってもらえるだけ有り難いですわよ。私なんて最高級の抹茶をお送りしましたのにその日に突き返されましたもの」
「それは茶会の誘いの品だったからだよ。そういえば汐恩は誰かにチョコレートあげたの?」
「は?」
「は?って誰か汐恩は好きな男子いないの?ほら、治部君なんて汐恩に気があるみたいだけど」
すると冷たい目で汐恩は秀晶を見た。
「石田君?冗談はここだけにして下さいな。勉学の才はあっても他に特出しているものもありませんし、何より三成好きな人間をどうしてガラシャ好きな私が好むとお思いなんですの?ガラシャを取り囲んで死に追い込んだのは一体誰だと」
「ああ、ごめんごめん。そうだったね。じゃあ嶋君とかは?サッカー上手で結構女子に人気あるよ」
「私サッカー嫌いなんです」
汐恩はシャンプーのために浴槽を出て椅子に座り、タオルとバレッタを外した。
「ああ、そう」
性格とか見た目とか全く関係無しにバッサリ斬られた左人志に秀晶は若干同情した。
「予め申し上げておきますけど今の学校に私と釣り合う殿方などおりませんわよ。将来はどこか名家の方とご縁があるでしょうし」
「名家ね。だったらどうして関小に通学してるの?それこそ名古屋とかの名門校に通えばいいのに」
「お父様の意向なんですの。関ヶ原で生まれたからには義務教育の間は地元に通うようにと。しかし高度な教育を維持するために超一流の家庭教師に来て頂いておりますが」
「ハハハ。あ、そういえば一度聞いておきたかった事があるんだけど」
秀晶は思い出して浴槽の縁に両腕を預けた。
「今日は質問攻めですわね。どうぞ」
汐恩はシャンプー液で髪を洗いながら言った。
「ヨシさ、いつから汐恩を呼び捨てにしてるの?他の男子は全員『細川さん』だよね」
「ああ、あれは元々罰ゲームから始まったのですわ」
「罰ゲーム?」
「二年前でしたわね、クラス会で椅子取りゲームがあったのです。その時、真っ先に負けた生徒が最後まで残った生徒に罰として何か命令されるというルールが決められたのです。それで最初に負けたのがやる気のないコバ君で最終勝者が意気込んでいた松平さんだったのです」
「うん?それが汐恩の何に繋がるの?」
「最後まで聞いて下さいな。松平さんはコバ君に一年間女子を苗字でなく名前で呼ぶようにと命じたんです。クラスは面白がりました。コバ君はいじめられてましたからその延長で松平さんが公開でイジメをすると思ったんでしょう。男子もおかしそうに笑ってましたし、コバ君本人も嫌がっていました。しかしゲームのルールは絶対です。ゆえに私が率先して私の名前で呼ぶよう進言したのです」
「汐恩が?」
「最初は抵抗してましたけど、寸止めでコバ君の顔の前で拳を止めてからは大人しく従いました。それからですわね。以降コバ君は私だけでなく女子全員を名前で呼ぶようになったんです」
「ほへー、やるなあ、元」
秀晶は感心した。汐恩は手を止めて秀晶に向いた。
「何故そこで松平さんをお褒めになるのです?」
「あれ、もしかして汐恩、気付いてない?元、ヨシのイジメを無くすためにその命令を思い付いたんだと思うよ。誰だって名前で呼ばれれば親しく感じるもん。その頃からじゃない、ヨシのイジメが減ってきたのも?」
「そう言われれば確かに………いつの間にか女子も抵抗なく名前呼びを受け入れてますし」
汐恩はシャワーのお湯で髪を洗い流しながら理解した。
「ヨシね、元を結構評価してるんだ。あいつは馬鹿だけどカリスマ性が凄いって。聞いた話じゃ元、知り合い百人に声掛けて伊吹山にみんなで登ってお握り食べたって。元の事心底嫌ってる人間関小にいないんじゃないかな」
「ふん、友達なんて量より質ですわ。多ければ優れてるものでもありませんし」
「でも今回の茶屋比べはそうはいかないでしょ。お菓子作りもだけど、クラスの人集め、汐恩は何か考えてる?このままじゃ確実に負けるよ」
「それは………」
汐恩は蛇口を閉めて暫く黙ってしまった。そしてその答えから逃れようとタオルを髪に巻き、再び浴槽に浸かってきた。
「話は変わりますが、コバ君は本当に料理馬鹿なのだと昔から感じていましたわ」
「ん?」
「コバ君、数年前に廊下で数人の男子に囲まれて殴られていたんですけど、パンチを防御するどころか腕を後ろに組んでいたんです。まるでボクシングのサンドバッグでした。だから男子も好き勝手に殴り続けていたんです」
「そんな酷い事が!?」
「どこの学校にもイジメはあります。特に子供の場合加減を知りませんから。しかし、私はそういう大勢で一人を叩くのは卑怯だと思いまして、その男子生徒を全て投げ飛ばしたんです。古武術を喧嘩に使ってはいけませんと先生からは教えられてしましたが我慢が出来なかったので」
「ああ、その武勇伝は他の子から聞いたよ」
女子に武勇伝もどうかと思うけど、という続く言葉を秀晶はグッと飲み込んだ。
「でも私はいじめていた連中よりただ無抵抗に殴り続けられるコバ君に腹が立ちました。それで詰め寄って問い質したんです。『貴方は背丈もあるし反撃しようと思えば反撃出来るでしょう』と。そしたらコバ君は小声でこう答えたんです。『俺の手は料理をする手で人を殴る手じゃない』と。あれはきっとお母様の言い付けを守っていたんでしょうね」
汐恩は音依の「料理人はとても手を大事にする」という先程の言葉を思い出していた。
「それでも覇気無く項垂れているコバ君に私は顔を上げさせて言ってあげました。『うつむいてはいけない。いつも頭を高くあげていなさい。世の中を真っ正面から見つめなさい』と」
「へー、良い言葉だね」
「ヘレン・ケラーの名言です。うじうじと勇気無く下ばかり見ていては視野も狭く将来なんて見えませんもの。ただ、コバ君は私が男子を投げ飛ばした事で私に怯えてその言葉なんてすっかり忘れてしまっているでしょうけれど」
「あはは、ヨシ、汐恩が一番怖いっていつも公言してるからね」
「ふん、そうでしょうとも。間違っても私がコバ君を名前で呼ぶことは無いでしょう」
「え、どういう意味?」
「私、価値があると認めた方にしか名前で呼ばないと決めているんですの。先程も説明致しましたけれど晶さんは優秀さゆえ名前でお呼びしているのです」
「は?価値って何?」
「そのままの意味ですわ。人より優れた資質を持つ。それが私にとっての人間の価値です」
「じゃあ伊知花と咲良は友達じゃないの?茶会だって汐恩の味方に付いてくれてるじゃない」
「京極さんと小田さんですか?クラスメートではありますけどさほど能力も見当たらず価値となればはっきり申し上げれば無いですわね。今のところ良い人員にはなると思いますけど」
「人員って、あんた、あの子達を何だと………」
秀晶がむっとして反論しようとすると、ここで浴室の扉が勢いよく開いて、
「お待たせ、我が娘たちよー」
音依が浴槽にザブンと飛び込んできて二人にお湯をすくってバシャバシャ掛けた。
「ちょっと音依さん」
「きゃあ、な、何ですの、一体」
「あはは、娘、娘!」
音依は大はしゃぎで騒いでいた。
それからはもう浴室はお祭り状態になっていた。

「全く、疲れましたわよ、貴方のお母様には」
ダークグリーンのパジャマ姿でリビング椅子に深く腰掛けた汐恩に吉継は散々文句を言われた。
「………すまん。母さん、娘が欲しかったから」
大体想像が付いた吉継はスウェットの上にAJIDAS(アジダス)のパーカーを着込みながら謝った。そして当の音依は騒ぎ疲れてとっくに寝てしまっている。
「にしてもさ、汐恩のパジャマ、音依さんのにしては小さいよね。それに男っぽいし」
吉継の隣でローヤルすこやかを飲みながらジャージ姿の秀晶が振り返って不思議そうに聞いた。
「ああ、それ多分ジョルジャのだな。父さんの引き出しから出してきたんだと思う」
「ジョルジャ?」
「新開来栖(しんかいくるす)。父さんの前の子供だよ。今、イタリアに住んでて、ジョルジャは向こうでのあだ名」
「前の子供?」
「晶にまだ話してなかったっけ。俺の父さん再婚だぞ」
「え、え!!」
「そんなにビックリする事か?父さんは母さんより十歳年上だからな。父さんの最初の奥さん、来栖産んでから直ぐに病気で亡くなってさ。男一人で育てるのは難しいだろうって新開の家のイタリアの親戚が来栖を引き取ったんだ。それから何年か経って母さんと出会って結婚した。二度くらい来栖ウチに遊びに来たからその時のパジャマだと思う」
「何か、ヨシの家も複雑だねえ」
「来栖と一緒に暮らしてる訳じゃないからな、別に何とも」
吉継はゲーム機のセッティングをしながら淡々と答えた。
「コバ君、それは何ですの?」
興味をそそられたのか汐恩が聞いてきた。
「ん?プレステだけど。まだ寝るには少し早いから久し振りに遊ぼうと思って」
「へえ、それが噂に聞くゲーム機なんですか」
汐恩は機械に近付いてじっくり観察した。
「冗談抜きに知らないのか?」
「メディアでは拝見した事はありますが実際には今日が初見です」
「お嬢様にも程があるぞ、お前」
吉継は簡単にゲーム機について教えてやった。
「あ、そうだ。汐恩ならこれ気に入るかもしれないな」
吉継はそのままゲームをスタートさせた。
するとそれは「戦国無双4」で、吉継はとあるキャラクターを映し出した。
キャラは幼い声で喋った。「世界は不思議で美しいのじゃ!」
「な、何ですの、彼女は」
汐恩はツインテールの紫髪でゴスロリの衣装に身を包んだキャラクターが「やっちゃうのじゃ!」とか「スッキリなのじゃ♪」とか機嫌良く敵をなぎ倒していく様を見て驚いた。
「これ、細川ガラシャだぜ。強いだろ。結構気に入ってるんだ」
「電源オフ!」
汐恩は突然ゲーム機のコンセントをブチッと抜いた。
「うわー、何すんだよ、壊れるだろ!」
唐突なセーフモード画面に慌てる吉継に汐恩は言った。
「キャラがとても幼稚臭くて不愉快です。そもそもガラシャは戦う姫ではありませんし、ストーリーも背景も支離滅裂です。学習には不適当です」
「このゲームは教材じゃねえよ!あ、よかった。データ破損してなくて」
再度コンセントを付け直し、電源ボタンを入れて異常なしを確認した吉継は胸をなで下ろした。
「それより他に面白そうな種類はないのですか?私も体験してみたいです」
「………お前、全然反省してねえな」
「ねえ、ヨシ、三人で遊ぶなら『虎食え』がいいんじゃない?コマンドも簡単で初心者向きだし」
「そっか、トラクエがあったか」
「とらくえ?何ですの?」
「ああ、某超メジャーゲームのパロディーみたいなものかな。ワゴンで安く売ってたから試しに買ってみたら意外とハマってさ。プレイヤーも敵も全部動物なんだよ。ほら、これ」
吉継は動物達がラスボス風の虎と戦っているイラストが載っている薄い説明書を渡した。
汐恩はパラパラパラと指で弾くように中を見た。そして一分もしない内にそれを吉継に返した。
「はい、これで粗方理解致しましたわ。では始めましょう」
「今のでか!それに理解したって、お前ゲーム自体初めてだろ」
「このような薄いもの速読で読めてしまいますもの。それに機械は別にPCもスマホも普段から扱っておりますので私にかかれば難しいものではありません」
「まあ、そこまで自信があるなら試しにやってみるか」
吉継はディスクをPSに挿入すると二人に別のコントローラーを渡した。
「じゃ、俺は盗賊アルマジロをチョイスっと」
吉継はグルッと体を丸めたアルマジロを選択した。
「あはは、アルマジロ、宝物ハンターだもんね、ヨシにピッタリ。私はいつものフクロウ僧侶でいこっかな」
「危なくなったらいつものアカペラソングで回復よろしく」
「任せてよ!」
「………貴方たち楽しそうね」
置いてけぼりの汐恩が少し苛立ち気味に鼻を鳴らした。
「時間空いたら晶と結構やりこんでるからな。汐恩も早くキャラ選択しろよ」
「え、ええ。では私はオオカミ勇者で」
汐恩は二人の間に割り込んで中心に座った。
「え、汐恩、勇者に一匹属性のオオカミ選択するの?普通ライオンとかヒョウとかサーバルキャットとかだよ」
秀晶は説明書を指さしながら焦った。
「それは単に推薦というだけでしょう。私は私の好きに選ばせて頂きます」
「ちょっと汐恩さあ、少しは人の忠告を………」
「ま、晶、いいんじゃねえ。苦労はするけど攻撃方法によってはボスタイガー倒せるかもしれないぞ。俺達がサポートすれば何とかなるだろ」
「う、ヨシがそう言うなら、私はいいけど」
「じゃ、クエストスタートだな」
吉継達三人はコントローラーを握ってテレビモニターを見た。
そこは広い草原となっていてレッサーパンダとかツチブタが暢気に往き来している。
対して吉継は丸まってゴロゴロと転がり、秀晶はその上を低空飛行している。
「コバ君、どうして歩かないんですの。それに晶さんももっと高く飛ばないとマップ全体が見えないではありませんか」
「あのな、ゲーム始めたばかりだからたいした装備もないし、レベル低いからこうやってHP温存してんだよ。突然の攻撃からも身を守れるからな」
「丸まって隠れる所など貴方の分身みたいですわね」
「うるさいよ」
「それでも敵を倒せばレベルもスキルも上がるのでしょ。ドンドンと進めば良いではありませんか。とにかくあのうろうろしている動物達を狩ればよいのでしょう。では『白い牙』!」
汐恩はいきなり必殺技のボタンを押した。するとオオカミの牙がブーメランのように口から飛んで一度に三匹ものツチブタを切り裂いて倒した。
「あら、結構容易ですのね。これなら楽勝ですわ」
「おい、汐恩、一番格下に必殺技出してどうする!少しはHPとか考えろよ。半分以下に減ってるだろが」
「でもそれはこのツチブタを食べれば回復するのでしょ?」
「それはそうなんだけど」
「では問題無いではありませんか。さ、回復しましたしこの先の森へ参りましょう。大物が待ち構えている雰囲気がありますわ」
「汐恩、その森は油断しちゃダメだよ、そこには………」
ふんふんと鼻歌を歌いながら機嫌良く勝手に森へ向かう汐恩に秀晶は注意した。
すると森に入るやいなや枯れ葉が一面に舞い上がり無数の狸がわらわらと現れた。
「な、何ですの、これ!」
「だから気を付けろって言ったじゃない。狸の幻術だよ。どれが本物か分からないんだから。焚き火アイテムが無いと絶対勝てないよ」
案の定狸達が総勢で三匹に群がりボコボコにされ、「昇天しました」との文字が無情にも現れた。
「も、もう一度初めからやり直しましょう。ね?」
汐恩は最初のステージから始めた。しかし次も無鉄砲に水辺へ近付きハシビロコウに毒柿を投げつけられ全匹が死亡。三度目は氷山でレベル違いの皇帝ペンギンに単独で挑み平手打ちをされて、子供ペンギンに襲われまたしても全匹死亡。挙げ句の果てはナマケモノを侮って爪で攻撃され、秀晶が必死に回復呪文を唱えるも、汐恩の暴走で全匹昇天。
ラスボスタイガーに辿り着くどころかレベルすら一向に上がらない。
「これ、そもそもシステムが壊れているんじゃありません?」
イライラして汐恩はゲームに文句を言い始めた。
「………私、家に帰る」
すくっと秀晶が静かに立ち上がった。
え?と汐恩と吉継は秀晶を見上げた。そこには冷めた表情があった。
「信じられない、もう付き合ってられない。私はあんたの便利な駒じゃない」
「あ、晶さん?」
「仲間を仲間とも思わない汐恩に幻滅した。茶会の協力ももう止める。転入の時助けてくれたから良い友達になれると思ったけど私の勘違いだったみたい。理屈ばかりこねて人の気持ちも大事にしない。自分一人で生きていると思ったら大間違いだよ」
秀晶は失望の眼差しを汐恩に投げ付け、背中を向け部屋を出て行こうとした。
「お待ちになって、晶さん」
慌てて汐恩は秀晶の肩を掴んだけれども、秀晶はその手を振り払った。
「もう軽々しく名前で呼ばないでよ、細川さん」
仰々しく汐恩を苗字で呼んだ秀晶はそのまま振り向きもせず出て行き、「ちょっとここで待ってろ」と汐恩を制した吉継がその後を追った。
そうして十五分が過ぎた頃、吉継がパーカーのフードに雪を載せて部屋に戻ってきた。
「あの、コバ君、晶さんは………」
「送っていったから自分の家で寝てると思う」
「あ、あの、ごめんなさい………」
汐恩は正座して頭を下げた。
パーカーを脱いだ吉継はその前に屈んで言った。
「謝る相手を間違えてるんじゃないか、お前」
「う」
「晶から聞いたぞ、また友達の価値がどうのこうの言ったらしいな。仲間無くすからその考えは止めろって昔一度戒めたよな。どうしてわざわざみんなから距離を置こうとするんだ?」
「それは………」
「名家のプライドなんかじゃないよな。だったらお前は誰にも助けの手を差し伸べてないしもっと冷酷になってる。でもお前は時折とても優しくなったりするし、たまに意地悪に振る舞ったりする。まるで別の汐恩がもう一人いるみたいだ」
「ふふふ、ではもう一人の私は失格ですわね」
突然汐恩は手の甲に涙の粒を落とし、自虐的に笑って呟いた。
「一人で生きていると自惚れるなってお父様にも晶さんと同じに言われてぶたれたのに、何も学習していないのですから愛想を尽かされて当然です」
「汐恩」
「正直に申し上げますと私どうやって人と付き合って良いのか分からないんです。多分、幼少の時の母の裏切りにあってから誰も信用出来ないのだと思います。私はもう独りぼっちです」
すると吉継はこの時不意に長月が出したタロットの「隠者の逆位置」を思い出した。
誰かとつながりたい気持ちはあるけれども、自分を変えるくらいなら孤独を選ぶ。それがそのタロットの意味であった。
吉継は定めに逆らうように汐恩の悲嘆に暮れた顎をグイと持ち上げた。
「うつむいてはいけない。いつも頭を高くあげていなさい。世の中を真っ正面から見つめなさい。確かヘレン・ケラーの言葉だったよな。独りぼっちだと?お前には俺が見えてないのか?」
「コバ君………貴方、あの時の事覚えてらしたの?」
汐恩は虚ろな泣き顔を驚きに変えた。
「そりゃあ強烈だったからな。お前が男だったら大親友になれたのにと悔しかったよ」
吉継は手を汐恩の頭に載せかえて微笑した。
「でもお前が女でも俺はお前の友達のつもりでいる。俺に価値があろうがなかろうが勝手にそう思ってる。俺はお前を手助けするって約束した。そして絶対裏切らない。だからもう悲しむな」
「コバ君、ありがとうございます」
汐恩は口元を押さえた。
「そんな堅苦しくなるなよ。たまに見る不敵で意地の悪い汐恩の方が俺は好きなんだけどな」
「えッ、好きって………」
突如赤面する汐恩に吉継は急いで言い繕った。
「おい、変な意味じゃないからな。こう、何て言ったら良いんだ、そう!小悪魔的な人望みたいな」
ここで汐恩はクスクス笑い出した。
「それ褒め言葉なんですか?やっぱり貴方変です」
その角の取れた笑みを見て吉継は安心した。
「変で結構だよ。さて、それより先ずは晶との関係を修復しないと」
「ああ、そうです。どう致しましょう、私、晶さんを怒らせてしまって」
おろおろ戸惑う汐恩であったが吉継は気楽に伸びをした。
「それは意外と難しくないかもしれないぞ。但し、これから直ぐに汐恩の努力が要るけど、頑張ってみるか?」
「は、はい。必要とあれば是非に。何を致せばよろしいのでしょう」
「うん、それはな………」
吉継は汐恩にとあるプランを語った。

翌日三月五日の日曜日、昼のランチが終わったひすとり庵の中では秀晶が無表情で黙々と皿を洗っていた。忙しいから今週も昼間手伝って欲しいと吉継が頼むと、秀晶は不承不承に店に出てきてくれた。
そうしていつもように週末ラッシュが終わり、昼の営業が終わりの午後二時になって吉継は無人の店内を見渡した。高影は既に仕事を終えて中に引っ込んでいる。
「お疲れ、晶」
吉継は洗い物を終えた秀晶に労った。
「ん」
昨日の出来事を引きずっているのかタオルで手を拭きながら元気なくポツリと秀晶は呟いた。
こりゃ結構重症だな、と吉継は苦笑いした。
「そうだ、晶ちょっと今日の昼まかない、少し簡単な料理になるけどいいか?」
「別に何でもいいよ、ヨシも疲れてるだろうし」
「あー、そういう意味じゃないんだ。とにかくここへ座ってくれ」
吉継は秀晶の手を引くと無理矢理カウンター席に座らせた。
「な、何、急に」
「いいから、待っててくれな。直ぐ持ってくるから」
そうして小走りで吉継はバックヤードへ入っていった。それから三分程してトレーに載せたセット料理を運んできて秀晶の前に置いた。
「お待たせ。さ、食べてくれ」
「………食べてくれって、これを?」
秀晶は渋い顔でカウンター越しの吉継を見上げた。
目の前の料理は皿に載ったお握りが二つと、長方形の切っていない一本のままの厚焼き卵焼きと味噌汁であるが、どの料理も異様な空気を漂わせていた。
お握りは三角か丸か分からない程凸凹で形を留めていないし、味噌汁も切れずに中途半端に繋がった油揚げと太いままのワカメがビロビロと浮いている。そして卵焼きに至っては形がどうという前に真っ黒に焦げていた。
「ヨシ、私に怨みでもあるの?」
「ま、まあ見た目はともかく食べてみてくれよ」
「そりゃまあ、食べるけどさ」
怖々と秀晶はスズッと味噌汁から飲んでみた。
そして忽ちブハッと吐き出しゴホゴホと咳き込んだ。
「辛い。これ味噌入れ過ぎだよ。それに味噌溶け切ってないのがあってダマになってる」
「じ、じゃあ、口直しにお握りはどうだ。焼き鮭とツナマヨなんだけど。海苔が巻いてあるのがツナマヨな」
ヒクヒクと口元を痙攣させて吉継は勧めた。
秀晶は嫌そうな顔で奇妙な米の塊を見つめた。
「口直しって、余計悪化しそうなんだけど………」
「まあ、その、実検だと思ってさ、頼むよ」
「実験?何の?」
「それは後で」
「分かったわよ」
秀晶は焼き鮭の方を手に取った。ぱっと見、表面のご飯粒が潰れて糊の塊のようになっていて、この時点で美味しくないのが分かる。それでも一口食べてみた。案の定ヌチャヌチャと口にまとわりついてくる。折角の中の具材の焼鮭が美味しくても周りの米が死んでしまっていた。
「激マズイ」
と口にしたかったが、お握りはもう一つ残っている。一旦食べ残しを皿に置いて海苔が巻いてある方を今度は口で噛んだ。と直ぐに中から大量のツナマヨがばっと溢れて秀晶の手と口周りがベタベタの油まみれになった。
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