「汐恩ちゃん、よかったらマリアさんとの間で何があったか話してくれる?」
沈黙を破って音依が冷静に聞いた。
「え?いえ、これは細川の問題なので………」
「いいえ、マリアさんはシップスの一員ですもの。もし悪巧みを企んでいるなら私も無関係ではないわ。もし汐恩ちゃんの言う通りなら私も貴女の味方になってマリアさんの悪事を暴いてあげる」
「本当ですの!」
「ちょっと、母さん!マリアさんはそんな人じゃ………」
「ヨシちゃんは少し黙ってて」
「は、はい」
含んだ笑顔での威嚇に吉継は沈黙した。
「それで、どうして汐恩ちゃんはマリアさんが悪人だと思ったの?」
汐恩は少し視線を落として話し出した。
「実は私、幼い頃は病弱でまもなく脳の病気に罹ったんです。それも生死をさ迷うような」
「えッ、病弱?」
予想外の過去に秀晶は驚いた。
汐恩は息を吐いて秀晶をチラリと睨んだ。
「今の私はその病を克服してから体を丈夫にするために武術などに励んだのですわよ。話の腰を折らないで頂けます?」
「ああ、ごめん、続けて」
「私は今でも覚えています。手術が成功して自宅で療養する事となったのですが、そこにあの女の姿はありませんでした。そして使用人達の噂話を耳にしてしまったのです。何でも私の手術の寸前にスペインへ里帰りしたと。それも事もあろうに一ヶ月もの間バカンスへ出かけたというのです」
「は?マリアさんがか?」
吉継も驚いて聞き返した。
「そうです!思い出すのも忌々しいのですが、実の娘が生きるか死ぬかの瀬戸際だったのに自分はのうのうと遊び呆けていたのです!信じられますか!その証拠にあの女は真っ赤に日焼けした顔で細川家に帰ってくるなり遊び疲れて倒れてしまったのですのよ。私はその話を耳にしたとき腸(はらわた)が煮えくりかえりそうでしたわ」
「………ねえ、汐恩、それ、ホント?聞き間違いじゃ?」
秀晶が恐る恐る尋ねた。
「いいえ、状況証拠もありますわよ。暫くしてから私に会いに来たあの女狐はスペインの記念品だとか言って私の首に貝殻の首飾りを掛けようとしていたのですから」
「貝殻?そりゃあどんなんだ?」
この時吉継が不意に聞き質した。
「さあ、詳しくは覚えてはおりませんけど、白くて大きな貝でしたわね。どうせ遊び歩いていた地中海かどこかで買った安物でしょう。私、そんなもの掛けられたくなかったので振り払いました。床に落ちて粉々に砕けましたから良い気味でしたけど」
汐恩は吐き捨てるようにふんと鼻を鳴らした。
しかし何故か吉継は腕を組んで考え込んだ。
「………スペイン、貝殻の首飾り」
「どうかなさいましたの、コバ君?」
「あ、いや、それだけかマリアさんとの事?」
「ふふッ、それからがあの女狐の本性が出たのですわよ」
汐恩はニヤリと黒い笑みを浮かべた。
「私に腐った性根を悟られたのを理解したのか、あの女は意地悪をしてきたのですわ」
「どんな?」
「一度私に手作りの料理を御馳走したいと出したのが、驚きましたわ、何と『残飯』ですのよ」
「残飯を?」
今度は音依が反応した。
「はい、ボソボソのパン屑をかき集めたものを深皿に入れてドンと私の前に置いたのです。葡萄の食べ残しとか肉片とかも混ぜて。そこへ滑稽にも目玉焼きなんて載せてるんですのよ。人を馬鹿にするのにも程があります」
「うーん、パン屑に肉片って、マリアさんってそういう人だったんだ」
秀晶も驚きつつ苦い表情をした。
「でしょう!ある意味虐待ですわよ」
「ヨシはどう思う?」
秀晶は吉継に話を振ったが吉継は必死に何かを思い浮かべようとしていた。
(待てよ。そのパン屑って確かどこかで………)
しかし曖昧で明確な記憶が出てこない。汐恩は吉継を無視して最後に言った。
「それが嫌がらせてあるのは一目瞭然でした。悔しいやら腹立たしいやらで私それもひっくり返してやりましたわ。それからは私スペインに関わる食べ物は一切口にしなくなったのです」
「スペイン?」
「何でも故郷の料理だと丁寧に嘘までついてましたわよ。どこに残飯を堂々と娘に料理として出す国がありますか」
(貝殻の首飾り、パン屑。まさか!)
その時はっと吉継の頭の中で様々な情報が繋がった。
「おい、汐恩、お前、とんでもない勘ち………」
が、このとき音依が吉継の口の前に前に掌を突き出した。
「ヨシちゃん、ストップ。それ今言っちゃ駄目」
「え、だってこのままじゃ」
どうやら音依も何かを察したようであったがそれを制止された吉継は戸惑った。
「そうだ。ねえ、汐恩ちゃん、今度の水曜日の夜、ここに夜ご飯食べにいらっしゃいな。ヨシちゃんがそれまでに材料を用意して美味しいものご馳走してくれるそうだから」
音依は吉継に意味ありげなウインクした。
吉継はそのサインの意味を即座に理解した。
「そうですの、コバ君?」
「ああ、この世の中でお前が食べた事のない最高の料理を作ってやるよ」
「ではあのオムレツを超える一皿なのですね。楽しみにしておきます」
するとと、ここで汐恩の腹からグウという音が漏れ聞こえた。
「あら、嫌ですわ。失礼を致しました」
安心して食欲が出たのか空腹を知られた汐恩は顔を真っ赤にして俯いた。
「汐恩ちゃん、夕食まだ食べていなかったの?」
「あ、はい、それどころではなかったので」
「なら丁度良かったわ。私達晩ご飯今からなのよ。よかったら一緒に召し上がってらっしゃいな。それと今日は天気もこんなだしウチに泊まっていくといいわ。晶ちゃんも泊まり組だし、ね?」
「あ、それは大変有り難いのですが、迷惑ではございませんか?」
「ウチは大歓迎よ、今日は娘が二人に増えたみたいで嬉しいもの。じゃあ忠時さんへ連絡しておくわね。ヨシちゃん、その間に冷凍ご飯レンジで全部温めておいて」
「冷凍ご飯を?」
「そ、リメイク料理用にね。よろしく」
音依はスマホを持つとリメイクという節だけを強調してバックヤード奥へ消えていった。
リメイクとは「作り直す」という意味である。吉継はそれを聞いて音依の裏の企みにピンと来た。
「了解、母さん」と小さく呟くと吉継はラップしてあるご飯の塊をいくつかレンジにかけ始めた。
奥からは音依が忠時と何か話し合っている声が小さく聞こえてきた。
吉継は次に冷蔵庫からエビやイカなどの魚介類と鯖の切り身を取り出しキッチンへと運んだ。
そこへ丁度音依が満面の笑みで戻ってきた。
「汐恩ちゃん、お泊まりの連絡しておいたからね。警察へ捜索願が出される寸前だったみたいよ。忠時さんも大層心配していたわ。泊まるなら行儀良くしなさいって伝言を預かったわよ。明日は日曜だから夜に迎えにみえるそう」
「そうですか。率爾(そつじ)ながらかようなご迷惑をおかけした事まこと失礼致しました」
怒りを収めた汐恩はいつもの通り背筋を伸ばして深々と頭を下げた。
音依は笑って手を振った。
「あはは、汐恩ちゃん、ここは公の場でもないしもっと砕けていいのよ。そんな畏まった態度に出られる高級店ではないからね。さて、そろそろ料理を始めましょうか」
「あれ、母さん手伝ってくれるの?今日は俺の賄い当番なのに」
「これだけの食材を短時間で一人で料理するのは二人の美少女の空腹を長引かせてしまうもの。それは罪というものよ。ね?」
音依は汐恩と秀晶に笑いかけた。
二人は少し間が悪くなって視線を外した。
「母さん、クラスメートをからかわないの。で、結局何を作るの?」
「うーん、そうねえ」
音依は食材を暫し眺めてからとある提案をした。
「あ、そうだ。久し振りに師弟対決しましょうか?お小遣いアップをかけて」
「今から?」
突然の申し出に吉継は戸惑った。相手は母であるが一度も勝利した事のない、周りからオールラウンダーと崇められる師匠・小早川音依である。
「そうよ、審査員は汐恩ちゃんと晶ちゃん。いつものルールで一票でもヨシちゃんに票が入れば引き分けで五千円。二票だと、今晩は特別二万円」
「二万!!ホント?」
「やる?その代わりご飯が主役で制限時間は三十分よ」
「やります!」
ヨシは短時間にも関わらず躊躇わずに即決した。
「あはは、ヨシは相変わらずお小遣いに目がないねえ」
半笑いする秀晶に吉継は肯定した。
「そりゃそうだろ、こちとら金吾の金遣いの荒さのせいで貯まらないっての。いい加減大きな金額が欲しいからさ」
「キンゴ?誰です?」
不思議そうに汐恩が問い掛けた。
「あ、いや、何でもないよ」
焦って吉継と秀晶が同時に首を振った。
「晶さんまで何ですか?」
じっとより不可解な眼差しを向ける汐恩に誤魔化すように吉継は尋ねた。
「それより汐恩は何か食べたいジャンルはあるか。和食とかフレンチとか」
「そうですわね。出来れば和洋折衷のような面白いものであれば」
「了解。晶は鯖で良かったんだよな」
「うん、更に和洋折衷のような面白いものであれば」
「ハイハイ」
師弟対決は弟子の吉継が食材を先ず選択する事が出来る暗黙のルールがある。吉継は食材を前にして暫く考え込んだ後、温めたご飯と、鯖の切り身・生姜・レタス・レモンを選んだ。
「あら、ヨシちゃん、それだけでいいの?」
「へへへ、ちょっと思い付いた策があるんだ」
「そう、じゃあ私は遠慮無く残りの食材を使わせてもらうわね」
音依はエビとイカ、そして外国の野菜などを自分のまな板へ持っていった。そして姿勢を正し、
「さて、お二方、これより我等ひすとり庵のシェフ両名が腕によりを掛けて料理をお作り致します。題は『誰か助けて隣の冷やご飯』対決です。どうぞご堪能下さい」
と恭しく頭を下げたが、秀晶は心中で「相変わらずのネーミングセンスの無さだなあ」と笑っていた。
「ではクッキングスタート」
音依の掛け声と共にキッチンの二人は驚くべきスピードで調理を始めた。
音依は手早い魚介の下拵えと共に真っ赤なソースを作り、吉継は鯖の骨抜きと合わせ調味料を合わせつつ、フライヤーの温度を計っている。
「まあ!」
二人の華麗な動きに汐恩は見惚れていた。
そんな汐恩に秀晶が言った。
「汐恩、これがカウンター席の魅力だよ。シェフは俳優、私達は観客。まるで演劇の舞台見てるみたいでしょ?」
「え、ええ、そうですわね」
「でもテーブル席ではそれは絶対に味わう事は出来ない」
「あ………」
「料理人がお座敷で料理する事もあるけどそれはある程度の下拵えが出来てから。でもカウンターは違う。キッチンで調理する料理人もお客さんに一から十まで、それも一挙手一投足見られているからいつも真剣になる。とある食材がみるみる内に一品の料理へと変化していく。見てて楽しいし熱意が伝わってくるよ。ここは客と料理人が一体となる特別席なんだよね。それでも汐恩はテーブル席が良い?」
「それは、もう違います」
秀晶は責めているのではないけれど、汐恩は初めて店に来た時、カウンター席を貶した自分の言動を思い出して途端決まりが悪くなった。
「違うなら良かった。ねえ、汐恩この際だから色々聞きたいんだけど」
「何でしょうか?」
「ヨシから情報で汐恩が忠興嫌いなのは知ってるけど、やっばりガラシャの幽閉が原因なの?」
すると汐恩は冷徹な眼差しを向けてそれを認めた。
「もちろんです。同じキリスト教者であった高山右近は清廉潔白な方でした。それに比べて忠興は五人も側室を持つと言い放つなどとても正気の沙汰ではありません。けれど、それだけではありません。自分の子供達への酷い扱いも要因の一つです」
「子供?」
「忠利公以外に子供がいたのは御存知ですわよね」
「えっと、長男の忠隆(ただたか)とか次男の興秋(おきあき)とか、全部で六男四女だっけ?」
「そうです。長男は関ヶ原の折、母であるガラシャが亡くなったのに対し、同じ場所にいた忠隆の嫁である千世が逃げたのを庇った事で廃嫡(はいちゃく・跡継ぎを断念させられる事)、次男の興秋は三男の忠利公が嫡子に選ばれた事で自暴自棄になり大坂の陣で豊臣方に味方した事で父親から責任を取らされて自害。家康が許すと言ったにも関わらずですよ。これらは忠興に寛容さがあれば全て丸く収まっていたのです。乱暴で粗野で自分勝手でとても好きになれません。だから私は正直その祖となった熊本も熊本料理も好きではないのです」
「えー、勿体ない。私昔熊本にお父さんと一緒に遊びに行ったけど色々野菜とかの料理あって美味しかったよ。馬刺しとかも」
「全く興味ございません」
「じゃあ今度の和菓子も熊本に関係するものは嫌なの?」
「出来れば使いたくありませんわ」
(ありゃあ、これは根っこからコジレ系だわ。茶会大丈夫かな)
秀晶は途方に暮れた顔を更に歪めた。
「さて、お待たせしました。出来上がりましたよ」
二十分も立たない内に音依が料理を仕上げてきた。
「少し飛び散るからこれを着けてね」
音依は紙エプロンを渡してそれを首から垂れさせると、カウンターに二人分の石で出来た器を置いた。中には小さめの揚げたお握りが三つと大きく割れた薄い茶色の煎餅のようなものがバラバラと散りばめられていて、器自体も高温で熱していたためかジクジクと中身が焼けている音が聞こえている。
次いで音依は両手に持った二つの湯気の上がった手鍋から熱々のソースをその器の中に、
「イッツ・ショータイム!」
と注いだ。
するとジュワワワと激しく汁の弾ける音と湯気が辺りに立ち上った。
「ひゃあ!」
二人はビックリするのと同時に興味を持って器の中を覗いた。
そこには揚げお握りが半分程浸かった赤いソースに剥いたエビ、四角くカットされたイカとムール貝に、煮込まれた色取り取りの野菜がミックスされていて、ソースの飾りとしてイタリアンパセリの葉が何枚か載っていた。
「『イタリアンお焦げ』よ。さあ、お熱い内に召し上がれ。火傷しないようにね」
二人は音依からスプーンを渡されると先ずソースをすくってフーフーと冷ましながら一口飲んだ。
途端トマトの酸味に魚介の複雑な旨味がじっくり絡んできた。
「ま、これは何と絶妙なトマトソースなんでしょう!」
汐恩は驚いて二口目を飲んだ。
音依は簡単に説明した。
「それはエビ・貝・魚のアラから取ったフィメにイタリアントマトの水煮と細かく切った野菜と共に煮込んだスープ・ド・ポワソンにとろみを付けたものなのよ。今度はご飯を崩してその中身と他の具材とをソースに絡めて食べてみて」
「はい」
汐恩は音依の指示通りにご飯にスプーンを入れてみた。そうすると中から白い液状のものがトロリと流れ出てきた。汐恩はそれを揚げた米とエビ・イカと共にすくって口に入れた。
「ああ、何という素晴らしいハーモニー」
口一杯にソースの旨味とそれとチーズのコクが混じり合った。
カマンベールチーズに似ているがそれより苦味がなくクリームのように滑らかである。
病み付きになりそうな味に堪能しつつ汐恩は尋ねた。
「このお握りの中のチーズは?」
「それはイタリア・トスカーナの白カビチーズ『グッチョ』よ。ヒツジと牛の生乳のブレンドチーズなんだけど、ミルクが濃縮したような感じでしょう?」
「ええ、まさに。でもそれだけではありませんわ。もう一つ別のチーズの味がしましたもの」
「それならこれだよ、汐恩」
秀晶が先程の割れた煎餅のようなピースをスプーンに載せて見せた。
「焼きチーズだよ、食べたことない?」
「焼き、チーズ?」
「やっぱ知らないか?ピザ用の溶けるチーズをフライパンで焼くとこんな風にパリパリになるの。おやつとかにもいいんだよ。でもさすが音依さん、揚げお握りにしたお焦げだけじゃなくチーズまでこんなのを使うなんて発想」
「ふふッ、ありがとう。これはイタリアのRisotto al salto(リゾット・アル・サルト)っていうリゾットのお焦げを大きくアレンジしたものなの。ただ焼くだけじゃつまらないから中にイタリアンチーズを入れてトロトロと焼きチーズでサクサクの食感を二つ同時に楽しめるようにしたのよ」
「具材も美味しい。イカだけじゃなくてムール貝とか手長エビとか。野菜も日本の野菜じゃないし」
「トレヴィーゾっていうチコリとズッキーニ、セロリ、ペペローニ(パプリカ)、カブの仲間のコールラビ、イタリアンカリフラワーのカーボルフィオーレを使ってるから魚介の風味を損なわないようにあっさりした味に仕上げてあるのよ。美味しい?」
「それはもちろん。やっぱり音依さんの料理は凄いな~。こんなのを簡単に作っちゃうんだもん」
秀晶は感心していたが隣の汐恩は無心にパクパクと食べて瞬く間に器は空になった。
「はあ~」
満足して思わず長い溜息が漏れた。
「その食べっぷりなら気に入ってもらえたみたいね」
音依が微笑むと汐恩はかっと顔を赤くした。
「申し訳ございません、はしたなくも」
「どうして謝るの?私は空になった器とお客様の満足そうな表情を見るのがとても嬉しいの。その二つはこの手で作った品を美味しく食べてもらえた証」
音依は目を軽く閉じて両掌ですくうような形を作った。
「手?」
「この手は料理を作る器官であるけれど、お客様の喜びを受け取る器官でもある。つまり料理人の手は心と同じ。だから私達料理人はとても手を大事にするのよ」
「手を大事に………」
汐恩はすると調理に没頭する吉継を凝視した。
「ヨシちゃん、まだ?もうそろそろタイムリミットよ」
「ほい、今出来たよ!」
吉継はするとソフトボールを少し平たくしたような大きさの料理を白いワックスペーパーに包んで、カウンターのトレーに置いた。
「お待たせしました。『ライス・さばーガー』です」
「ライス?さば………?」
聞き慣れない名前に目をパチクリしてどうしていいのか迷う汐恩に吉継は言った。
「クラス全員で一回隣の垂井町へバーガー食べにいったろ。あれだよ」
「ではハンバーガーなのですか、これは?」
「いいから開けてみろって。紙は半分だけ開けて中身がこぼれないように下は受け皿にしてくれな」
「あ、はい」
汐恩はペリペリと紙をめくった。
そこには黄かがった茶色に焦げた丸いライスバンズに二種類の濃い茶色の中身が赤めのソースとレタスに挟まって三層に見えた。
「パンでなく焼き飯ですの?中もパティでないようですが」
「肉じゃないけどバーガーの一種だよ。とくかく温かい内に食べてくれ」
「うう、口を大きく開けるなど下品な………ナイフとフォークはございませんの?」
「無い!こういうのは大口で食らいつくのがマナーなの。ほらさっと食べる!」
「仕方ありませんわね、では」
汐恩は出来るだけ小さな口でバーガーを頬張った。
モチッ・シャクッっという二つの米の感触と揚げた魚の風味とそれをまとう辛口のソースが舌に襲ってきた。
「ん、辛い!」
想像していなかった辛みに汐恩は驚いたが、噛んでいる内にその辛さが甘みへと変わっていく。
「わーい、中身、鯖竜田だ!」
秀晶は喜びを露わに食らいついていた。
「鯖竜田?」
バーガーを手にしたまま汐恩はカウンター越しに立つ吉継を見上げた。
吉継は説明した。
「臭み抜きした鯖を生姜醤油に漬け込んで片栗粉をまぶして油で揚げた物だよ。それと多めのフライドオニオン(揚げタマネギ)とレタスを具材にしてそこにスイートチリソースをかけてあるんだ。辛さとマイルドさと酸味を足すために少し一味マヨネーズと極薄のレモンスライスをプラスしてある」
「しかし何かカレーの風味も致しますわよ」
「それはライスバンズを作るときにカレーパウダーを混ぜてあるからだよ」
「あ、でもこれ、カレー粉だけじゃないよね」
秀晶がモグモグしながら聞いてきた。
「よく分かったな。だし粉と醤油とみりんと煎りゴマを混ぜてあるから和風カレーバンズにしてあるんだ。ほら、晶、カレーうどん好きだろ?そこからちょっとひねってみた」
「わ、覚えててくれたんだね。ありがとう」
秀晶は機嫌良く笑った。
「ホントこれ美味しいよ。鯖竜田にスイートチリ和えてあるのもそうだけど、タマネギ揚げてあるからサクサクと歯触りも良くていくつでも食べれそう」
「しかしながらこのバンズ、いくら両面を焼いてあるとはいえ、よく崩れませんわよね」
汐恩は食べてもへたらないバンズを不思議そうに観察した。
「それは丸型に入れたご飯を堅めに押さえつけて成形してるのはもちろんだけど、ご飯を混ぜる時に繋ぎとして片栗粉(または小麦粉)を入れてあるからさ。だからどの家でも簡単に出来るんだ」
「なるほど、そうでしたの」
そうして汐恩は早々に完食した秀晶に続いて全て食べ切った。
「さてそろそろ判定にまいりますか」
音依は二人にジャッジを促した。
「私のが美味しいと思ったら左手、ヨシちゃんのだったら右手を挙げて頂戴ね。では、ハイ」
すると汐恩は左手を、秀晶は右手を挙げた。
「おっしゃ、五千円ゲット!」
吉継は思わずガッツポーズを作った。が、即座に汐恩が、異議ありと再度挙手した。
「異議?」
「歓喜するコバ君には申し訳ありませんが、どう見てもこれはお母様の勝ちだと思います。晶さんは鯖が好きという理由でコバ君を推しているだけです。その根拠はとても貧しいです」
「ちょ、汐恩、何で人の判定に文句付けてるのよ、私は純粋にヨシの方が美味しいと思ったもん。それにヨシは私の好みの味付けをしてくれたんだから」
「そうでしょうか?お母様の料理には最初に弾ける音とその時に放たれる香ばしい香りがありました。チーズの二種の食感の違いもさながら、時間と共にパリパリとした揚げお握りがスープによってしっとりと変化していきました。それに対しコバ君の料理はフライドオニオンのサクサク感はありましたが、全体的にスパイスが混在しすぎて纏まりに欠けていたと言わざるを得ません」
「な、ヨシのはそういう理屈じゃないもん!」
「ならばもう一つ。注目すべきは料理の温度です。お母様の料理は焼いてあった石焼きの器で最後まで温かかった。こんな寒い日には最適のお心遣いです。逆にコバ君の料理は辛いソースで熱いように感じてもそれは所詮一時的。食していくうちにどんどん温度は下がっていました。これが決定的な両者の差です」
「うるさいうるさい、美味しいったら美味しいの!」
理路整然と意見を押し通す汐恩に秀晶は苛立って喚いた。
「それは単なる感情論です。冷静な分析無くして判定は出来ません。晶さんは審判には不向きです」
「汐恩、あんたねえ!」
「ストップストップ、喧嘩は止め!」
吉継は二人に掌を向けた。
「でも!」
「悔しいけど汐恩の言う事は間違っちゃいないんだ。五感をフルに活用した母さんの料理は凄いと思う。万人に判定してもらっても俺は完敗しただろうな」
「それじゃあヨシが………」
吉継はポンと残念がる秀晶の頭に手を置いた。
「晶が美味しいって喜んでくれただけで作り甲斐があったよ。ありがとさん」
「あら、ヨシちゃん、それじゃあ負けを認めちゃう事になっちゃうわよ」
音依が、いいの?と確認した。
「仕方ないよ、お焦げ作られた時点でやられたなと思ったから。良い勉強になったしね」
「うー、納得いかない」
秀晶は半眼で汐恩を睨み付けた。
「何ですの?では私がコバ君に五千円払えばよろしいのですか」
「あのね、そういう事じゃなくてさあ!」
「まあまあ、晶ちゃん、ヨシちゃんも合点してるんだから。それより三人でお風呂に入りましょう。ウチのお風呂そこそこ広いから温まるわよ」
「なら俺ここの後片付けしておくから。先に風呂済ませておいてよ」
吉継は一服にお茶を飲みながら言った。
「何ならヨシちゃんも私達と入る?」
ブーッと吉継は吹き出した。
「母さん!何馬鹿言ってんの!」
「あらら、照れてるの?昔はよく一緒に入ったじゃない」
「いくつの時の話だよ。もういいから早く行きなってば」
「ハイハーイ、じゃ後はお願いね」
音依は二人を連れて本宅の方へ向かっていった。

(き、気まずい………)
順に体を洗い終わり、檜造りの浴槽に並んで浸かっている秀晶は隣の汐恩をちらりと見た。
アップにした髪をタオルでくるんだ汐恩はただ黙って目を閉じている。
音依は着替えようとした直前に仕入れ先の業者から電話が入り、「ごめん、二人は先に入っててね」とどこかへ行ってしまった。
秀晶は口まで湯に浸かりブクブクと泡を立てて汐恩について考えていた。
自分との関係は友達ではあるけれども、親友という程ではない。ライバル視されているのは知っているとはいえ正直汐恩の内実は良く分からない。
決して悪い人間ではないのも知っている。誰かが困っていたら手を差し伸べる様子も何度も見てきた。吉継から転校の時のもめ事の解決に汐恩が陰ながら導いてくれた裏事情も聞いたし、壊された傘と隠された上履きをクラスに呼びかけて元に戻させたのは汐恩であったのも教えてもらっていた。
かといってそれ以上昵懇な関係になる事もなく、現在に至っている。
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