「うーん、北野茶会での有名な菓子なら『麩の焼き(ふのやき)』か『長五郎餅』・『加茂みたらし』・『真盛豆(しんせいまめ)』だな。大名では信長の『カステラ』・『ボーロ』・『金平糖』・『有平糖(あるへいとう)』、秀吉は『ウグイス餅』、家康絡みなら塩瀬の本饅頭、石山本願寺が信長との籠城戦の時に開発された『松風』、六角承禎(じょうてい)の『うばが餅』、伊達政宗の『ずんだ餅』、藤堂高虎の『なが餅』、上杉謙信の川渡餅(かわたりもち)、加藤清正の『朝鮮飴』、毛利輝元の『川通り餅』、島津義弘の『あくまき』、山内一豊の『梅不し(うめぼし)』・『芋けんぴ』、探し出せば切りが無いぞ」
「絞り込むのは難しいね」
秀晶が腕を組んで難しい顔を作った。
「晶、さっきの秀吉の北野茶会でさ、幽斎と真盛豆のこんなエピソードがある。秀吉がその豆を食べて、『茶味に適す』と賞賛すれば幽斎は、『君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔のむすまめ』と咄嗟に機転を利かせて返してるんだ」
「へえ、『むすまで』と『むすまめ』をかけてるとはさすが歌人大名、洒落てる~!」
「丹後田辺城籠城の折にも幽斎が戦死すれば授かった古今伝授(こきんでんじゅ・古今集の中の特定の語句に秘められたとされる権威ある歌道伝授の奥義)が廃れるからと後陽成天皇が勅命を出して西軍に停戦を命じて幽斎の命を救い出した程だからな」
「それはそうとコバ君、それらの有名所の菓子は大抵大茶湯で販売されるものばかりでしょう?私は私だけのオリジナル菓子が欲しいのです」
「それでは漠然としすぎてる。もっと具体的に提案してくれないと」
「それは仰る通りなのですけど………そうです!先ず実際お父様の出される菓子と私の茶を召し上がって頂くのは如何でしょう。何かヒントになるかもしれません」
汐恩は両手を合わせて二人を見た。
金吾は賛同した。
「確かに汐恩の点前を見てみるのも何かの思い付きになるかもな」
「でしょう!では早速用意致しますわね」
汐恩はいそいそと二人に懐紙と黒文字(くろもじ・茶道用の太楊枝)を渡すと点前を始めながら「お菓子をどうぞ」と蓋付きの漆塗り菓子椀を銘々に差し出した。
二人がその蓋を揚げると中には細川家の九曜紋が刻印された、赤茶色いゼリーをざらざらした薄いウエハースに似た短冊状の菓子板で挟んだ白い菓子が見えた。
「これは加勢以多(かせいた)か?」
「さすがコバ君、御存知でしたか」
「ああ、朝鮮飴と並んで熊本を代表する銘菓だからな。菓子舗『香梅』さんのこれは真っ先に調べたよ」
吉継は汐恩を見た。驚いてはいるが、何故かどこか冷めている印象を受けた。
「カマちゃん、加勢以多って何?」
秀晶が隣に首を向けた。
「カマちゃん?」
不審げに汐恩が反応した。
「あ、いや、釜の湯が沸いてるって思ったら、あはは」
「気が漫ろです。しっかりして下さいませ、晶さん」
汐恩が目を細めて注意した。
【晶どの、吾はもう霊依を解いておりますゆえ】
アルス・マグナで金吾が語り掛けてきた。
【え、じゃあ今の言葉はヨシなの?】
【左様、後は主に任せるでござるよ】
「晶」
元に戻った吉継が話し掛けてきた。
「加勢以多はカリンに麦芽糖、水飴、寒天を加えたジャム状の果実羹を餅粉でつくった玉川と呼ばれるおぼろ種で挟んだ銘菓だ。名前はCaixa da marmelada(カイシャ・ダ・マルメラーダ)、『マルメロの砂糖漬けの箱』というポルトガル語から取っている」
「マルメロ?」
「マルメロはカスピ海と黒海の間にあるコーカサス地方原産のバラ科の果物だ。秋が旬で、日本じゃ黄色く、洋梨のような形が似てるから西洋カリンと呼ばれていて僅かながら長野、東北、北海道などで栽培されている」
「マルメロ、聞いたことない果物だね」
「はは、でも関連した食べ物なら晶もよく知ってるぞ。ジャム系で」
「え?私そんなカリンのジャムなんて知らないよ」
「給食にも出てくるだろ。ほら、パンとかに塗るものといえば分かるだろ。マルメロのジャム、マルメラーダがなまれば………」
「マルメラーダ、マルーメーラーダ、あッ、もしかしてマーマレード!?」
「正解。今はオレンジが主流だけど元々はマルメロが元祖でマーマレードになったって説が有力だ。スペイン語ではMembrillo(メンブリージョ)って言う」
「メンブリージョ?」
「正確にはDulce de membrillo(ドゥルセ・デ・メンブリージョ)またはCarne de membrillo (カルネ・デ・メンブリージョ)。マルメロの実を砂糖で煮詰めて固めたオレンジ色の菓子だよ。今でもスペインでは人気だ。薄く切ったチーズとかクルミとかで一緒に食べたり、ワインのおつまみにも食べられてる。肉料理の隠し味なんかにも使われるよ。アミグダリンという咳止めや抗炎症成分を含んでいて薬としての作用もあるからヨーロッパでは王様への献上品だったんだ」
「へえ」
「日本へは宣教師が持ち込んでそれが熊本藩にも入ってきた。当時の日本では『榲(おん)ほつ』と呼ばれてた記録がある。とにかくマルメラーダを気に入った細川忠興はそれを茶席菓子として幕府や朝廷へ献上した。それが加勢以多の始まりだ。一時は廃れたけど現在は復刻されてこの菓子になっている。ただし、中身はマルメロ羹でなくカリン羹に代わっているけどな。そうそう、マルメラーダを好んだ忠興はマルメロの木を育てようと奮闘してて………」
「講釈も結構ですけどそろそろ召し上がって頂けませんか、お茶を点てたいと存じますので」
少々歯痒い声で汐恩は進めようとした。
「あ、ああ、そうだな」
吉継は懐紙の上に菓子を取ると黒文字で切ってそれを口にした。
「お、甘いんだけど仄かに甘酸っぱくて。サクサクと歯切れも良いし美味しいな」
「あ、私もこれ好きな味。まろやかで紅茶にも合いそう」
しかし、汐恩は無反応で茶を黙々と点てていた。
【あれは男点前であるな】
金吾が唐突に言った。秀晶が加勢以多を口の中でモグモグしながら聞いた。
【おとこてまえ?】
【三斎流には本来女性(にょしょう)が点てる、大袖の袂をかばうなどの姫点前がある。汐恩嬢は吾らに分かりやすいよう変えているのやもしれぬ。それ、茶巾も大茶巾で、手の動きは親指を隠した拳固、柄杓の使い方も他の流派に比べて直角的で硬い。帛紗(ふくさ)も右腰に挟んでいる。三斎流が武家茶道と呼ばれるゆえんじゃ】
汐恩は手慣れた所作で茶筅でシャカシャカと掻き回している。
【作法は?俺三斎流のは知らんぞ】
【それは大事ない。茶碗を回さない以外は他とさほど変わらぬ。それ、お嬢が点て終えたぞ。吾が改めて指導するゆえ主はそれに従えば良い】
すると汐恩が茶筅を置いて点てた茶碗を吉継の前へすっと差し出した。
【よいか、主、いきなり飲まず、晶どのとの間に茶碗を置き、『お先に』と晶どのに軽くお辞儀する。それから自分の膝の前に置き直し亭主に『お点前頂戴します』と挨拶する。それから左手で椀を持ち少し掲げるようにしておし頂く。よいか、この時他流派の様に決して茶碗を回してはならぬぞ】
吉継はとにかく金吾の言葉通りにした。
【そして最後は音を立てて吸い切るのじゃ。そして人差し指と親指で飲み口を拭って、その指を懐紙で拭き取る。それから茶碗を元の位置に置き直して腰を曲げるようにして茶碗を眺めて元に戻る。それで終わりじゃ】
【サンキュー、金吾。無事飲み終えれたぞ】
【うむ、それは重畳(ちょうじょう・満足の意味)。はは、汐恩嬢を見てみい。何故自分の流派の作法を知っているかとの魂消(たまげ)た顔をしているであろう。些か溜飲(りゅういん)が降りたわい。これで主の面目は立ったし………ん?晶どの、ぽけっとして如何した?】
金吾は不思議そうな表情で吉継を見ている秀晶に気付いた。
【え、ああ、うん。抹茶って薄茶も何人かで回しのみするものばかりと。ほら、刑部の逸話がさ】
【主、その話はもう止めて下され】
苦々しい声で刑部が閉口した。
【あはは、ごめん】
謝る主人に対して刑部は丁寧に説明した。
【主の申されるのは濃茶で、それは確かに人数分を少しずつ回し飲むのでござるが、大茶会のような場には一人ずつ点てる薄茶でないと効率が悪うござる。そもそも利休どのの時代まで薄茶を正式に点てる事もなく、薄茶と申せば、品質も悪く『詰め茶』と呼ばれておった。主は薄茶と濃茶は単に湯の量の違いと思うておられぬか?】
【違うの?トロリとサラリみたいな】
【点て方としてはそれで正しい見識にござるが、栽培法から異なるのでござる。濃茶は樹齢が三十年以上の古木の新芽を使い、よしずと藁を使い直射日光を遮る。そうするとぐんと旨味が増す。比べて薄茶は若い樹齢の芽を使い覆いも濃茶ほど気を遣わぬ】
【へー】
「晶さん、如何なされたの?」
何も動かないように見えている秀晶に汐恩は喫茶を促した。
秀晶は慌てて吉継と同じように飲んだ。
「それで何か思い浮かびまして、コバ君?」
「レンジでチンするみたいな気軽なノリで言うな。そんな簡単に思い浮かぶなら苦労しない!」
吉継は直ぐに突っ込みつつ追加で聞き出した。
「それより元達がどんな菓子を作ってるか知らないか?」
「それは私も聞いておりません」
ここで秀晶が考えて発言した。
「元と長月が作りそうなのだったら桃大福とか?」
「桃大福、何だよそれ?」
「家康好きな元なら桃配山だから。で、イチゴ大福みたいに桃の実入れて、とかさ」
「うーん、それは多分ないな。仮に元が思い付いてもクロが止めるだろう」
「どうして?」
「おやつ感覚で食べる分には構わないんだけど、抹茶と合わすにはそれは難しい。戦国期には果物とか椎茸とか昆布みたいなのも出されたけど、今の時代は水分が多い菓子は食べる時に溢れるから不向きだとされてる。むしろ水気は少ない方がいいんだよ」
「そっか」
秀晶は腕を組んで考え直した。
「じゃ、ニンニク味噌饅頭とか作る?」
「は?ニンニク?」
「ほら、ヨシさ、前に忠興が誰かから手作りのニンニク味噌貰って喜んでたってエピソード話してたじゃない?」
「いや、さすがに茶席にニンニクの臭いはマズいだろ」
「うーん、なら『にんじん酒』使うとか?忠興が愛飲してたの」
「………あ、晶、忠興の話はその辺で」
吉継が黙ったままでいる汐恩の様子を窺って秀晶の発言を制した。
すると突然、躙り口がカラッと開いた。
「オラ!ヨシ、アキラ!」
マリアが満面の笑みで身軽にヒョイと茶室に上がり込んできた。
「お母様、何ですか突然!」
汐恩はムッとした顔で母親の不作法な入室を窘めた。
レインボーカラーのニットジャケットのボタンを外しながらマリアは舌をぺろりと出した。
「オー、Perdón(ペルドン/ごめん)、ヨシとアキラが来てるって聞きましたカラネ。汐恩が家に友達を連れてくるナンテ初めてデショ。嬉しくテ」
「大きなお世話です!それに何です、またそのような不体裁に派手な上着にジーンズなんて軽薄な身形は!ここは神聖なる茶室ですよ。もっと相応しいお召し物があるでしょう」
「アハハ、固いことは抜きデス。あ、加勢以多食べてたんデスカ」
マリアは四つんばいに歩いて、器に載っていた菓子を手で摘んでパクッと食べた。
「ウン、相変わらず美味デスネ」
「お母様、行儀の悪い!」
「まあまあ、汐恩落ち着いてよ。それよりマリアさんはこのお菓子が好きなんですか?」
「というより、メンブリージョ、中のマルメロが好きなんデス。コレはカリンですケドネ」
マリアは秀晶の前に両膝立ちで言った。
「マルメロは中世のヨーロッパやアラブ諸国デハ妊娠してる時、マルメロをたくさん食べると聡明で健全な子が授かる迷信がありマシタ。だから私も汐恩がお腹にいる時、マルメロジャム結構食べまシタ。それで汐恩のような賢くて可愛い娘が産まれたんデス」
「へえ、マルメロって美人を産む効果もあるのかな」
そんな風にマリアと秀晶は和気あいあいと話していたが、吉継は不意に汐恩の異変に気付いた。
憎しみに満ちた暗い顔で汐恩が、
「そんな事本心では寸分も思ってもいないくせに」
とマリアを睨みながら小声で呟いたのを聞き逃さなかった。
吉継はぞっと震え上がったのと同時に汐恩に奇妙な感じを抱いた。
「あ、いけまセン。大事なコト忘れてました」
思い出したように手を叩いたマリアは躙り口に戻って外から小さな紙袋を取り出した。
「コレ、汐恩に今し方宅急便で届きまシタ。元サンからみたいデスネ」
「松平さんから?」
平生の顔に戻った汐恩は紙袋の中身を改めた。
するとそこには一通の封筒と松野屋の屋号が印刷された包装紙に包まれた細長い箱が入っていた。どうやら菓子箱のようである。
汐恩は封を開けて一枚の便箋の文章を読んだ。
「うまし!」
線を無視してデカデカと書いてあるのはただその四文字だけであった。
嫌な胸騒ぎを覚えた汐恩は急いで菓子箱の包みと蓋を開けた。
「これは!」
十個入りに区切られた箱には、釉薬に似た緑色が僅かに刷毛で染められ、井桁の焼き印が隣に押されている白い薯藷(じょうよ)饅頭が並んでいた。
「織部薯藷だ………まさか!」
吉継はそれを見た途端顔色を青くしてスマホを操作し始めた。
「汐恩、確か茶屋を出す団体は『茶会記』をHPに載せなきゃならないんだよな。当日紙で配布する以外で」
「え、ええ、どこも決まった期日までに。それが決まりですので」
「ちゃかいき?」
秀晶だけが訳も分からない事になっていた。するとマリアがこっそり教えてくれた。
「茶会記とは茶会の日時・場所・道具建てなどを記した一覧表デス。例えば、どういう花入れや茶碗を使うとかをお客さんに分かるようにするのデス。モチロン、茶菓子も載せマスヨ。今回は特に申し込みの茶屋が多いノデ地図付きでネットにアップするよう取り決められているのデス」
「あった!」
吉継はスマホの画像を指で滑らせて茶会記をざっと調べた。
すると更に顔色を蒼白にして、「汐恩、それ一個もらうぞ」と薯藷饅頭をつまみ出しぞんざいに口に入れた。
しばらく味わってから吉継はやがて饅頭を食べ終わると途端気が抜けたようにペタリと畳に座り込んだ。
「やられた………」
「どうしたの、ヨシ?」
生気がなくなった吉継に驚いた秀晶であったが、吉継からそれを食べてみろとだけ指示された。
秀晶は饅頭を手にすると縦に割った。
中身を観察するとすりおろした山芋が入った皮が薄茶色の餡を包んでいて、餡の中には粒々に砕かれた栗が混ざっている。
秀晶は先ず割った半分を口に入れゆっくり咀嚼した。
すると口の中に柔らかい皮の食感と濃い栗の風味がガツンと同時に攻めてきた。
栗饅頭?と一瞬感じたが、それにしては滑らかさもあり、一緒に粗野で荒々しい香りも立ち上ってくる。しかしそれがまた食欲をそそるのである。
もう半分を食べるとより深い栗の味が明確に現れた。
「美味しい、これ凄い!!!」
と思わず口にしてしまった。
「してやられました。私、畔田さんを侮ってましたわ。まさかここまでの菓子をプロデュースするとは」
試食した汐恩も悔しそうに拳を握った。
「何?ヨシ、何なの、説明してよ、これ栗饅頭なの?」
「ここに書いてあるだろ」
吉継は茶会記が載っているスマホを手渡した。
秀晶は菓子の欄の名前を見た。
「松野屋謹製『勝栗ORIBE』、かちぐりおりべ?」
「晶、お前、搗栗(かちぐり)は知ってるだろ。出陣祝で武士が縁起物として食べる一つ。それをクロは勝栗として使った。そしてその栗はマロンクリームとして餡に混ぜられている」
座ったまま吉継は吐き出すように答えた。
「え、クリームって違反じゃないの?」
「いや、栗を潰してマロングラッセを混ぜてあるものをそう呼ぶ。そのクリームを白餡に絶妙にミックスしている。食感を出すために細かく刻んだ栗も混ぜ込んでいる。そしてその栗の味を引き立ててるのがバニラとマイヤーズラムだ。お前もラムレーズン、アイスとかで馴染みがあるだろう」
「あッ、この匂いはラム酒だったんだ!」
「栗餡の味を損なわないようギリギリの香りで抑えてある。茶会の主役はあくまでも抹茶だ。菓子はその脇役で主役の茶の邪魔になっちゃいけない。シンプルでいて複雑な風味。それが渾然一体となるのが理想の茶菓子だ。特に今回は薄茶だ。甘さを控え目にしないと菓子が勝ってしまう。この菓子は全ての点をしっかり見極めている。味付けのバランスは松野屋さんの腕だろう。しかしこういう和洋折衷でくるとは想像してなかった。それを元はこんな風に不意打ちで突き付けてきやがった」
「で、でもさ。そんなに落胆しなくたっていいじゃない!確かにこのお菓子は美味しかったけど頑張ればこれを超えれるのも作れるよ」
「そうじゃない、そうじゃないんだ」
「何なの、もう!」
「もう一度元の茶会記を見てみろ。茶碗の所を」
「茶碗?えっと………銘『黒織部松竹梅沓形(くつがた)茶碗・複製』ってこれが何?」
「晶、お前、俺がどうしてクロを味方に付けたかったか分かるか?」
「ううん」
「その茶碗の画像を検索してみろ」
「へッ、あ、うん」
秀晶は黒織部松竹梅沓形茶碗をGoogle検索で掛けてみた。
するとそのおかしな型に歪んだ黒と白に模様が分かれた茶碗が目に飛び込んできた。丸でなくて全体的に三角をした茶碗は口も分厚く子供がイタズラで描いたような梅の花弁と笹が見えた。
「ぷっ、何この茶碗変なの、失敗作みたい」
と秀晶は笑ったのだが、汐恩は、
「笑い事ではございません。晶さん!その茶碗の価値がお分かりにならないのですか?」
と真剣に責め立てた。
「その椀の歪んだ三角の形は松の枝をあらわしていて、そこに笹と梅が描かれている。つまり銘にある通り『松竹梅』の縁起物ですのよ。失敗などとんでもない。鉄釉薬を掻いて白地を浮かばせる鼠志野の技法を使ってあり、作者は名工・加藤源十郎、先程の国宝『卯花墻』を作った方なんですのよ」
「そうなの?こんな歪んだ茶碗が」
「いや、問題はそこじゃない。茶会記は花入れから香炉に至るまで全てが織部焼きで固めてある。そして菓子も和洋折衷の織部饅頭。クロは全力で俺達に喧嘩を仕掛けてきたんだ」
「ああ、もう、だから何でそんなに長月に怖じ気づいてるのよ!」
「別にクロに怯んでるんじゃない。俺達が相手にしようとしているのは戦国の怪物・古田織部重然(しげなり)そのものだ。織部は利休七哲の中でも格別の茶人でもある。利休の死後は『天下一の茶の湯名人』と称えられた。晶、お前織部の名前に聞き覚えがあるだろう、漫画で」
「え、ああ。あのコミック?古田織部が主役の」
「その超人気コミックだよ。あれで一度に織部の名が全国に知れ渡った。そしてその歪んだ茶碗もな。クロが習っている茶はその織部流だ。更にその歪んだ斬新的な茶碗で薄茶を飲める。それも菓子までひょうげた織部だ。それがお客にとってどれだけ魅力か分かるだろ」
「あ!」
ここで秀晶はやっと吉継の気落ちした理由を理解した。
三斎流は利休の茶をもっともそのままの形で継承した流派であるがある意味固い。それに比べ織部の茶は前衛的で型破り、「人と違うことをせよ」という利休の教えに従い師匠に己の茶を認めさせた破格の茶人である。
それに利休の茶が静かな詫びさびの象徴なら織部は弾けるように躍動的である。現代人が面白いと心引かれるのはどちらかと聞かれればその結果は火を見るよりも明らかである。
「元とクロはこのタイミングで茶菓子を送り付け、茶会記まで早々とアップした。わざと手の内を見せて格の違いを見せ付けた。これは俺達の戦意を喪失させるための策略だ」
「でもあの漫画には忠興も出てるよ」
「登場はする。でも主役じゃないし、論点はそこじゃない」
意気消沈した吉継は小声で続けた。
「織部の故郷はここから北東に行った本巣市山口だ。つまり織部は岐阜県出身。それに比べて細川忠興は関ヶ原で戦ったにせよ、京都・福岡・熊本が所領だ。こことは縁もゆかりもない」
「じゃあガラシャは?明智光秀の娘じゃない。生まれた場所は違っても五歳くらいの時は信長に従って美濃にいたはず」
「それだって五年くらいの短い滞在に過ぎない。そもそも三斎流を知らない人間の方が大多数だ、汐恩の前で悪いがな。それにクロの家は建設業だぞ。いくら簡素な茶室とはいえそれなりに工夫してくるだろう。俺達が圧倒的不利なのは変わりない」
「それでも工夫すれば………」
「いいや、永青文庫にある本物の忠興の茶碗とかを使用できれば可能性はあるかもしれんが、それはとても無理だ。勝ち目はない、もうダメだ」
すると、
「しゃんとしね、小早川吉継!」
秀晶が丸まった少年の背中を大声で思い切りバシッと叩いた。
「いってー、何すんだよ、晶!」
吉継は立ち上がって文句をぶつけた。
「あのね、やる前から情けなく敗北宣言してるんじゃないわよ。そもそも音依さんの料理の腕を元に馬鹿にされたからその名誉回復のために汐恩に付いたんじゃないの!お母さんのために戦わないでどうすんの!」
ハッと吉継はきっかけを思い出して目を開いた。
「三斎流があまり知られてないなら却って良い機会でしょ。人気があるものに惹き付けられるのも人間なら、未知のものに興味を持つのも人間なんだから。それを逆に利用するくらいの根性でなくてどうする」
「晶」
「そう、晶の言うとおりデス。Si una oportunidad no toca tupuerta, construye una puerta(シ・ウナ・オポルトニダッド・ノ・トカ・トゥ・プエルタ、コンストルイ・ウナ・プエルタ)の精神デスヨ」
「え?」
「『チャンスがドアを叩かないなら、自分でドアを作ればいい』デス!」
「マリアさん………ありがとうございます!」
まったくその通りだと思い返した吉継は微笑した。
「お、ヨシに笑顔が戻りましたネ、じゃ、景気付けニ私がお茶を点ててあげまショウ」
マリアは予め用意していたのか、ジーンズの後ろポケットに突っ込んでいた半紙サイズの表装された掛け軸を取り出すとそれを先に掛かっている軸の上から掛けた。
そこには水墨画でイチゴが一粒大きく描かれていた。
「苺?茶室の床に?」
汐恩はそれを見るなりポカンと戸惑った。単に苺の墨絵と言っても余程腕の立つ画家の作品なのか濃淡のぼかしで苺のへたや種まで細かく描き込んである。
マリアは意味ありげに笑った。
「コレは禅語のCHiste(チステ)デス」
「チステ?」
「ダジャレ、デスヨ」
すると吉継と秀晶はしばらくして揃って笑い出した。
金吾と刑部にその答えを密かに教えてもらったからである。
「ムム、早くも二人は軸の意味が分かりまシタカ?」
「『一期一会(いちごいちえ)』をもじったんですね」
『茶湯一会集』にこうある。
 「一会に深き主意あり。そもそも、茶の湯の交会は一期一会といいて、例えば同じ主客交会するとも、今日の会に再びかえらざる事を思えば、実に我が一世一度の会なり」。もしかすると二度と会えないかもしれないからこの出会いを大切にして相手をもてなすという名言である。
「Si、大当たりデス」
「これまるで有名な画家が描いたみたいですけど、もしかしてマリアさんの作品なんですか?横に落款(らっかん)がありますけど」
苺の横に小さく「真理愛」との赤く四角い印が押してあるのを吉継は気付いた。
「ハイ、今はアイロンで作れる表具キットがありますカラ」
「へー、マリアさん、器用」
秀晶も面白そうにもう一度軸の画を覗いていた。
吉継は教えた。
「他にもマリアさん書も達筆だし、華道とかも展覧会で賞を取ったりしてるぞ。ひすとり庵で懐石とかのオーダーが入った時とかよく華を立てに来てくれるんだ。お客さんの評判も良くってさ」
「マリアさんって本当にスペイン人なんですか?」
秀晶が驚き呆れた。
すると汐恩がマリアの絵を指さして息巻いた。
「何ですの、お母様、その安っぽい表装は!もっと細川家の一員である自覚を持って頂かないと困ります!」
「アハハ、No hay problema(ノ・アイ・プロブレマ)、心配ないネ。これは今日だけの遊びデスヨ」
マリアはカラリと笑うと釜の横へ歩いていき手際良く茶の準備をした。
「さ、三人トモ、席へ」
「あ、はい」
吉継が上座でその横に秀晶、そして下座に汐恩が座る形となった。
「では」
正座したマリアが三人に頭を下げて茶を点て始めた。
「わあ」と秀晶が思わず感嘆の声を漏らした。すっと背筋を伸ばして座るマリアが行う所作は、一つ一つが丁寧でありながらどこかダイナミックで、更に柔らかく流れるようで見ていて惚れ惚れとする。
それに比べると汐恩の所作は綺麗ではあるがどことなくぎこちなさが否めないのが実感できた。
その汐恩を横目でチラリと見ると、自覚はあるのか悔しそうに膝の上で拳を握っている。
マリアは吉継に点てた茶を差し出した。
吉継は口にするなり仰天した。
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