「美味い」
汐恩と同じ抹茶を使っているのに口当たりがやんわりとしていてまるで違う。
「わ、ホント、美味しい!」
次いで飲んだ秀晶も同じ感想であった。
明るい雰囲気でマリアを絶賛する二人であったが、急に汐恩が立ち上がった。
「何なんですの、あなた方は。私の茶は美味しいと言って下さらなかったのに、お母様だけ!」
「お、おい、汐恩どうした」
半狂乱じみた声で拳の手を震わせながら汐恩はわめいた。
「コバ君もコバ君ですわよ。先程の私の書よりお母様の水墨画ばかり褒めて。梅町先生もお母様ばかり認めて。どんな習い事の先生も外国人だからってお母様ばかり贔屓して!私も努力してるのに、お母様よりずっと頑張ってるのに、どうして誰も認めて下さらないんですか!」
「汐恩、落ち着けって」
「もう知りません!」
聞く耳持たず汐恩は茶道口からさっさと出て行ってしまった。
「えー、俺たち放置?」
「オー、ワタシ、また余計なコトしてしまいましたカネ」
マリアは少し滅入った顔を見せ茶碗を片付けた。
「そういえば梅町先生って誰ですか?」
場の雰囲気を戻そうと吉継は座ってマリアに問うた。
「梅町先生は京都からここまで稽古を付けにおいでにナル三斎流のお師匠様デス。厳しいお方で、ボニータに『もっと精進を』とお褒めの言葉頂いたコトありまセン」
「あのー、マリアさんと汐恩って仲悪いんですか?」
秀晶が単刀直入に質問した。
吉継が横を向いて窘めた。
「馬鹿、晶、お前、余所の家族関係聞くなよ。失礼だろ」
「だって前から気になってたんだもん。汐恩、お父さんの言うことは聞くけどマリアさんにはきつく当たってばっかだし。マリアさん可哀想」
「それでもな」
「いいんデス。それは本当のコトデスカラ。ワタシはボニータのコト大好きなんデスガ、ボニータはワタシを嫌ってると思いマス。きっとダメな母親なんでショウネ。ワタシ日本人デモありまマセンシ」
「マリアさん………」
「おお、そうイエバ、ヨシ達はまだ茶会で使う茶碗とか決まってマセンヨネ?」
「はい、なかなか汐恩が動いてくれなくて」
「それなら一度見てもらいたいモノがありマス。一緒に来てもらえマスカ?」
マリアは思い付いたように立ち上がり躙り口から外へ出た。
吉継達も外へ出た。もう西日も傾き夜の暗闇へ移行しようとしていた。
「帰りはまた車で送りますカラ、心配しないでネ」
時間を案じる二人にマリアは振り返って笑った。
「あ、はい。ありがとうございます」
来た道を逆に向かいつつ秀晶はぎこちなく答えてそのまま吉継へ小声で囁いた。
「ちょっとヨシ、汐恩があんな風で私たち大丈夫なの?」
「あー、そうだなあ」
吉継もマリアの後を歩きながら苦々しく頭を搔いた。
「でもどうして汐恩、あそこまでマリアさんを嫌ってるの?すっごく良いお母さんだよ」
「さあ。親子間の内情は俺にも分からない。ただ、あいつがお茶の先生に認められない理由なら今日なんとなく理解出来た気がする」
「何?」
「前に言いそびれたけど、汐恩、細川忠興の事大嫌いなんだよ」
「嘘!だって細川家のご先祖様じゃない!」
信じられないという驚愕の表情を向ける秀晶に吉継は示唆した。
「汐恩、うちの店で忠興の名前出る度様子変だったの気付いてただろ?さっきの茶室でも」
「うん」
「それにあいつが細川ガラシャ贔屓なのは晶も転入初日で知ったと思う」
「それは確かに。私、平気な顔装ってたけど実はメチャクチャ怖かった(第二話参照)」
「お前が無事だったのは奇跡に近いぞ。昔汐恩の前でガラシャの悪口言ったヤツは暫くしてどこかへ転校していったそうだ。噂じゃ、汐恩にボコボコにされてそれがトラウマになったらしい」
「マジで?」
「噂だけどな。で、汐恩はガラシャに熱狂的に肩入れしてる。となれば夫婦仲が悪くなった忠興には良い感情を抱いてない」
「あー、何となく想像つくよ。忠興ってちょっとヤバい気質あるもんね」
『茶道四祖伝書』では、忠興は「天下一気の短い人物」と評されているし、関ヶ原合戦の折、丹後田辺城を囲まれて最終的には城を退去し西軍に渡した父・幽斎に、最後まで戦わなかった腰抜けとばかりに文句を言い付け、親子関係が気まずくなったりしている。また、家臣を三十六人手打ちとした刀に三十六歌仙(または六歌仙)をかけて「歌仙兼定」と命名したり、妻ガラシャへの嫉妬のあまり妻と目が合った庭師を斬り殺すなどその悪癖には枚挙にいとまが無い。
「でも一番はやっぱり本能寺の変の時だよね。山の中に閉じ込めたのは仕方ないにしろ、キリスト教に改宗したガラシャに向かってキリシタンやめないなら俺は側室を五人持つと言い出す始末だもん。あれは妻だったら傷つくよ」
「そうだ。だから汐恩は忠興を嫌ってる。でも三斎流はその忠興が祖師だ。それを習ってる汐恩の心境としてはどうなんだろうな」
「細川家の人間だから渋々やってるって事?」
「それが茶の所作に現れてるんじゃないか。それをお茶の先生は見抜いてるんだと思う」
「そだね、何となく私にも理解出来たよ。ガラシャを好きな事でバランスを取ってるんだろうし」
するとここでマリアが振り向いて苦笑した。
「内緒話ならもっと小声で、デスヨ、二人とも」
あ、と吉継と秀晶はすっと歩く速度を落とした。マリアも歩調を合わせながら言った。
「ボニータはいつからか忠興公の事敵視してマス。昔、茶室の庭の春日灯籠倒してしまいマシタシ、高桐院のつくばいの複製もハンマーで叩き割ってしまいましたカラ。茶室もグァポが止めなければ全壊してたかもしれマセン」
「モンハンの破壊王でも装備してるのか、あいつは!」
反射的に吉継は突っ込んだ。
マリアは少し目笑した。
「その代わりに灯籠も中津のキリシタン灯籠にしまシタシ、つくばいもガラシャお気に入りの形の物を作ってもらいマシタ。それでようやくおさまったんデス。でも、忠興公嫌いなのは変わってまセンケド。あ、道、こっちデスヨ」
マリアは来る時に見えていた森深い小聖堂へと二人を誘導していった。
「ワタシのCapilla(カピラ/小聖堂)へようこそ」
着いてみるとそこは普通の家が一件分はある大きさのゴシック建築の小聖堂で、開けられた扉の中は電灯が点され、赤い生地を敷かれたベンチタイプの会衆席が、椅子の布と同色のカーペットが敷かれた正中線の通路を挟んで左右二十脚備え付けられていた。
「私こういう施設初めて入ったよ」
秀晶は両脇を飾るステンドガラスに目をやって正面の祭壇に視線を移した。
そこには左手で幼いキリストを抱く木製の聖母が、天使が彫り込まれた大理石柱の上に立ち、右隣には別の、全身が金色に彩られた聖人像が杖を突いて立っている。
「私キリスト教ってよく分からないけど、普通は十字架のキリストが飾ってあるものじゃないの?」
像の近くによってまじまじと観察する秀晶にマリアは解説した。
「それはピラールのサンタ・マリア(聖母)とサンティアゴ様、デス」
「ピラール?」
「ピラールというのはスペイン語で柱という意味です。柱の聖母は日本ではあまり馴染みがナイのかもしれまセンけどワタシの国ではとても有名デスヨ」
マリアは秀晶にピラールの聖母の奇跡を簡単に説明した。西暦四十年十月十二日、サンティアゴがスペインのサラゴサで福音を説いている時、天から天使と共に柱に乗った聖母マリアが現れ、人々を改宗に導いた。その奇跡ゆえピラールの聖母は『スペイン系の人々の母』と称されている。
「マリアさんは聖母と同じ名前なんですね」
「ハイ、実はワタシの誕生日が十月十二日なので母がそう名付けてくれマシタ」
「ふーん。でもサンティアゴって誰ですか?」
「キリストの弟子の一人聖・大ヤコブデス。もともとガラリア湖で漁師をしていたんデスガ、イエス様から誘われて弟子になったのデス。スペインでは彼の御方をサンティアゴと呼びマス。ラテン語のサンクトゥス・ヤコブスが訛ったんデスネ。サンティアゴ様もスペインでは負けじと有名で守護聖人になってマス」
するとここで吉継が呟いた。
「ボアネルゲス」
「オウ、ヨシ、よくその名前を知っていマスネ!?」
マリアは驚いて吉継を見た。
「あ、ああ、えっと、ゲームか本かで読んだような気がしただけです」
「それ何、ヨシ?」
慌てて否定する吉継の態度を訝しがって秀晶が聞いた。
「あ、うん、サンティアゴの別名なんだ。雷の子ら、って意味で。ね、マリアさん?」
「Si、サンティアゴ様は気性の強い方デシタカラ」
【主】
と刑部がここで秀晶に呼び掛けて説き明かした。
【別に聖ヤコブのボアネルゲスはヘブライ語で『神の声』を意味する。その雷の如し声は人々を震え上がらせたという。吾のウォークス・デリと同じじゃな。ヨシ殿はそれを金吾殿から聞かされて咄嗟に口にしたのであろう】
なるほどと納得して秀晶はもう一度サンティアゴ像を見上げた。
と、その時、奇妙な物が目に付いた。
像が手にする杖に乾いた瓢箪が赤い紐でぶら下がっていたのである。
「マリアさん、あの瓢箪は何ですか?」
秀晶は指さして尋ねた。
「え、ああ、それはデスネ………」
マリアは何故かここで言葉を止めてから明らかにした。
「秀吉の瓢箪デス。ほら、旗印にあるでショウ?細川家も太閤の下で働いてましたカラ」
「あはは、そうだったんですね。でもマリアさん、本当に日本の歴史に詳しいですね。下手な日本人より知ってると思います」
「そうデスネ。関ヶ原がワタシの故郷テルエルと似てるせいなのかもしれまセン。山の中にあってとてものんびりした所デスシ。気候が厳しい所もそっくりデス」
「へー」
「テルエルは地理的にイスラム教世界とキリスト教世界が融合した場所デス。テルエルの語源もアラビア語で雄牛。これはイスラム教徒が牛の角に松明(たいまつ)をつけてキリスト教徒に向かって放った故事から採られマシタ。倶利伽羅峠(くりからとうげ)で平維盛(たいらのこれもり)軍を破った源義仲(みなもとのよしなか)の用いた『火牛の計』と同じデスネ」
「スペインでも日本と似たような事してたんですね」
「似てるのはそれだけではありまセン。テルエルにはムデハルというイスラム様式の世界遺産の建物もありマス。関ヶ原も日本の真ん中にあっテ、東西の文化が混ざり合っていマス。それとテルエルは首都マドリードからの直結する鉄道がありまセン。山岳地域デスし一時は地味すぎたので観光客誘致のために『Teruel existe(テルエル・エクシースト)』、これはテルエルは存在しマス、という自虐的なキャッチコピーを使ったのデスガ、関ヶ原も交通の便は決して良くありまセンシ、日本地図でも関ヶ原の場所正確に言い当てられる人少ないデス。そのうち『関ヶ原は存在する』と銘打たなければならないカモしれまセン」
「あはは………」
ある意味正確な現実に苦笑する秀晶を見て微笑したマリアは続けた。
「ワタシの故郷はそのテルエルの中でも秘境と呼ばれるアルバラシンです。標高が千二百メートルの断崖の上に立つ村で人口も僅か千人程度です。関ヶ原の方がずっと人の数は多いデス。でも『天空の鷹の巣』と呼ばれてスペインで最も美しい村に選ばれた事もありマス。ワタシが誇る美しい故郷デス」
「マリアさんどうしてそこから関ヶ原へお嫁さんに来たんですか」
「それはワタシとグァポの馴れ初めを聞きたいんデスカ!?」
よくぞ尋ねてくれましたとばかりに急にキラキラした瞳でマリアは秀晶の顔の前に寄った。
「あ、はい、そうです」
「では教えて差し上げマス」
マリアは秀晶を会衆席に座らせると昔話を語り出した。
「ワタシが大学生の時、母が見聞を広めなさいと外国へのホームステイを勧めてくれまシタ。ワタシは元々日本文化に興味がありまシタシ、日本語の講義も受けていましたノデ、迷わずこの国を選びマシタ。そのホームステイ先がこの細川家だったんデス」
「へえ」
「それで同年だったグァポはワタシにとても親切にしてくれマシタ。ワタシ直ぐにグァポが好きになりマシタシ、グァポもワタシの事を好きと言ってくれマシタ。でもホームステイは一ヶ月。ワタシは泣く泣くスペインに帰りマシタ。でもグァポがワタシを追い掛けてテルエルまで来てくれたのデス」
「きゃー、忠時さん素敵!」
「Si、とても嬉しかったデス。でもワタシ達の間には大きな壁がありまシタ」
「壁?」
「ワタシの家、細川家と違ってあまり裕福ではありまセン。それにワタシはスペイン人。直ぐに細川の家からグァポを連れ戻しに来まシタ。金を渡すカラ別れてクレと」
「そんな酷い!」
「グァポは関ヶ原細川家の跡取り、当然デス。ワタシ達は逆『テルエルの恋人達』のような身分違いの間柄デシタ」
「テルエルの恋人達?」
「テルエルに伝わるお金持ちのイサベルと貧しい家の息子ディエゴの物語デス。ディエゴはレコンキスタ(イスラム教徒からの国土復興運動)で戦功を立て五年後裕福になってイサベルと結婚すると誓いマシタ。でも、約束の年月が来てもディエゴは帰ってきまセン。ディエゴが死んだと思ったイサベルは他の人の妻になりまシタ。でもその時ディエゴが帰ってきたのデス」
「えッ!それでどうなったんですか?」
「ディエゴはあまりのショックで死んでしまいマシタ。イサベルも彼のお葬式の最中また嘆き悲しんで息を引き取りマシタ。それがテルエルの恋人達の悲恋の末路デス」
「ロミオとジュリエットみたい」
「そうデスネ。グァポはそんなテルエルの恋人達の話を知っていたから『絶対帰らない、ここでマリーと一生暮らす』と抵抗してくれたんデス。それとグァポはワタシにこうも言ってくれマシタ。『Contigo pan y cebolla(コンティーゴ・パン・イ・セボーリャ)』と」
「それはどういう意味ですか?」
「『あなたとならパンとタマネギで充分』、つまりアナタさえいれば貧しくても耐えていける、というスペインの言葉デス。ワタシはグァポの情熱にとても感動しマシタ。今でもその時のプロポーズはワタシの大切な思い出デス」
「それからそれから?」
秀晶はずっと前のめりになった。
「グァポの必死の説得のお陰で後々ワタシは細川家に嫁として迎えられマシタ。こうしてワタシは子宝にも恵まれ幸せに暮らしてマス。この小聖堂もグァポがワタシのために建ててくれたんデスヨ」
「ドラマみたいでロマンチック~」
うっとりと陶酔する秀晶にマリアは綻びつつも厳しい過去を語った。
「ちなみに関ヶ原とテルエルは他にも色々似てマス。昔、スペインでも内戦があって、テルエルでは特に大勢が亡くなりマシタ。関ヶ原でもそれは同じデス。だからヨシのお母さんの音依が平和な関ヶ原を目指してイルのはとても素晴らしいと思いマス。誰でも戦争なんてしたくありまセンカラネ」
「そうだったんですね………うん?ちょっとヨシ、さっきから黙って何してるの?」
秀晶は吉継がサンティアゴ像を不思議そうに見上げてからスマホを操作しているのに気付いた。
「あ、いや、何でもない。それよりマリアさん、俺達に見せたいものって何ですか?」
「お、そうデスネ、楽しくて脱線してしまいマシタ。こちらの部屋へ来て下サイ」
マリアは立ち上がると祭壇の左奥にある扉を開けて吉継達を招き入れた。
そこは意外にも十畳程の和室になっていて、その一番奥には衣紋掛けに掛けられた美しい花柄の着物が目に入った。
「あ!あの着物、私見覚えあるよ。あれ、どこだったかな?」
秀晶は靴を脱ぐなり衣紋掛けへ近付き着物を思い出すように見つめた。
「晶、それは大阪の玉造教会の壁画にある細川ガラシャが着ている小袖と打掛だよ。下げ髪のガラシャが白百合を手に持っているの写真で見た事あるだろ?」
「それだ!」
「でも本当にヨシはよく知ってマスネ!」
驚いてマリアは吉継に感心した。
吉継は苦々しく首をすくめた。
「汐恩に脅されるように色々細かく教えられたんですよ。嫌でも暗記しますって。高山右近の反対に描かれている細川ガラシャ画の作者は堂本印象画伯、身につけている小袖は薄紅梅地に椿に菊の辻ヶ花文様、打掛は綸子地、松皮菱に桜文様、裏地は印金牡丹唐草。覚えなきゃ殺されます」
「あはは、汐恩ならやりかねないね」
「二人ともワタシのボニートに酷い言いようデスヨ。その着物はいつかボニートがお茶会とかに着てもらうつもりで作ってもらったんデス」
「汐恩はこれ知ってるんですか?」
いいえ、とどこか悲しげにマリアは頭を振った。
「だったら今度の大茶湯でこれ着たら………あれ、これ何?」
この時秀晶は着物に隠れていた赤い紐をスルスル持ち上げた。
その紐の先には穴の空いた白い貝殻が結わえられていたが、何故かそれはいくつかに割れていたようで、接着剤で無理矢理くっつけてあるように見えた。
「ホタテ貝?」
「No!」
驚くことにここでマリアが猛烈な勢いで突進し、その貝を奪い取って自分のニットジャケットのポケットにしまい込んだ。柔和な顔から一転してその表情には焦りの色が見えている。
秀晶は頭を下げた。
「あ、あの、マリアさん、ごめんなさい。勝手に触ってしまって」
「あ………イイエ、それは大丈夫デス。気にしないで下サイ」
再びいつもの顔に戻ったマリアは、
「それより見てほしいのはこれデス」
と部屋の隅に置いてあった茶棚から一つの茶碗を取り出し吉継に手渡した。
それは乳白色の生地に深い緑色と黒色で魚などの幾何学模様が彩られた見たこともない器であった。ただ貫入(かんにゅう。細かいひび割れ)もあり、どことなく日本の椀のようにも感じられた。
「それはワタシの故郷の焼き物デス」
「テルエルの?」
「Si。よかったらヨシ達、今度の茶会で使えませんか?」
秀晶は即座に喜んだ。
「わあ、それいい!外国の茶碗で抹茶飲めるなんて絶対面白いよ。それに綺麗だし。これだったら長月達に対抗できるんじゃない、ヨシ?」
「うん、確かに。何か菓子に結び付きそうなイメージが湧いてきそうだ」
吉継は茶碗の柄をじっくり見た。
「でしょ?」
「でも、問題はこの茶碗を汐恩が使ってくれるかだな」
意味ありげに視線を送られたマリアは笑って親指をグッと立てた。
「おー、それならワタシからボニータに話しておきマス。だから心配は要りまセン。後はヨシ達、美味しいお茶菓子作って下サイネ」
それから二日後の三月四日の土曜。
前日から降り続いた雪が更に激しくなって吹雪のような荒天となっていた。
午後八時のひすとり庵の週末もさすがこの大雪には勝てず、たった今帰ったお客で店内には誰もいなくなった。
「まあ、関ヶ原だから冬にはこんな日もあるわよね」
がらんとなった店内とスマホの天気予報を見直した音依が赤いシェフ帽を脱いで短く溜息を吐いた。外には車の通る音すら聞こえておらず大風が外の暖簾をバタバタとはためかせていた
「この雲の流れじゃ明日まで当分止みそうにないか。晶ちゃん、悪いけどその洗い物終わったら暖簾中にしまってくれる?ひすとり庵今夜はこれにて看板にします。それからみんなでご飯ね」
「はーい」
秀晶は元気よく手を挙げた。今日は悪天と看護師の母が夜勤で家に帰ってこない事も重なって吉継の家に泊まっていくのが決まっていたためである。
近所の秀晶はたまに母親の都合でこうした外泊をして音依と一緒に寝る事も珍しくなくなっていた。
叔母の朝妃や他のバイトの人にも帰ってもらい、本当に店内は音依と吉継と秀晶だけとなった。
吉継は冷蔵庫の中身を確かめると顔を渋くした。
「でも母さん、この食材の残りどうするの?週間天気で仕入れの量少なくはしてたみたいだけど、まだ野菜とか魚介類そこそこ残ってるよ?それと筒井さん昨日間違って多めに炊いちゃった冷凍ご飯もさ」
「そうねえ、折角だからそれらは今晩使い切りましょう。ヨシちゃんならその食材で何のまかない作る?」
「うーん、かいせ………」
「海鮮炒飯はなしね。手を抜いちゃ駄目」
「げ、見透かされた」
「フィメ(魚介の出汁)とかだったら私の方にストックあるけど」
「あ、私は美味しい鯖料理が食べたい!」
秀晶が暖簾片手にリクエストした。
「晶、お前、冷蔵冷凍庫の中身を把握するようになったな」
「だって材料出してって言われるから自然に目がいっちゃうんだもん」
「まあ、それも手伝ってもらってるからな。分かった、何か鯖工夫して作るよ」
半分呆れながら吉継は各テーブルの上に椅子を載せながら了承した。
「やったあ」と秀晶がウキウキ顔で「CLOSED」のプレートをドアノブに掛けて施錠しようとした矢先、カラリと扉が開いて一人の客の姿が確認できた。
どうやら女性客の様であるが、店はもう片付けが殆ど終わっている。
「あ、すみません、今日はもうお店終わりなん………ヒヤッ!」
やんわり断ろうとした秀晶であったが、その風采に驚いて尻餅をついた。精気のない顔ながら目だけが真っ赤に染まった目を爛々と光らせ、白い服の首筋から伸びる長い黒髪を雪風にバサバサと舞い上がらせている。
「ゆ、雪女!?」
「晶、どうした!」
奇声に驚いた吉継が駆け寄ってきた。
「あ、あれ!ヨシ!」
秀晶は白服の女を怖々指さした。吉継はその方向を見て聞いた。
「お前、汐恩か?」
「………へ?汐恩?」
目をこらすと確かに汐恩である。白いロングコートを着て、うな垂れ、真っ青な顔で充血した目がいつもの凛とした汐恩とはまるで違っていた。
「夜分にごめんなさい。いいかしら?」
蚊の鳴くような声で汐恩は呟いた。外を見ると一人で何も持たず歩いてきたようでその足跡だけが残っている。
「お前、傘も差さないでどうしたんだよ!母さん、急いでタオル持ってきて!」
取り敢えず汐恩を店内に入れて、コートに掛かった雪を払いのけ吉継は音依に頼んだ。
「あら、細川さん家の汐恩ちゃんじゃない!御両親は?」
タオルを持ってきた音依も濡れた髪を拭きながら玄関を見渡した。
「………それは」
グッと拳を握る汐恩を見て音依は何かを察したのか、
「ヨシちゃん、ここはいいからとびきり熱い生姜紅茶を淹れてあげて」
と吉継に指示して汐恩をカウンター席に座らせた。
「寒くない、汐恩ちゃん?」
音依は濡れたコートを脱がせ、ストーブを近くに寄せると汐恩の顔を優しく拭いた。
すると汐恩は唐突に一筋の涙を流した。
「ありがとう、ござい、ます」
泣きながら途切れ途切れに礼を言う汐恩の前に吉継は淹れたての紅茶を出した。
「ほら、温まるぞ」
コクリとただ頷いて汐恩は紅茶を飲んだ。
「美味しい」
汐恩はまた泣いて涙を紅茶にこぼした。
「あらあら、塩紅茶になっちゃうわよ」
明るく微笑んで音依はその涙も拭いてやった。
「私、私!」
汐恩は急に音依に向き直り声を大にして叫んだ。
「私、貴女みたいな母親が良かった、あんな偽善者の外国人の母でなくて!」
「ぎ、偽善者?それマリアさんの事?」
「そうです。偽善者以外なんでもありません!それにお父様までまんまと乗せられて!お父様はあの魔性の女に誑(たぶら)かされているだけなんです!」
「ちょっと、汐恩ちゃん、一旦落ち着いて。何があったの?」
乱暴な言葉で取り乱す汐恩を音依は宥めた。
汐恩はボソリと呟いた。
「お父様が私をぶったんです………」
「忠時さんが?」
音依はこの時汐恩の目が泣きはらして充血しているのだと気付いた。
「普段は温厚なのに。きっとあの女狐に性格を変えられてしまったんです。お父様は私があの女を以前から嫌っている理由を問い質してきました。私は洗いざらいあの女の悪い人間性を言い立てました。そうしたら突然もの凄い形相で私を殴ったのです」
語気荒く汐恩はテーブルを叩いた。
「お父様は変わられた。全てはあの性悪スペイン女のせいです!あんな女狐、母親だと思いたくない!」
「女狐って、汐恩、マリアさんとってもいい人だよ。汐恩の事大好きだって私達にも話してたし」
秀晶がマリアの事を庇った。それが汐恩の逆鱗に触れた。
「貴女に私の家の何が分かるんですか!」
汐恩は激高した顔を右隣に向けた。
「ああやって誰にでもいい顔をして本心では周りを騙してるんですのよ!関ヶ原には珍しい外国人だからチヤホヤされていい気になって。あの言葉にも虫酸が走ります!」
「で、でもお父さん、マリアさんがホームステイで帰った後にスペインまで追っかけてったって昔話聞いたよ。そんなに悪い人ならお父さん分かると思うんだけど」
「それがあの女狐の女狐たるゆえんです。それにどうせ細川家の資産が目当てで芝居をしてるだけなんですのよ。私だけは絶対惑わされません!あの女を家から追い出してやるまでは!」
憎悪に満ちた癇癪声をあげてからハアハアと息を切らせた汐恩に皆は黙った。
汐恩と同じ抹茶を使っているのに口当たりがやんわりとしていてまるで違う。
「わ、ホント、美味しい!」
次いで飲んだ秀晶も同じ感想であった。
明るい雰囲気でマリアを絶賛する二人であったが、急に汐恩が立ち上がった。
「何なんですの、あなた方は。私の茶は美味しいと言って下さらなかったのに、お母様だけ!」
「お、おい、汐恩どうした」
半狂乱じみた声で拳の手を震わせながら汐恩はわめいた。
「コバ君もコバ君ですわよ。先程の私の書よりお母様の水墨画ばかり褒めて。梅町先生もお母様ばかり認めて。どんな習い事の先生も外国人だからってお母様ばかり贔屓して!私も努力してるのに、お母様よりずっと頑張ってるのに、どうして誰も認めて下さらないんですか!」
「汐恩、落ち着けって」
「もう知りません!」
聞く耳持たず汐恩は茶道口からさっさと出て行ってしまった。
「えー、俺たち放置?」
「オー、ワタシ、また余計なコトしてしまいましたカネ」
マリアは少し滅入った顔を見せ茶碗を片付けた。
「そういえば梅町先生って誰ですか?」
場の雰囲気を戻そうと吉継は座ってマリアに問うた。
「梅町先生は京都からここまで稽古を付けにおいでにナル三斎流のお師匠様デス。厳しいお方で、ボニータに『もっと精進を』とお褒めの言葉頂いたコトありまセン」
「あのー、マリアさんと汐恩って仲悪いんですか?」
秀晶が単刀直入に質問した。
吉継が横を向いて窘めた。
「馬鹿、晶、お前、余所の家族関係聞くなよ。失礼だろ」
「だって前から気になってたんだもん。汐恩、お父さんの言うことは聞くけどマリアさんにはきつく当たってばっかだし。マリアさん可哀想」
「それでもな」
「いいんデス。それは本当のコトデスカラ。ワタシはボニータのコト大好きなんデスガ、ボニータはワタシを嫌ってると思いマス。きっとダメな母親なんでショウネ。ワタシ日本人デモありまマセンシ」
「マリアさん………」
「おお、そうイエバ、ヨシ達はまだ茶会で使う茶碗とか決まってマセンヨネ?」
「はい、なかなか汐恩が動いてくれなくて」
「それなら一度見てもらいたいモノがありマス。一緒に来てもらえマスカ?」
マリアは思い付いたように立ち上がり躙り口から外へ出た。
吉継達も外へ出た。もう西日も傾き夜の暗闇へ移行しようとしていた。
「帰りはまた車で送りますカラ、心配しないでネ」
時間を案じる二人にマリアは振り返って笑った。
「あ、はい。ありがとうございます」
来た道を逆に向かいつつ秀晶はぎこちなく答えてそのまま吉継へ小声で囁いた。
「ちょっとヨシ、汐恩があんな風で私たち大丈夫なの?」
「あー、そうだなあ」
吉継もマリアの後を歩きながら苦々しく頭を搔いた。
「でもどうして汐恩、あそこまでマリアさんを嫌ってるの?すっごく良いお母さんだよ」
「さあ。親子間の内情は俺にも分からない。ただ、あいつがお茶の先生に認められない理由なら今日なんとなく理解出来た気がする」
「何?」
「前に言いそびれたけど、汐恩、細川忠興の事大嫌いなんだよ」
「嘘!だって細川家のご先祖様じゃない!」
信じられないという驚愕の表情を向ける秀晶に吉継は示唆した。
「汐恩、うちの店で忠興の名前出る度様子変だったの気付いてただろ?さっきの茶室でも」
「うん」
「それにあいつが細川ガラシャ贔屓なのは晶も転入初日で知ったと思う」
「それは確かに。私、平気な顔装ってたけど実はメチャクチャ怖かった(第二話参照)」
「お前が無事だったのは奇跡に近いぞ。昔汐恩の前でガラシャの悪口言ったヤツは暫くしてどこかへ転校していったそうだ。噂じゃ、汐恩にボコボコにされてそれがトラウマになったらしい」
「マジで?」
「噂だけどな。で、汐恩はガラシャに熱狂的に肩入れしてる。となれば夫婦仲が悪くなった忠興には良い感情を抱いてない」
「あー、何となく想像つくよ。忠興ってちょっとヤバい気質あるもんね」
『茶道四祖伝書』では、忠興は「天下一気の短い人物」と評されているし、関ヶ原合戦の折、丹後田辺城を囲まれて最終的には城を退去し西軍に渡した父・幽斎に、最後まで戦わなかった腰抜けとばかりに文句を言い付け、親子関係が気まずくなったりしている。また、家臣を三十六人手打ちとした刀に三十六歌仙(または六歌仙)をかけて「歌仙兼定」と命名したり、妻ガラシャへの嫉妬のあまり妻と目が合った庭師を斬り殺すなどその悪癖には枚挙にいとまが無い。
「でも一番はやっぱり本能寺の変の時だよね。山の中に閉じ込めたのは仕方ないにしろ、キリスト教に改宗したガラシャに向かってキリシタンやめないなら俺は側室を五人持つと言い出す始末だもん。あれは妻だったら傷つくよ」
「そうだ。だから汐恩は忠興を嫌ってる。でも三斎流はその忠興が祖師だ。それを習ってる汐恩の心境としてはどうなんだろうな」
「細川家の人間だから渋々やってるって事?」
「それが茶の所作に現れてるんじゃないか。それをお茶の先生は見抜いてるんだと思う」
「そだね、何となく私にも理解出来たよ。ガラシャを好きな事でバランスを取ってるんだろうし」
するとここでマリアが振り向いて苦笑した。
「内緒話ならもっと小声で、デスヨ、二人とも」
あ、と吉継と秀晶はすっと歩く速度を落とした。マリアも歩調を合わせながら言った。
「ボニータはいつからか忠興公の事敵視してマス。昔、茶室の庭の春日灯籠倒してしまいマシタシ、高桐院のつくばいの複製もハンマーで叩き割ってしまいましたカラ。茶室もグァポが止めなければ全壊してたかもしれマセン」
「モンハンの破壊王でも装備してるのか、あいつは!」
反射的に吉継は突っ込んだ。
マリアは少し目笑した。
「その代わりに灯籠も中津のキリシタン灯籠にしまシタシ、つくばいもガラシャお気に入りの形の物を作ってもらいマシタ。それでようやくおさまったんデス。でも、忠興公嫌いなのは変わってまセンケド。あ、道、こっちデスヨ」
マリアは来る時に見えていた森深い小聖堂へと二人を誘導していった。
「ワタシのCapilla(カピラ/小聖堂)へようこそ」
着いてみるとそこは普通の家が一件分はある大きさのゴシック建築の小聖堂で、開けられた扉の中は電灯が点され、赤い生地を敷かれたベンチタイプの会衆席が、椅子の布と同色のカーペットが敷かれた正中線の通路を挟んで左右二十脚備え付けられていた。
「私こういう施設初めて入ったよ」
秀晶は両脇を飾るステンドガラスに目をやって正面の祭壇に視線を移した。
そこには左手で幼いキリストを抱く木製の聖母が、天使が彫り込まれた大理石柱の上に立ち、右隣には別の、全身が金色に彩られた聖人像が杖を突いて立っている。
「私キリスト教ってよく分からないけど、普通は十字架のキリストが飾ってあるものじゃないの?」
像の近くによってまじまじと観察する秀晶にマリアは解説した。
「それはピラールのサンタ・マリア(聖母)とサンティアゴ様、デス」
「ピラール?」
「ピラールというのはスペイン語で柱という意味です。柱の聖母は日本ではあまり馴染みがナイのかもしれまセンけどワタシの国ではとても有名デスヨ」
マリアは秀晶にピラールの聖母の奇跡を簡単に説明した。西暦四十年十月十二日、サンティアゴがスペインのサラゴサで福音を説いている時、天から天使と共に柱に乗った聖母マリアが現れ、人々を改宗に導いた。その奇跡ゆえピラールの聖母は『スペイン系の人々の母』と称されている。
「マリアさんは聖母と同じ名前なんですね」
「ハイ、実はワタシの誕生日が十月十二日なので母がそう名付けてくれマシタ」
「ふーん。でもサンティアゴって誰ですか?」
「キリストの弟子の一人聖・大ヤコブデス。もともとガラリア湖で漁師をしていたんデスガ、イエス様から誘われて弟子になったのデス。スペインでは彼の御方をサンティアゴと呼びマス。ラテン語のサンクトゥス・ヤコブスが訛ったんデスネ。サンティアゴ様もスペインでは負けじと有名で守護聖人になってマス」
するとここで吉継が呟いた。
「ボアネルゲス」
「オウ、ヨシ、よくその名前を知っていマスネ!?」
マリアは驚いて吉継を見た。
「あ、ああ、えっと、ゲームか本かで読んだような気がしただけです」
「それ何、ヨシ?」
慌てて否定する吉継の態度を訝しがって秀晶が聞いた。
「あ、うん、サンティアゴの別名なんだ。雷の子ら、って意味で。ね、マリアさん?」
「Si、サンティアゴ様は気性の強い方デシタカラ」
【主】
と刑部がここで秀晶に呼び掛けて説き明かした。
【別に聖ヤコブのボアネルゲスはヘブライ語で『神の声』を意味する。その雷の如し声は人々を震え上がらせたという。吾のウォークス・デリと同じじゃな。ヨシ殿はそれを金吾殿から聞かされて咄嗟に口にしたのであろう】
なるほどと納得して秀晶はもう一度サンティアゴ像を見上げた。
と、その時、奇妙な物が目に付いた。
像が手にする杖に乾いた瓢箪が赤い紐でぶら下がっていたのである。
「マリアさん、あの瓢箪は何ですか?」
秀晶は指さして尋ねた。
「え、ああ、それはデスネ………」
マリアは何故かここで言葉を止めてから明らかにした。
「秀吉の瓢箪デス。ほら、旗印にあるでショウ?細川家も太閤の下で働いてましたカラ」
「あはは、そうだったんですね。でもマリアさん、本当に日本の歴史に詳しいですね。下手な日本人より知ってると思います」
「そうデスネ。関ヶ原がワタシの故郷テルエルと似てるせいなのかもしれまセン。山の中にあってとてものんびりした所デスシ。気候が厳しい所もそっくりデス」
「へー」
「テルエルは地理的にイスラム教世界とキリスト教世界が融合した場所デス。テルエルの語源もアラビア語で雄牛。これはイスラム教徒が牛の角に松明(たいまつ)をつけてキリスト教徒に向かって放った故事から採られマシタ。倶利伽羅峠(くりからとうげ)で平維盛(たいらのこれもり)軍を破った源義仲(みなもとのよしなか)の用いた『火牛の計』と同じデスネ」
「スペインでも日本と似たような事してたんですね」
「似てるのはそれだけではありまセン。テルエルにはムデハルというイスラム様式の世界遺産の建物もありマス。関ヶ原も日本の真ん中にあっテ、東西の文化が混ざり合っていマス。それとテルエルは首都マドリードからの直結する鉄道がありまセン。山岳地域デスし一時は地味すぎたので観光客誘致のために『Teruel existe(テルエル・エクシースト)』、これはテルエルは存在しマス、という自虐的なキャッチコピーを使ったのデスガ、関ヶ原も交通の便は決して良くありまセンシ、日本地図でも関ヶ原の場所正確に言い当てられる人少ないデス。そのうち『関ヶ原は存在する』と銘打たなければならないカモしれまセン」
「あはは………」
ある意味正確な現実に苦笑する秀晶を見て微笑したマリアは続けた。
「ワタシの故郷はそのテルエルの中でも秘境と呼ばれるアルバラシンです。標高が千二百メートルの断崖の上に立つ村で人口も僅か千人程度です。関ヶ原の方がずっと人の数は多いデス。でも『天空の鷹の巣』と呼ばれてスペインで最も美しい村に選ばれた事もありマス。ワタシが誇る美しい故郷デス」
「マリアさんどうしてそこから関ヶ原へお嫁さんに来たんですか」
「それはワタシとグァポの馴れ初めを聞きたいんデスカ!?」
よくぞ尋ねてくれましたとばかりに急にキラキラした瞳でマリアは秀晶の顔の前に寄った。
「あ、はい、そうです」
「では教えて差し上げマス」
マリアは秀晶を会衆席に座らせると昔話を語り出した。
「ワタシが大学生の時、母が見聞を広めなさいと外国へのホームステイを勧めてくれまシタ。ワタシは元々日本文化に興味がありまシタシ、日本語の講義も受けていましたノデ、迷わずこの国を選びマシタ。そのホームステイ先がこの細川家だったんデス」
「へえ」
「それで同年だったグァポはワタシにとても親切にしてくれマシタ。ワタシ直ぐにグァポが好きになりマシタシ、グァポもワタシの事を好きと言ってくれマシタ。でもホームステイは一ヶ月。ワタシは泣く泣くスペインに帰りマシタ。でもグァポがワタシを追い掛けてテルエルまで来てくれたのデス」
「きゃー、忠時さん素敵!」
「Si、とても嬉しかったデス。でもワタシ達の間には大きな壁がありまシタ」
「壁?」
「ワタシの家、細川家と違ってあまり裕福ではありまセン。それにワタシはスペイン人。直ぐに細川の家からグァポを連れ戻しに来まシタ。金を渡すカラ別れてクレと」
「そんな酷い!」
「グァポは関ヶ原細川家の跡取り、当然デス。ワタシ達は逆『テルエルの恋人達』のような身分違いの間柄デシタ」
「テルエルの恋人達?」
「テルエルに伝わるお金持ちのイサベルと貧しい家の息子ディエゴの物語デス。ディエゴはレコンキスタ(イスラム教徒からの国土復興運動)で戦功を立て五年後裕福になってイサベルと結婚すると誓いマシタ。でも、約束の年月が来てもディエゴは帰ってきまセン。ディエゴが死んだと思ったイサベルは他の人の妻になりまシタ。でもその時ディエゴが帰ってきたのデス」
「えッ!それでどうなったんですか?」
「ディエゴはあまりのショックで死んでしまいマシタ。イサベルも彼のお葬式の最中また嘆き悲しんで息を引き取りマシタ。それがテルエルの恋人達の悲恋の末路デス」
「ロミオとジュリエットみたい」
「そうデスネ。グァポはそんなテルエルの恋人達の話を知っていたから『絶対帰らない、ここでマリーと一生暮らす』と抵抗してくれたんデス。それとグァポはワタシにこうも言ってくれマシタ。『Contigo pan y cebolla(コンティーゴ・パン・イ・セボーリャ)』と」
「それはどういう意味ですか?」
「『あなたとならパンとタマネギで充分』、つまりアナタさえいれば貧しくても耐えていける、というスペインの言葉デス。ワタシはグァポの情熱にとても感動しマシタ。今でもその時のプロポーズはワタシの大切な思い出デス」
「それからそれから?」
秀晶はずっと前のめりになった。
「グァポの必死の説得のお陰で後々ワタシは細川家に嫁として迎えられマシタ。こうしてワタシは子宝にも恵まれ幸せに暮らしてマス。この小聖堂もグァポがワタシのために建ててくれたんデスヨ」
「ドラマみたいでロマンチック~」
うっとりと陶酔する秀晶にマリアは綻びつつも厳しい過去を語った。
「ちなみに関ヶ原とテルエルは他にも色々似てマス。昔、スペインでも内戦があって、テルエルでは特に大勢が亡くなりマシタ。関ヶ原でもそれは同じデス。だからヨシのお母さんの音依が平和な関ヶ原を目指してイルのはとても素晴らしいと思いマス。誰でも戦争なんてしたくありまセンカラネ」
「そうだったんですね………うん?ちょっとヨシ、さっきから黙って何してるの?」
秀晶は吉継がサンティアゴ像を不思議そうに見上げてからスマホを操作しているのに気付いた。
「あ、いや、何でもない。それよりマリアさん、俺達に見せたいものって何ですか?」
「お、そうデスネ、楽しくて脱線してしまいマシタ。こちらの部屋へ来て下サイ」
マリアは立ち上がると祭壇の左奥にある扉を開けて吉継達を招き入れた。
そこは意外にも十畳程の和室になっていて、その一番奥には衣紋掛けに掛けられた美しい花柄の着物が目に入った。
「あ!あの着物、私見覚えあるよ。あれ、どこだったかな?」
秀晶は靴を脱ぐなり衣紋掛けへ近付き着物を思い出すように見つめた。
「晶、それは大阪の玉造教会の壁画にある細川ガラシャが着ている小袖と打掛だよ。下げ髪のガラシャが白百合を手に持っているの写真で見た事あるだろ?」
「それだ!」
「でも本当にヨシはよく知ってマスネ!」
驚いてマリアは吉継に感心した。
吉継は苦々しく首をすくめた。
「汐恩に脅されるように色々細かく教えられたんですよ。嫌でも暗記しますって。高山右近の反対に描かれている細川ガラシャ画の作者は堂本印象画伯、身につけている小袖は薄紅梅地に椿に菊の辻ヶ花文様、打掛は綸子地、松皮菱に桜文様、裏地は印金牡丹唐草。覚えなきゃ殺されます」
「あはは、汐恩ならやりかねないね」
「二人ともワタシのボニートに酷い言いようデスヨ。その着物はいつかボニートがお茶会とかに着てもらうつもりで作ってもらったんデス」
「汐恩はこれ知ってるんですか?」
いいえ、とどこか悲しげにマリアは頭を振った。
「だったら今度の大茶湯でこれ着たら………あれ、これ何?」
この時秀晶は着物に隠れていた赤い紐をスルスル持ち上げた。
その紐の先には穴の空いた白い貝殻が結わえられていたが、何故かそれはいくつかに割れていたようで、接着剤で無理矢理くっつけてあるように見えた。
「ホタテ貝?」
「No!」
驚くことにここでマリアが猛烈な勢いで突進し、その貝を奪い取って自分のニットジャケットのポケットにしまい込んだ。柔和な顔から一転してその表情には焦りの色が見えている。
秀晶は頭を下げた。
「あ、あの、マリアさん、ごめんなさい。勝手に触ってしまって」
「あ………イイエ、それは大丈夫デス。気にしないで下サイ」
再びいつもの顔に戻ったマリアは、
「それより見てほしいのはこれデス」
と部屋の隅に置いてあった茶棚から一つの茶碗を取り出し吉継に手渡した。
それは乳白色の生地に深い緑色と黒色で魚などの幾何学模様が彩られた見たこともない器であった。ただ貫入(かんにゅう。細かいひび割れ)もあり、どことなく日本の椀のようにも感じられた。
「それはワタシの故郷の焼き物デス」
「テルエルの?」
「Si。よかったらヨシ達、今度の茶会で使えませんか?」
秀晶は即座に喜んだ。
「わあ、それいい!外国の茶碗で抹茶飲めるなんて絶対面白いよ。それに綺麗だし。これだったら長月達に対抗できるんじゃない、ヨシ?」
「うん、確かに。何か菓子に結び付きそうなイメージが湧いてきそうだ」
吉継は茶碗の柄をじっくり見た。
「でしょ?」
「でも、問題はこの茶碗を汐恩が使ってくれるかだな」
意味ありげに視線を送られたマリアは笑って親指をグッと立てた。
「おー、それならワタシからボニータに話しておきマス。だから心配は要りまセン。後はヨシ達、美味しいお茶菓子作って下サイネ」
それから二日後の三月四日の土曜。
前日から降り続いた雪が更に激しくなって吹雪のような荒天となっていた。
午後八時のひすとり庵の週末もさすがこの大雪には勝てず、たった今帰ったお客で店内には誰もいなくなった。
「まあ、関ヶ原だから冬にはこんな日もあるわよね」
がらんとなった店内とスマホの天気予報を見直した音依が赤いシェフ帽を脱いで短く溜息を吐いた。外には車の通る音すら聞こえておらず大風が外の暖簾をバタバタとはためかせていた
「この雲の流れじゃ明日まで当分止みそうにないか。晶ちゃん、悪いけどその洗い物終わったら暖簾中にしまってくれる?ひすとり庵今夜はこれにて看板にします。それからみんなでご飯ね」
「はーい」
秀晶は元気よく手を挙げた。今日は悪天と看護師の母が夜勤で家に帰ってこない事も重なって吉継の家に泊まっていくのが決まっていたためである。
近所の秀晶はたまに母親の都合でこうした外泊をして音依と一緒に寝る事も珍しくなくなっていた。
叔母の朝妃や他のバイトの人にも帰ってもらい、本当に店内は音依と吉継と秀晶だけとなった。
吉継は冷蔵庫の中身を確かめると顔を渋くした。
「でも母さん、この食材の残りどうするの?週間天気で仕入れの量少なくはしてたみたいだけど、まだ野菜とか魚介類そこそこ残ってるよ?それと筒井さん昨日間違って多めに炊いちゃった冷凍ご飯もさ」
「そうねえ、折角だからそれらは今晩使い切りましょう。ヨシちゃんならその食材で何のまかない作る?」
「うーん、かいせ………」
「海鮮炒飯はなしね。手を抜いちゃ駄目」
「げ、見透かされた」
「フィメ(魚介の出汁)とかだったら私の方にストックあるけど」
「あ、私は美味しい鯖料理が食べたい!」
秀晶が暖簾片手にリクエストした。
「晶、お前、冷蔵冷凍庫の中身を把握するようになったな」
「だって材料出してって言われるから自然に目がいっちゃうんだもん」
「まあ、それも手伝ってもらってるからな。分かった、何か鯖工夫して作るよ」
半分呆れながら吉継は各テーブルの上に椅子を載せながら了承した。
「やったあ」と秀晶がウキウキ顔で「CLOSED」のプレートをドアノブに掛けて施錠しようとした矢先、カラリと扉が開いて一人の客の姿が確認できた。
どうやら女性客の様であるが、店はもう片付けが殆ど終わっている。
「あ、すみません、今日はもうお店終わりなん………ヒヤッ!」
やんわり断ろうとした秀晶であったが、その風采に驚いて尻餅をついた。精気のない顔ながら目だけが真っ赤に染まった目を爛々と光らせ、白い服の首筋から伸びる長い黒髪を雪風にバサバサと舞い上がらせている。
「ゆ、雪女!?」
「晶、どうした!」
奇声に驚いた吉継が駆け寄ってきた。
「あ、あれ!ヨシ!」
秀晶は白服の女を怖々指さした。吉継はその方向を見て聞いた。
「お前、汐恩か?」
「………へ?汐恩?」
目をこらすと確かに汐恩である。白いロングコートを着て、うな垂れ、真っ青な顔で充血した目がいつもの凛とした汐恩とはまるで違っていた。
「夜分にごめんなさい。いいかしら?」
蚊の鳴くような声で汐恩は呟いた。外を見ると一人で何も持たず歩いてきたようでその足跡だけが残っている。
「お前、傘も差さないでどうしたんだよ!母さん、急いでタオル持ってきて!」
取り敢えず汐恩を店内に入れて、コートに掛かった雪を払いのけ吉継は音依に頼んだ。
「あら、細川さん家の汐恩ちゃんじゃない!御両親は?」
タオルを持ってきた音依も濡れた髪を拭きながら玄関を見渡した。
「………それは」
グッと拳を握る汐恩を見て音依は何かを察したのか、
「ヨシちゃん、ここはいいからとびきり熱い生姜紅茶を淹れてあげて」
と吉継に指示して汐恩をカウンター席に座らせた。
「寒くない、汐恩ちゃん?」
音依は濡れたコートを脱がせ、ストーブを近くに寄せると汐恩の顔を優しく拭いた。
すると汐恩は唐突に一筋の涙を流した。
「ありがとう、ござい、ます」
泣きながら途切れ途切れに礼を言う汐恩の前に吉継は淹れたての紅茶を出した。
「ほら、温まるぞ」
コクリとただ頷いて汐恩は紅茶を飲んだ。
「美味しい」
汐恩はまた泣いて涙を紅茶にこぼした。
「あらあら、塩紅茶になっちゃうわよ」
明るく微笑んで音依はその涙も拭いてやった。
「私、私!」
汐恩は急に音依に向き直り声を大にして叫んだ。
「私、貴女みたいな母親が良かった、あんな偽善者の外国人の母でなくて!」
「ぎ、偽善者?それマリアさんの事?」
「そうです。偽善者以外なんでもありません!それにお父様までまんまと乗せられて!お父様はあの魔性の女に誑(たぶら)かされているだけなんです!」
「ちょっと、汐恩ちゃん、一旦落ち着いて。何があったの?」
乱暴な言葉で取り乱す汐恩を音依は宥めた。
汐恩はボソリと呟いた。
「お父様が私をぶったんです………」
「忠時さんが?」
音依はこの時汐恩の目が泣きはらして充血しているのだと気付いた。
「普段は温厚なのに。きっとあの女狐に性格を変えられてしまったんです。お父様は私があの女を以前から嫌っている理由を問い質してきました。私は洗いざらいあの女の悪い人間性を言い立てました。そうしたら突然もの凄い形相で私を殴ったのです」
語気荒く汐恩はテーブルを叩いた。
「お父様は変わられた。全てはあの性悪スペイン女のせいです!あんな女狐、母親だと思いたくない!」
「女狐って、汐恩、マリアさんとってもいい人だよ。汐恩の事大好きだって私達にも話してたし」
秀晶がマリアの事を庇った。それが汐恩の逆鱗に触れた。
「貴女に私の家の何が分かるんですか!」
汐恩は激高した顔を右隣に向けた。
「ああやって誰にでもいい顔をして本心では周りを騙してるんですのよ!関ヶ原には珍しい外国人だからチヤホヤされていい気になって。あの言葉にも虫酸が走ります!」
「で、でもお父さん、マリアさんがホームステイで帰った後にスペインまで追っかけてったって昔話聞いたよ。そんなに悪い人ならお父さん分かると思うんだけど」
「それがあの女狐の女狐たるゆえんです。それにどうせ細川家の資産が目当てで芝居をしてるだけなんですのよ。私だけは絶対惑わされません!あの女を家から追い出してやるまでは!」
憎悪に満ちた癇癪声をあげてからハアハアと息を切らせた汐恩に皆は黙った。
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