「主も人が良い」
家の裏口についた頃、ポケットで金吾がモゾッと動いた。
吉継の実家「ひすとり庵」は国道二十一号線から松尾の分かれ道を西に向いて直ぐ南側に建てられている。一件古民家だが、二年前改装したばかりの内壁に今須杉の建材を使っているため、木の匂いが今でも漂っている。
店のキッチンからは父親が淹れているコーヒーの香りが鼻をくすぐり、裏口付近のスモーク小屋からは燻製中の手作りベーコンの煙が吉継の空腹を刺激した。
この店舗は夫婦で分担経営をしており、早朝から昼二時までが父親の高影が喫茶店を、夕方六時から午後十一時までは母、音依がキッチンに立っている。
今日は清掃日であったため特別に音依は起床していたが、基本いつも昼二時まで眠っている。
対して父は朝早くからパンを焼くため夜七時には眠り、居酒屋の時間帯には全く顔を出さない。朝妃(あさひ)という親戚の叔母が朝と夜をパートで働いてくれているが、ある程度の時間になれば帰ってしまう。
吉継は、平日は学校のため夜のキッチンを、土日祝日の朝は喫茶店を追加というサイクルで手伝っている。この後も朝食が終われば父のヘルプが待っていた。
「アポート能力者のお前がいるからな。帽子くらいあげても余裕だ」
靴を脱いだ吉継は家の台所に用意してあった卵サンドをさっさと平らげて意気揚々と二階の自室へ階段を上がっていった。
するとスマホのバイブで、母が近所の人とまだ井戸端会議をしているとの報せがあった。昼の音依に会うのは珍しいのだろう、捕まって身動きがとれずに困っている母の姿が目に浮かんだ。それでも親として連絡はこま目に送ってくる。だから「お駄賃千円楽しみにね♪」との文字も見逃さなかった。
ゴミ拾い代千円は大きい。余計心が弾む。
「幸福の鉛筆か~。俺もやっと運が向いてきたかな。でもこんな便利な金吾に飽きるって今までの持ち主は何なんだ。物持ちになりすぎたのか」
するとビクッビクッとポケットがうごめいた。
「おい、金吾。どうした」
返事がない。
ま、いいやと吉継は自分の部屋に入って貯金箱を持ち上げた。
「今までは♪九千円♪今日のを足せば一万円♪」
すっかり有頂天になり自作の歌を機嫌良く口ずさみながら貯金残高のボタンを押して数字を眺めた。
「あれ?」
吉継はすぐ変事に気付いた。
貯蓄のデジタル数字が「6848」となっていた。
「電池切れかかってるのかな、でもディスプレイの数字はハッキリ表示されているし故障かな。今までこんな間違いなかったけど」
おかしいなと思って吉継は確認のため中身を取り出し札と小銭を計算した。
「………あれ、今日の朝まで確かに九千円あったよな。なんで二千百五十二円足りないんだ」
迅速に暗算して吉継はもう一度数字を見直した。
この貯金箱は、硬貨は入金時自動で計算してくれるがお札は手動で入金ボタンを押さねばならない。つまり誰かがその都度金額を打ち込む必要があるし、第一、個人の暗証番号とセキュリティーカードがあるため他人が勝手に開ける事は出来ない。両親は子供の貯金に手を付ける人ではないし、もし泥棒なら貯金箱ごと盗んでいくだろう。
「2152円」。
最近どこかで見聞きした数字のような気がする。
冷静に過去を振り返る。
すると暫くして吉継の脳裏に一つの計算式が浮かんだ。
100円〈ポカリスエット税抜き〉+2052円〈チョッパー帽税込み〉=2152円。
(まさか)
嫌な予感がした吉継はそっとスマホを取り出し「小早川 金吾 鉛筆」で検索してみた。
すると2ちゃんねるの古い掲示板の中に三つの文章が見つかった。
「厨二乙」とか「妄想乙」とかの嘲笑を省いたものが三人のコメントであった。
929:名前:名無しさん@小早川憎い
私は恐ろしい鉛筆を作ってしまった。小早川秀秋の恨みは深い。 あの貧乏神のせいで私の人生は終わった。今はどこかに消えて安堵。
938:酒好きは氏ね
>>>929
あれの元凶はアナタですか。恨みます。私もあの鉛筆の被害者です。情にほだされて拾わなければよかった。貯蓄を全て食い潰されました。騙された。悔しい!私は捨てました。
955:世の果てまで
>>>938
「警告」。拾わないで下さい。金吾鉛筆は嘘つき、神様なんていません。破産を招く災難の鉛筆です。私はあれをとある場所に捨てました。
「小早川、金吾、中納言、秀秋君~」
どす黒い低音で吉継は胸元の鉛筆を掴みあげ、2ちゃんねるの画面に押しつけた。怒気の影がかかった瞳の奥には怒りの炎が燃えている。
「要・説明・大至急」
「いや、これは、そのじゃな………」
しどろもどろになる金吾の口調に吉継は確信した。
「てめえ、知ってて黙ってやがったな。何が幸福の鉛筆だ!思いっきり『不幸の鉛筆』じゃねえか!」
「お、落ち着こうぞ、主」
「これが落ち着いていられるか。何だ、貧乏神だの破産だのって。俺の貯金が減ったのもお前のせいだろ」
「それは、吾もアポートが只とは申しておらぬし、買い物には支払いが当然じゃ。ほれ、送料は無料ゆえ便利じゃろ。アポートで品物が一瞬で届き、アスポートで購入金額を瞬く間に送るのが吾の能力じゃ。そうそう、アスポートとは物品移動を意味して引き寄せの逆じゃ」
「遺言はそれだけか、死神鉛筆」
「吾は誰も殺しておらぬ」
「じゃあ三人ともお前を呪ってるのは何でだ!」
「あれは、守護神がルーズなのと、昔の吾が力を制御出来なかったゆえの、ちょっとしたアクシデントじゃ。悪気があった訳ではない」
「ちょっとしたアクシデントぉ?」
詳しく話せとの無言の圧力が金吾に降りかかった。
期待から幻滅に変わった反動の負オーラが甚だしい。
金吾は弁解に必死になった。
「吾が人助けをしたいと念じるのは誠じゃ。ただ依巫の守護をしている神の引き寄せ品の審査が甘かったり、依巫自身が欲に走って能力以上の物を願ったために起きた事故なんじゃ」
「欲?」
「豪邸とかダイヤモンドとか」
「げッ、そんな贅沢品まで引き寄せられるのかよ」
「引き寄せには相当の対価が要る。ゆえに皆は無一文になった」
「そんなの引き寄せた品物を売り飛ばすなりすれば破産なんかしないだろ」
「それが、そのな、アポートされた品物には法則があって………」
「まさか売れないとかほざくんじゃないだろうな」
「いや、売るとか売らないとか以前に、大抵は依巫の所有にはならぬ決まりなんじゃ」
「………は?」
「つまりは困っている誰かの手に無料で渡る、という仕組みになっておるのじゃよ、ハハハハ」
「そうか、そうなっているのか、ハハハ…って笑い事じゃねぇだろうが!この疫病神!」
吉継は鉛筆を捻りながら聞き足した。
「てめえはウチの全財産食い潰して自分だけ成仏しようって腹か?ああん!」
「待て待て、金を使うのはあくまで依巫の分だけじゃ、家族には迷惑はかからぬ」
「俺にはかかるんだろうがよ!このクソ鉛筆。やっぱりてめえはこんな時にまで裏切りやがって。助けるどころか人を破滅させるだけだろ」
よし、契約破棄決定、と吉継は階段を降り裏口に向かった。
「ウチの裏庭の小屋には色々あるんだよ。業務用燻製機、ピザ用石窯、パン焼き釜、バーベキューコンロ。さて、どれで灰になるまで焼き尽くされたい?」
「ちょっと待て、主」
「もう主じゃねぇ。勧誘の際、重要事項について事実でないことを告げられて契約した場合には、不実告知により契約を取り消すことができるって消費者契約法にあるんだよ。それに俺は未成年だ。法定代理人の同意を得ないで行った法律行為は、取り消すことができるし、取り消しは、法定代理人のほか、未成年者本人も単独ですることができるんだよ」
「な、なにゆえ童がそんな法律を知っとるんじゃ」
「ネット世代なめんなよ」
いつの間にか契約違反のサイトを開いていた吉継はページを金吾に見せ付けた。
「火あぶりが嫌なら介錯してやろう」
キチキチキチとどこからか取り出したカッターナイフの刃を押し出す吉継に金吾は、
「いやいや、待ってくれ。確かに話をせなんだ吾も悪かった。それは認めようぞ」
「辞世の句は出来たか?」
「待てと申しておる。吾の人助けは吾だけのものではない。依巫自身の善行を積む事にも直結するんじゃ。吾が霊依しての人助けも依巫自身が人助けするのも実は同じなのじゃ」
「つまり俺が誰かを助ければお前が人助けしたのと一緒ってか」
「左様、まさにWIN-WIN(ウィンウィン)の関係じゃ、ワハハ」
「ほほう、どうやら鋸引きの刑の方が好みとみえる。一方的に金を使い込まれる俺にはウィンが無いんだが」
目尻をヒクヒク痙攣させながら今度は糸鋸を手にしている。
ギャッと金吾は吉継の手から逃れて家の中へ跳ねて逃げていく。
「待ちやがれ、金吾」
「話は未だ終わっておらぬ。大体人間社会の契約と神の契約は違うと了承したばかりではないか」
「うるせえ、この裏切り者、ペテン師、横領犯」
「罪名をいくつも足すでない」
階段を飛び上がりながら金吾は応酬した。
「神との契約は絶対じゃ。大体おぬしに降りている神はそこいらの神ではない。引き寄せの金額とてさほどのものではなかろう」
「そういう問題じゃねえ。俺はお前の小狡いやり口が気にくわないんだ。おとなしくお縄につけ」
「つかぬ。それにまだ大事な触れを一つ伝えておらぬ。おぬしの神からの言伝じゃ」
「何?」
金吾は吉継の部屋に入りベッドに飛び乗った。
「尸者は神霊との間で伝言の取り次ぎをする。直接の授かりではないが、先程送られてきたイメージがある」
「ハン、この狼鉛筆め、往生際が悪いぞ。嘘を重ねてまで助かりたいか。そろそろ観念しろ」
鋸の細い刃を向けて吉継は細い目で睨んだ。金吾は左右に頭を振った。
「嘘ではない。吾の脚をおぬしの額に当ててくれ」
「脚?」
「青い色じゃ。これは戯れ言でも騙しでもない、頼む。嘘であらば煮ても焼いても構わぬ。頼む、この通りじゃ」
お願いの腰を曲げた金吾に吉継は左手で鉛筆を握り、
「これっきりだぞ」
と、青色の芯の部分を眉間に当てた。
すると突然脳裏に鮮明な動画が流れてきた。
それは先程松尾山の麓で会った親子の姿であった。母親に声を掛けられたが吉継がそれを無視した結果、母親は子供を無理矢理連れ登山を決行、やがて子供は山頂で発熱し、遅れた救助で運ばれるも息を引き取った。その亡骸にすがりつき泣き叫ぶ母親。それが原因で夫と喧嘩し後にすさんでいった母。そして崩壊した家族。
ここで映像がプッツリ途切れた。
「これは………」
「もしおぬしがあの子供に手を差し伸べておらなんだら、との未来じゃ。今度は吾の頭を同じように当ててくれ」
「赤い方か」
「うむ」
吉継は鉛筆をひっくり返し同じように額に当てた。すると今度は吉継が与えたチョッパー帽子を父親に自慢して家族で喜び合う一家団欒の様子が見えた。
「幸せそうじゃろう。それが吾の望む人助けじゃ」
吉継の手の中で金吾はしんみり語った。
「吾は間接的であれ多くの者を傷つけた。吾はもう誰かが人を憎んだり悲しむのを見とうない。ゆえにどうしてもおぬしの力を借りたかった。騙して済まぬ。いや、謝って許される儀ではないかもしれぬが、願わくば吾は、吾は………」
二色鉛筆は目もないのに泣いているように感じた。
暫くして吉継は糸鋸を机の上に置いて小声で言った。
「本当に無料なんだろうな、勉強」
「………は?」
「だ・か・ら、お前の家庭教師は金が要らないんだろ。俺、理科とかが苦手でさ」
「………許してくれるのか、おぬし」
「許した訳じゃないぞ。こうなったらお前をとことん便利使いしてやろうと考え直しただけだ」
「あるじ~♪」
掌をすり抜け顔にペタペタ貼り付いてきた。
「わッ、馬鹿、馴れ馴れしくするな」
「ならば吾の人助けを手伝ってくれるのだな」
「………高額な物は絶対引き寄せるなよ。俺の金は大事なんだ」
「了承致した、可能な限り」
「お前反省してないだろ」
こういう経緯で吉継と金吾鉛筆は再度の契約に至り、吉継は勉学を教わる代償として人助けの労力に勤しまねばならなくなった。
ところが約束もどこへやら、金吾は霊依アポートの際にはドンドンと小遣い銭を減らしていく。どうしても必要な手段と後で訴えてくるのだが、その減額していく貯金箱の数字を見る度、吉継は家の手伝いを必死にこなさねばならなくなった。
しかし塾や家庭教師の代金に比べればまだ安いので、それを考慮すればプラスなのだろうが、貯まらない貯金箱にはため息しか出ない。
そうこうしている内に年も改まり、件の「雑煮合戦」の渦中に巻き込まれる事態となった。
吉継は、もとい、霊依した金吾は左胸ポケットの「小早川吉継」と彫られた楕円形名札を揺らして主張した。
「いいか、お前たちは思い違いをしている。皇先生は東京と大阪の雑煮のどちらが優れているかじゃなく美味しいのはどっちかと質問しただけだ」
金吾は担任の皇武美に振り返った。武美はにっこり肯定の首を振った。
「だからすまし汁の東京だって。大体コバはどっちの味方よ」
それでも納得いかない元が再び熱弁し、裏切るとハブるわよと遠方から問い鉄砲を放ってきた。
「味噌の大阪にこそ美味はある。ヨシ、松平君の脅迫に負けるな」
負けじと三大も狼煙代わりに目配せをした。
「元もミツも一寸待て。押し問答をする前に二人とも肝心な点を忘れているぞ」
「肝心な点?」
声を揃えた元と三大はフンと顔を背けた。やれやれと二人を持て余した金吾は先ず三大に向かって問い掛けた。
「ミツ、関ヶ原の、お前ん家の雑煮はどんな中身だ」
「あ、そりゃ角餅に餅菜と鰹節だ」
「汁は?」
「………すまし汁だな」
答えに一瞬間が空いた。
「嫌いか?」
「嫌いじゃない、な」
次に金吾は元へ向いた。
「じゃあ、元。お前のトコの餅って角餅か丸餅か」
「………丸餅」
こちらも歯切れが悪い。
「焼いてあるか」
「ううん、そのまま煮てる」
「だったら言い争いなんて無意味だろ。ミツの親戚は滋賀県で関西、元の親の在所(ざいしょ・実家)は愛知三河。家康贔屓の東京寄りになるのはしょうが無い。でも雑煮は全国で様々だ。岐阜の雑煮は全国で最も貧しいと罵る人間もいるけどそれは誤解だ」
金吾は教壇に立ち黒板に簡単な日本地図を書いた。そして四県に○印を付けた。
「岐阜県の雑煮は愛知県の物と全く同じ。だから岐阜だけが具が貧相と決め付けられるのは誤っている。石川県の雑煮に至ってはすまし汁に丸餅と芹だけ。富山は切り餅に細葱だ。中身だけで考えれば共に贅沢じゃない」
簡単な材料イラストもチョークで描いて金吾は続けた。
「一見すれば確かに乏しい。でも餅の味をそのまま感じるのは石川や富山が一番適してる。大抵がおせち料理と共に食するならシンプルに餅を楽しめる、それは岐阜も同じだ。おい、左近」
唐突に金吾は嶋左人志(さとし)に指を差した。
左近とは左人志のあだ名で、石田三成の家臣・島左近勝猛から取っている。地元のサッカークラブに属し、サバサバした性格のイケメンで女子から受けが良いが、堅物の三大と仲が良いので幾分近寄りがたい存在でもあった。
「おう、ヨシ、何だ」
金吾は四国と中国に○印を追加しながら質問した。
「香川県の雑煮は白味噌にあんこが入った丸餅だ。鳥取の雑煮は丸餅ぜんざいそのもの。甘い雑煮ってどう思う?」
「え、あ、いいんじゃね」
えーッとその思い掛けない答えにクラスがざわめいた。
何だよ、と左人志は不機嫌になった。
「左近、怒るな。地元の味しか知らない人間の反応はこんなものだ。でもその香川や鳥取からすれば俺たちの雑煮の方があり得ないと笑うだろう」
「まあな」
「要するに好みの問題だ。それに雑煮は郷土の味そのもの。その地元民が美味しいと感じればそれでいい。で、ミツ、元、どこの県が一番優れている?」
「それは………」
困りながらも納得していない二人の様子に金吾は指をパチンと鳴らした。
【こら、金吾、また勝手にアポートしやがったな】
吉継は体の中で騒ぎ立てるが声は届いていない。
指を鳴らすのが引き寄せの合図なのは経験上分かっている。金吾が料理に詳しいのは依巫である吉継の知識と守護神の力に依る。
金吾は二人に尋ねた。
「な、ところでお前ら『どん兵衛の東西食べ比べセット』知ってるか」
「駅前のショップに売ってるやつか?」
三大が即座に反応した。
「関ヶ原町民なら常識」
元も威張って顎を上げた。
日清食品のどん兵衛は昆布だしの西日本版と鰹だしの東日本版でスープが異なっているのはよく知られている。その違いは汁の色を見れば一目で分かるほどである。関ヶ原がその味の境になっているのは既述したが、それを記念して関ヶ原駅前観光交流館では、長野剛氏の東西武将イラストを付け東軍・西軍のシールを上蓋に貼り、両方の味を楽しめるオリジナルパッケージ大・小セットで販売されている。
「二人は食べ比べたか?」
「私はきつねうどんも天ぷらそばも両方食べたわよ。ま、東軍の方がもちろん美味しかったけど。ねぇ、石田君」
元の見下す視線に三大は上目遣いに睨み返して冷笑した。
「実に下らないね。西軍の方があっさりしてて素材の味を活かしている。東軍のスープなんて濃すぎてとても飲めたものじゃない」
またしても再燃する議論に金吾は、待てと制止した。
「好みの問題だと結論付けたろう。争点はきつねと天ぷらじゃなく、これを食べたか、だ」
金吾は教卓の中から二つのカップ麺を取り出した。
「どん兵衛カレーうどん」である。東軍鰹だしには「濃こくカレーうどん」、西軍昆布だしには「旨だしカレーうどん」の文字が書かれていた。
「おい、ヨシ、お前、どっから出したんだ、それ」
三大の驚きに金吾は「手品だ」と誤魔化した。
「それより、どうだ、元は?」
「食べてない」
「ミツは?」
「俺もカレーうどんは無いな。品切れしている時も多いし」
「じゃあ、今食べ比べてみよう。ところで先生、職員室にお湯はありませんかね」
金吾は教師を横目で見て微笑した。コーヒーやお茶を飲むから職員室が一番あり得る。騒動の発端は先生の発言のせいでもあるでしょ、との皮肉がこもった笑顔でもあった。
「湯沸かしポットがあるわ」
「ではお願い出来ませんか。ついでに箸を二膳とスプーンが二つとお椀か、それに類する器を二つ」
仕方ないわねとばかりに武美は肩をすぼめ、教室を出て十分ほど後、金吾に頼まれた物を全部揃えて戻ってきた。
金吾は礼を述べ、早速東西のカレーどん兵衛に湯を注いだ。直ぐに教室中にカレーの香りが漂ってきた。放課後である、皆空腹なため余計腹が鳴った。
そして五分後、蓋を開けた金吾は二つの味をそれぞれ半分ずつ椀に取り分け、二人に渡し、早く食べ始めるよう勧めた。ただしスープは残しておくよう指示があった。
そうして暫くしてから二つの味の麺を食べきった三大に金吾は感想を求めた。
「さて、ミツ、どういう風に感じた?」
「東の味の方がやっぱり濃いな。西のは薄目だ」
「そうね、私も右に同じ」
口をハンカチで拭った元も小声を尖らせ不本意ながらも同意した。
金吾は二人に向いた。
「で、どっちの勝ちだ?」
「………ヨシ、お前、俺たちをハメたな」
三大は椅子の背もたれに寄り掛かって金吾を一見した。
「ん?」
「とぼけるな。カレーうどんじゃどっちが美味いか判定しにくいだろ。両方ありだ。東軍のはパンチが効いてるし西軍のはさらりと食べやすい」
「あんたも結構な策士ね、コバ」
悔しいけど私も降参と元は三大と同様の感想らしく白いハンカチをヒラヒラ振った。大きく安堵の息を吐いて金吾は笑った。
「納得してくれればそれでいい。じゃ、スープが熱いうちにもう一品といきますか」
「まだ何かあるのか」
「残り物には福があるのさ」
ニヤッとの怪しい笑みに訝しがる三大だが、金吾はラップで包まれた握り飯を目の前にアポートで四つ出して見せた。そしてそれをカレー汁の残った容れ物に投入し、その上に溶けるチーズと刻んだトマトとイタリアンパセリを混ぜ合わせた。
「さあ、これが『どん兵衛即席カレーリゾット』だ。食ってみろ」
あまりの手際よさに三大は驚きを隠せなかった。
「ヨシ、お前のマジックすげえな。こんな生ものまで」
【そりゃ金吾のは本当の魔法だからな】
吉継は心内で自嘲していた。
「感心しなくていいから熱いうちにやっつけろ、元も」
「あ、う、うん」
渡されたスプーンで二人はリゾットをすくって口に入れた。そして揃って「美味い!!」と感嘆の声を上げた。
「え、残り汁でこんなの出来るんだ。トマトとチーズがまた良い味出してる~」
元が一心不乱にぱくつきながらコメントした。
金吾は自慢気に人差し指を振って解説した。
「安物の食材じゃないからな。溶けるチーズはモッツァレラとパルジャミーノのミックス、トマトも高糖度のアメーラだ」
三大も頷いた。
「それだけじゃない。ほろ苦いイタリアンパセリが他の味を引き立ててるんだ。今度家でもやろう」
すると教室中の我慢していた生徒が遂に「ずるいぞ、二人だけ」とのブーイングを起こした。金吾はこんな場合も想定して、ジャラリとプラスチックのミニスプーンを掌に人数分取り出し、残っている二つの器を差し向けた。
「うまーい」
ほんの一口だが大絶賛である。そんなの中、加藤佳乃が思い出して開口一番言った。
「私、カレーうどんにチーズじゃなく納豆入れる」
「ええ、合うの?」と小田咲良(さくら)と京極伊知花(いちか)が共に顔をしかめた。
「だってカレーライスのトッピングでもあるじゃない。変じゃないよ」
「うん、全然変じゃない」と庇ったのは田中吉美である。
「それなら俺はコロッケ入れる。カレー味コロッケに変身」
名塚正也が手を大きく振った。
「だったら俺は温玉」
安国恵太が意見をかぶせてくる。
「あれ、美味いよな、うちでもやる」
加茂郷汰が賛成した。
「私は赤味噌」
負けじと元も完食スプーンを掲げて乗った。出た、三河!とみんなが笑った。
「何よ、騙されたと思ってやってみなさいよ」
「なら俺はバターだな」
橘川広樹も参戦してきた。脇坂英治が吹き出した。
「プッ、おい、ラーメンシリーズじゃねえんだからさ」
「コクが出るんだってば」
「乳製品なら私は豆乳アイスを少々」
この発言は細川汐恩(しおん)である。凜としたお嬢様として、特に男子から圧倒的な人気がある。実際本物の令嬢なのでクラスでも影響力があった。
「はぁ、アイスクリーム?カレーうどんに?」
眉を寄せる元に汐恩は静かに笑んだ。
「猫舌なので。それにまろやかになってとても食べやすいの」
「へー、細川さんが推すなら美味そうだな。今度入れてみるか」
「だな。何か上品な献立に思えてきた」
毛里秀之や小西行人(ゆきと)らをはじめ、男子は大方ふらふらと汐恩に賛同した。
「ちょっと男子、私との差は何なの」
赤味噌を否定され面白くないのは元である。
「青汁にフルーツジュース混ぜてスムージーって馬鹿みたいに有り難がってる連中と変わらないじゃないのよ、それ!」
三大は、憎々しく親指の爪をかむ元の肩を叩いた。
「無い物ねだりの八つ当たりはみっともないぞ、松平君」
「………石田君、あなたの毒舌抜いてあげよっか?」
「おい、みんなカレーうどんに在り来たりなもの入れてるんだな。美味いってのはそうじゃないだろ。もっとインパクトが無いと」
と、つまらなそうに割り込んできたのが左人志であった。
「おお、そういう左近は?」
豪語する親友に期待して三大は発言を促した。
「ふふふ、俺のはスペシャルだぜ。驚けよ」
自信満々にスマホを操作し、ある写真を左人志は皆に公開した。そこには黒くコーティングされた果物がカレーうどんに浮かんでいた。
「やっぱカレーうどんにはチョコバナナが最高だ。一本まるまる入れると甘くてイケるんだぞ」
すると一人残らず生徒は絶句して、さあーっと「引いた」。
「あれ?」
何故との顔で左人志は困惑しつつ、そのまま東西食合戦の幕は閉じられた。
家の裏口についた頃、ポケットで金吾がモゾッと動いた。
吉継の実家「ひすとり庵」は国道二十一号線から松尾の分かれ道を西に向いて直ぐ南側に建てられている。一件古民家だが、二年前改装したばかりの内壁に今須杉の建材を使っているため、木の匂いが今でも漂っている。
店のキッチンからは父親が淹れているコーヒーの香りが鼻をくすぐり、裏口付近のスモーク小屋からは燻製中の手作りベーコンの煙が吉継の空腹を刺激した。
この店舗は夫婦で分担経営をしており、早朝から昼二時までが父親の高影が喫茶店を、夕方六時から午後十一時までは母、音依がキッチンに立っている。
今日は清掃日であったため特別に音依は起床していたが、基本いつも昼二時まで眠っている。
対して父は朝早くからパンを焼くため夜七時には眠り、居酒屋の時間帯には全く顔を出さない。朝妃(あさひ)という親戚の叔母が朝と夜をパートで働いてくれているが、ある程度の時間になれば帰ってしまう。
吉継は、平日は学校のため夜のキッチンを、土日祝日の朝は喫茶店を追加というサイクルで手伝っている。この後も朝食が終われば父のヘルプが待っていた。
「アポート能力者のお前がいるからな。帽子くらいあげても余裕だ」
靴を脱いだ吉継は家の台所に用意してあった卵サンドをさっさと平らげて意気揚々と二階の自室へ階段を上がっていった。
するとスマホのバイブで、母が近所の人とまだ井戸端会議をしているとの報せがあった。昼の音依に会うのは珍しいのだろう、捕まって身動きがとれずに困っている母の姿が目に浮かんだ。それでも親として連絡はこま目に送ってくる。だから「お駄賃千円楽しみにね♪」との文字も見逃さなかった。
ゴミ拾い代千円は大きい。余計心が弾む。
「幸福の鉛筆か~。俺もやっと運が向いてきたかな。でもこんな便利な金吾に飽きるって今までの持ち主は何なんだ。物持ちになりすぎたのか」
するとビクッビクッとポケットがうごめいた。
「おい、金吾。どうした」
返事がない。
ま、いいやと吉継は自分の部屋に入って貯金箱を持ち上げた。
「今までは♪九千円♪今日のを足せば一万円♪」
すっかり有頂天になり自作の歌を機嫌良く口ずさみながら貯金残高のボタンを押して数字を眺めた。
「あれ?」
吉継はすぐ変事に気付いた。
貯蓄のデジタル数字が「6848」となっていた。
「電池切れかかってるのかな、でもディスプレイの数字はハッキリ表示されているし故障かな。今までこんな間違いなかったけど」
おかしいなと思って吉継は確認のため中身を取り出し札と小銭を計算した。
「………あれ、今日の朝まで確かに九千円あったよな。なんで二千百五十二円足りないんだ」
迅速に暗算して吉継はもう一度数字を見直した。
この貯金箱は、硬貨は入金時自動で計算してくれるがお札は手動で入金ボタンを押さねばならない。つまり誰かがその都度金額を打ち込む必要があるし、第一、個人の暗証番号とセキュリティーカードがあるため他人が勝手に開ける事は出来ない。両親は子供の貯金に手を付ける人ではないし、もし泥棒なら貯金箱ごと盗んでいくだろう。
「2152円」。
最近どこかで見聞きした数字のような気がする。
冷静に過去を振り返る。
すると暫くして吉継の脳裏に一つの計算式が浮かんだ。
100円〈ポカリスエット税抜き〉+2052円〈チョッパー帽税込み〉=2152円。
(まさか)
嫌な予感がした吉継はそっとスマホを取り出し「小早川 金吾 鉛筆」で検索してみた。
すると2ちゃんねるの古い掲示板の中に三つの文章が見つかった。
「厨二乙」とか「妄想乙」とかの嘲笑を省いたものが三人のコメントであった。
929:名前:名無しさん@小早川憎い
私は恐ろしい鉛筆を作ってしまった。小早川秀秋の恨みは深い。 あの貧乏神のせいで私の人生は終わった。今はどこかに消えて安堵。
938:酒好きは氏ね
>>>929
あれの元凶はアナタですか。恨みます。私もあの鉛筆の被害者です。情にほだされて拾わなければよかった。貯蓄を全て食い潰されました。騙された。悔しい!私は捨てました。
955:世の果てまで
>>>938
「警告」。拾わないで下さい。金吾鉛筆は嘘つき、神様なんていません。破産を招く災難の鉛筆です。私はあれをとある場所に捨てました。
「小早川、金吾、中納言、秀秋君~」
どす黒い低音で吉継は胸元の鉛筆を掴みあげ、2ちゃんねるの画面に押しつけた。怒気の影がかかった瞳の奥には怒りの炎が燃えている。
「要・説明・大至急」
「いや、これは、そのじゃな………」
しどろもどろになる金吾の口調に吉継は確信した。
「てめえ、知ってて黙ってやがったな。何が幸福の鉛筆だ!思いっきり『不幸の鉛筆』じゃねえか!」
「お、落ち着こうぞ、主」
「これが落ち着いていられるか。何だ、貧乏神だの破産だのって。俺の貯金が減ったのもお前のせいだろ」
「それは、吾もアポートが只とは申しておらぬし、買い物には支払いが当然じゃ。ほれ、送料は無料ゆえ便利じゃろ。アポートで品物が一瞬で届き、アスポートで購入金額を瞬く間に送るのが吾の能力じゃ。そうそう、アスポートとは物品移動を意味して引き寄せの逆じゃ」
「遺言はそれだけか、死神鉛筆」
「吾は誰も殺しておらぬ」
「じゃあ三人ともお前を呪ってるのは何でだ!」
「あれは、守護神がルーズなのと、昔の吾が力を制御出来なかったゆえの、ちょっとしたアクシデントじゃ。悪気があった訳ではない」
「ちょっとしたアクシデントぉ?」
詳しく話せとの無言の圧力が金吾に降りかかった。
期待から幻滅に変わった反動の負オーラが甚だしい。
金吾は弁解に必死になった。
「吾が人助けをしたいと念じるのは誠じゃ。ただ依巫の守護をしている神の引き寄せ品の審査が甘かったり、依巫自身が欲に走って能力以上の物を願ったために起きた事故なんじゃ」
「欲?」
「豪邸とかダイヤモンドとか」
「げッ、そんな贅沢品まで引き寄せられるのかよ」
「引き寄せには相当の対価が要る。ゆえに皆は無一文になった」
「そんなの引き寄せた品物を売り飛ばすなりすれば破産なんかしないだろ」
「それが、そのな、アポートされた品物には法則があって………」
「まさか売れないとかほざくんじゃないだろうな」
「いや、売るとか売らないとか以前に、大抵は依巫の所有にはならぬ決まりなんじゃ」
「………は?」
「つまりは困っている誰かの手に無料で渡る、という仕組みになっておるのじゃよ、ハハハハ」
「そうか、そうなっているのか、ハハハ…って笑い事じゃねぇだろうが!この疫病神!」
吉継は鉛筆を捻りながら聞き足した。
「てめえはウチの全財産食い潰して自分だけ成仏しようって腹か?ああん!」
「待て待て、金を使うのはあくまで依巫の分だけじゃ、家族には迷惑はかからぬ」
「俺にはかかるんだろうがよ!このクソ鉛筆。やっぱりてめえはこんな時にまで裏切りやがって。助けるどころか人を破滅させるだけだろ」
よし、契約破棄決定、と吉継は階段を降り裏口に向かった。
「ウチの裏庭の小屋には色々あるんだよ。業務用燻製機、ピザ用石窯、パン焼き釜、バーベキューコンロ。さて、どれで灰になるまで焼き尽くされたい?」
「ちょっと待て、主」
「もう主じゃねぇ。勧誘の際、重要事項について事実でないことを告げられて契約した場合には、不実告知により契約を取り消すことができるって消費者契約法にあるんだよ。それに俺は未成年だ。法定代理人の同意を得ないで行った法律行為は、取り消すことができるし、取り消しは、法定代理人のほか、未成年者本人も単独ですることができるんだよ」
「な、なにゆえ童がそんな法律を知っとるんじゃ」
「ネット世代なめんなよ」
いつの間にか契約違反のサイトを開いていた吉継はページを金吾に見せ付けた。
「火あぶりが嫌なら介錯してやろう」
キチキチキチとどこからか取り出したカッターナイフの刃を押し出す吉継に金吾は、
「いやいや、待ってくれ。確かに話をせなんだ吾も悪かった。それは認めようぞ」
「辞世の句は出来たか?」
「待てと申しておる。吾の人助けは吾だけのものではない。依巫自身の善行を積む事にも直結するんじゃ。吾が霊依しての人助けも依巫自身が人助けするのも実は同じなのじゃ」
「つまり俺が誰かを助ければお前が人助けしたのと一緒ってか」
「左様、まさにWIN-WIN(ウィンウィン)の関係じゃ、ワハハ」
「ほほう、どうやら鋸引きの刑の方が好みとみえる。一方的に金を使い込まれる俺にはウィンが無いんだが」
目尻をヒクヒク痙攣させながら今度は糸鋸を手にしている。
ギャッと金吾は吉継の手から逃れて家の中へ跳ねて逃げていく。
「待ちやがれ、金吾」
「話は未だ終わっておらぬ。大体人間社会の契約と神の契約は違うと了承したばかりではないか」
「うるせえ、この裏切り者、ペテン師、横領犯」
「罪名をいくつも足すでない」
階段を飛び上がりながら金吾は応酬した。
「神との契約は絶対じゃ。大体おぬしに降りている神はそこいらの神ではない。引き寄せの金額とてさほどのものではなかろう」
「そういう問題じゃねえ。俺はお前の小狡いやり口が気にくわないんだ。おとなしくお縄につけ」
「つかぬ。それにまだ大事な触れを一つ伝えておらぬ。おぬしの神からの言伝じゃ」
「何?」
金吾は吉継の部屋に入りベッドに飛び乗った。
「尸者は神霊との間で伝言の取り次ぎをする。直接の授かりではないが、先程送られてきたイメージがある」
「ハン、この狼鉛筆め、往生際が悪いぞ。嘘を重ねてまで助かりたいか。そろそろ観念しろ」
鋸の細い刃を向けて吉継は細い目で睨んだ。金吾は左右に頭を振った。
「嘘ではない。吾の脚をおぬしの額に当ててくれ」
「脚?」
「青い色じゃ。これは戯れ言でも騙しでもない、頼む。嘘であらば煮ても焼いても構わぬ。頼む、この通りじゃ」
お願いの腰を曲げた金吾に吉継は左手で鉛筆を握り、
「これっきりだぞ」
と、青色の芯の部分を眉間に当てた。
すると突然脳裏に鮮明な動画が流れてきた。
それは先程松尾山の麓で会った親子の姿であった。母親に声を掛けられたが吉継がそれを無視した結果、母親は子供を無理矢理連れ登山を決行、やがて子供は山頂で発熱し、遅れた救助で運ばれるも息を引き取った。その亡骸にすがりつき泣き叫ぶ母親。それが原因で夫と喧嘩し後にすさんでいった母。そして崩壊した家族。
ここで映像がプッツリ途切れた。
「これは………」
「もしおぬしがあの子供に手を差し伸べておらなんだら、との未来じゃ。今度は吾の頭を同じように当ててくれ」
「赤い方か」
「うむ」
吉継は鉛筆をひっくり返し同じように額に当てた。すると今度は吉継が与えたチョッパー帽子を父親に自慢して家族で喜び合う一家団欒の様子が見えた。
「幸せそうじゃろう。それが吾の望む人助けじゃ」
吉継の手の中で金吾はしんみり語った。
「吾は間接的であれ多くの者を傷つけた。吾はもう誰かが人を憎んだり悲しむのを見とうない。ゆえにどうしてもおぬしの力を借りたかった。騙して済まぬ。いや、謝って許される儀ではないかもしれぬが、願わくば吾は、吾は………」
二色鉛筆は目もないのに泣いているように感じた。
暫くして吉継は糸鋸を机の上に置いて小声で言った。
「本当に無料なんだろうな、勉強」
「………は?」
「だ・か・ら、お前の家庭教師は金が要らないんだろ。俺、理科とかが苦手でさ」
「………許してくれるのか、おぬし」
「許した訳じゃないぞ。こうなったらお前をとことん便利使いしてやろうと考え直しただけだ」
「あるじ~♪」
掌をすり抜け顔にペタペタ貼り付いてきた。
「わッ、馬鹿、馴れ馴れしくするな」
「ならば吾の人助けを手伝ってくれるのだな」
「………高額な物は絶対引き寄せるなよ。俺の金は大事なんだ」
「了承致した、可能な限り」
「お前反省してないだろ」
こういう経緯で吉継と金吾鉛筆は再度の契約に至り、吉継は勉学を教わる代償として人助けの労力に勤しまねばならなくなった。
ところが約束もどこへやら、金吾は霊依アポートの際にはドンドンと小遣い銭を減らしていく。どうしても必要な手段と後で訴えてくるのだが、その減額していく貯金箱の数字を見る度、吉継は家の手伝いを必死にこなさねばならなくなった。
しかし塾や家庭教師の代金に比べればまだ安いので、それを考慮すればプラスなのだろうが、貯まらない貯金箱にはため息しか出ない。
そうこうしている内に年も改まり、件の「雑煮合戦」の渦中に巻き込まれる事態となった。
吉継は、もとい、霊依した金吾は左胸ポケットの「小早川吉継」と彫られた楕円形名札を揺らして主張した。
「いいか、お前たちは思い違いをしている。皇先生は東京と大阪の雑煮のどちらが優れているかじゃなく美味しいのはどっちかと質問しただけだ」
金吾は担任の皇武美に振り返った。武美はにっこり肯定の首を振った。
「だからすまし汁の東京だって。大体コバはどっちの味方よ」
それでも納得いかない元が再び熱弁し、裏切るとハブるわよと遠方から問い鉄砲を放ってきた。
「味噌の大阪にこそ美味はある。ヨシ、松平君の脅迫に負けるな」
負けじと三大も狼煙代わりに目配せをした。
「元もミツも一寸待て。押し問答をする前に二人とも肝心な点を忘れているぞ」
「肝心な点?」
声を揃えた元と三大はフンと顔を背けた。やれやれと二人を持て余した金吾は先ず三大に向かって問い掛けた。
「ミツ、関ヶ原の、お前ん家の雑煮はどんな中身だ」
「あ、そりゃ角餅に餅菜と鰹節だ」
「汁は?」
「………すまし汁だな」
答えに一瞬間が空いた。
「嫌いか?」
「嫌いじゃない、な」
次に金吾は元へ向いた。
「じゃあ、元。お前のトコの餅って角餅か丸餅か」
「………丸餅」
こちらも歯切れが悪い。
「焼いてあるか」
「ううん、そのまま煮てる」
「だったら言い争いなんて無意味だろ。ミツの親戚は滋賀県で関西、元の親の在所(ざいしょ・実家)は愛知三河。家康贔屓の東京寄りになるのはしょうが無い。でも雑煮は全国で様々だ。岐阜の雑煮は全国で最も貧しいと罵る人間もいるけどそれは誤解だ」
金吾は教壇に立ち黒板に簡単な日本地図を書いた。そして四県に○印を付けた。
「岐阜県の雑煮は愛知県の物と全く同じ。だから岐阜だけが具が貧相と決め付けられるのは誤っている。石川県の雑煮に至ってはすまし汁に丸餅と芹だけ。富山は切り餅に細葱だ。中身だけで考えれば共に贅沢じゃない」
簡単な材料イラストもチョークで描いて金吾は続けた。
「一見すれば確かに乏しい。でも餅の味をそのまま感じるのは石川や富山が一番適してる。大抵がおせち料理と共に食するならシンプルに餅を楽しめる、それは岐阜も同じだ。おい、左近」
唐突に金吾は嶋左人志(さとし)に指を差した。
左近とは左人志のあだ名で、石田三成の家臣・島左近勝猛から取っている。地元のサッカークラブに属し、サバサバした性格のイケメンで女子から受けが良いが、堅物の三大と仲が良いので幾分近寄りがたい存在でもあった。
「おう、ヨシ、何だ」
金吾は四国と中国に○印を追加しながら質問した。
「香川県の雑煮は白味噌にあんこが入った丸餅だ。鳥取の雑煮は丸餅ぜんざいそのもの。甘い雑煮ってどう思う?」
「え、あ、いいんじゃね」
えーッとその思い掛けない答えにクラスがざわめいた。
何だよ、と左人志は不機嫌になった。
「左近、怒るな。地元の味しか知らない人間の反応はこんなものだ。でもその香川や鳥取からすれば俺たちの雑煮の方があり得ないと笑うだろう」
「まあな」
「要するに好みの問題だ。それに雑煮は郷土の味そのもの。その地元民が美味しいと感じればそれでいい。で、ミツ、元、どこの県が一番優れている?」
「それは………」
困りながらも納得していない二人の様子に金吾は指をパチンと鳴らした。
【こら、金吾、また勝手にアポートしやがったな】
吉継は体の中で騒ぎ立てるが声は届いていない。
指を鳴らすのが引き寄せの合図なのは経験上分かっている。金吾が料理に詳しいのは依巫である吉継の知識と守護神の力に依る。
金吾は二人に尋ねた。
「な、ところでお前ら『どん兵衛の東西食べ比べセット』知ってるか」
「駅前のショップに売ってるやつか?」
三大が即座に反応した。
「関ヶ原町民なら常識」
元も威張って顎を上げた。
日清食品のどん兵衛は昆布だしの西日本版と鰹だしの東日本版でスープが異なっているのはよく知られている。その違いは汁の色を見れば一目で分かるほどである。関ヶ原がその味の境になっているのは既述したが、それを記念して関ヶ原駅前観光交流館では、長野剛氏の東西武将イラストを付け東軍・西軍のシールを上蓋に貼り、両方の味を楽しめるオリジナルパッケージ大・小セットで販売されている。
「二人は食べ比べたか?」
「私はきつねうどんも天ぷらそばも両方食べたわよ。ま、東軍の方がもちろん美味しかったけど。ねぇ、石田君」
元の見下す視線に三大は上目遣いに睨み返して冷笑した。
「実に下らないね。西軍の方があっさりしてて素材の味を活かしている。東軍のスープなんて濃すぎてとても飲めたものじゃない」
またしても再燃する議論に金吾は、待てと制止した。
「好みの問題だと結論付けたろう。争点はきつねと天ぷらじゃなく、これを食べたか、だ」
金吾は教卓の中から二つのカップ麺を取り出した。
「どん兵衛カレーうどん」である。東軍鰹だしには「濃こくカレーうどん」、西軍昆布だしには「旨だしカレーうどん」の文字が書かれていた。
「おい、ヨシ、お前、どっから出したんだ、それ」
三大の驚きに金吾は「手品だ」と誤魔化した。
「それより、どうだ、元は?」
「食べてない」
「ミツは?」
「俺もカレーうどんは無いな。品切れしている時も多いし」
「じゃあ、今食べ比べてみよう。ところで先生、職員室にお湯はありませんかね」
金吾は教師を横目で見て微笑した。コーヒーやお茶を飲むから職員室が一番あり得る。騒動の発端は先生の発言のせいでもあるでしょ、との皮肉がこもった笑顔でもあった。
「湯沸かしポットがあるわ」
「ではお願い出来ませんか。ついでに箸を二膳とスプーンが二つとお椀か、それに類する器を二つ」
仕方ないわねとばかりに武美は肩をすぼめ、教室を出て十分ほど後、金吾に頼まれた物を全部揃えて戻ってきた。
金吾は礼を述べ、早速東西のカレーどん兵衛に湯を注いだ。直ぐに教室中にカレーの香りが漂ってきた。放課後である、皆空腹なため余計腹が鳴った。
そして五分後、蓋を開けた金吾は二つの味をそれぞれ半分ずつ椀に取り分け、二人に渡し、早く食べ始めるよう勧めた。ただしスープは残しておくよう指示があった。
そうして暫くしてから二つの味の麺を食べきった三大に金吾は感想を求めた。
「さて、ミツ、どういう風に感じた?」
「東の味の方がやっぱり濃いな。西のは薄目だ」
「そうね、私も右に同じ」
口をハンカチで拭った元も小声を尖らせ不本意ながらも同意した。
金吾は二人に向いた。
「で、どっちの勝ちだ?」
「………ヨシ、お前、俺たちをハメたな」
三大は椅子の背もたれに寄り掛かって金吾を一見した。
「ん?」
「とぼけるな。カレーうどんじゃどっちが美味いか判定しにくいだろ。両方ありだ。東軍のはパンチが効いてるし西軍のはさらりと食べやすい」
「あんたも結構な策士ね、コバ」
悔しいけど私も降参と元は三大と同様の感想らしく白いハンカチをヒラヒラ振った。大きく安堵の息を吐いて金吾は笑った。
「納得してくれればそれでいい。じゃ、スープが熱いうちにもう一品といきますか」
「まだ何かあるのか」
「残り物には福があるのさ」
ニヤッとの怪しい笑みに訝しがる三大だが、金吾はラップで包まれた握り飯を目の前にアポートで四つ出して見せた。そしてそれをカレー汁の残った容れ物に投入し、その上に溶けるチーズと刻んだトマトとイタリアンパセリを混ぜ合わせた。
「さあ、これが『どん兵衛即席カレーリゾット』だ。食ってみろ」
あまりの手際よさに三大は驚きを隠せなかった。
「ヨシ、お前のマジックすげえな。こんな生ものまで」
【そりゃ金吾のは本当の魔法だからな】
吉継は心内で自嘲していた。
「感心しなくていいから熱いうちにやっつけろ、元も」
「あ、う、うん」
渡されたスプーンで二人はリゾットをすくって口に入れた。そして揃って「美味い!!」と感嘆の声を上げた。
「え、残り汁でこんなの出来るんだ。トマトとチーズがまた良い味出してる~」
元が一心不乱にぱくつきながらコメントした。
金吾は自慢気に人差し指を振って解説した。
「安物の食材じゃないからな。溶けるチーズはモッツァレラとパルジャミーノのミックス、トマトも高糖度のアメーラだ」
三大も頷いた。
「それだけじゃない。ほろ苦いイタリアンパセリが他の味を引き立ててるんだ。今度家でもやろう」
すると教室中の我慢していた生徒が遂に「ずるいぞ、二人だけ」とのブーイングを起こした。金吾はこんな場合も想定して、ジャラリとプラスチックのミニスプーンを掌に人数分取り出し、残っている二つの器を差し向けた。
「うまーい」
ほんの一口だが大絶賛である。そんなの中、加藤佳乃が思い出して開口一番言った。
「私、カレーうどんにチーズじゃなく納豆入れる」
「ええ、合うの?」と小田咲良(さくら)と京極伊知花(いちか)が共に顔をしかめた。
「だってカレーライスのトッピングでもあるじゃない。変じゃないよ」
「うん、全然変じゃない」と庇ったのは田中吉美である。
「それなら俺はコロッケ入れる。カレー味コロッケに変身」
名塚正也が手を大きく振った。
「だったら俺は温玉」
安国恵太が意見をかぶせてくる。
「あれ、美味いよな、うちでもやる」
加茂郷汰が賛成した。
「私は赤味噌」
負けじと元も完食スプーンを掲げて乗った。出た、三河!とみんなが笑った。
「何よ、騙されたと思ってやってみなさいよ」
「なら俺はバターだな」
橘川広樹も参戦してきた。脇坂英治が吹き出した。
「プッ、おい、ラーメンシリーズじゃねえんだからさ」
「コクが出るんだってば」
「乳製品なら私は豆乳アイスを少々」
この発言は細川汐恩(しおん)である。凜としたお嬢様として、特に男子から圧倒的な人気がある。実際本物の令嬢なのでクラスでも影響力があった。
「はぁ、アイスクリーム?カレーうどんに?」
眉を寄せる元に汐恩は静かに笑んだ。
「猫舌なので。それにまろやかになってとても食べやすいの」
「へー、細川さんが推すなら美味そうだな。今度入れてみるか」
「だな。何か上品な献立に思えてきた」
毛里秀之や小西行人(ゆきと)らをはじめ、男子は大方ふらふらと汐恩に賛同した。
「ちょっと男子、私との差は何なの」
赤味噌を否定され面白くないのは元である。
「青汁にフルーツジュース混ぜてスムージーって馬鹿みたいに有り難がってる連中と変わらないじゃないのよ、それ!」
三大は、憎々しく親指の爪をかむ元の肩を叩いた。
「無い物ねだりの八つ当たりはみっともないぞ、松平君」
「………石田君、あなたの毒舌抜いてあげよっか?」
「おい、みんなカレーうどんに在り来たりなもの入れてるんだな。美味いってのはそうじゃないだろ。もっとインパクトが無いと」
と、つまらなそうに割り込んできたのが左人志であった。
「おお、そういう左近は?」
豪語する親友に期待して三大は発言を促した。
「ふふふ、俺のはスペシャルだぜ。驚けよ」
自信満々にスマホを操作し、ある写真を左人志は皆に公開した。そこには黒くコーティングされた果物がカレーうどんに浮かんでいた。
「やっぱカレーうどんにはチョコバナナが最高だ。一本まるまる入れると甘くてイケるんだぞ」
すると一人残らず生徒は絶句して、さあーっと「引いた」。
「あれ?」
何故との顔で左人志は困惑しつつ、そのまま東西食合戦の幕は閉じられた。
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