転校生とは何だろう。
例えばそれは小舟をかき分けて悠々と進む豪華客船。
音痴集団の中心でアリアを熱唱するオペラ歌手。
迷宮事件の謎に苦しむ刑事を尻目に一瞬で解決する名探偵。
ボスキャラを一撃で仕留める伝説の聖剣、等々。
転校生は男女を問わず「眉目秀麗で成績優秀、その上スポーツ万能で性格も良く、直ぐにクラスに馴染んで皆を牽引してくれるスーパー生徒」でなくてはならない。
そんな典型的な妄想は誰にでも湧く。
実際ゲームやドラマであればそんな定義付けが必須となっている。
しかし、多かれ少なかれ期待は裏切られるものである。
「なんだ、普通じゃん」と時間が経てば淡い望みは潰え、転校生は転校生でなくなり、また何気ない日常に戻る。大抵はそれが現実である。
ところが、今回に限ってはそうではなかった。
「はーい、みんな、今日は何と転校生を紹介しますねー」
一月も半ばに差し掛かった頃、朝礼の点呼が終わり、担任の皇武美が明るく笑った。
クラスが一度にざわついた。
(こんな時期に転校とはねぇ…ご愁傷様なコトで)
窓際の一番後ろの席で吉継はあくびをかみ殺し、机にうつ伏せになって外を見た。
うっすらと雪化粧を施してきた中庭には足跡も見えない。
年々降雪量が減少してきたとはいえ関ヶ原には雪が降る。常春常夏の地域の人間は雪を見たら犬のようにはしゃぐのだろうが、正直雪なんて面倒なシロモノ以外何物でも無い。除雪もしなければならないし凍った道路も危ない。
そして何より体の芯まで冷える。席の横に暖房機が稼働しているものの一時限目はまだ完全に暖まっていない。
前もって転校生がこの五年一組に入るのは知っていた。
脇坂英治が職員室でちらと噂を耳にしていたからである。
やってくるのは福島県か福岡県か分からないけれど県外から、それもアキラという男子らしいという英治情報に皆興奮を隠せない。
無理もない。
関ヶ原小学校は内陸の田舎で生徒数も多くない上に、生徒は皆地元ばかりで他からの刺激に飢えている。
ゆえに転校生というのは絶大な興味の対象となる。
事実、男子は男子で遊び仲間が増えるぞと喜び、女子は女子で格好いい男の子だったらいいねと勝手に盛り上がっていた。
「ま、俺にはあんまり関係ないや」
クラスには三十の席が設置してあり、五年一組は現在二十九人。つまり転校生の席は必然窓際とは対極の廊下側最後尾の空席となる。
煩わしい人間関係に常に距離を置いている吉継はもう一度大きなあくびをし、机に隠したスマホを操作した。
画面には高知県の旬の食材の一覧が現れている。
「今度の店の集まり土佐だっけ。鰹って今時期じゃないんだよなあ。次は酒盗(しゅとう)か~、酒盗なら鰹の内臓の塩辛で年中あるし、無難にクリームチーズで和えてパイシートで………いやいや、今度の会向きじゃないな」
【主、それよりおぬしの名札はやはり行方知れずなのか】
突然胸ポケットに刺さっている赤青二色鉛筆の金吾がテレパシーで話し掛けてきた。
小早川金吾中納言秀秋が憑いている尸者(ものまさ)である。
【もう見つからないからな。注文した】
素っ気なく吉継もテレパシーで返した。
制服の左胸には楕円の白ネームプレートが無い。
吉継の母・音依が洗濯時に取り外して紛失してしまったので学校に事情を伝えて新品を作ってもらっているのだが、最低三日はかかるという。
【吾のアポートで取り寄せすればよかろうに】
金吾は気楽に仄めかした。吉継はスマホの電源を切って呆れつつ言葉を返した。
【アホか。アポートの金は俺の小遣いから減るんだ。それに引き寄せ品は俺の手元には残らんだろうが】
【それとて百パーセントではないぞ】
【分の悪い賭けには乗らん。名札なら現金で買った方が安いからな】
鉛筆と化した小早川秀秋にはアポートという物品引き寄せの特殊能力が備わっている。ただそれは等価の代金が吉継の貯金から目減りするだけでなく、主人である吉継の所有物とはならないおおよその決まりがある。吉継にとってはデメリットしかならない。
【ううむ、信用ならぬとは無念じゃ】
【いいから夜まで大人しくしてろ】
吉継は悔しがる金吾に命じた。
主の吉継と従者の金吾との会話は始終可能ではない。
金吾は吉継を通して周辺の状況を見聞きしているものの、絶えずコミュニケーションを取れるのでもないらしい。
アポートの能力同様テレパシーも頻繁に遣り取りしていれば疲れるという。
吉継の体を通し人助けをして成仏を成し遂げるのが最終目的だが、疲れてその機会を逃すのは本末転倒となり、吉継の方も帰宅してから金吾に勉強を教えて貰うのを交換条件として取り決めているので通常テレパシーの使用を避けさせていた。
「ハイハーイ、静かにね」
未だ興奮冷めやらないクラスに武美が手をパンパンと叩いて、「じゃあ入ってきて」と廊下で待つ転校生に入室を促した。
「え…?」
ワクワクと期待に胸膨らませていた皆は一瞬沈黙した。
開かれた扉から吹く冷風が転校生の鼻先まで掛かった長いM字の前髪を揺らしている。外ハネしたショートカットのサイド髪を軽く押さえた転校生は静かに教卓の横に立った。
中背で華奢な体型に切れ長の瞳に細長い眉、鼻筋も通って口も小さく閉じている。
まるでファッション雑誌の表紙を飾るかのような器量は間違いなく女子からイケメンともてはやされただろう。
ただしそれが男子であったなら。
「福井県の敦賀市から来た大谷秀晶(ひであきら)さんです。皆さん、仲良くしてあげて下さいね」
武美が彼女の名前を黒板に書いて紹介すると、ざわっと再び教室が沸いた。
転校生が女子という勘違いであったばかりか、女子からぬ名前に違和感を覚えたのであろう。中にはクッと吹き出す生徒も何人もいた。
すると彼女は唐突に黒板の前に立ち、黒板消しを手に取ると、秀晶の「秀」の字を拭き消してしまった。そして生徒に向き直り、全員に冷たい視線を送って名前を言い改めた。
「大谷晶です」
よろしくも加えない威圧的な視線に誰もが「本名で呼ぶな」との意味に気付いた。
名前は本人には選択出来ない。出姓届けを出す親の責任である。たがら自分の名が嫌いというのはよくあるケースで、彼女もそれを恥じているのだろう。
よく見れば名札の大谷秀晶の文字も秀の刻み漢字だけ白いビニールテープで隠してある。
「えっと、大谷さん、自己紹介は?」
黄色い通学用ランリュックの両ベルトを握ったまま黙って立つ秀晶に弱り果てて武美は尋ねた。
「別にありません」
表情一つ変えずに彼女は質問を退けた。無表情というより無感情に近い。
作り笑いを重ねて武美は聞き出そうとした。
「趣味とか、得意な科目とか、好きなスポーツとかでもいいんだけど」
「別にありません」
「何かPRする所はあるわよね」
「別に」
「う、好きな芸能人とかでもいいのよ」
「別に」
「特技は?」
「何も」
「犬か猫はどっちが好き?」
「どっちでも」
「………そう」
十文字数を超えない返答ばかりで根負けした武美は半ベソをかきそうな顔で皆に向いた。
「じゃあ、みんなから大谷さんに質問はあるかな?」
「はい」
と間髪入れず元気に手を上げたのは委員長の松平元であった。
「はい、松平さん、どうぞ」
「敦賀市ってコトは大谷吉継の治めていた土地だけど、あなた吉継は好き?」
元はビシッと秀晶に指さした。さすが関ヶ原組を取り仕切る元らしい質問である。
一話でも触れたが、この五年一組は全員が関ヶ原合戦に関係した武将の苗字の音を有する特殊なクラスでもあり、転校生の名前が大谷とくれば即座にその問いを思い付いたに違いない。
「………吉継って誰」
少し間を置いて秀晶は面倒臭そうに聞き返した。
元は思惑違いに驚いた。
「あんなに有名な武将を知らないの?地元なのに?」
「知らない」
「去年の大河でも有名になったのに!?」
「観てない」
「じゃあ、好きな大名は誰かいる?」
「ウザいからそういうのもう止めてくれない?」
不快バリアをまとってすげなく秀晶は突き放した。
とりつく島もないというのはこの状況をいうのだろう。絶句したまま元は質問を終えた。見ると膝の上で握った拳が小刻みに震えている。公衆の面前で恥を掻かされたというより、関ヶ原組で武将に無関心なのが信じられないといった悔しさなのだろう。
しかし、関ヶ原町に居住していても町民全員が戦国に関心があるのではないし、他県からの移住者では無理もない。
元もそこは直ぐに納得したようで一旦深呼吸をして落ち着いた。
ただ、秀晶の物言いにはクラスの女子が反感を抱いたようで、それ以上の問い掛けはなかった。すると、ここで左近のあだ名を持つ嶋左人志が男子代表として手を振った。
「福井って鯖が名物なんだろ?毎日食ってんの?」
「左近ナイスボケ!」とクラスの男子は暗に親指を立てた。
愛媛って蛇口からポンジュース出てくるのみたいな「あるわけないだろ」ネタに少しでも場が和むと思った。
(いや、左近の問い掛けはマジだと思うぞ)
吉継は半笑いで左人志を見た。
しかし、転校生は笑いもせず短い溜息を吐いて端的に返した。
「猫でもあるまいし。馬鹿なの、あなた」
あからさまに見下した鼻持ちならない眼差しにさすがの左人志も頭にきた。
「おい、その喧嘩腰はねえんじゃねえ?」
「先生、もういいですか?席に座りたいんですけど」
血相を変えた左人志を完全に無視して秀晶は武美に向いた。
左人志は立ち上がって息巻いた。
「おいこら、人の話を聞けよ」
「まあまあ、左近、大谷さんはジョークが嫌いなだけだって」
と親友を石田三大は宥めた。
(こりゃまたすげえのが来たな)
こんなに強烈なキャラクターに出会ったのは生まれて初めてである。
渋い顔を吉継は掻いた。
僅か五分も経たない内にクラスを凍らせたのはある意味逸材でもある。
通常転校生というのは学級に溶け込む努力が要る。笑顔というサーチライトを向け、その中から親しくなる友達を選択していく。しかしこの転校生はそれを敢えて全放棄したのだから強者と言っていい。
もちろん、独りを好む生徒もいる。それでも敵対してではなく単に友達が作れないという理由なだけで自分から孤立しているのではない。
友達は一切不要というなら秀晶のやり方は決して間違ってはいない。
例えばしつこい電話セールスを撃退するには「結構です」と頭から切ってしまえば早い。
秀晶は第一印象でそれを成し遂げた。
だが、普通学校というのは毎日同級生と顔を付き合わせねばならない狭い領域である。
例えれば小さな水槽にホオジロザメやムツゴロウが共に押し込められている状態で、かつ大海のように逃げ場も身を隠す珊瑚礁もない。
コバンザメの如く大物にひっついて保身に走るか、接触しないよう絶えず気を配るか、まさに生き残りをかけた戦場なのである。
しかし、ここ五年一組はいくつかのグループに分かれていても基本的に仲が良い。
それは女子のトップであり、また委員長の元と男子代表の三大の人を惹き付ける人間性による所が大きい。
しかし秀晶はそれを知らずに、元と三大の親友の左人志を敵に回したのだから、おそらくクラスの誰もが声を掛けるのを躊躇するだろう。
(真性のぼっちか。女子で境遇が似てるのは以前のクロくらいか)
吉継は二つ斜め前方の席を見た。すると畔田長月(くろだなつき)が吉継の視線に気付いたようでニマリと振り向き様笑った。
紺制服の下に着ている白い体操服の衿ジッパーに結ばれた藤の花のチャームが怪しげに光っている。可愛い顔付きをしてはいるのだが、髪で片目が隠れている様はまさに不思議ちゃんであり、異様に占い好きで厨二病的な話柄も多いが、吉継の友達の一人であった。
「それで私の席はあの廊下後ろの空いてる所でいいんですか?」
秀晶は更に苛立った口調で武美に向いた。
「あーそうね、いえ、出席番号順でもないから、あの席はやめておきましょう」
クラスの席替え抽選は年が変わってから行ったばかりで、男子は左、女子は右という縦一列ずつ男女交互の差があるだけで固定はされていない。ただ吉継の場合背が高いので必然最後尾というのが暗黙のルールになっていた。
武美は暫く考えて、そして何故か吉継を見て口元を緩めた。
「窓に近い方がクラス全体を見渡しやすいでしょ。だからこの列の最後に」
「どこの後ろですか」
「この列、あの背の高い子、小早川君の隣。リュックは後ろのロッカーの出席番号30へしまってね。それと井伊島さん、廊下側の空席へ移動してくれる」
赤い井桁模様のカチューシャで前髪を留めている井伊島真央は、
「………えー、私ですか?」
と驚いて左席の吉継を横目で一瞥した。
露骨に真央は席替えを嫌がっていた。
実は吉継はひすとり庵の土産物の一つとして実験的に作った井伊の旗印でもある井桁型の、食紅で赤く染めたポテト醤油クッキーを真央に試食させた経緯がある。
戦国武将・井伊直政が小姓時代、振る舞われた味の薄い芋汁に「醤油を足しては」と提案した所、戦場で何という贅沢をと徳川家臣団から戒められ、それ以来自分を厳しく律するようになったとのエピソードがある。真央はその逸話とクッキーの和風味が大層気に入り何度も欲しがった。吉継は幾度かこっそり焼いて渡してやり、それから結構仲良くなっていた。
「テンムちゃんの指名じゃ仕方ないだろ」
うつ伏せに背伸びした吉継は小声で諦めるよう諭した。
関ヶ原町は関ヶ原合戦の他、壬申の乱でも名だたる地で、担任の皇武美はその勝利者である天武天皇の名前を取って生徒からは「テンムちゃん」と密かに呼ばれていた。
「でも…」
焼き菓子の既得権を手放すのは小学生とて惜しい。真央は未だ渋っていた。
吉継はその心中に触れた。
「クッキーならまた焼いてきてやるから」
「ホント?」
ん、と頷いた吉継に安心して真央は席を替わっていった。
(恐るべし、食い物の影響力)
男子としての人気でなく料理人としての腕を買われている事実に吉継は苦笑したが、恋愛沙汰にはまるで感心がないので、調理の才能を認めてくれている様は正直嬉しかった。
「………コバヤカワ?」
そんなほっこりした次第を知らずに教卓から秀晶は何故か吉継をギッと睨んだ。そして指示に従いランリュックをロッカーに片付け、空いた隣席に腰を下ろした。
「よろしく。俺はコバヤカ…」
吉継は右掌を上げて挨拶をしかけたが、秀晶は吉継を鋭い目付きを返して遮った。
「隣だからって気安く話し掛けないで!」
「………」
もはやその目付きは怒気を含んでいた。ある程度予想はしていたが、本当に交友関係を一片たりとも構築しないつもりらしい。
やれやれと鼻息を抜いて吉継は正面を向いた。
だが、この罵声はみんなにも届いていたのだろう、転校生に対するクラスの様子は一層ピリピリした空気に包まれた。
が、その時、
「………あざといヤツはちょれえ」
ボソリと秀晶の呟きが聞こえた。
(ん?今、あざといって言ったよな。福井弁で卑怯者だっけ。それにちょれえって、腹立つとか嫌いって意味だよな)
店の仕入れと大谷吉継関係で度々福井に行っている吉継は敦賀のお年寄り達と立ち話する中で自然と方言を覚えていた。
【何じゃ、このおなごは。いかにも無礼であろう】
金吾が息巻いて突然思考に割り込んできた。
吉継は金吾鉛筆を取り出して手に持った。
【ほっとけばいいさ。こういうのは干渉しないのが一番。それより出てくるなよ】
【なれどあの傲慢な態度はなかろうて】
【へえ、確かクールな女が好きじゃなかったっけ、お前】
【左様ではない。デレ要素が無い気難し屋は好かぬ】
すると秀晶は横目でジロリと吉継を見た。
二色鉛筆を百面相で見つめている男子は変に映ったのだろうか、その目線に気付いた吉継は筆入れに金吾をさっと片付けた。
それから朝の会が終わり、武美が教室から出て行くと、その瞬間を待っていた三大が足早に秀晶の前へ姿を見せた。
「やあ、大谷さん、ごめんね、皆が色々」
三大は最大級の笑顔で気さくに話し掛けた。
さすがさりげなく気を遣うのは男子代表格である。逆に遠くでは執り成された左人志が未だ不満顔で狼のようにグルグル喉を鳴らしていた。
「………」
秀晶は少し眉を上げて三大を見たが直ぐに目を伏せた。
「緊張しているんだよね。そりゃあ知らない土地に来たら誰だってそうだよ」
無反応な秀晶に三大は食い下がり、眼鏡の黒縁を気取った指で上げた。
「何か困ったら僕が手助けするよ。あ、紹介が遅れたね、僕は…」
「見れば分かる、石田サンダイ」
秀晶は三大の名札に目をやって頬杖をついた。あからさまに鬱陶しいとの態度がありありと現れていた。それでも三大は負けじと続けた。
「あ、ああ。いや、これでミツヒロって読むんだ。えっと、苗字はね、滋賀県が誇る石田三成公と同じで自慢なんだ。頭が良くて色々な戦に活躍して………」
「それで最後は家康狸に破れた小狐」
明後日の方を向いて秀晶は歯に衣着せぬ毒を吐いた。
「こ、小狐?」
敬愛する武将を手短に罵られ、三大の口がヒクッと上がった。
秀晶は冷酷な口調を変えなかった。
「確かいつも偉そうにしてて周りから嫌われてたし。外国人からもボロクソに悪口を記されてたらしいじゃない」
「あ、あれはルイス・フロイスがキリシタンじゃない大名を嘘八百に書き並べただけで………」
「でも憎まれていたのは事実でしょ。ま、そんな男処刑されて当然ね。ざまあないわ」
「な、な………」
全ての表情筋が一度に痙攣した。それでも秀晶はにべもなく批判を続けた。
「それで、負けたそいつの美化ごっこは楽しい?」
臆面も無い罵詈雑言に三大もバンと机を叩いた。
「ごっこだって!少しは言葉を選べよ」
「じゃあオママゴト」
「この…折角人が親切に接してやってるのに」
激怒を増す三大だが、秀晶は全く動じず、それどころか軽い冷笑を浮かべていた。
「それが本音なら石田君、あなた、『お為ごかし』って言葉知ってる?親切に見せかけて結局自分を持ち上げようとするの。その典型だわ」
「あ、くッ」
やり込められた三大は奥歯を噛んで屈辱に耐えた。すると、
「お待ちなさい」
そこに細川汐恩が三大を退け、長い後ろ黒髪をなびかせてやってきた。
そして秀晶の前に静かに立つと簡単な自己紹介を済ませ涼やかに笑った。
「大谷さん、クラスメートに対してそれ以上の暴言は私が許しません」
吉継はぱっつんに切り揃えられた前髪から覗く微笑を見て身震いした。
実はこのクラスで一番恐ろしいのは汐恩なのである。
資産家の令嬢で姿形は京美人なのだが、細腕ながらも強力であり、古武術の玄人で下校中につけ回してきた不審者を正拳突き一発で撃退した過去を持つ。
「そもそもあなたの行為には美がありません。ボーイッシュでも端正なお顔立ちをなさっているのに勿体ないと思いませんか」
恐怖に震える吉継以外の生徒は汐恩の甘美な弁舌に酔いしれた。
確かに話し振りは丁寧で、茶華道にも通じているせいか品格ある立ち居振る舞いにも定評がある。古い褒め言葉を使えば「大和なでしこ」そのものと断じていい。
秀晶が洋風美なら汐恩は純和風美であった。
暫くして秀晶は前髪を乱雑に掻き上げ椅子の背もたれに体を預けた。
「………あなたの名前でガラシャってのを思い出した」
「あら、よく御存知で」
意外な名前を発せられ、途端気を良くした汐恩は両手を合わせた。
細川ガラシャとは細川忠興の妻で、関ヶ原合戦の折、西軍の人質となる寸前に死した最期は悲劇だが、凜とした生き様は汐恩に絶えず感銘を与えていた。
汐恩は髪のサイドを飾っている細長いバレッタに触れた。その白い髪留めにはGRATIAと記された十字架が百合の花と共にプリントされている。
「そうそう、私の名の由来にもなっている素晴らしいお方なのですよ。キリシタンの洗礼名であるガラシャとは恩寵(おんちょう)を指す英語のグレイスとも繋がっていて優雅とか優美を意味していて…」
「確か明智玉って名前だったよね、嫁ぐ前は」
秀晶の割り込みにピタリと汐恩の口が止まった。
ギイギイと椅子を前後に揺らしながら秀晶は吐き捨てるように続けた。
「父親はあの明智光秀」
「それが何か?」
「本能寺の変で織田信長を殺した」
「だから何なんですの?」
「その裏切り者の娘を美しいとは、よくもまあ恥ずかしげもなく自惚れるな、と」
すると汐恩は額に青筋を立てたかと思うと、急に秀晶の机を持ち上げ大上段に振りかぶった。
「わー、汐恩、待て待て」
吉継をはじめ、周りの生徒は慌ててその腕を掴んで止めた。
汐恩はそれでも机を振り下ろそうとしていた。
「生まれてこの方このような辱めを受けようとは。礼儀作法も弁えない不貞腐(ふてくさ)れたこういう手合いは、一度痛い目をみないと分かりません」
「………チッ、これだから関ヶ原って嫌いなのよ」
この舌打ち混じりの呟きは全員の怒りに油を注いだ。
ここで元が遂にぶち切れた。
「関ヶ原が嫌なら転校してこなきゃいいじゃない!」
それは大音量での怒鳴り声であった。最初から否定的な態度ばかりで暫くは我慢していたが、住んでいる地域まで馬鹿にされた以上黙っている訳にはいかない。
だが、どこまでも冷静な秀晶は小さく鼻で笑った。
「どこの誰が好きこのんで転校してくるのよ、よりにもよってこんな何もない田舎町に」
カチーンという弾けた音が元の眉間で響いた。
「な、何よ、敦賀が街だからってそんなに偉いの!?」
元はとうとう泣き出しながらもがなり立てた。
「そりゃあ関ヶ原は人口も七千五百人を切ってるわよ。メナードランドって遊園地もずっと潰れたまま何も建たないし、大手のスーパーマーケットだって来ないし、大書店だって隣町まで行かないと満足な本も買えないわよ。ショッピングを楽しむようなお洒落なスポットも少ないわよ。福井みたいに海も無いから海水浴だって無理よ。バスとか電車の本数だって全然足りないわよ。合戦地も田畑ばかりで結構ガッカリされるわよ。『月曜から夜●かし』で観光地になれない観光地って馬鹿にされたわよ。それでも………」
自虐的な涙に詰まって元は溢れる思いを短く主張した。
「それでも私は関ヶ原が日本一大好きなんだもん」
しゃくり上げる元の涙顔を真央がハンカチで拭いた。
「コラコラ、何をいつまでも騒いでるの?」
授業開始のチャイムが鳴って武美が教室に戻ってきた。元は涙と鼻水を一瞬で拭き取ると、何でもありませんと平気を装い、汐恩も机を下ろすと共に席へ戻った。
(ふう、この先、面倒事にならなきゃいいけど)
吉継はちらりと隣の秀晶を見た。当然の結果か、その背景に映るクラスメート達は全員怨霊のように怨色を浮かべていた。
しかし、ここで吉継には一つの違和感があった。
人間関係が煩わしいのなら時間を掛けて相手をしなければ自然に皆離れていく。今のように敢えて自ら敵を作る必要も無いはずである。
吉継にはこの後の展開が大体予想出来た。
関ヶ原小学校はイジメに対しては常に予防対策を取っている。それでも大なり小なりイジメがゼロになる訳ではない。
吉継も以前は小早川の苗字のせいでその対象となっていたため、そういう空気を察する力に長けていた。
案の定、三日経っても秀晶に対する態度も軟化するのでもなく、皆は徹底して無視を続けていた。逆に秀晶も最低限の発言以外口を開くのでもなく無表情・無関心を貫いていた。
「小早川君、遅くなったけど名札出来たわよ」
転校してきてから四日目の朝礼が終わった後、担任の武美が、青い布地に糸で縫い止められた新品のプラスチック製名札を席まで届けてくれた。しかし、その去り際、
「ついでに話があるから今日の放課後相談室に来てね」
と笑顔で、ひそひそ意味深な誘いをされた。
げっ、と吉継は思わず顔を渋めた。
相談室とは大きなカーテンが垂れた窓があるだけの真っ白い壁に囲まれた狭い空間で、長テーブルに赤い椅子が六脚置いてある無機質な、いわゆる生徒指導室である。
(何だろう、食べ物の持ち込みで注意されたのは前だし、他に何かしでかしたかな)
と腕を組み記憶を廻らしていると不意に隣から視線を感じた。
見ると秀晶が吉継の机に置かれた名札を見つめている。そして、
「コバヤカワ、ヨシツグ………」
と呟くと次いで吉継に顔を向けた。
何故かその面持ちは今までにない呆然とした、意想外な物を見付けたような不可思議な表情を成していた。
「………何、大谷さん?」
吉継は秀晶に目を遣った。
秀晶はハッとして「別に」といつものつれない態度に戻った。
「あ、ヨシ。新しい名札来たんだ」
畔田長月が目ざとく発見し、吉継の机の前にやってきた。
「ああ、何かこれないと落ち着かなくてさ」
吉継は名札を左胸のポケットに安全ピンで留めた。
「で、テンムちゃん何だって?」
長月は興味有りげな片目を光らせた。吉継はスマホを操作しつつ溜息を吐いた。
「相談室送りだってよ」
「また?今度は何したの」
「全く身に覚えがないんだが。変な説教じゃなきゃいいけど」
「よし、では私が占ってしんぜよう」
と長月はポケットからタロットの大アルカナの二十一枚のカードを束に取り出し、トランプのようにシャッフルした。セオリーも何もないメチャクチャな占い方だが、これが意外に当たったりする。
「黄金の鎧をまといし、吾が女神ヴァルキュリアの名においてカード出でませい」
「………クロ、痛いから、その呪文は止めろ」
仰々しい素振りで切り混ぜた中からタロットを二枚引き抜く長月に吉継は一笑した。
厨二好きの長月らしいが、恥も外聞も無く妙なフレーズを引用するのはこっちが照れ臭い。
「出たわよ、一枚目はこれ、そして二枚目はこっち」
「げえー」
目の前に示されたカードに吉継は思わず難色を浮かべた。
前からよく長月の占いに付き合わされていたからタロットの意味もある程度覚えている。
一枚目は、車輪の回りにスフィンクスや天使、獅子、雄牛、人間、鷲が描かれた『運命の輪』の正位置。これは悪くないカードである。問題なのが二枚目のカード。逆さになった、大鎌を持った骸骨、『死神』。最悪の図柄である。
ただしタロットカードはトランプと違い上下があり、上向きが「正位置」、下向きが「逆位置」で意味が正反対になる。しかし、死神のカードはいつみても気持ちの良いものではない。
「死神は逆位置だから大丈夫だってば」
吉継の内心を見抜いたのか、長月は笑って吉継の肩を叩いた。
「運命の輪の正位置はチャンス到来とか奇跡が起こるって意味。死神の逆位置は、うーん、これは『休止』とか、『やり直す余地がある』とかなんだけど」
タロット占いは複合的な解釈が難しい。
暫く長月は考え込んだが諦めてまた肩をバンバン叩いた。
「ごめん、今日は何だか冴えない。ま、こういう時は当たって砕けろだよ」
「砕けたかねえよ………って下にもう一枚カードあるんだが」
「あれ、ホントだ。片方デュアルになってる」
死神のカードの下に「月」のカードが隠れていた。太陽に似た丸い月に向かって犬と狼が吠えている図柄である。重なって見えなくなっていたようで、正位置の月は「幻想」や「隠れた敵」を意味している。
ちなみに長月の占いはシングラー(単数)が基本であるが、たまにデュアルという二枚が重なるケースもある。その場合より総合的な予測をするのだが、ただでさえややこしい読み取りがもっと複雑になってしまった。
「まあ、どっちにしろイミフなのはイミフだから仕方ないよ」
完全に開き直って長月は誤魔化した。
「ところでさっきから何見てるの?」
長月は吉継のスマホを覗き込んだ。
画面には胡麻鯖(ゴマサバ)の写真と文字が載っていた。
「ああ、来週ウチの店に予約入ってる『カタバミ会』の料理を考えてる。三品まではメニュー組み立てれたけど最後の一品をどうしようかと」
「カタバミ?」
「長宗我部家の家紋由来の植物」
吉継はスマホの画面をクローバーに似た酢漿草の画像に切り替えた。
どこかで見たな、と長月の記憶は暫くして吉継の持ち物に行き当たった。
「あ、これヨシがお金が増えるってまじないに財布へ入れてる草だ」
「………よく覚えてるな。お前」
「ヨシ、守銭奴だもんね」
長月は指で輪を作ってあどけなく笑った。
「覚えたての漢字でさらりと毒突くのは止めろ」
「でも長宗我部って高知だね。なんで鯖なの?」
「鰹の旬が終わってるからな。高知の今だったらコレ」
「鯖って年中スーパーに置いてあるけど」
「あれは大体冷凍のノルウェー産真鯖(マサバ)」
「え、真鯖と胡麻鯖って違うの?」
「胡麻鯖は真鯖より一回り小さいんだ。それに胡麻鯖は年中獲れるし脂の乗り具合も一定してる。真鯖は北海道から九州まで長い距離を回遊するから場所によって旬が違って脂の乗りも胡麻鯖よりずっと多い。だから値段も高いんだ」
「そう?鯖って高級ってイメージ無いけどなあ」
「クロは『関鯖』って名前聞いてないか、大分県の?」
「セキサバ、あ、ある!あ、そうか、高級品だ」
何度も長月は相鎚を打った。
「いわゆるブランド鯖だな。他にも宮城県の「金華鯖」、神奈川県の「松輪鯖」、青森県の「八戸前沖鯖」なんてのもあるぞ」
「へー。でも鯖の料理って味噌煮と塩焼きくらいしか無くない?」
「そうでもない。刺身、〆鯖、竜田揚げ、幽庵(ゆうあん)焼き、味噌汁、船場汁、炊き込みご飯、茶漬け、塩辛、すき焼き………」
「すき焼き?鯖で?」
「島根県の魚すきで使うんだ。ほら」
吉継は鯖が煮てある鍋の画像を見せた。
すると途端画面が陰で暗くなった。
頭を上げると周りには人だかりが出来ていた。食事と耳にしてクラスの殆どが群がってきたようだ。
本来吉継は目立つのが嫌いなのだが、題目がご飯系に向くと料理の腕が立つ分どうしても注目を浴びてしまう。
「何、飯の話してんの?」
左人志が好奇心旺盛な顔で身を乗り出してきた。
「ああ、鯖の料理法を幾つかな」
すると、
「鯖って私あんまり好きじゃない。生臭いから」
山内美豊(みほ)が心底憎々しそうに太い眉をしかめた。
青魚特有の臭みが嫌いという意見は多い。まして鯖の場合、鯖の生き腐れと例えられるほど鮮度の落ちが早く否定的に見られやすい。
「臭いって、美豊って青魚アレルギーじゃないよな」
吉継は指摘した。
「違うけど美味しくない」
「だったら勿体ないな。鯖は頭を良くするDHAやEPAが豊富でビタミンとミネラルも多いから体にもいいんだ。臭いと感じるから味に抵抗があるんだろ。美豊んちはちゃんと鯖を調理する時、下処理してるか?」
「下処理?」
「煮たり、揚げたりする前の臭み抜き」
「んー、多分してないと思う。まんま煮てるかな」
「だったら良い方法があるから一度やってみ。簡単だから」
吉継はノートを一枚破り、簡略な絵を描きながら説明した。
「先ず鯖の切り身にこうやって斜めに飾り包丁を入れて、全体に塩を振ってから十五分置いて、それから牛乳で二十分浸けて………」
「は、牛乳?味変わっちゃうんじゃ?」
「それが不思議と無いんだ。で、あとは鯖の身を取り出して表面の水分を拭き取ってから調理すると臭みが消える」
「それだけ?」
「簡単だろ」
「へー、それくらいなら私でも出来そう。じゃ、今度やってみる」
「ああ、料理は下拵えが命って母さんから教わってるしな」
「ハハ、ヨシの母さんの料理は天下一品だからな」
と三大が割ってきた。三大はひすとり庵に家族で度々食べに来る常連でもある。
「そういえばヨシんちのお勧め鯖料理って何だっけ?」
子供用セットメニューが主な注文の三大が魚料理を頼む事はない。
吉継は指折り数えた。
「そうだな、ナスと鯖のテリーヌとか鯖のアクアパッツァとか、ワインビネガー〆サルサヴェルデ添えとか」
「………美味そうだけど、何か俺でも手軽に食べれるのは?」
「じゃあサバサンドはどうだ」
「サバ、サンド?」
「トルコ料理の一つで、焼き鯖にレモンを搾りかけて生のスライス玉ねぎをバゲットに挟む」
「ん?早い話が鯖のフランスパンサンドイッチだろ?」
創作料理が多いひすとり庵らしくないとの表情を浮かべた三大に吉継は指を振った。
「ウチの店の場合はオリジナルで、ハーブをまぶして揚げた鯖をバゲットサンドしてサルサ・クルダをたっぷりかける」
「サルサ・クルダ?」
「トマトとタマネギと唐辛子とコリアンダーを刻んで混ぜ合わせたソースで、ピリ辛で揚げたての鯖とよく合うんだ。鯖の濃密な脂とトマトのさっぱり酸味がソフトバゲットに包まれると極上の旨味になる。アボカドを足すともっとコクが出て最高だぞ」
「ヨシ、止めてくれ。一時間目も始まってないのに腹が減る」
腹を押さえる三大に皆が爆笑した。しかし、
「………うるさい」
と、どこからか小さく文句が漏れた。
みんなは誰だと首を回したが、吉継は声質からその出所が隣席だと直ぐ分かった。
「さっきからサバサバうるさいのよ!いい加減にして!」
今度はもの凄い怒声に変わった。見ると秀晶の激しい怒火の形相は吉継に向いている。
一旦教室は静まり返ったが、ここで美豊がツインテールを揺らして鼻息荒く突っぱねた。
「ハン、うるさかったらあなたがどっかへ行けば?」
「そうよ、よそ者が出て行けばいいのよ」と副島正沙子(ふくしままさこ)が舌を出して追加した。
「それよりとっとと福井へ帰れば?」と浅野幸梅(こゆき)が辛辣に笑うと男子も女子も帰れ帰れとはやし立てて嘲笑した。
「ストップ、ストップ!」
吉継は両手を挙げて皆の野次を制した。
「大谷さんは悪くない、みんなも悪くない。悪いのは騒ぎの元凶の俺」
「ええッ、ヨシは全然悪くないよ」
長月が口を尖らせ援護したが、吉継は返した。
「休み時間はうるさくしちゃいけないって前、柴田先生に長々と怒られたろ」
「ああー、鬼センセのクドい説教」
大騒ぎして叱られた過去を思い出したクラスは苦い顔をした。
鬼先生とは副担任の柴田克子のあだ名で、「鬼柴田」と戦国時代に恐れられた猛将・柴田勝家に由来する。
「あらあら授業始まってるわよ。また鬼にクドクド説教されたいかしら?」
と、噂をすれば陰で克子が後ろからぬっと現れた。
ワッと皆は怯えて瞬く間に自分の席へと散っていった。
授業が開始して間もなく吉継は担任と副担任の目を盗んで、小さい紙をすっと秀晶の机の上に滑らせた。
「騒いで悪かった。次から気を付ける」
とのメモ書きであった。
それを読んだ秀晶は少しだけ吉継を見返してまた無表情に戻った。

「話ってね、大谷さんの件なの」
ランリュックを相談室の椅子に置いて座るなり思い掛けなく緑茶を出された。
お盆に乗った袋には関ヶ原合戦図がパッケージに描かれていて「親子柳」の表記があるから高木製茶のお値打ち無農薬川柳である。
白いレースカーテン越しの夕暮れ空には今にも雪か雨が降りそうな暗い雲がかかっていた。
「はあ」
珍しく機嫌良く茶まで出した武美に何だろうと思っていたら、唐突に転校生の話題となった。叱責されるかと覚悟してきたのでほっと緊張を解いた。
どうやらクラスの芳しくない雰囲気を察しての相談らしい。
「あの子未だクラスに溶け込んでいないんでしょ。詳しくは知らないけど見てれば一目で分かるもの」
「溶け込もうとしていないってのが妥当です」
「あら、小早川君まで棘を」
「小早川と大谷とでは水と油ですから」
吉継は胸ポケットの二色鉛筆の頭をクルクルいじって皮肉を述べた。
「歴史の自虐ね、それは」
関ヶ原合戦で裏切った武将と裏切られた武将を自分達の境遇に重ねた教え子に武美は笑ってお茶を勧めた。
吉継はズズッと飲みきった。
「クラスの皆を庇う訳じゃないですけど、地元の町とか好きな武将をケチョンケチョンに貶されればそりゃあ誰も近寄らないと思いますよ」
「んー、それだけが理由じゃないと先生は思うけど」
武美は恍け顔に意味ありげな皮肉を含ませた。
こじれている人間関係を除外すれば秀晶は正しくスーパー転校生であった。
テストも全ての科目において満点に近く、体育では足も速く驚異の運動神経を見せた。まして小学生離れしたスタイルとルックスが女子連中の反感を買っていたのは吉継も薄々感じていた。
「で、あなたはクラスが険悪なままでいいと思う?」
「まあ、仲が良いに越した事はないです」
「よし!そうなら小早川君、あの子のパートナーになってあげてくれないかな」
武美は両手を合わせて突如頼み込んで来た。
「………は?」
「ほら、体育の時のペアとか大谷さん一人浮いてるじゃない。本当なら丁度三十人いるから半々でペア組めるんだけど皆嫌がるのね。班の中でも孤立してるでしょ。だから小早川君が助けてくれると先生助かるんだけどな」
「まさか大谷さんの席を俺の隣にしたのって」
「あはは、大正解」
「大正解って、先生!」
「………実はね、大谷さんの家って母子家庭なの」
唐突に深刻な面持ちで武美は話し出した。
母子家庭とは言い換えれば父親が居ない内情を指す。しかし、現在では諸事情でそういう家庭が決して少なくない。クラスにも何人かは同じ境遇である。
だからと言って強固な態度に出てもいい理由にはならない。
「二年前の秋に海難事故にあってるのよ、大谷さんのお父さん」
吉継の表情を読み取り武美はカーテンを閉めた。
「海難、事故?」
「荒れた海でボートが転覆して今でも発見されていない。月日が経っているからおそらくもう………」
武美は吉継の斜め前に座って目を伏せ温くなったお茶を飲んだ。
濁した言葉の先は吉継も見当が付いた。
「本当はこういう個人情報を漏らしちゃいけないんだけど、少しは大谷さんの家庭事情を知って貰いたくてね。小早川君だけは特別、皆には内緒にしててね」
黙ったままの吉継に人差し指を立てた武美は続けた。
「大谷さんと初めて会った時も今と変わらない感じだったわ。頑な、というより心を閉ざした無感情な雰囲気で」
「無感情ではないです。今日も怒鳴ってましたから」
吉継は異様ともいえる剣幕を思い出した。
「知っています。でも本当はもっと感情豊かな子だと思うの。だからこそ小早川君の隣に決めたのよ」
「は、なんでです?」
「だってあなたには以前過酷なイジメを乗り越えた実績があるもの。どことなくあの頃の寂しげな小早川君に似てるのよね、今の大谷さん」
「………あの時は助けてくれた友達や両親がいましたから何とかなっただけです。自力じゃありません」
出来るなら嫌な過去は思い出したくない。吉継は顔をしかめてそっぽを向いた。
「だったら同じ境遇のあなたは大谷さんの拠り所になってくれるんじゃない?似た者同士なら適材適所だと思うのよ」
「はあー、勘弁して下さい」
呼び出された理由が分かって吉継は長い嘆息をつき机にうつ伏せた。
昔の吉継は自分から嫌われるような素振りを見せた訳ではない。単に小早川の苗字で酷くからかわれていただけなのである。自ら好んで全員を敵に回した秀晶の不調和とは全く事情が違う。
「買い被られても俺にはそんな力なんてありません。大体、学校内の人付き合いだってそんなに得意じゃないんです」
「でもご飯なら何か助けてあげられない?」
「え?」
急展開な話題に吉継は頭を上げた。
「大谷さんのお母さんね、隣町の垂井の病院で看護師をしてるの。夜勤とかもあるから夕食とか大変みたい」
武美はポットから急須に熱湯を足し、吉継の空いた椀に注いだ。
「大谷さん本人に聞いてみたけれど、適当に食べてますから大丈夫ですって答えるだけで心配なのよ。自炊してるのかも教えてくれないしね。それに大谷さんの家って松尾地区で小早川君の店の結構近くなの」
「それは自治会の連絡に入ってました。空き家に新しい人が入居したって」
「だったら、ね」
お願いの合掌を武美は再度してきた。
吉継は呆れた目で見返した。
「まさか夕食を差し入れろって言うんじゃないんでしょうね。そんなの大きなお世話って叩き出されますよ」
「じゃ、せめて何かあったら大谷さんを助けてあげて。それだけでいいの、人助けだと思って。お願い。あ、そうだ、もし今後小早川君が問題を起こしても少しなら大目に見てあげるから」
「それは………うーん」
吉継は腕を組んで思い悩んだ。
金吾と関わってから呼び出される回数が増えた吉継にとって悪くない交換条件である。しかし今の秀晶のダイヤモンドばりの強硬な態度を予想すると声を掛けることすら不可能なミッションに近い。
すると、突然ドクンと心臓が脈動し、ポケットの鉛筆がブルッと震えた。
【おい、こら、金吾】
急に秀秋に霊依(たまより)された吉継は焦った。
人助けの単語に反応したのだろう。こういう時の金吾の差し出口はろくな結果にならない。案の定、金吾は嬉々として武美の頼みを了承した。
「うむ、委細承知仕った。その依頼謹んで拝承致す」
「仕る?拝承?」
唐突な武士口調に目を白黒させた武美へ金吾は現代言葉に言い直した。
「あ、いいや、先生、人助けなら喜んで協力します」
【こら、金吾、てめえはまた勝手に決めんな】
声の届かない金縛りで吉継は叫んだが、体を乗っ取られてはどうしようもない。
武美は嬉しそうに吉継の手を握った。
「ホント、助かるわ~。さすが小早川君は裏切らないわね」
「出来るだけ努力してみます」
そうして相談室から送り出されたのだが、途端ドクンと元に戻った。
「おい、金吾、何、安請け合いしてるんだよ!」
ランリュックを背負った吉継は下駄箱のある生徒昇降口に向かいながら狡賢い鉛筆に文句を吐いた。もう一度相談室に戻って、「今の約束は俺じゃありません」などとは神経を疑われるため口が裂けても言えない。
それを逆手にとって金吾は武美に誓ったのである。
【まさに人助けの好機ゆえな。手をこまねくのも性にあわぬ。主とてあの娘は気に掛けておるのじゃろう】
【………そりゃまあ、な】
すれ違う他学年の教師にお辞儀をして吉継もテレパシーで返した。
【それにいつ破裂するか分からぬ爆弾が隣にあれば生きた心地もせぬじゃろう。これは主のためでもある。吾とて考えも無しに軽はずみに了承したのではない】
上手く言いくるめようとする魂胆が見え見えだが、確かに戦雲立ち込める教室ではストレスも溜まるし、クラスメートの怒気を孕んだ面を見続けるのも気が引ける。
とはいえ猫の首に鈴をつけるネズミ役も勇気がいる。それでも因縁なのか、武美と契約してしまった以上履行しなければ見逃してくれる条件も破棄されるだろう。
【何よりあの娘、暫し観察しておったが妙な感じがするのじゃ】
唐突に金吾が変な事を言い出した。
【何だよ、妙って】
【それは吾にも推し量れぬ。なれどこの人助けはいかにしても成し遂げねばならぬ気がしての。主も合力してもらえると有り難いんじゃが~】
金吾は媚びるような声で頼んできた。事後承諾で今更と腹も立ったが、人助けで成仏との約束をこの鉛筆と交わしているので吉継は、
【分かったよ。けどどこまでこなせるか保証出来ないぞ、いいか?】
と渋々了承した。
【さすがは吾が依巫(よりまし)じゃ。よろしく頼む】
【おだてたって酒はやらん】
酒豪の金吾を吉継はたしなめた。廊下の窓の外ではいつの間にかぼたん雪が本降りになっていた。積もる前に帰宅を急ぐ足が速くなる。
【そういえば次の土佐の集まりではビールのカクテルを出すのじゃろう。楽しみじゃな】
【おい、こら、誰がお前に飲ますと言っ………】
靴を履き替え、傘立てから自分の傘を引き抜いて歩を進めようとした時、コツンと爪先に何かが当たった。
「傘?」
足下を覗くと比較的新しい紺色のジャンプ傘が地面に置き去りになっている。
誰かが忘れたのだろうか、吉継は通行の邪魔になっているそれを傘立てに戻そうとした。
しかし、傘の柄を手にした途端空を切る感触が伝わった。
中を見ると柄が中程でポッキリ真っ二つに折れている。
「これは………」
【主、この折れ方は風が原因ではないぞ】
金吾も異様な様子に感付いた。
「ああ」
としか吉継は返さなかったが、内心では立ち所にやるせない思いが胸に溢れてきた。
骨も歪に変形しどう見ても人為的にへし折ったようにしか考えられない。それに持ち手には「大谷晶」とサインペンで書かれたネームタグが雪風に揺れている。
吉継は壊れた傘を固く握りしめたまま暫く立ち尽くしていた。 
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