【主、今日は積極的じゃな】
意外そうな声で金吾が話してきた。手を洗った吉継は鍋やフライパンなどの調理用具をラックから取り出して素っ気なく答えた。
【どうせ人助けってお前に介入されるくらいなら自分でやる。それにテンムちゃんには早く復帰してほしいしな。副担任の鬼センセでは何か調子狂う】
【そうだね、私も皇先生の方がいい。柴田先生、福井出身の私を何かと目の敵にしてくるみたいで】
と秀晶が側で文句を吐いた。
【ま、今、越前で有名なのは大谷刑部どのだから、刑部どのに人気をかっさらわれた柴田勝家ファンの鬼センセからは機嫌悪いだろうよ】
【えー、勝家なら北ノ庄城があるのに!】
【人気の問題だ、人気の】
【うー、納得いかない~。で、ヨシは今日何を作るの?】
【見てれば分かるよ。それより晶、包丁を使うから玄関の所に離れて座っていてくれ】
【え、ヤダ、近くでヨシの料理見てたい!】
【あのな、危ないだろ?それに俺が見えないから専念できないの】
【あー、ヨシ殿、吾が主を見えやすくするなら危うくないと思うのじゃが、如何かな】
と、ここで秀晶のポケットから透明化の術をかけている湯浅五助が提案した。五助も刑部と同様にMONO消しゴム(但し家臣なのでミニ消し)となって秀晶をサポートしている。
【へえ、そんな技が出来るんですか、助さん?】
吉継は尊敬する刑部と共に五助にも強い敬拝の念を抱いていた。しかし、五助が堅苦しい敬称を嫌うのでフランクに助さんと呼んでいた。
【半可視化、LUMINOX(ルミノックス)という姿を半透明にする術式じゃ】
【ん?いやいや、それだったら晶の姿も周りにバレちゃうでしょ。マズイでしょ】
【さにあらず。依巫だけにしか見えぬよって。それ、かくの如く】
突然秀晶がフラッシュのように光輝き、色のない輪郭だけの線画になって現れた。
【おお、すげえ。これ本当に誰にも見えてないんですか?】
【うむ、これで思う存分料理なさるがよろしかろう。主もこれでヨシ殿の側にいけますぞ】
【ありがとう、五助。さすが大谷家の重臣、頼りになる】
秀晶は掌のミニ消しに礼を述べた。
対して吉継はポケットの二色鉛筆に当て擦った。
【全く、どこぞの誰かももう少し主人を助けるような便利な術を持ってくれてると助かるんだけどな】
【おい、代わりに家庭教師をしてやっておるではないか?】
金吾がムキになって反論すると、吉継は元が持ってきた桃缶を陶器のボウルに空けながら更なる反論を返した。
【勉強なら今は結構晶に教わっているんだけど。アポートは貯金が減るし、お前の存在ってほとんど意味無いぞ】
【がーん!】
金吾は分かりやすくショックを受けた音を口にした。
【冗談だ、お前がいないとアルスで晶や刑部どのと話が出来ないだろ】
【それでもアンテナ扱い!】
【ね、ヨシ、カマはどうでもいいからそれ何作っているの?】
【どうでもいい?!】
秀晶からバッサリ切られた金吾はすっかり落ち込み、胸ポケットに折曲がって潜ってしまった。すると途端通信が途切れてしまった。アルス・マグナは片方が受信拒否するとテレパシーの会話が成り立たないのである。誰もいない場所であれば肉声で会話出来るのだが、さすが元達が近くにいるこの状況下では面倒臭い。
多少の罪悪感を抱いた秀晶は吉継の耳元で囁いた。
「ごめん、ヨシ、不便。カマちゃん宥めて」
「やれやれ、仕方ないな」
吉継は小さなグラスに白ワインを注ぐと鉛筆をノックした。
「おい、金吾、お前の好きな葡萄酒だぞ」
【………飲んで良いのか?】
小早川秀秋は生前並外れた酒好きであったので返事が早かった。
ちょろいなと吉継は笑った。
【その代わりアルスを復活させてくれ】
すうっとグラスのワインが消えたのと同時に秀晶とのテレパシーが戻った。
【日本史に残る武将のクセに手懐けるの簡単ね。で、それは何してるの?】
缶の桃に白ワインをたっぷり振りかけてレンジのスイッチを押す吉継に秀晶は聞いた。
そのまま吉継は次の新しいボウルに溶いた卵とふるった小麦粉、砂糖を入れ、牛乳と溶かしバターを混ぜ合わせ、粗熱を取り、冷蔵庫へ入れた。
【ちょっとしたデセールをな】
デセールとはフランス語でデザートを意味する。それ以上何も言わないというのは出来てからのお楽しみという意味なのだろう。秀晶は邪魔にならない所に立って吉継の調理の工程を黙って楽しそうに眺めていた。
吉継は次いで白菜をカットし、シメジをソテーし始めた。そして冷蔵庫の中から色々な調味料を取り出してソースやスープを作り出した。
ひすとり庵の厨房ではなく狭いアパートのキッチンであっても吉継の調理の速度は全く落ちていない。みるみる内に料理の手筈が進んでいく。
と、ここで奥の寝室から汐恩の声が流れてきた。
「申し訳ございませんが、先生、私、お花を摘みに参りたいのですが」
トイレに行きたいとの隠語に、ここでもお嬢様か!と吉継は内心突っ込んだが、元はその意味が分からなかったのかケタケタ笑い出した。
「未だ冬だよ、汐恩。花なんて咲いてる訳ないじゃん。季節間違えてるなんてあんた大丈夫?」
「いいえ、松平さんの頭の中にはキレイに咲き誇ってらっしゃいますわよ」
苛立って嫌味を吐く汐恩を武美は宥めた。
「お手洗いならキッチンの東奥にあるからいってらっしゃい」
吉継は汐恩に通り過ぎ様、背中越しにジロリと睨まれた。完全な八つ当たりである。
(汐恩、こえー)
フライパンでジュージューと食材を炒めながら吉継は身をすくめた。
【のうのう、ヨシは】
唐突に秀晶が福井弁で語り掛けてきた。拍子抜けしたり感情が上下する時たまに訛るらしい。
【汐恩をどう思っとる?】
【は?どうって?】
【ほやさけ(だから)、その………】
口籠もり、その先を淀ませる秀晶に吉継は「何だよ」と顔をしかめた。
その時である。トイレから出てきた汐恩が、
「きゃあ!!」
と耳をつんざくような悲鳴を上げた。
「どうした、汐恩?」
振り返ると汐恩が廊下に尻餅をついて廊下を震えた指で指さしていた。
「むか、む、か、ムカ………」
「汐恩、おい、しっかりしろ」
汐恩にしては珍しく青ざめた顔で酷く狼狽していた。火を止め慌てて駆け寄った吉継は汐恩の示す方を見た。一緒に駆けてきた元と武美もそこへ視線を移した。
すると少しだけ和室の開いた木のスライドドアの間に何かが挟まっている。
よく見ると黒光りする節足動物の金属製のオモチャであった。
「これは?」
拾い上げてみればそれは「百足(むかで)」を象ったブレスレットである。
「汐恩、生き物じゃなくただのアクセサリーだぞ、これ」
吉継は安心させようと汐恩の前にそれを掌に乗せて差し出した。
しかし汐恩はもっと顔を青くし、キャアキャアと余計パニックになった。
「は、早くそれをどこかに追いやって下さいまし!後生ですから早く」
「………汐恩、お前、まさか、百足がダメなのか?」
「そんな気持ち悪い生き物、誰が好きなものですか!お願いですから早くそれを私の目の届かない所へ」
するとその恐慌を見ていた元がニヤリと笑うと、吉継からそのブレスレットを取り上げ、汐恩の目の前でブラブラと揺らした。
「なあに、汐恩ちゃんはムカデが嫌いなのかな~」
「イヤイヤ、や、止めて、お願い」
涙目になる汐恩に悪魔顔となった元はホラホラともっとそれを近付けた。
「止めれ!」
吉継は際限なくからかう元の後頭部をビシッと思いきりチョップした。
「いったー、何するのよ、ヨシ!」
不意打ちの攻撃に元は頭を押さえて振り向いた。
「それはこっちの台詞だ。何、人の弱みに付け込んでイジメてるんだよ」
「だってさ、汐恩にも意外な弱点があったからさ、つい」
「つい、じゃねえ!クラス委員長のお前が担任の家で悪さしてどうする?」
「む、それは………」
我に返った元から取り返したムカデのブレスレットを武美に渡し、吉継は屈んで汐恩に声を掛けた。
「平気か、汐恩?」
すると汐恩はガバッと吉継に抱き付いてきた。
「お、おい」
「こ、怖かったよぉ、怖かった」
汐恩は鼻を啜って幼児さながらガタガタ震えていた。今まで凜とした完璧なお嬢様で、勝ち気な汐恩がまるで別人のように怯えている。
その正反対の様子に吉継は驚いたが、やがて汐恩の頭を撫でて諭した。
「もう大丈夫だから。そろそろ離れてくれるか?」
汐恩は即座に現状に気付き、顔を真っ赤にして急いで吉継から離れた。
「ご、ごめんなさい、コバ君。私とした事が取り乱してしまって大変失礼を。昔庭園で百足に咬まれた経験があって以来、形を見るだけで怖気が………」
「別にいいよ。それに何かホッとした」
「え?」
ポンともう一度汐恩の頭に手を置いて吉継は微笑した。
「完全無欠より一つでも隙がある方が汐恩は可愛いと思うぞ」
「か、可愛い?」
家柄が家柄だけに美人とか、可憐だとか追従での讃美はあっても同年の男子から面と向かって容姿を褒められるのに慣れていない汐恩は余計頬を紅潮させた。
すると吉継は後ろからドンと衝撃を受け「いってえ」と背中を押さえた。
【いきなり何するんだよ、晶!】
唐突に背中を拳骨で殴られた吉継は周りに悟られないよう痛みに耐えながらアルスで文句を吐いた。グーの拳を上げたまま秀晶はキレた声で抗議した。
【ふん、ほんなもん、あんたの胸に聞けま!!】
【刑部どの、何ですか、あなたの主人は一体!?】
訳も分からない吉継はMONO消しゴムに助けを求めた。しかし、刑部は、
【いや、今のは明らかに貴公に非があると思うが】
と吉継を遠回しに責めた。
【うむ、身共も左様に存ず】
五助もである。
【主、おなごの機微に疎いのは難点であるぞ】
自分の従者である金吾まで参戦してきた。四面楚歌の総攻撃である。
何だっていうんだよ、もう、と苦りながら吉継は、何故か怪しげに和室の扉を背にして立つ武美に向き合った。
「先生、その部屋の中、見せてもらってもいいですか?」
「え、だ、ダメよ。ここは私物が入ってるから」
武美は手を広げて入室を断固阻もうとした。あからさまに何かを隠匿している。
吉継はとある一節を口にした。
「知り難きこと蔭の如く、動くこと…?」
「雷震の如し!」
反射的に武美は答えた。が、にやりとほくそ笑む吉継の術中に気付いた武美は口を開いたままカチンと停止した。
「予想どおり先生って武田信玄の、いや、武田家のファンだったんですね」
「え、そうなの?」
驚いて武美を見上げる元に吉継は推理の内容を話した。
「多分、その部屋の中には風林火山の軍旗とか信玄の兜とかが隠されてると思うぞ。もしかすると諏訪明神の旗も。それと百足衆の旗指物とか。違いますか、先生」
「………はあー、バレちゃったか」
自白する犯人のような溜息をついて武美は吉継に質した。
「どうして分かったの?」
「冷蔵庫に貼ってある花菱紋のステッカーです。あれは武田の裏紋ですから。そして先生が使っている兎の文鎮は信玄が幼少から愛用していた物のレプリカですよね」
「まあ、よく知っているのね」
天目山栖雲寺が所蔵する「兎形文鎮」は信玄通しか大抵その存在を知らない。
武美は心底驚いていたが、吉継はもっと仰天させる内容を話した。
「初めから寝室に違和感はありました。寝室の壁には並んだフックがあっても何も掛かってない。それにフックが歪んでいたから慌てて何かを取り外したんでしょう。あのフックの間隔では飾られてたのは恐らく旗。整理整頓が行き届いている先生ならフックの歪みにも気付くはずです。それとベッドの上にある物置台には緋色の綿敷物があっても不自然に何も置いてない。敷物の中心部が四角く窪んでいたから常時物が置いてあった証拠です。そしてそれは台の大きさから考えて、武田信玄が所用していたとされる白いヤク毛がついた諏訪法性兜(すわほっしょうのかぶと)の複製品だと思いますけど。元が拾った白髪もその毛が床に落ちたんでしょうね。そして極め付けが百足のブレスレットです。あんなものは普通女の人の家にはありませんから」
「だから、孫子で私を試したの?」
「そうです。あの名言の一節は余程の信玄ファンでないと知りません」
「ふう、まるで名探偵ね、小早川君は」
逐一全てを言い当てられた武美は諦めて、部屋の扉を開け三人を和室に招き入れた。
そこには吉継の予想通り、「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」との紺色の風林火山の武田軍旗と、「南無諏訪南宮法性上下大明神」と金色で染め抜かれた赤い神号旗が洋服掛けの上に掛けられていた。
「おー、実物大の武田の旗を見るのは初めて。でもどうやって読むんだろう、これ」
元はジロジロと風林火山の旗を観察していた。
すると武美は淀みなく孫子の部分を諳んじてみせた。
「其(そ)の疾(はや)きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」
「へえ、さすが信玄ファン」
元は武美に拍手を送った。武美ははにかんで言った。
「でも本当は、知り難きこと蔭の如く、動くこと雷震の如しというのが後に付いているんだけどね」
武美は次に諏訪明神の神号旗の説明を元にしていた。その二人の横に、前立に金色の角を持つ赤鬼が威厳を放ち、高地に生息する牛科の動物であるヤクの白毛が目立つ信玄の諏訪法性総髪兜が木の台座に置いてある。
「ヒッ!」
一人汐恩はもう一枚の旗を見るや吉継の背中に咄嗟に隠れた。
白い布地に、逆S字の黒百足が描かれた「百足衆」の旗指物が壁に飾ってある。
「先生、もう一つ聞いてもいいですか」
元に複製の兜を触らせている武美へ吉継は言った。
「ん、何かしら?」
「どうして百足のパジャマを着替えたんですか?」
「な、な、な、ど、どうしてそれを………」
不意に核心を突かれた武美は目が飛び出る程驚愕した。
愛用の百足柄をあしらったパジャマの存在を知っているのは同僚の一部の教師だけで他には悟られないよう内緒にしていたのである。洗濯もパジャマだけは必ず部屋干しにして外からは見られないように気遣っていたので、却って武美の驚き様は尋常でなかった。
「やっぱりそうだったんですね」
「………やっぱり?」
「当てずっぽうです。実物は知りません」
「え?どういう意味?」
吉継は自分の前襟を指で差した。
「先生の前襟にタグが付いてますからパジャマが前後逆です。しっかり者の先生らしくない。それに仮に武田信玄の家紋のパジャマであれば俺達に隠す必要も無いでしょう。それを敢えて慌てて着替えたというのは余程変わったデザインを着用していたんじゃないかと」
「ああ、そうなの」
安堵した武美であったが、ふすまの中で元が乱雑に畳んであった件のパジャマを見付けて広げた。
「わ、凄い変な柄」
白い布地にカラフルな七色百足模様が施されたパジャマを武美は奪い取った。
「松平さん、家捜(やさが)しはいい趣味ではないですよ」
しかし元はあっけらかんと言い放った。
「先生、そんなおかしなパジャマじゃあ悪い虫も付かないけど良い虫も付かないよ」
正鵠を射られた武美はグハッと胸を押さえた。漫画であれば血反吐を吐いているだろう。実は同僚の女教師にも同じ警告をされていたのである。
「こ、小早川君もそう思う?」
武美は吉継に同意を求めてきたが吉継はスルーした。
「えーっと、それは汐恩に聞いて下さい」
すると背中に隠れたままの汐恩は、
「悪趣味」
と一言でバッサリ切り捨てた。武美はガックリと崩れ落ちた。


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