「それより、ヨシ君、私のデザートそろそろ出してくれる?」
「あ、はい。今用意してきます」
須和子からの促しに吉継は足早にバックヤードへと向かった。
すると東有子がふっと須和子に向いた。
「そういえば須和子さんはどんなものを注文したの?音依さんに頼んだのよね」
「ふふ、私は、冷たくて甘くて私が好きそうな物、としか伝えてないの。後は楽しみにしているのよ。東有子さんは?」
「あら、奇遇ね。私も同じようなオーダーをヨシ君にしたのよ」
「それではお互いに楽しみにして待ちましょうか」
そうすると三分ほどして吉継がバックヤードからワイングラスの足を短くして胴部分を太くしたようなゴブレットグラスに入った白黒四層のゼリーを運んで須和子の前にスプーンと共に差し出した。
「どうぞ、小早川音依作、デザートゼリー・GELATINA DI EST E OVEST(ジェラティーナ・ディ・エスト・エ・オヴェストです」
「エスト・エ・オヴェスト?」
ジェラティーナがゼリーなのは何となく分かるが残りの単語は理解できない。
吉継は不可解な顔の須和子に詳説した。
「イタリア語で東と西、このデザートでは東洋と西洋をさします。関ヶ原の東西を模して二色のスイーツとなっています」
「東洋と西洋?」
須和子は上から順にトロリとした白いクリーム、黒いゼリー、白いゼリー、そして最下層の黒いゼリーに目を細めた。一番上のクリームは恐らく生クリームであろうが、その下の三つが分からない。一見するとコーヒーゼリーであるが、音依の事だから何か工夫があるに違いない。
しかし、須和子には東洋と耳にして一つ気掛かりな不安が胸をよぎった。
「ね、ヨシ君、もしかしてこれってどこかに亀ゼリー入ってないよね?私、あれ苦手なんだけど」
亀ゼリーというのは亀苓膏(きれいこう)というカメの腹甲粉末と土茯苓(どぶくりょう)や甘草といった漢方薬を煎じて蒸した中国のメジャーデザートである。
音依は天才料理人であるが時々ゲテモノに走る嫌いがあるので須和子は吉継に尋ねた。
「大丈夫です、それは寸前で止めました」
「え、入れる気でいたの?」
「武田さん、亀ゼリー、マジに嫌いだって、と言い聞かせましたから」
「はー、助かったわ、ありがとう、ヨシ君」
「ところで武田さん、亀ゼリー以外の中華食材は平気なんですよね」
「ええ、多分。ん、じゃあ中華のゼリーなのね、このどれかの層は」
「あはは、これ以上の種明かしは止めておきます。先ずは味わって確かめて下さい。どうぞ。あ、上の二層と下の二層は白黒でセットになっていますので全部かき混ぜずに、先ずは上の二層だけ一緒にすくって召し上がって下さい」
須和子は吉継の指定するようにグラスの側面を見て下の黒いゼリーと上のクリームを一緒にすくって口に入れた。
「んむ」
突如濃厚なクリームと、芳醇なコーヒーの味が舌にまとわるように口一杯流れ込んできた。
「美味しい!これ、コーヒーゼリーね。でも普通のコーヒーゼリーじゃない。香りに深みもあるし、第一このクリームもただの生クリームじゃない」
須和子はクリームだけスプーンで味見してみた。
「そう、マスカルポーネだわ。まるでティラミスを食しているみたいだもの」
「そうです。上のクリームはマスカルポーネチーズと生クリームのミックスです。そしてコーヒーゼリーは父さんの淹れたコーヒーを使いました。いつものブレンドをマスカルポーネに合うような配合に変えてもらったんです」
「え、高影さんのコーヒーゼリー用オリジナルコーヒーなの?どうりで美味しいはずだわ」
吉継の父である小早川高影は朝と昼にここで喫茶店を開いていて、高影の淹れるコーヒーは地元関ヶ原のみならず大垣や滋賀県からも通いに来る程有名であった。
「でもそれだけが母さんの仕掛けじゃありません。もう一度、コーヒーゼリーだけ召し上がってみて下さい」
「え、ええ」
須和子は二層目だけを食べた。そうするとさっきは気付かなかったが、何かコーヒーとは別の、記憶にある甘みが感じられた。
「うーん、これ、どこかで味わってるわ。何かがプラスしてあるのよね。何だったかしら?」
迷うに迷う須和子に吉継はしばらくしてから一本のアルコールが入った黒いボトルを見せた。
それはコーヒーリキュールの代名詞ともいえる「カルーア」であった。ミルクを足せば「カルーアミルク」というカクテルになるメジャーなリキュールである。
「あ、そうよ、思い出した、カルーアミルクだわ。カルーアをコーヒーに足したのね!」
「武田さんはお酒が好きなので。大人のコーヒーゼリーにしました」
「さすがおねさん、この上だけで二手も三手も打ってくるとは」
パクパクと上の二層を平らげた須和子に吉継は次のステップを勧めた。
「さて、下のセットは東洋のゼリーです。ちなみに上部はミルクのゼリーです。お召し上がりを」
「え、あ、ええ」
クンクンと匂いをかいでみるものの甘いミルクの香りしかしない。下も怪しいものじゃないから大丈夫ですよと警戒を解く吉継を信じて須和子は恐る恐る二層をすくって口に入れた。
「………美味しい」
食べた途端、下の層がコーヒーゼリーでないのは直ぐに分かったが、ほろ苦い味は初体験であった。須和子は黙って吉継を見上げた。
吉継はするとカウンターの下から透明なビニール大袋に入った茶色の乾燥した草葉を見せた。
そこには「老仙草乾」とのシールが貼ってあった。
「これはセンツァウダン、『仙草凍』という薬草です。仙人草という別名を持ち、これから作られる仙草ゼリーは台湾の国民的なデザートです」
「仙草ゼリー?」
「日本で訳されるところの『グラスゼリー』です。このゼリーは暑気あたりや解熱に効くとされ、甘いシロップや果物と合わせて、細く刻まれてドリンクとしても飲まれています。漢民族の一支流である客家(ハッカ)では夏の土用にこのゼリーを食す習慣があります。日本での鰻の役割ですね」
「なるほど、台湾の夏の涼か。ふふッ、よく味わえば上の層のミルクゼリーはココナッツミルクね。それにしっかりと小粒のタピオカも入っててまさに夏のアジアンスイーツ………いえ、この作者はおねさんだもの、もう一つ何か細工がしてあると思うわ」
須和子はもう一度ミルクゼリーと仙草ゼリーを別々に賞味してみた。するとココナッツミルクゼリーの中に微かではあるが別のコクが舌を刺激した。
須和子は推察して吉継に聞き足した。
「これにもお酒が入ってる、そうでしょ?」
「ご明察です」
吉継は白いボトルを冷蔵庫から取り出すと須和子に渡した。
そのラベルには山の放牧地で草をはむ牛のイラストが載っておりLCOWBELという社名と「MILK LIQUEUR(ミルクリキュール)」という文字が書いてあった。
「へえ、牛乳のリキュールなんてあったのね」
瓶を吉継に返して須和子は感心した。
「はい、今回はコーヒーリキュールとミルクリキュールの二つを使いました。これはいわばカクテルゼリーです。暑い夏をお洒落に過ごして頂こうと母さんが作った今夜限りのデザートです」
「え、こんなに美味しいのに定番にしないの?」
ペロリと平らげた須和子は限定の一語に驚いた。
吉継は平然と返した。
「都会の高級レストランならいざ知らず、ウチでは手間と材料費が掛かりすぎます。利益が出ないなら商売として成り立ちません。父さんのブレンドコーヒーゼリーなら既にメニューになっていますので、今回は特別です」
「ああ、そう考えればおねさん特製のゼリーを世界で私だけが食べれたのね。イタリア風と台湾か。両方を一度に味わえるなんてとても贅沢だわ」
須和子は水を飲んで美味な後味に浸っていた。
「ね、ヨシ、ところでコーヒーゼリーって他の国にはどういうのがあるの?フランスとかイギリスとか」
突如背後から皿を洗いながら秀晶が何気なく質問してきた。
すると東有子と須和子は顔を見合わせ揃ってケラケラ笑った。
「え、何?何がおかしいの?」
訝しがる秀晶に吉継は、あー、と困った顔で振り向いて教えた。
「晶、イタリアももちろんだけど、欧米にコーヒーゼリーは無いんだよ。コーヒーゼリーは昔、ミカドコーヒーが開発した日本独自のデザートなんだ」
「え、そうなの!?」
秀晶は心底驚いた。
「アイスコーヒー自体も、元々欧米じゃ少数派だった。今ではスター●ックスみたいな大手コーヒーチェーンがアイスコーヒーを大々的に売り出すようになったから珍しくなくなったけど昔はコーヒーといえば一律ホットだった。故に冷たいコーヒーゼリーという概念も生まれなかったんだよ」
「へえ、文化としては新しいのね」
「だから日本へ観光でやってくる外国人はコーヒーゼリーに驚くよ。もちろん好き嫌いはあるみたいだけどね。そういう知識もグルメのお母さんに教えてもらえばいい」
「そうね、秀晶。あなたが今後恥を掻かないようにちゃんと教えてあげるわよ」
小馬鹿にしたように東有子は口角を上げた。
対してカチンときた秀晶も皮肉で応酬した。
「そうね、お母さんが卵焼きを焦がさないようになってからでいいかな」
「ちょっと、あなた最近ヨシ君と音依さんから料理学んでるからってそれを今持ち出すのは卑怯じゃない?」
食通でも料理下手な東有子は慌てて反論した。
自分を挟んだ親子喧嘩に呆れて苦笑いする吉継は、
「そろそろ大谷さんのデザートをお持ちしますね」と逃げるようにバックヤードへ足を向けた。
そうしてから間もなく吉継は漆塗りのお椀と、湯気の出ている湯飲みに入ったお茶を東有子の前に運んできた。
「お待たせしました。『伊吹冷製・薬善哉セット』です」
「やくぜんざい?うん、そうね、確かにぜんざいだわ」
ヒヤリと冷たい椀の中身は一見小さなピンポン球程の白玉団子が四つ入った普通の冷やしぜんざいである。
ただ吉継にしては珍しくメニュー名以外何の説明もなくただ東有子をニコニコと眺めている。こういう時の吉継は客の反応を試そうとしているのだが、食通である東有子に限っては中身を当ててみろとの挑戦である。
東有子はレンゲで先ず粒餡の汁を飲んでみた。
「うん、美味しいわね。一流の甘味処のぜんざいに負けてない」
小豆も北海道産大納言小豆を使っているのだろう。それにコクがありながらも冷たい餡の汁はさっぱりしており、それを引き立てる隠し味も混ぜられているのは明白だった。
「これは、ショウガね。すり下ろしたショウガの絞り汁を良い塩梅で餡に混ぜてあるんだわ。それも餡も上品な甘さだから、砂糖も普通の上白じゃなくて和三盆を使ったのね」
「当たりです」
さすがは大谷さんと吉継は小さく拍手した。
「じゃあ今度は白玉ね」
東有子は汁に浮かぶ四つの白玉団子をじっと見た。餡がかかっていたので見過ごしていたが単なる白玉でなく、深い緑色と、白に何か緑色の粉が混ざった二種類の白玉である。
東有子は最初に緑色の団子を口に入れた。
その正体は直ぐに分かった。
「これはヨモギね。抜けるような草原のような芳香がするから業務用の粉末ヨモギじゃないわ。天然ね」
「はい、春に摘んだものをあく抜きして冷凍保存しています。それを細かく刻んでから白玉粉に和えてヨモギ団子にしました」
「なるほど、じゃあ次はこっちね。何が入ってるのかしら」
二番目に口へ運んだのは見たことも無い団子である。よく噛んでみると塩のきいたセリに似た濃い苦味が伝わってきた。
「これは、初めての味だわ。ハーブなの?」
「それは当帰(とうき)です」
「当帰って漢方薬の?」
「そうですが、漢方薬で使われているのは根の部分で、これは葉を乾燥させたものです。和のドライハーブですね。西洋ではアンジェリカという香草になります。団子だけでなく汁と一緒に召し上がって下さい。苦みが甘さと足して丁度いい風味になりますから」
「あら、本当だわ。ヨモギもそうだけど当帰団子もまろやかになるのね」
東有子は四つの団子を瞬く間に食べ、最後の汁を飲もうとした。すると吉継から、ちょっと待って下さいとストップがかかった。
「最後の仕掛けです。これを追加に汁へ入れて召し上がって下さい」
吉継が差し出した皿には二つの白っぽい半透明な一口大の丸和菓子が乗っていた。透けて何かの紫色をした中身は見えるのだが正体は不明である。
東有子は言われるままその二つの和菓子を汁に入れて餡に絡めるようにして口にした。
すると薄い甘い皮に包まれた具材からジュワっとフレッシュな果汁が溢れだしてきた。
「ん、これ、葛饅頭ね。そして中身はカットイチジクが入ってる!」
「はい。旬なので敢えて生イチジクを使いました。デザートがパフェならイチジクアイスを乗せるんでしょうが、この場合は和なので葛で包みました。如何ですか?」
「うん、甘みの中に瑞々しさが加わって美味しさがより増したわ。最後にフルーツがこういう形で入るとは想像してなかったわよ。よく思案したわね」
東有子はそのまま一気に残りの葛饅頭と汁を飲み干した。
「ああ、美味しかった。満足よ」
「よかったです、お気に召して頂けたようで」
「そうね、ヨシ君の作るデザートだもの、ただの冷やしぜんざいじゃないと思っていたけど、なるほど薬善哉とはよく命名したものね」
東有子は吉継の真意を察して感嘆の声を漏らした。
「え、お母さん、どういう意味?」
秀晶がタオルで手を拭きながら吉継の横に立って東有子に尋ねた。
「秀晶、これはね、薬膳とぜんざいを足した名前なのよ。薬膳、つまり食べる薬。医食同源って分かる?」
「ご飯がそのまま薬になるみたいな?」
「簡単にまとめるとそうなるわね。このぜんざいはスイーツだけどお薬なの」
東有子は湯飲みのお茶をズズッと飲んだ。
「そもそも餡の小豆は栄養学的に食物繊維・タンパク質・ビタミンB・ミネラル・サポニン・ポリフェノールが豊富だしね。これが薬膳と分かったのはヨシ君から当帰の名前が出てきたからよ」
「当帰?」
「当帰は主に婦人科に対する漢方薬ね。当帰の根は薬だから使えないけど葉は使用許可が下りてるの。冷え性に対しての効果もあるわ。ヨモギの効能は………何だったかしら?」
東有子は吉継を意味ありげに見た。後の説明は任せたという視線である。
吉継は繋いで説き明かした。
「ヨモギは胃腸を健康にし、冷え性にも効果があります」
「そして体を温めるショウガもね。秀晶、ヨシ君はね、夏向きってだけじゃなく、私の健康のためにこのスイーツを考案してくれたのよ」
「え、お母さん、健康じゃない!」
「そうじゃないの。看護師の夏場の職場は結構クーラーで冷えてしまうのよ。だから冷え性予防にこれをわざわざ作ってくれたのよ。ヨシ君、違った?」
「ハハ、もう説明する必要がなくなりましたね」
「ほらね。それにイチジクも同じよ。桃やサクランボと並んで体を温める果物なの。それに腸内の善玉菌を増やす水溶性食物繊維が多く、ビタミンやミネラルも豊富でホルモンバランスを整えくれる植物性エストロゲンも含まれてるの。女性の味方ね。だからこれは甘味だけど全てお薬なのよ」
「へえー」
「そして薬膳の極め付けがこれね。飲んでごらんなさい」
東有子は娘に湯飲みのお茶を渡した。
「わッ、苦ッ!臭ッ!」
一口飲むなり秀晶は渋い顔をした。
「あははは、あなたには初めての味か。それは十薬よ」
「ジュウヤク?」
秀晶は直ぐに湯飲みを返した。
「ドクダミ茶。これも薬草茶なの。血液をサラサラにする成分があるから高血圧予防とかにもいいし、カフェインが入ってないから胃にもいいの。味も初めは苦いかもしれないけど飲み慣れると結構美味しいわよ。で、ヨシ君、薬効だけじゃないでしょ、このぜんざいを作った理由は」
「ふう、大谷さんには敵いませんね」
裏の意味を見破られた吉継は説明を足した。
「大谷さん、この薬善哉の名前の初めに『伊吹』と付いているでしょう。その意味がお分かりになりますか?」
「ここから伊吹山ドライブウェーが近いからじゃないの?」
「いいえ、これは別に関ヶ原から伊吹山が望めるからとの理由ではありません。実は伊吹山は織田信長がポルトガル宣教師フランソワ・カブラルの頼みに応じて薬草園を作らせた場所だからです」
「ああ、それだったら新聞で読んだ覚えがあるわ。確か、えーっと、伊吹山って昔から薬草の宝庫で気候的に薬草が育ちやすい場所だからって」
「そうです。五十町歩(約五十ヘクタール)の薬草園に西洋から運び込んだ薬草が三千種類も植えられたそうです。これは『南蛮荒廃記』・『切支丹宗門本朝記』・『切支丹根元記』に記載されています。しかし、信長がこの薬草園を開かせたのにはもう一つ理由があると巷では考えられています」
するとここで須和子が今度は大丈夫という顔で発言した。
「それなら私ちゃんと知ってるわよ、ヨモギとかを他の材料とかに混ぜたら化学変化で鉄砲火薬の材料になる。信長は大量の鉄砲を持ってたけど火薬だけは輸入に頼っていたから自分で作りたかった。だから薬草園を許可したって」
「よくご存じで」
「ま、全部うちの主人の受け売りなんだけど。でもその火薬の件だって仮説なんでしょ?」
「そうです、確証はありません。薬草園の名前も『信長公記』には一切載っていません。ですから一時、園の存在すら疑われた過去もあります。しかし、現在ではキバナノレンリンソウ、イブキノエンドウ、イブキカモジクサなどのヨーロッパ原産植物が伊吹山でしか生息していない事から植物学的に海外から持ち込まれた、つまり薬草園は真実だったんじゃないかとの見解に至っています」
「でも信長と薬草園というのが何かピンとこないわ。比叡山の焼き討ちとかの残虐なイメージしかないから」
東有子が正直な感想を漏らした。
吉継は眉を寄せて頰を掻いた。
「うーん、皆さん、信長に関してはどうも独裁者的な印象が強いようですね。暴力的だとか血も涙もない鬼のようだとか」
「そうじゃないの?」
「確かに威圧的な面があったのは否めませんが、優しい所もあったんですよ。その薬草園ですが、宣教師にはルイス・デ・アルメイダのような医学知識を持っていた人間もいて、信長はそういった有能な宣教師を保護し、領民の健康を守ろうとしたんじゃないでしょうか」
「ま、まあ見方によってはそうかもしれないわね」
「それだけじゃありません。『信長公記』には諸国の街道を整備し両脇に松と柳を植えたとあります。そのために領民はとても喜んだと。もちろん街道の整備は軍事的な理由もあったでしょうが、難所の道は平らにならされ、道幅も広くなり往来がしやすくなって領民は助かったと綴られています。そして重要なポイントは街道の両脇に植えられた松と柳です」
「え、何?珍しい木ではないけど」
「それには理由があるんです。それらの木々は道を通る旅人にとっての休息場です。疲れたら幹に寄り掛かって休めます。そして松は常緑樹で年中木陰を提供します。柳の木は下に長い葉を垂らし、夏の強い日差しには松と同様木陰となり、急な雨も防げます。信長はそういう配慮をしていたのです」
「へえー、そんな気配りを」
「ここ関ヶ原でも信長にまつわる有名な逸話があります。信長は京都への行き帰りの途中の関ヶ原山中村で『山中の猿』と呼ばれていた貧しい身障者をいつも気にかけていたそうです。ある日、信長は哀れに思ってその人間に反物などの施しをし、村人に彼の生活の面倒をみるよう頼んだのです。周りの者はその慈悲深さに涙したと書かれています」
「ふーん、意外。信長ってそんな繊細な武将だったのね」
「ですから薬草園についても信長なりの思いやりだったと思います。それと伊吹山には『蓬(よもぎ)』・『当帰』・『川芎(センキュウ)』の三大薬草があります。その内の二つを団子にして、信長の思いも込めて今回のデザートを作らせて頂きました。それに今年は信長が岐阜に入城して丁度四百五十年目となります。信長と関ヶ原の繋がり、その記念ともしました。この説明で如何でしょうか」
「お見事!」
東有子から惜しみない拍手が送られた。
照れて吉継は説明を足した。
「薬膳って健康もそうなんてすが、美にも直結するんです。内臓の働きが活発になれば自然と肌の調子もよくなりますからね。化粧での美白も大事ですが外面より内面から変えていかないと根本的な解決になりません」
「耳の痛い話だわ。でも色が白いは七難隠すって言うじゃない」
「そうですね、秋田や京都、博多といった日本海側に美人が集中する地域は、特に秋田は色白美人が多いと一般的に伝えられてますから。それも日照時間の多少が関係してるみたいです。日が短ければ当然皮膚が焼ける機会も少なくなりますからね。ロシア等、大陸からの混血で美人になったという異説もありますが、これらは全て諸説の内の一つでしか過ぎません。また、日照時間が短ければ睡眠時間も多くなり良好な健康に影響しているという説もあります。そもそも美人の基準なんて人それぞれですし、国によっても価値観は異なります」
「それは確かにそうね」
「例えば先程召し上がって頂いたイチジクですが、日本では無花果という漢字の表記から子孫が繁栄せず縁起が悪いといった迷信が長く流布していましたが、例えばチリやボリビアなどでは逆なんです。イチジクの木は金持ちのシンボルです。人間が定めた価値基準などは曖昧で絶対的評価ではありません。興味がない人には名画も落書きに映るでしょうし、ダイヤモンドも単なるガラス玉としか思えないでしょう。問題は一部の権力者の思考の押し付けに染まらず、個人が対象をどう感じるか、それだけなんです」
「な、何か急に哲学的になってきたわね」
「そうですか?ああ、それで美人の件に戻りますけど、日本でも時代によって美の捉え方は変わっています。飛鳥時代では膨れた顔に切れ長の目が美の特徴になっていますし、奈良時代なら二重あごにおちょぼ口、平安も似たような感じです。戦国期になると瓜実顔が美しいと称えられ、現代のような彫りが深い顔が好まれるようになったのは西洋文化が流入してきた明治・大正期です」
「あら、ヨシ君、女性史に詳しいのね。もしかして好きな女の子でも出来た?」
「か、母ちゃん、何変な事しなっと(何気なく)聞いとるんや!!」
頬を赤く染めて秀晶は東有子を睨んだ。
「あら、私はあなたには尋ねてないわよ。で、ヨシ君、誰かいるの?」
「はい、います。教えましょうか」
「………えッ!?」
ドキッと秀晶の胸は高鳴った。好きな子がいると吉継がサラリと公言した態度にも驚いたが、ここで発表するとは予想外だった。
六年のクラスには大勢の可愛い子や、汐恩のような美人もいる。果たしてヨシは自分を選んでくれるのだろうか、と秀晶の緊張はピークに達して思考がグルグルと回っていた。
吉継は人差し指を立てて明言した。
「やはり第一は古満(こま)姫ですね」
「………は?ヨシ君、それは誰?誰かの愛称なの?」
東有子は耳慣れない名前に問い質した。
「いえいえ、古満姫は古満姫です。こちらの事情があって別れてしまいましたが、良き女子(おなご)でした。なれど、好みで申さば明智の玉姫、淀様も中々の器量でした。おっと、武田の甲斐姫も見目麗しい方でしたよ。さすが殿下が見初めた女性(にょしょう)ばかりにござる」
「あ、え。ああ、そうなの?え、殿下?」
指を次々と立てて奇妙な答えをする吉継に東有子が困惑する中、燃えるような紅蓮のオーラをまとった秀晶が吉継の背後に立ってボソボソと呟いた。
「カマちゃーん、あなたいつからヨシに霊依(たまより)しているのかしら?そしてその理由ももちろん説明してくれるのよねえ」
「ヒッ!!」
振り向いた(吉継に憑依した)秀秋は秀晶の鬼面にたじろいで小声で返した。
「み、見抜かれていたでござるか」
「あなたの元嫁の名前が一番に出れば分かって当たり前でしょ。それに最後の方は武士訛りが馬鹿みたいに混ざってたわよ。で、何の悪意があってヨシにとんちきな返答をさせているの?」
「いや、吾が主は恋愛方面には疎くて、代わりに吾が………」
「この酔っぱらいの女たらし、ビックリしたじゃないのよ!早くヨシから離れなさいよ、裏切り者!」
安堵と怒りが混ざり合った秀晶は秀秋の首を絞めて左右に揺さぶった。
「晶どの、苦しいでござる。死ぬ、死ぬ」
「ええで、はよ死ね!」
「その漢字は福井弁ではないでござる~」
「………………」
その子供達の様子を目前で見ていた東有子と須和子はただただ唖然としていた。
「ね、おたくの晶ちゃん、ヨシ君とは仲いいのよね?」
「………全く、何をやってるのかしら、あの娘は」
東有子は、はあーと大きく溜息をついて残ったお茶を飲んで、ドリンクメニューを眺めた。
「須和子さん、何か飲み足りなくなっちゃった。私、明日休みなの。ブルゴーニュの、そうね、ピュリニー・モンラッシェでも如何?」
「いいわね、折角ですもの、今日は女二人でとことん飲み明かしましょう。朝妃さーん、ワインのオーダーお願いね」
はーい、と遠くで朝妃の忙しい返事がした。
すると扉が開いて新しいお客が五人まとまって入店し間もなく席は全部埋まった。
そして、
「こっちキリンの生中五つね!それとレモンチューハイ二つ」
「すみませーん、燻製豆腐と枝豆とスモークチキン、それとジントニックとウーロンハイ追加してくれる?」
「こっちは刺身の盛り合わせと出汁巻き卵と冷酒を頼むよ」
注文が次々と増えていく。吉継はエプロンの紐とバンダナ帽をきりっと締め直して応えた。
「オーダー、承りました!」
こうしてワイワイと賑わうひすとり庵の夜は美味しい酒肴と共にゆっくり更けていくのでありました。

以上が真夏の夜の夢心地、夏のひすとり庵物語にございます。皆様にはこの夏を健康にそして楽しく快適にお過ごし下さりますように。      ひすとり庵店主 小早川高影・音依


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