「初めは志野の『卯花墻(うのはながき)』と、二つ目は大井戸高麗の『喜左衛門』、最後が楽焼の『不二山』か。全て国宝の写し(複製)だな。とはいえ見事な品だ。通販で売っている安物とはまるで景色が違う。余程名のある陶工に焼いてもらったのだろう。違うか、汐恩?」
「………」
まさか全ての茶碗の銘を言い当てられるとは想像していなかった汐恩は絶句した。
【へえ、国宝の茶碗の複製って通販で買えるの、カマちゃん?】
秀晶が金吾に尋ねた。
【うむ、本物とは全く格違いであるがお手軽に気分だけでも味わうには良い品じゃな。少々お待ちあれや、晶どの、まだいくつか仕上げが残っておるからのう】
不敵にニヤリと笑みを浮かべた金吾は更に言った。
「しかし喜左衛門の椀とは忠時さんも中々洒落が効いているというか、意地が悪いというか」
「意地が悪い?私の父に向かってその雑言はコバ君でも聞き捨てなりませんわよ!」
気色ばんで汐恩は金吾を睨んだ。
「怒るな怒るな。良い意味での意地悪だ。汐恩はその茶碗の来歴というか伝説を知らないのか?」
「伝説?」
「内府ど………いや家康と秀頼が二条城で対面した史実は知っているだろう?」
「もちろん。関ヶ原後、力を付けて江戸幕府を開いた家康が豊臣家の主である秀頼に大坂から挨拶に来るよう仕組んで、反対意見の中、秀頼が家康の意向を受けて会見を開いた話ですわね」
「そうだ。その折家康は秀頼に茶を点てた。秀頼に次いで護衛に来ていた加藤清正も家康の茶を飲んだ。しかし会見が無事に終わった矢先、所領の熊本へ戻る途中で清正はにわかに息を引き取った。そのため家康が邪魔になった清正を毒殺したとする噂がたちまち広がった」
「存じております。毒饅頭を食べさせられたとかの風説もございましたわ。しかしそれはあくまでも巷間に伝わる流言。その時代に遅効性の毒など無かったでしょう。病で亡くなったというのが尤もな真相のようです」
「ま、実際はそんなものだろうな。しかし、その時家康が茶を点てた碗が朝鮮で作られたその大井戸茶椀なんだよ。そしてそれは転々とする度にその所有者は誰もが不幸に襲われた。だから以来呪われた茶碗と恐れられた」
「えッ!?」
「細川家は清正の跡を継いで熊本を任されたからな。ただその茶碗は三斎に関して別の異なった因縁がある。汐恩は松平治郷(はるさと)、後の不昧(ふまい)は知ってるだろう。松江藩第七代藩主の」
「ええ、不昧流の祖師ですもの。三斎流を学ばれた方でもございますし」
「その不昧がその大井戸茶碗を欲して手に入れた。呪われた茶碗だと知っていてだ。そして不昧も病を得て死去した。不昧の息子も続いて病死した。不昧の妻は祟りを恐れて大徳寺に椀を寄進した。それがその高麗茶碗の由来だと伝わっている」
「どうしてお父様がそのような曰く付きの茶碗を?」
怪訝になる汐恩に金吾は笑って説明した。
「茶の湯に精通したお客さんに楽しんでもらうためだろうさ。本物は呪われているかもしれませんが、これはまっさらな複製品です。どうぞご安心下さい、とな。物は一級品ゆえその落差が面白い」
「なるほど。そう言われればお父様らしいですわね」
すこし笑んで汐恩は納得した。
と、二人がそんな遣り取りをしている最中、吉継少年の内ではドンという衝撃と共に秀晶の姿が消えていた。
その代わりに小袖と袴を着けた二人の武士が吉継の前に立っていた。
一歩後ろに下がっていた一人は筋肉質の体で、顎髭を生やした無骨な顔をしており、もう一人は細い体躯で切れ長ながら涼しげに柔和な笑みを浮かべている。年の頃は二人とも二十代後半くらいに見えたが、直ぐ前の美青年はやや年上に感じた。
【あのう、貴方がたは?】
吉継は恐る恐るその青年に尋ねた。
青年は静かに言った。
【ふむ、貴公とこうして直に相まみえるのは初でござるな、ヨシ殿】
【………えッ?】
聞き覚えのある声である。
その若い武将は更に続けた。
【日頃、吾が主、秀晶嬢が度々世話になりかたじけない】
そう言って軽く会釈すると後ろの武士も揃って頭を下げた。
【ああ、まさか!!】
吉継はペタンと尻餅をついた。青年武将の小袖には染め抜かれた対い蝶の紋が散りばめられていて、後ろの従者と思われる武人の衣装にも隅切角に一文字の家紋が見えた。
【お忘れか?普段は消しゴムに憑いている大谷刑部にござる。後方は五助、改めてよろしゅうお頼み申す】
大谷吉継は少年に手を差し出した。
放心状態の少年は震える手を差し向けると刑部はその腕を掴みグイと引っ張り上げた。
【ホントに刑部どの、と、助さん?】
虚ろな視線で吉継は目前の刑部と五助を見て立ち尽くした。
【左様、大谷刑部少輔と湯浅五助にござる。よしなに………ヨシ殿、如何なされた?】
刑部は吉継が突然ボロボロと涙を流すのに驚いた。
【す、すみません。いつも声を聞いているんですがこうしてご本人と対面できるとは思っていなかったので】
小早川の苗字でいじめられていた時一番心の支えとなっていたのが同じ名を持つ大谷吉継であったので、少年は思わず感極まった涙にむせんでしまった。
【ハハハ、確かに消しゴムの形(なり)では説得力もへったくれも無いでしょうからな】
五助がおかしそうに笑った。
吉継はゴシゴシと袖で涙を拭って聞いた。
【あ、あの刑部どの、その、頭巾は被らなくても………?】
主に甲冑姿のイメージがあったので吉継は刑部に尋ねた。
【ん?おお、霊となった途端病は消え失せたが故吾にはもはや無用となった。こうして両の眼もはっきり見える。年も些か若返っておるようじゃ】
【そうなんですか】
【鑑(かんが)みれば生きるというのは誰しも不便な重荷を背負うているのやもしれぬ。なれど生きておる時にしか経験出来ぬ事もある。吾が関ヶ原で戦い死したのもその定めによったのであろうな】
【あ、その事で一度聞きたかったんですけど】
【何か?】
【刑部どのも、助さんも、俺を恨んでいませんか?】
【ヨシ殿を恨む?何故?】
【いえ、その、俺は金吾を従者としてる訳ですし、あいつの成仏を手助けしているので。大谷家としては小早川家を憎んで当然でしょうから】
【ふふふ、左様な気遣いは一切無用にござる。吾はそもそも金吾殿を恨んでおらぬ。五助は、心底納得はしておらぬであろうが、貴公らの手助けをすると約を結んだからには絶対に果たす所存にござる。のう、五助】
【は、御意に】
片膝をついた五助は深々と頭を下げた。
【それにヨシ殿が気後れする必要が何処にあろうか。さ迷う魂を往生させるは善行にござる。ましてヨシ殿のみならず金吾殿も人助けを目途(もくと・目標)とするならば誰がそれを責めよう?それに貴公らは吾が主を救うて下された恩人にござれば謝意しかござらぬよ】
【ありがとうございます】
ニコリと笑む刑部に吉継は目を手で覆って感謝した。
【ははは、ヨシ殿は存外涙もろいよのう。おお、そうじゃ、忘れておったわ。アレじゃアレじゃ】
すると刑部は何かを思い出したのか、小袖の懐から一つの光る金の指輪を取り出し、それを吉継に手渡した。
よく見るとそのリングは透き通る金色に光っていて、表には白黒の勾玉を上下に逆に重ね合わせた「陰陽対極図」が、内側には「FATA VIAM INVENIENT」とのラテン語と五芒星が刻印されていた。
【ファータ・ウィアム・インウェニエント、運命(さだめ)は道を見出さん、との金言にござるよ。吾の神からヨシ殿に渡すよう預かっておった】
【刑部どのの神様から?】
【左様、本来アルス・マグナの入れ替わりでは吾らは姿を現す事叶わぬ。じゃが、此度ばかりは神からの申し出でのう、特別処置というヤツじゃ】
【じゃあこれは何かの能力なんですか?】
【否、それは新たなモンストルゥムの依巫が現れる兆しを示す神具よ。その者に触れれば二度だけ眩く光を放つ。とは申しても完全にお互いの意識が同調しておらねば発動はせぬが。それ、右手の薬指に嵌められよ】
【こうですか?】
吉継は刑部の言うとおりに指輪を通した。
すると奥まで届いた途端、それはまるで意思ある生き物のように吉継の指を締め付けた。
【うわッ、何だ】
痛みはないものの、ぎょっと吉継は手を振った。
【お、伝え忘れておったがそれは一度嵌めると死ぬまで外れんそうじゃ】
【ちょ、刑部どの、そんな!】
【ははは、天から賜ったものゆえ懸念は要らぬ。それに貴公以外にその指輪は見えぬ。それともう一つ】
と刑部は五助に振り向いた。五助は一振りの短剣を三方に載せて恭しく掲げていた。柄の部分が八の字という変わった形である。刑部はその柄を取ると説明した。
【神が宣(のたま)うにはこれは懐剣、護身用であると】
【護身用?】
【うむ、いかに神の容れ物である依巫とは申せ、その潜在能力は未知数で絶大。依巫の体を乗っ取ろうとする魔の者がおらぬとも限らぬ。となれば神世の均衡が崩れるやもしれぬ。故に本来ならばモンストルゥムの依巫の魂には必ず神宝が宿っておるのじゃがヨシ殿の神は不思議と与えておられるようで、代わりに吾の神がこれを付与致したようじゃ。もっとも他の神の依巫に干渉するのは珍しい事象ではあるが】
【はあ、そうなんですか】
突然色々と渡される人外の品物に吉継は訳も分からず尻込みしていた。
【さ、受け取られよ】
恐る恐る吉継は刑部から短刀を受け取った。
しかし、それは手にした瞬間にスッと消えてしまった。
【あ、あれ?】
【驚くには及ばぬよ。守り刀ゆえ貴公の体に取り込まれた。これでヨシ殿も完全なモンストルゥムの依巫となった】
【ちなみに晶は何の宝を持っているんですか?】
【それは吾にも分からぬ。魂の奥深くに封印されておるようでの。こうして神宝を目の当たりにしたは初よ。それとこれまでの話は全て吾が主にもご内密に願いたい】
【え、この会話は晶に聞こえているんじゃないんですか?】
【いや、吾が通信を遮断しておる。指輪も剣も内証に頼みますぞ】
【それは刑部どのの依頼とあれば死んでも話しません】
【ならば結構。それより吾が主が何か言っておるな】
刑部が通信を繋げたのか気を外部に向けると秀晶が心の内に話し掛けてきた。
【ちょっと刑部、どうして突然戻ったのよ!私とカマちゃんでこの場をどうしろって言うの】
【吾の役目は果たしたからの。主も金吾殿と少しは仲良くやりなされ】
【嫌よ!ヨシ、早く戻ってよ】
【あのな、出来るならそうしてるよ。金吾の気の済むまで俺は動けんぞ。何とか頑張ってくれ】
【そんな、ああ、もう】
「じゃあ、汐恩、最後のそれもさっさと開けてくれ」
金吾は秀晶の苦悶の声など全く耳に入っておらず、汐恩が背中に隠している残り一つの箱の開封を求めた。
「こ、これは後でもよろしいのではありませんか?」
何故か汐恩は出し渋った。
「あのな、汐恩、その茶碗こそ今回の茶会の一番の目玉だろうが。既にHPにも載ってるだろ。今更出し惜しみするな」
金吾はスマホで大茶湯のページを開いて見せた。そこには「曜変天目茶碗(復元品)で茶を飲もう!(抽選)」という見出しが写真と共にでかでかと載っていた。
「あ、私、その茶碗ならテレビの特番で観た事ある。確か世界に三つしか無いんだよね。それが中国じゃなくて全部日本にあるって」
「四つ目が出てきたか?って騒がれたけど未だ真贋の決着はついてない。MIHO MUSEUMに保管されている重要文化財の天目茶碗を除いて、曜変天目として国宝に認定されているのは静嘉堂文庫・藤田美術館・龍光院が所蔵している三つだけだ。今のところはその三つの曜変天目を『三絶』と呼んでいて、中でも静嘉堂文庫のそれは『稲葉天目茶碗』と称され別格の扱いを受けている。汐恩が手にしてる箱の中はその稲葉天目の復元品だ。さ、汐恩、開封しろ」
「うう、これはとっておきの楽しみにしておきたかったのです」
「あのな、茶会の全てを把握した上で茶菓子を作れって言ったのはお前だろ」
「承知しておりますとも。ええ、ええ!!」
半分自棄になって汐恩は蓋を開けた。その途端漆黒い釉薬の器の内側に夜空に散らばる大小の星のように瑠璃色に囲まれた玉虫色の斑文がキラキラと光った。
「お気を付けて扱い下さいませ」
「分かってるよ。うん、まさしく稲葉天目そっくりだな。ここまで再現されたのを見たのは初めてだ」
「あれ、でも曜変天目って中国じゃ不吉だから壊されてたって聞いた事あるけど」
「いや、近年の発掘調査で上流階級に使われたという見方もあるからその説は否定されつつあるんだ。そうだ、晶ど、いや晶は失われたかもしれない曜変天目の話は聞いたことあるか?」
「え?正式な四つ目があったの?」
「多分な。それは本能寺の変で失われたと伝わっている」
「信長が!」
「総見こ、いや、信長が茶に堪能だったのは知ってるだろうけど、信長は本能寺に名物を三十八点持ち込んで茶を点てながらそれを公家達に披露していた。明智光秀が変を起こさなかったら四つ目の曜変天目は燃え尽きずにこの世に受け継がれていたと言われている」
すると汐恩がグッと掌を握って呟いた。
「全くですわ、本当に余計な事を………」
「あ………」
この時金吾はしまったと口を閉じた。明智光秀が信長を攻めなかったらそもそも娘であるガラシャは離別される事はなかったのである。ガラシャを敬愛している汐恩からすれば光秀は今でも許さざる武将なのである。
「えっと、そうだ、私にもそれ見せてよ」
空気を読んで秀晶が茶碗を取り上げた。
「へえ、星みたいだね。でもこれってぱっと見は綺麗だけど茶を点てて飲むには派手じゃないの?眩しすぎて落ち着かない」
「晶さん、茶の知識は増えたようですけどまだまだですわね」
汐恩はふうと短い息を吐いた。
「え?」
「晶、お前今度の茶会の詳細ちゃんと読んだか?」
金吾はスマホで、船の形で縁取られた大茶湯のHPを見せつけた。
秀晶は声に出して読み上げた。
「えーっと、この曜変天目・及び他の複製茶碗は北野大茶湯で太閤秀吉が用いたとされる『黄金の茶室』(レプリカ)と共に披露・使用されます。場所は関ヶ原ふれあいセンター大ホールのステージにて………うん、だから何?」
「下の注意書き見落としてるぞ。尚、当日ふれあいセーター大ホールの照明は全て切るため、足下は僅かな誘導灯のみとなります。転ばないようご注意下さい、ってあるだろ?」
「うん。だから?」
「晶さん、今、貴女が読み上げた秀吉の黄金の茶室は御存知ですか?」
「あのケバケバしいキンキラキンの折り畳みの茶室だよね。壁から道具まで全部金色の。テレビで観た」
「その悪趣味みたいな言い回しは止めて下さらない?今回のその複製、私の父が作らせたんですのよ」
「そうなの?でも茶室も眩しくて、茶碗もこれじゃあ詫びもさびも無いというか………」
秀晶は燦然と光を放つ茶碗に苦笑した。
「晶、そうじゃない。ホールは照明を切るって書いてあるだろ」
「あ、ホントだ。あれ、じゃあ真っ暗の中で茶会するの?」
「いいえ、ホールは火気厳禁のためLEDの揺れるキャンドルライトを用います。それで当時の明るさを再現します。蛍光灯や日の光の下でなくて黄金の茶室もろうそくの光ではとても落ち着いて見えるのです。その曜変天目茶碗も同じですのよ」
「へー」
「ここでお見せしてあげたいですけど蝋燭や暗幕がございませんので」
「いや、簡単な仕掛けで再現出来るぞ、ほら」
金吾はパチンと指を鳴らして百均で売っている小型のキャンドルライトを手品の如く出して見せた。
「あら、コバ君、いつの間にそのような物を?」
「まあ、汐恩ならこの茶碗を見せると思ったから前もって用意してたんだ」
まさかアポート(物品引き寄せ能力)とは言えない金吾は誤魔化して制服を脱いだ。そしてそれを傘のように秀晶を覆うように広げ、秀晶と自分の上体を丸めさせた。
「ほい、簡単な暗闇の出来上がりだ。で、さっきのライトを点けるとこんな感じに茶碗が映えるんだ………晶、どうした?」
掌の茶碗も見ずに秀晶は真横に接近した吉継の顔を見て顔を赤らめていた。
ドキドキと激しい鼓動までが聞こえてくる。
察した金吾は小声で言った。
「あー、晶どの、申し訳ござらぬが今は主でなく吾なゆえ、緊張せずに茶碗をご覧頂きたいのじゃが」
「わ、分かってるってば」
照れた顔を下に向けた秀晶はしっかり天目茶碗を眺めた。するとそれはうっすらとした灯りの中で黒釉薬は暗闇と同調し、斑文を形作っているラピスラズリに似た青色や薄い赤色などの模様が丸く仄かに煌(きらめ)いていた。
「わあ、綺麗~。ハッブル宇宙望遠鏡で覗いた宇宙の星みたい」
「あら、面白い喩えをなさるのね」
汐恩はクスクスと笑った。
やがて満足した秀晶を見た金吾は制服の幕を取ると、再びそれを着た。
「ちなみにこの茶碗っていくらするの?」
単刀直入に秀晶は汐恩に質問した。
「そうですわね、確か五、六百万程でしたかしら」
「六百万?」
秀晶は驚いて茶碗から手を離してしまった。と同時に刑部が「わ!」とビブラートの掛かった声を出した。刑部の能力の一つである時間停止の言霊、ウォークス・デリである。
その力によって一瞬周りの時間が止まり、秀晶は茶碗をしっかり受け止めた。
「晶さん、お気を付けて!それ再び作るのに大変な時間を要しますのよ」
時が止まった事などつゆ知らず汐恩は秀晶に注意した。それでも大変な金額が掛かると言わない所がさすが資産家である。
「ごめんごめん」
丁寧に秀晶は汐恩へ茶碗を返した。金吾は箱に全ての茶碗を片付ける汐恩を見ながら秀晶に言った。
「復元したものでその価格だ。本物の稲葉天目ならオークションにかかれば五十億とか噂されている」
「ひえー、五十億、茶碗一つで!」
「だから大茶湯の呼び物の一つになっているんだよ。他にもイベントは色々あるぞ」
金吾は茶屋比べ以外の大茶湯の各種行事をざっと説明した。
① ふれあいセンターの広場で三英傑の能や狂言(信長『敦盛』・秀吉『吉野詣』・家康『耳引』)を行う。また誰でも親しみやすいように大名落語も時間を変え執り行う(演目は『ねぎまの殿様』『紀州』『火焔太鼓』『荒茶』)。また各地の芸能を披露する。
② ふれあいセンター内には利休を初めとした茶道の歴史が分かる展示をする。更に茶を知ってもらうために簡単な茶道教室を開く。
③ 駐車場の一角では来場記念となるよう「マイ茶杓」制作の体験コーナーを設ける(手早く制作出来るようにある程度は細工しておいた竹をキャンドルの炎で曲げ最後にヤスリがけする)
④ 野点の茶屋以外には、全国から和菓子の販売店、茶(抹茶をはじめとした日本茶などを販売する。また抹茶が苦手な人用に緑茶・ほうじ茶なども準備する)や茶道具の販売店、陶磁器の販売店のブースを設置する。
⑤ 飲食店ブースには懐石料理の代わりに「利休の懐石弁当」や関ヶ原に関した各地の大名の弁当を販売する。
⑥ 関ヶ原町内の飲食店はイベントと関係して大名の膳を再現する(予約制)。
⑦ 外国人観光客に分かりやすいようネットまたは会場内に外国語の案内表記をする。
更に注意事項として、
① 茶屋へは案内所にて一枚五百円のチケットを購入して貰う。但し男女に限らず着物を着用してきたゲストには二百円を値引きする。
② この祭典は平和の祭典なので主催者及び来場者には甲冑の着付けと武具の携帯を一切厳禁とする。仮に甲冑姿であれば即刻退場して頂く。
「これはただの茶会じゃなく盛大な祭典になるね」
秀晶は音依と忠時らシップスが発案したイベント内容に感心した。
「そうだ、現在茶道人口は減ってきているからどこの流派も生徒集めにしのぎを削っている。この茶会はいいPRにもなるだろうさ。汐恩、お前の所だってそうだろう。だからその八代焼(やつしろやき)の茶碗と『ゆがみ』の茶杓を使うのか?三斎が利休から譲り受けた茶杓の複製なんだろう?」
金吾は袖壁の下から覗く棚に目を向けた。
そこには黒褐色の釉薬に九曜紋の象嵌(ぞうがん・粘土が柔らかい内に文様を刻み、その凹面に素地と違う色の土を埋め込む技法)を施した茶碗と、節下が左に曲がっている濃い飴色の竹製茶杓が整然と置いてあった。
八代焼は、別名高田焼(こうだやき)と呼ばれ、三斎が保護・指導した熊本の代表的な陶磁器である。
「これはお父様が一般客に使うもので私ではありません。私はまだ決まっておりませんもの」
汐恩は堂々と開き直った。
「おいおい、人には茶菓子のアイデアを急かしておいて自分は何もしてないのかよ。会場の雰囲気もそうだけど、茶碗と茶菓子の相性も考えなきゃならないんだぞ」
「それは茶菓子の内容で決めようと思っておりますので」
「鶏が先か卵が先か、みたいになってるね」
主導権をどちらが握るかを面前で競っている二人に秀晶は含み笑いをした。
「ま、器はともかく俺たちは菓子をどうするかだ。母さんから聞いたけど大茶湯は飲みやすいようにって濃茶(こいちゃ)じゃなく薄茶(うすちゃ)が振る舞われるんだろ。だったら定石通り落雁(らくがん)みたいな干菓子(ひがし)にするのか、汐恩?」
「いいえ、主菓子(おもがし・生菓子または半生菓子)でお願いしたいと存じます」
菓子の分類は一般的に水分を三割以上含むものは生菓子、一割から三割未満は半生菓子、一割以下のものが干菓子に分けられる。
「主菓子ねえ。生菓子なら餅物の『大福』や『すはま』、蒸し物の『かるかん』・『葛桜』、焼き物なら『どら焼き』・『金つば』、流し物なら『羊羹』、練り物なら『練りきり』、揚げ物なら『揚げ月餅(げっぺい)』があるし、半生菓子なら餡物の『石衣』、岡物の『最中』・『鹿の子』、焼き物なら『桃山』、流し物なら『金玉(きんぎょく)』、練り物なら『求肥(ぎゅうひ)』、砂糖漬け物なら『甘納豆』・『文旦(ぶんたん)漬け』がある。それこそ変化を入れると星の数ほどあるからな」
金吾は指を折って数えたが際限が無い。
「貴方、食べ物になると途端記憶力が増しますわね。学校のテストではいつも鳴かず飛ばずの点数なのに」
「うるさいよ」
金吾は吾が主の事ながら悪口を言われて癪に障った。それでも気を取り直して続けた。
「まあいい、それより菓子だ。茶菓子は季節によって出す品が変わる。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感もそれには不可欠な要素だし、まして茶会ともなれば何らかの由緒とか謂われも必要だ。それを組み合わせると膨大な種類になって見当も付かない」
後は、と金吾は熊本を思い浮かべて言った。
「細川の所領という意味では熊本だな。ミョウガ饅頭は時期が違うし、おッ、いきなり団子とか?」
「いきなり団子?」
始めて聞く菓子の名に秀晶が聞いた。
「輪切りにしたさつまいもと小豆餡を小麦粉生地で包んで蒸しあげた熊本の素朴な郷土菓子なんだ。家庭で簡単に作れるからいきなり団子って言われてる」
「しかしそれは茶会向けではございませんわ」
汐恩は首を振って否定した。
「じゃあ、何か汐恩からのリクエストはあるのか?」
「そうですね、折角関ヶ原で開催されるですから戦国や、今回の茶会を考慮して北野大茶湯にまつわるものをと考えているのですが」
「………」
まさか全ての茶碗の銘を言い当てられるとは想像していなかった汐恩は絶句した。
【へえ、国宝の茶碗の複製って通販で買えるの、カマちゃん?】
秀晶が金吾に尋ねた。
【うむ、本物とは全く格違いであるがお手軽に気分だけでも味わうには良い品じゃな。少々お待ちあれや、晶どの、まだいくつか仕上げが残っておるからのう】
不敵にニヤリと笑みを浮かべた金吾は更に言った。
「しかし喜左衛門の椀とは忠時さんも中々洒落が効いているというか、意地が悪いというか」
「意地が悪い?私の父に向かってその雑言はコバ君でも聞き捨てなりませんわよ!」
気色ばんで汐恩は金吾を睨んだ。
「怒るな怒るな。良い意味での意地悪だ。汐恩はその茶碗の来歴というか伝説を知らないのか?」
「伝説?」
「内府ど………いや家康と秀頼が二条城で対面した史実は知っているだろう?」
「もちろん。関ヶ原後、力を付けて江戸幕府を開いた家康が豊臣家の主である秀頼に大坂から挨拶に来るよう仕組んで、反対意見の中、秀頼が家康の意向を受けて会見を開いた話ですわね」
「そうだ。その折家康は秀頼に茶を点てた。秀頼に次いで護衛に来ていた加藤清正も家康の茶を飲んだ。しかし会見が無事に終わった矢先、所領の熊本へ戻る途中で清正はにわかに息を引き取った。そのため家康が邪魔になった清正を毒殺したとする噂がたちまち広がった」
「存じております。毒饅頭を食べさせられたとかの風説もございましたわ。しかしそれはあくまでも巷間に伝わる流言。その時代に遅効性の毒など無かったでしょう。病で亡くなったというのが尤もな真相のようです」
「ま、実際はそんなものだろうな。しかし、その時家康が茶を点てた碗が朝鮮で作られたその大井戸茶椀なんだよ。そしてそれは転々とする度にその所有者は誰もが不幸に襲われた。だから以来呪われた茶碗と恐れられた」
「えッ!?」
「細川家は清正の跡を継いで熊本を任されたからな。ただその茶碗は三斎に関して別の異なった因縁がある。汐恩は松平治郷(はるさと)、後の不昧(ふまい)は知ってるだろう。松江藩第七代藩主の」
「ええ、不昧流の祖師ですもの。三斎流を学ばれた方でもございますし」
「その不昧がその大井戸茶碗を欲して手に入れた。呪われた茶碗だと知っていてだ。そして不昧も病を得て死去した。不昧の息子も続いて病死した。不昧の妻は祟りを恐れて大徳寺に椀を寄進した。それがその高麗茶碗の由来だと伝わっている」
「どうしてお父様がそのような曰く付きの茶碗を?」
怪訝になる汐恩に金吾は笑って説明した。
「茶の湯に精通したお客さんに楽しんでもらうためだろうさ。本物は呪われているかもしれませんが、これはまっさらな複製品です。どうぞご安心下さい、とな。物は一級品ゆえその落差が面白い」
「なるほど。そう言われればお父様らしいですわね」
すこし笑んで汐恩は納得した。
と、二人がそんな遣り取りをしている最中、吉継少年の内ではドンという衝撃と共に秀晶の姿が消えていた。
その代わりに小袖と袴を着けた二人の武士が吉継の前に立っていた。
一歩後ろに下がっていた一人は筋肉質の体で、顎髭を生やした無骨な顔をしており、もう一人は細い体躯で切れ長ながら涼しげに柔和な笑みを浮かべている。年の頃は二人とも二十代後半くらいに見えたが、直ぐ前の美青年はやや年上に感じた。
【あのう、貴方がたは?】
吉継は恐る恐るその青年に尋ねた。
青年は静かに言った。
【ふむ、貴公とこうして直に相まみえるのは初でござるな、ヨシ殿】
【………えッ?】
聞き覚えのある声である。
その若い武将は更に続けた。
【日頃、吾が主、秀晶嬢が度々世話になりかたじけない】
そう言って軽く会釈すると後ろの武士も揃って頭を下げた。
【ああ、まさか!!】
吉継はペタンと尻餅をついた。青年武将の小袖には染め抜かれた対い蝶の紋が散りばめられていて、後ろの従者と思われる武人の衣装にも隅切角に一文字の家紋が見えた。
【お忘れか?普段は消しゴムに憑いている大谷刑部にござる。後方は五助、改めてよろしゅうお頼み申す】
大谷吉継は少年に手を差し出した。
放心状態の少年は震える手を差し向けると刑部はその腕を掴みグイと引っ張り上げた。
【ホントに刑部どの、と、助さん?】
虚ろな視線で吉継は目前の刑部と五助を見て立ち尽くした。
【左様、大谷刑部少輔と湯浅五助にござる。よしなに………ヨシ殿、如何なされた?】
刑部は吉継が突然ボロボロと涙を流すのに驚いた。
【す、すみません。いつも声を聞いているんですがこうしてご本人と対面できるとは思っていなかったので】
小早川の苗字でいじめられていた時一番心の支えとなっていたのが同じ名を持つ大谷吉継であったので、少年は思わず感極まった涙にむせんでしまった。
【ハハハ、確かに消しゴムの形(なり)では説得力もへったくれも無いでしょうからな】
五助がおかしそうに笑った。
吉継はゴシゴシと袖で涙を拭って聞いた。
【あ、あの刑部どの、その、頭巾は被らなくても………?】
主に甲冑姿のイメージがあったので吉継は刑部に尋ねた。
【ん?おお、霊となった途端病は消え失せたが故吾にはもはや無用となった。こうして両の眼もはっきり見える。年も些か若返っておるようじゃ】
【そうなんですか】
【鑑(かんが)みれば生きるというのは誰しも不便な重荷を背負うているのやもしれぬ。なれど生きておる時にしか経験出来ぬ事もある。吾が関ヶ原で戦い死したのもその定めによったのであろうな】
【あ、その事で一度聞きたかったんですけど】
【何か?】
【刑部どのも、助さんも、俺を恨んでいませんか?】
【ヨシ殿を恨む?何故?】
【いえ、その、俺は金吾を従者としてる訳ですし、あいつの成仏を手助けしているので。大谷家としては小早川家を憎んで当然でしょうから】
【ふふふ、左様な気遣いは一切無用にござる。吾はそもそも金吾殿を恨んでおらぬ。五助は、心底納得はしておらぬであろうが、貴公らの手助けをすると約を結んだからには絶対に果たす所存にござる。のう、五助】
【は、御意に】
片膝をついた五助は深々と頭を下げた。
【それにヨシ殿が気後れする必要が何処にあろうか。さ迷う魂を往生させるは善行にござる。ましてヨシ殿のみならず金吾殿も人助けを目途(もくと・目標)とするならば誰がそれを責めよう?それに貴公らは吾が主を救うて下された恩人にござれば謝意しかござらぬよ】
【ありがとうございます】
ニコリと笑む刑部に吉継は目を手で覆って感謝した。
【ははは、ヨシ殿は存外涙もろいよのう。おお、そうじゃ、忘れておったわ。アレじゃアレじゃ】
すると刑部は何かを思い出したのか、小袖の懐から一つの光る金の指輪を取り出し、それを吉継に手渡した。
よく見るとそのリングは透き通る金色に光っていて、表には白黒の勾玉を上下に逆に重ね合わせた「陰陽対極図」が、内側には「FATA VIAM INVENIENT」とのラテン語と五芒星が刻印されていた。
【ファータ・ウィアム・インウェニエント、運命(さだめ)は道を見出さん、との金言にござるよ。吾の神からヨシ殿に渡すよう預かっておった】
【刑部どのの神様から?】
【左様、本来アルス・マグナの入れ替わりでは吾らは姿を現す事叶わぬ。じゃが、此度ばかりは神からの申し出でのう、特別処置というヤツじゃ】
【じゃあこれは何かの能力なんですか?】
【否、それは新たなモンストルゥムの依巫が現れる兆しを示す神具よ。その者に触れれば二度だけ眩く光を放つ。とは申しても完全にお互いの意識が同調しておらねば発動はせぬが。それ、右手の薬指に嵌められよ】
【こうですか?】
吉継は刑部の言うとおりに指輪を通した。
すると奥まで届いた途端、それはまるで意思ある生き物のように吉継の指を締め付けた。
【うわッ、何だ】
痛みはないものの、ぎょっと吉継は手を振った。
【お、伝え忘れておったがそれは一度嵌めると死ぬまで外れんそうじゃ】
【ちょ、刑部どの、そんな!】
【ははは、天から賜ったものゆえ懸念は要らぬ。それに貴公以外にその指輪は見えぬ。それともう一つ】
と刑部は五助に振り向いた。五助は一振りの短剣を三方に載せて恭しく掲げていた。柄の部分が八の字という変わった形である。刑部はその柄を取ると説明した。
【神が宣(のたま)うにはこれは懐剣、護身用であると】
【護身用?】
【うむ、いかに神の容れ物である依巫とは申せ、その潜在能力は未知数で絶大。依巫の体を乗っ取ろうとする魔の者がおらぬとも限らぬ。となれば神世の均衡が崩れるやもしれぬ。故に本来ならばモンストルゥムの依巫の魂には必ず神宝が宿っておるのじゃがヨシ殿の神は不思議と与えておられるようで、代わりに吾の神がこれを付与致したようじゃ。もっとも他の神の依巫に干渉するのは珍しい事象ではあるが】
【はあ、そうなんですか】
突然色々と渡される人外の品物に吉継は訳も分からず尻込みしていた。
【さ、受け取られよ】
恐る恐る吉継は刑部から短刀を受け取った。
しかし、それは手にした瞬間にスッと消えてしまった。
【あ、あれ?】
【驚くには及ばぬよ。守り刀ゆえ貴公の体に取り込まれた。これでヨシ殿も完全なモンストルゥムの依巫となった】
【ちなみに晶は何の宝を持っているんですか?】
【それは吾にも分からぬ。魂の奥深くに封印されておるようでの。こうして神宝を目の当たりにしたは初よ。それとこれまでの話は全て吾が主にもご内密に願いたい】
【え、この会話は晶に聞こえているんじゃないんですか?】
【いや、吾が通信を遮断しておる。指輪も剣も内証に頼みますぞ】
【それは刑部どのの依頼とあれば死んでも話しません】
【ならば結構。それより吾が主が何か言っておるな】
刑部が通信を繋げたのか気を外部に向けると秀晶が心の内に話し掛けてきた。
【ちょっと刑部、どうして突然戻ったのよ!私とカマちゃんでこの場をどうしろって言うの】
【吾の役目は果たしたからの。主も金吾殿と少しは仲良くやりなされ】
【嫌よ!ヨシ、早く戻ってよ】
【あのな、出来るならそうしてるよ。金吾の気の済むまで俺は動けんぞ。何とか頑張ってくれ】
【そんな、ああ、もう】
「じゃあ、汐恩、最後のそれもさっさと開けてくれ」
金吾は秀晶の苦悶の声など全く耳に入っておらず、汐恩が背中に隠している残り一つの箱の開封を求めた。
「こ、これは後でもよろしいのではありませんか?」
何故か汐恩は出し渋った。
「あのな、汐恩、その茶碗こそ今回の茶会の一番の目玉だろうが。既にHPにも載ってるだろ。今更出し惜しみするな」
金吾はスマホで大茶湯のページを開いて見せた。そこには「曜変天目茶碗(復元品)で茶を飲もう!(抽選)」という見出しが写真と共にでかでかと載っていた。
「あ、私、その茶碗ならテレビの特番で観た事ある。確か世界に三つしか無いんだよね。それが中国じゃなくて全部日本にあるって」
「四つ目が出てきたか?って騒がれたけど未だ真贋の決着はついてない。MIHO MUSEUMに保管されている重要文化財の天目茶碗を除いて、曜変天目として国宝に認定されているのは静嘉堂文庫・藤田美術館・龍光院が所蔵している三つだけだ。今のところはその三つの曜変天目を『三絶』と呼んでいて、中でも静嘉堂文庫のそれは『稲葉天目茶碗』と称され別格の扱いを受けている。汐恩が手にしてる箱の中はその稲葉天目の復元品だ。さ、汐恩、開封しろ」
「うう、これはとっておきの楽しみにしておきたかったのです」
「あのな、茶会の全てを把握した上で茶菓子を作れって言ったのはお前だろ」
「承知しておりますとも。ええ、ええ!!」
半分自棄になって汐恩は蓋を開けた。その途端漆黒い釉薬の器の内側に夜空に散らばる大小の星のように瑠璃色に囲まれた玉虫色の斑文がキラキラと光った。
「お気を付けて扱い下さいませ」
「分かってるよ。うん、まさしく稲葉天目そっくりだな。ここまで再現されたのを見たのは初めてだ」
「あれ、でも曜変天目って中国じゃ不吉だから壊されてたって聞いた事あるけど」
「いや、近年の発掘調査で上流階級に使われたという見方もあるからその説は否定されつつあるんだ。そうだ、晶ど、いや晶は失われたかもしれない曜変天目の話は聞いたことあるか?」
「え?正式な四つ目があったの?」
「多分な。それは本能寺の変で失われたと伝わっている」
「信長が!」
「総見こ、いや、信長が茶に堪能だったのは知ってるだろうけど、信長は本能寺に名物を三十八点持ち込んで茶を点てながらそれを公家達に披露していた。明智光秀が変を起こさなかったら四つ目の曜変天目は燃え尽きずにこの世に受け継がれていたと言われている」
すると汐恩がグッと掌を握って呟いた。
「全くですわ、本当に余計な事を………」
「あ………」
この時金吾はしまったと口を閉じた。明智光秀が信長を攻めなかったらそもそも娘であるガラシャは離別される事はなかったのである。ガラシャを敬愛している汐恩からすれば光秀は今でも許さざる武将なのである。
「えっと、そうだ、私にもそれ見せてよ」
空気を読んで秀晶が茶碗を取り上げた。
「へえ、星みたいだね。でもこれってぱっと見は綺麗だけど茶を点てて飲むには派手じゃないの?眩しすぎて落ち着かない」
「晶さん、茶の知識は増えたようですけどまだまだですわね」
汐恩はふうと短い息を吐いた。
「え?」
「晶、お前今度の茶会の詳細ちゃんと読んだか?」
金吾はスマホで、船の形で縁取られた大茶湯のHPを見せつけた。
秀晶は声に出して読み上げた。
「えーっと、この曜変天目・及び他の複製茶碗は北野大茶湯で太閤秀吉が用いたとされる『黄金の茶室』(レプリカ)と共に披露・使用されます。場所は関ヶ原ふれあいセンター大ホールのステージにて………うん、だから何?」
「下の注意書き見落としてるぞ。尚、当日ふれあいセーター大ホールの照明は全て切るため、足下は僅かな誘導灯のみとなります。転ばないようご注意下さい、ってあるだろ?」
「うん。だから?」
「晶さん、今、貴女が読み上げた秀吉の黄金の茶室は御存知ですか?」
「あのケバケバしいキンキラキンの折り畳みの茶室だよね。壁から道具まで全部金色の。テレビで観た」
「その悪趣味みたいな言い回しは止めて下さらない?今回のその複製、私の父が作らせたんですのよ」
「そうなの?でも茶室も眩しくて、茶碗もこれじゃあ詫びもさびも無いというか………」
秀晶は燦然と光を放つ茶碗に苦笑した。
「晶、そうじゃない。ホールは照明を切るって書いてあるだろ」
「あ、ホントだ。あれ、じゃあ真っ暗の中で茶会するの?」
「いいえ、ホールは火気厳禁のためLEDの揺れるキャンドルライトを用います。それで当時の明るさを再現します。蛍光灯や日の光の下でなくて黄金の茶室もろうそくの光ではとても落ち着いて見えるのです。その曜変天目茶碗も同じですのよ」
「へー」
「ここでお見せしてあげたいですけど蝋燭や暗幕がございませんので」
「いや、簡単な仕掛けで再現出来るぞ、ほら」
金吾はパチンと指を鳴らして百均で売っている小型のキャンドルライトを手品の如く出して見せた。
「あら、コバ君、いつの間にそのような物を?」
「まあ、汐恩ならこの茶碗を見せると思ったから前もって用意してたんだ」
まさかアポート(物品引き寄せ能力)とは言えない金吾は誤魔化して制服を脱いだ。そしてそれを傘のように秀晶を覆うように広げ、秀晶と自分の上体を丸めさせた。
「ほい、簡単な暗闇の出来上がりだ。で、さっきのライトを点けるとこんな感じに茶碗が映えるんだ………晶、どうした?」
掌の茶碗も見ずに秀晶は真横に接近した吉継の顔を見て顔を赤らめていた。
ドキドキと激しい鼓動までが聞こえてくる。
察した金吾は小声で言った。
「あー、晶どの、申し訳ござらぬが今は主でなく吾なゆえ、緊張せずに茶碗をご覧頂きたいのじゃが」
「わ、分かってるってば」
照れた顔を下に向けた秀晶はしっかり天目茶碗を眺めた。するとそれはうっすらとした灯りの中で黒釉薬は暗闇と同調し、斑文を形作っているラピスラズリに似た青色や薄い赤色などの模様が丸く仄かに煌(きらめ)いていた。
「わあ、綺麗~。ハッブル宇宙望遠鏡で覗いた宇宙の星みたい」
「あら、面白い喩えをなさるのね」
汐恩はクスクスと笑った。
やがて満足した秀晶を見た金吾は制服の幕を取ると、再びそれを着た。
「ちなみにこの茶碗っていくらするの?」
単刀直入に秀晶は汐恩に質問した。
「そうですわね、確か五、六百万程でしたかしら」
「六百万?」
秀晶は驚いて茶碗から手を離してしまった。と同時に刑部が「わ!」とビブラートの掛かった声を出した。刑部の能力の一つである時間停止の言霊、ウォークス・デリである。
その力によって一瞬周りの時間が止まり、秀晶は茶碗をしっかり受け止めた。
「晶さん、お気を付けて!それ再び作るのに大変な時間を要しますのよ」
時が止まった事などつゆ知らず汐恩は秀晶に注意した。それでも大変な金額が掛かると言わない所がさすが資産家である。
「ごめんごめん」
丁寧に秀晶は汐恩へ茶碗を返した。金吾は箱に全ての茶碗を片付ける汐恩を見ながら秀晶に言った。
「復元したものでその価格だ。本物の稲葉天目ならオークションにかかれば五十億とか噂されている」
「ひえー、五十億、茶碗一つで!」
「だから大茶湯の呼び物の一つになっているんだよ。他にもイベントは色々あるぞ」
金吾は茶屋比べ以外の大茶湯の各種行事をざっと説明した。
① ふれあいセンターの広場で三英傑の能や狂言(信長『敦盛』・秀吉『吉野詣』・家康『耳引』)を行う。また誰でも親しみやすいように大名落語も時間を変え執り行う(演目は『ねぎまの殿様』『紀州』『火焔太鼓』『荒茶』)。また各地の芸能を披露する。
② ふれあいセンター内には利休を初めとした茶道の歴史が分かる展示をする。更に茶を知ってもらうために簡単な茶道教室を開く。
③ 駐車場の一角では来場記念となるよう「マイ茶杓」制作の体験コーナーを設ける(手早く制作出来るようにある程度は細工しておいた竹をキャンドルの炎で曲げ最後にヤスリがけする)
④ 野点の茶屋以外には、全国から和菓子の販売店、茶(抹茶をはじめとした日本茶などを販売する。また抹茶が苦手な人用に緑茶・ほうじ茶なども準備する)や茶道具の販売店、陶磁器の販売店のブースを設置する。
⑤ 飲食店ブースには懐石料理の代わりに「利休の懐石弁当」や関ヶ原に関した各地の大名の弁当を販売する。
⑥ 関ヶ原町内の飲食店はイベントと関係して大名の膳を再現する(予約制)。
⑦ 外国人観光客に分かりやすいようネットまたは会場内に外国語の案内表記をする。
更に注意事項として、
① 茶屋へは案内所にて一枚五百円のチケットを購入して貰う。但し男女に限らず着物を着用してきたゲストには二百円を値引きする。
② この祭典は平和の祭典なので主催者及び来場者には甲冑の着付けと武具の携帯を一切厳禁とする。仮に甲冑姿であれば即刻退場して頂く。
「これはただの茶会じゃなく盛大な祭典になるね」
秀晶は音依と忠時らシップスが発案したイベント内容に感心した。
「そうだ、現在茶道人口は減ってきているからどこの流派も生徒集めにしのぎを削っている。この茶会はいいPRにもなるだろうさ。汐恩、お前の所だってそうだろう。だからその八代焼(やつしろやき)の茶碗と『ゆがみ』の茶杓を使うのか?三斎が利休から譲り受けた茶杓の複製なんだろう?」
金吾は袖壁の下から覗く棚に目を向けた。
そこには黒褐色の釉薬に九曜紋の象嵌(ぞうがん・粘土が柔らかい内に文様を刻み、その凹面に素地と違う色の土を埋め込む技法)を施した茶碗と、節下が左に曲がっている濃い飴色の竹製茶杓が整然と置いてあった。
八代焼は、別名高田焼(こうだやき)と呼ばれ、三斎が保護・指導した熊本の代表的な陶磁器である。
「これはお父様が一般客に使うもので私ではありません。私はまだ決まっておりませんもの」
汐恩は堂々と開き直った。
「おいおい、人には茶菓子のアイデアを急かしておいて自分は何もしてないのかよ。会場の雰囲気もそうだけど、茶碗と茶菓子の相性も考えなきゃならないんだぞ」
「それは茶菓子の内容で決めようと思っておりますので」
「鶏が先か卵が先か、みたいになってるね」
主導権をどちらが握るかを面前で競っている二人に秀晶は含み笑いをした。
「ま、器はともかく俺たちは菓子をどうするかだ。母さんから聞いたけど大茶湯は飲みやすいようにって濃茶(こいちゃ)じゃなく薄茶(うすちゃ)が振る舞われるんだろ。だったら定石通り落雁(らくがん)みたいな干菓子(ひがし)にするのか、汐恩?」
「いいえ、主菓子(おもがし・生菓子または半生菓子)でお願いしたいと存じます」
菓子の分類は一般的に水分を三割以上含むものは生菓子、一割から三割未満は半生菓子、一割以下のものが干菓子に分けられる。
「主菓子ねえ。生菓子なら餅物の『大福』や『すはま』、蒸し物の『かるかん』・『葛桜』、焼き物なら『どら焼き』・『金つば』、流し物なら『羊羹』、練り物なら『練りきり』、揚げ物なら『揚げ月餅(げっぺい)』があるし、半生菓子なら餡物の『石衣』、岡物の『最中』・『鹿の子』、焼き物なら『桃山』、流し物なら『金玉(きんぎょく)』、練り物なら『求肥(ぎゅうひ)』、砂糖漬け物なら『甘納豆』・『文旦(ぶんたん)漬け』がある。それこそ変化を入れると星の数ほどあるからな」
金吾は指を折って数えたが際限が無い。
「貴方、食べ物になると途端記憶力が増しますわね。学校のテストではいつも鳴かず飛ばずの点数なのに」
「うるさいよ」
金吾は吾が主の事ながら悪口を言われて癪に障った。それでも気を取り直して続けた。
「まあいい、それより菓子だ。茶菓子は季節によって出す品が変わる。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感もそれには不可欠な要素だし、まして茶会ともなれば何らかの由緒とか謂われも必要だ。それを組み合わせると膨大な種類になって見当も付かない」
後は、と金吾は熊本を思い浮かべて言った。
「細川の所領という意味では熊本だな。ミョウガ饅頭は時期が違うし、おッ、いきなり団子とか?」
「いきなり団子?」
始めて聞く菓子の名に秀晶が聞いた。
「輪切りにしたさつまいもと小豆餡を小麦粉生地で包んで蒸しあげた熊本の素朴な郷土菓子なんだ。家庭で簡単に作れるからいきなり団子って言われてる」
「しかしそれは茶会向けではございませんわ」
汐恩は首を振って否定した。
「じゃあ、何か汐恩からのリクエストはあるのか?」
「そうですね、折角関ヶ原で開催されるですから戦国や、今回の茶会を考慮して北野大茶湯にまつわるものをと考えているのですが」
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