「茶道と、カフェオレが?」
「そうよ。伊知花ちゃんはどうして茶道で抹茶を飲む前にお菓子を食べるか分かる?別にお茶を飲んでから後でお菓子食べてもいいでしょ?」
「それは確かに」
「実はね、その順序には二つの意味があるの。先ず甘いお菓子を食べることによってお茶の味を引き立てる事、そして二つ目は、抹茶はカフェイン含有量が多くて空腹で飲むと胃を痛めてしまうから先に食べ物を胃に入れておくっていう理由ね。これは先人の知恵。懐石料理の後で抹茶が出るのも同じ理屈よ」
「なるほど」
「カフェオレは、コーヒーを空腹で飲むと抹茶と同じで胃を痛めるからミルクを半分混ぜることでそれを緩和するよう医者であったシュール・モナンによって考案されたのよ。喫茶文化は違えども考えている事は似てたって訳」
「じゃあポテトもマリーが?」
「アシ・パルマンティエはちょっと違うかな。パルマンティエ博士はどうしてもフランスにジャガイモを根付かせたかった。昔は家畜の餌だったジャガイモは簡単に人間が食べてくれない。だから彼は一計を案じたの。それは国王夫妻に協力してもらう事だったのね。そしてその方法としてルイがジャガイモの花を髪飾りとしてマリーに付けてパーティーへ出席させた。マリーは国王夫人だから注目されてジャガイモは少しずつ認知されていったのよ」
「へえ。やるね、ルイも」
「二人は自分の事しか考えていないと思われがちだけど国民の飢饉については何とかしなければという気持ちは持っていたの。事実、オーストリアのお母さん・マリア=テレジアに宛てた手紙にこんな文を書いてるのよ。『不幸な暮らしをしながら私たちに尽くしてくれる人々を見たならば、彼らの幸せのためにこれまで以上に身を粉にして働くのが私のつとめだというのは当然のことです』って」
「あれあれ、何か急にイメージ変わってきた」
「でしょう。マリーが贅沢や賭け事に走っていたのは子供が生まれるまで。結婚して七年目に子供を授かってからは豪華な衣装を売り払ったりしてるし、宮殿の典礼を簡素化してお金がかからないようにもしてたの。でも国の財政はとっくに火の車でマリー一人の力ではどうにもならなかった。国民は怒りの矛先を外国人であるマリーへ一斉に向けたの。言わば革命の生け贄(いけにえ)に仕立て上げられたのよ」
「何か可哀想。あ、でもマリーとガラシャって何か関係あるんですか?」
「二百年くらい生きてた時代が違うから直接は無いのよ。ただ関ヶ原直前のガラシャの生き様と死は日本にいたイエズス会宣教師に衝撃を与えた。その話が時を経てヨーロッパに渡り、『気丈な貴婦人』という殉教劇になったのよ」
「え、ガラシャが劇に!?」
「正式なタイトルは『強き女、そして彼女の、真珠にも勝る貴さ。またの名を、丹後王国の女王グラツィア。キリスト信仰のために幾多の苦難を耐え抜いた誉れ高き女性』よ。イエズス会はマリーの実家ハプスブルク家が後押ししてたからマリーも嫁ぐ前にその劇を観たと思うわ。そしてガラシャの人生と自分の苦悩をフランスで重ねていたんじゃないかしら」
「へえ、戦国大名の妻とフランス国王の妻なんて不思議な繋がり」
「ところで焼きメレンゲだけがマリーの好物菓子じゃないのよ。グーゲル・フプフ(クグロフ)っていう焼き菓子とシャルロットというババロワも大好きだったの。それはこうしてみんなの帰りのお土産としてちゃんとここに用意してあるわよ」
音依は隠していた四人分の小袋を手に上げた。
「わあ、さすが音依さん、サプライズ上手!」
秀晶が手を叩いた。
「あれ、でも母さん、それ今出せばいいんじゃないの?ワンピースずつのケーキだよね。それくらいなら全員食べれるんじゃ」
「甘い!ヨシちゃん!練乳に蜂蜜とメープルシロップとチョコレートとソーマチン(砂糖よりも約三千倍甘い甘味料)を足したくらい甘い考えよ!」
ズバッと音依は吉継を指さした。
「うええ、胸焼けしそうな喩え止めてよ………」
「今日はお姫様のお茶会って言ったでしょ!私が焼きメレンゲだけで済ますと思う?」
「え?」
「実はここからが正真正銘お姫様茶会の開幕です」
一旦バックヤードーへ向かった音依がトレーに載った、三角形にカットされたチョコレートケーキを「ジジャーン」と運んできて皆の前に置いた。ケーキの横には生クリームがたっぷり添えられている。
汐恩はそれを見て直ぐに音依に尋ねた。
「これはザッハ・トルテですか!」
「そうよ、汐恩ちゃん。オーストリアの首都ウィーンの名物。ハプスブルグ家のエリザベート皇妃のお気に入りだったスイーツ。私の手作りで甘さは日本人向けに控え目にしてあるけど一応そのフレッシュクリームをしっかり付けてお召し上がりあれ」
「頂きまーす」
皆は早速そのチョコケーキをフォークで切り取ってクリームを付けて口に入れた。するとシャリシャリというザラメのような食感の砂糖のコーティングチョコと、軽い味付けのチョコレートスポンジの間にサンドしてある杏ジャムの酸味が丁度良いアクセントになって、無糖の生クリームと口の中で幸せに混ざり合う。
「まあ、美味しい!現地で食したデメルやザッハーのものより食べやすいですわ」
「何、それ、汐恩?」
秀晶がフォークを口に入れたまま聞いた。
「ウィーンにあるザッハ・トルテで有名な二つの洋菓子店です」
「あれ、汐恩って海外へも行くんだね。外国嫌いかと思ってた」
「お父様の付き添いで何度か訪れた程度ですけれど。しかし、お母様のケーキを作る技術は素晴らしいと思います。ザッハ・トルテは表面にチョコを掛けるグラサージュが温度的にとても難しいと伺っていますので」
「それはもちろん私も最初から上手く出来た訳ではないわ。何事にも修練は必要。さ、これから次のケーキを出すけどみんな準備は良い?」
音依は鍋に湯気立つバニラソースをかき混ぜながら聞いた。その前にはいつの間にか皿に載った、長方形にカットされ粉糖の掛かったパイのようなケーキが置いてある。
「ラジャー!」
ナイフとフォークを既に持っていた伊知花が元気よく声を上げた。
「では二品目のケーキ『ミルヒラーム・シュトルーデル』をどうぞ。マリーのお母さんの女帝マリア=テレジアが好きだった温かいケーキよ」
「ミル、ヒラ?」
伊知花が噛みそうな名前に渋い顔をした。
音依は簡単に説明した。
「ミルヒラームはミルククリーム、シュトルーデルは渦巻きっていう意味。サワークリームとフレッシュチーズにレーズンと、削ったレモンの皮等を、泡立てたメレンゲにサックリ混ぜてそのフィリング(中身)を薄いパイ生地で巻いて焼き上げるのよ。最後の仕上げに温かいバニラソースをかけて出来上がり」
「うわー、これもメチャクチャ美味しい!」
感動で半泣きしながら秀晶がシュトルーデルを食べていた。
汐恩はよく噛みしめながら感想を述べた。
「オーストリア・ハンガリー帝国時代に普及したケーキですわね。しかしこの品も非常に素晴らしいですわ。少し酸味のきいたフィリングが上手くパイ皮にまとめられて、それがソースの甘みとバニラの香りと相まって。でも普通のミルヒラームより何かコクがあるように感じますけれど」
「それは通常のレーズンじゃなくてブランデー漬けのレーズンを使ったからよ」
「なるほど」
それからは無言で全員食べきった。その様子を音依はニコニコと眺めていた。
「さて、続いてのマリア=テレジアのケーキは、と言いたいんだけど、マリアのケーキはここでおしまい」
「ええ~もっと欲しい~」
咲良がジタバタと足を振りながら駄々をこねた。
音依は苦笑いして言い足した。
「本当ならケース・ノッケルンとかサヴォイのビスキュイとかゴラーチェンとかも出してあげたいんだけどね、別のケーキを用意してあるから」
「別の、ですか?」
汐恩が目を瞬かせた。
「そうよ。これから出す二つのケーキはオリジナルではないけれど私がマリー=アントワネットを意識して作ったの」
「マリーのケーキ………」
「ヨシちゃん、みんなの飲み物、ニルギリに切り替えてあげて」
「ダコール」
吉継はコーヒーカップを引き上げ、新しく淹れてきたティーポットとカップを四人分運んできた。
「さ、これがマリーのケーキよ。とにかく食べてみて」
紅茶がカップに注がれると音依は二種類のケーキが載った四角い皿を四人の前にそれぞれ差し出した。
左の三角ケーキは三層になっていて、下からパイ生地、中は鮮やかな黄色のフィリング、上は白い泡状の物が所々角を立てた表面がこんがりと焼き固まり、それは他の層より二倍の厚さがある。
対して右のケーキは先程の泡状のものがクルクルと絞り袋で螺旋の筒状に焼き固められていて、その中の空洞にホイップした生クリームと上には苺とブルーベリー、ラズベリー、キウイフルーツが綺麗にトッピングされていた。
「綺麗」と全員が揃って感嘆し、左のケーキにフォークを先端に差し入れた。サクッとしたフォークに伝わる感触が途中からトロッとに変わり、最後にはパイ皮のザクッとした感じに変化する。
そのカットして突き刺したピースを口にした途端、口内には鼻腔を通り抜ける爽やかでありつつも強い酸味と、濃い甘味が一杯に混在して味蕾を刺激した。
そして最後に上部の白い塊が舌の上でサラリと溶けていく。
「ああ………」
紅茶で喉を潤した溜息が皆から漏れた。
「それはイギリスのレモン・メレンゲ・パイよ。中のレモンカードと焼けたメレンゲの相性が面白いでしょう?」
一つ目をすっかり食べ心地よい口福に酔いしれる子供達に音依は説明した。
汐恩はナプキンで口を拭いて所感を述べた。
「一般的なケーキでありながらもお母様のレモンケーキはとてもハーモニーが素晴らしいですわ。恐らくメレンゲの量とレモンカードの分量が絶妙なんですのね」
「そうよ。このケーキの特徴はメレンゲが多過ぎても少な過ぎても甘味のバランスが崩れてしまうの。それにメレンゲを甘くしてある分レモンは皮と果汁を多めにブレンドしてあるのね。だからメリハリがあるでしょう。それに私の場合隠し味としてレモンカードにすり下ろした生姜を少しだけ足しているのよ。じゃ次に残りのパブロバを食べて。オーストラリアかニュージーランドが発祥って伝えられている定番のスイーツなの。スポンジを使ってないから女の子には嬉しい低カロリーなのよ」
「お、そう聞くと余計に美味しそうに感じます」
伊知花が張り切ってスプーンで周りの器を崩しながらクリームとフルーツを一緒に食べた。
「うっまーい!!」
「美味しい~」
「トロトロとフワフワだ」
伊知花、咲良、秀晶はその甘味に惹き付けられひたすらパクパクとスプーンを進めていたが、汐恩に限っては一口食べただけでスプーンを置いて音依を見た。
「お母様、これらがマリーのケーキと仰ってましたけれど、差し支えなければその意味を説いて頂けませんか?」
「そうね」と音依は切り出した。
「この二つの共通点は焼きメレンゲを使っている。それは直ぐに分かったと思うけど」
「はい」
「じゃあ汐恩ちゃんは、メレンゲにどいう感覚を抱いたかしら?」
「そうですね、溶けていくというか消えていくというか」
「それは切なく感じた?」
「え?いいえ」
「私はこの焼きメレンゲがマリーの人生そのもののような感じがするの。最初は甘い、でもやがて溶けていくメレンゲは王族に産まれながらも大きな歴史に翻弄された彼女の姿そのものだと」
「では悲しい事ではありませんか」
「焼きメレンゲだけではそうでしょうね。でもレモン・メレンゲ・パイやパブロバのように、他の材料と風味を引き立て合うとなると全く様子が違ってくるの。レモンカードだけでは酸っぱすぎるけど甘い焼きメレンゲがプラスされる事で見事に調和する」
音依は空いた汐恩のカップにニルギリを注ぎながら言った。
「歴史も変革期にはそういう事が多々起きるの。マリーは天真爛漫であったがゆえに政治には疎かった。そこに付け込まれて政敵の罠に掛かった。フランスの薔薇は断頭台に散った。でもマリーは死ぬ前の義妹のエリザベートに宛てた遺言にこんな事を記しているの。息子に対しては、『私たちの死の復讐を決して思わないように』、そしてエリザベートに対しては『私に危害を与えた敵をみな赦(ゆる)します』とね」
「な、どうしてですの?相手を憎んでも余りあるのに」
汐恩は納得いかない顔を向けた。
「ガラシャの最期もマリーに似てなかったかしら」
「え?」
「その時、ガラシャは自分の夫を憎んだ?自分の生い立ちを呪った?」
「それは………」
「私はクリスチャンじゃないから上手く説明できないけど、キリストに帰依する心というのはそういう事なんでしょうね。マリーはさっきの遺言に『無実の私は最後の時に際してもしっかりとした態度でいられると思います。良心の咎めがないので私は平静な気持ちです。私は先祖代々の、その中で育てられ常に信じて来た神聖なるローマ・カトリックの宗教を奉じて死んで行きます』と綴ってるの。きっと自分の運命を受け容れて神の元へ向かったんでしょう。それはマリーにしろガラシャにしろ同じだと思うのよ」
「ガラシャと………」
「それはまた茶道の侘び寂びにも通じるわ。お茶の一服は命の一瞬。余計な虚飾を取り払った先に見える真実。人はいつ消えゆくか誰にも分からない。だから命ある内に懸命に生きる。それが生きた輝きになる。メレンゲの溶ける瞬間を私達はみんな必死に生きているのよ」
するとここで汐恩がハッと閃いたのか立ち上がって吉継に向かって明言した。
「コバ君、これです!!今のお母様の言葉が正しく私の作りたかったガラシャの菓子のイメージなのです」
「メレンゲ菓子が?」
「それだけではありません。コバ君が作るスフレオムレツもそうでした。口当たりの良さだけではありません。そこにはしっかりした核がありました。それを表現して欲しいのです」
「おいおい、オムレツって何だ。お前が求めてるのは西洋料理じゃなくて和菓子だろ?」
「しかし『玉子ふわふわ』のような和の料理も存在しているではありませんか」
「だからそれも菓子じゃない。そもそもメレンゲの和菓子なんて………うん、待てよ、メレンゲの和菓子………メレンゲの………」
吉継は途中で言葉を不意に切った。
「メレンゲの和菓子………玉子……キリスト……教会………熊本」
口に手を当てて必死に今までの記憶を辿った吉継は五分くらい唸って頭の中の情報を整理していた。そうして突然「ああッ!」と大声を出し、急いでメモを取ると音依にそれを見せた。
「母さん、こういう菓子って俺にも作れる!?」
「どれどれ………ふんふん、なるほどね」
面白そうにメモの中身を見て音依は頷いた。
吉継は答えを急かせた。
「出来るの?出来ないの?」
「慌てないの!出来るわよ。但し色々と材料とか道具とか揃えないといけないけどね。材料さえ決まれば作り方は教えてあげるわよ」
「は?教えてくれるの?だって前は駄目だって」
「長月ちゃん達はレシピを書いて松野屋さんに同じ事を頼んだんでしょ?だったら私も作り方くらい教えてあげないとフェアじゃないわ。でも作るのはヨシちゃん達でやりなさいね」
「うん、それは任せてよ」
「ヨシ、何?お菓子閃いたの?」
秀晶が驚いて問うてきた。
「ああ!でもそれだけじゃない。おかげで茶屋のレイアウトも茶道具もお運びの衣装も連鎖して思い付いたよ」
「本当ですの!是非聞かせて下さいな」
汐恩は興奮して前のめりになった。
吉継はメモ用紙何枚かにアイデアを書き出し、みんなにそれを見せながら細かい説明をした。
「コバ、あんた、一体どういう頭の回路してんの、おかしいんじゃない!!」
暫くして聞き終わった伊知花が呆れていた。
「あれ、駄目だったか?」
「そうじゃないわよ。話し合うまでもなく一遍に問題解決しちゃったじゃないのさ。ね、咲良?」
「凄いよ~コバ君、よくこんなとんでもないの思い付いたねえ~。まさかこんな服まで考えるなんて普通じゃないよ~」
「何か褒められている気が一ミリたりともしないんだけど………」
「褒めてるよ~。ねえ、晶ちゃん~?」
「うーん、茶屋とか道具は文句ないけど。ヨシ、お菓子、この形だとお運びが取り分ける時やりにくくない?下に紙か何か敷かないと」
「あ、それならこういうのはどうだ?色も緑でこうしてさ」
吉継はとある形を書いて示した。
「あッ、それなら余計分かりやすいね!さっすがヨシだよ!!」
「お、晶も太鼓判押してくれたな。じゃ、残りの評価は汐恩だけなんだけど………」
吉継は恐る恐る黙っている汐恩へ目線をやった。
閃いた考えは三斎流ばかりでなく茶道からはとてもかけ離れていたので、汐恩からは了解が出るかどうか不安であった。
一分程の沈黙の後、汐恩は口を開いた。
「コバ君」
「あ、ああ」
汐恩はそのままうつむいて胸に両手を重ねるとしみじみ呟いた。
「ありがとう。とても素敵なアイデアばかりです」
それを耳にして安堵の表情でみんなは顔を向け合った。
汐恩はすくっと立ち上がると仲間に向いて晴れ晴れしく語った。
「大まかな事はこれで進めていこうと思います。レイアウトの材料は私の父に、お運びの衣装や茶道具は母に頼みます。お菓子は道具が届き次第直ぐ試作に取り掛かってもらいます。その間、協力して下さる皆さんにはお運びの作法を私が放課後に自宅でお教え致します。十八日までには正式な茶会記をネットに上げて、そこから四月の大茶湯までは色々と細かく煮詰めていきましょう!!」
「よし、いっちょやるか。首を洗って待ってろよ、元め。フハハハ」
吉継は腕まくりして不敵に笑った。

それからのチーム汐恩は前向きなエンジンが高速で掛かった。
明確な輪郭が出来た事で動きやすくなったのか、翌日からは池田愛輝と田中吉美と金森近子が合流し、お運びの練習を細川家で受けた。近子はもっと後になって混じる予定が家の都合が落ち着いたために早くチームへ加われたと言う。
一方吉継と秀晶は材料と道具が二日後には届いたために逸早く菓子の試作に取り掛かっていた。
そうして何日も何日も試作試作、練習練習の繰り返しで三月二十四日の離任式と終業式が終わる頃には何とか茶会を開けられる形になってきた。
二十四日の学校が半日で終わるとチーム汐恩は「慰労会へおいで下さい」との招待状を持って細川家へ集合していた。
九曜紋のポケットワッペンと胸元の大きな白いリボンが特徴的なグレーのスーツスカート姿の汐恩は迎賓館の大広間の舞台に立って全員にスピーチをした。
「さて、大茶湯までおよそ後一週間となりましたが皆様のご尽力のお陰で何とか本番を迎えられそうです。明日からは春休みとなり、一段とお茶会への稽古などを励んで頂きたく存じますが、その前に今日は今までのお礼も兼ね、心ばかりのお食事を用意致しました。一旦一休みして更なる英気を養って下さいますよう。では」
汐恩は部屋を隔ているスライドドアの横に控えている二人の使用人に向かって軽く頭を下げた。
するとその二人はスラリとドアを開けた。
「おおッ」
全員がその光景に目を奪われた。
奥の部屋にはビュッフェ形式に丸テーブルが七脚島に並べられ、その上には世界中のあらゆる山海の珍味がずらりと飾られていた。
汐恩は部屋境の中心に歩いて行くと全員を見渡して順番に言った。
「伊知花さんは肉料理がお好きなんですよね。でしたら一番東にセットしてあります。咲良さんは、何でも召し上がるのでどこからでもどうぞ。吉美さんはご飯系がお好きなんですよね。パエリアやピラフ、ジャンバラヤ、ナシゴレン、リゾット、中華おこわ何でもどうぞ。近子さんは山菜や野菜がお好きとか。でしたら南に用意してあります。愛輝さんは魚介類でしたね。特に貝類に目がないとか。アワビのステーキやサザエの壺焼き、貝のお造り盛り合わせなど一通り揃えてありますので南北のテーブルへ。晶さんは、福井の料理を作らせてあります。越前ガニ、越前カレイ、甘エビ、へしこなど懐かしい料理を現地から取り寄せました。さあ、どうぞご自由にお召し上がり下さい」
するとそれを合図に空腹だった全員が蜘蛛の子を散らすように各テーブルへ散っていき、立食パーティーさながら自分の好きな料理だけでなく他の珍味も存分に堪能していた。
「コバ君は特には召し上がらないんですの?」
壁にもたれサンドイッチだけ食べてスマホを見ながら何かを思索している吉継に汐恩がオレンジジュースを差し出した。
「あ、ああ。料理はいつも店で出しているからな別に」
スマホを一時ポケットに入れた吉継はグラスを受け取った。
「すみません。貴方のお母様の料理に比べれば大した内容ではございませんわよね」
「悪い、そういうつもりじゃないんだ。実は少し茶会について迷ってて」
「何をです?」
汐恩も隣にもたれて聞いてきた。
「今のままで本当に勝てるのかなって。相手は今を時めく織部流だから」
「自信が無いんですの?私はコバ君のアイデアは向こうの企画と比べても遜色ないと思います」
「いいや、もっと決定的な、会場をあっと言わせるようなもう一押しを組み込みたいんだよな。菓子の名前も茶屋のレイアウトもガラシャ好みにしたんだから、それに添えるような五感を刺激する何かが欲しい」
「五感?」
「菓子は味覚と嗅覚、茶屋は視覚、茶碗は触覚、後は聴覚的な何か」
「音ですか?それでしたら私琴でも弾きますわよ」
「うーん、それは俺も考えたんだけど、あの茶屋の狭さでは難しいだろ。それより和じゃなくもっとこう全員に響く綺麗な西洋の音があれば」
「バイオリンも私習っておりますけれど」
「いやいや、バイオリンは周りに響き過ぎだし、そもそも亭主のお前が動いちゃ駄目だろ。ああ、チクショウ、良いアイデアが浮かばない。桜の開花も大茶湯には到底間に合いそうにないし。派手でありつつも汐恩の茶にしっくりくるようなあと一つ何かがあれば勝率も高くなるんだけど」
悔しそうに吉継はジュースを飲み干し、グラスを窓辺に置くと、気象庁の開花予報を再度スマホで確認して嘆息を漏らした。
「欲張りなんですね」
「勝ちたいんだよ。可笑しいか?」
「いいえ、腑抜けて何も行動を起こさない男児より額に汗する男児は断然素敵ですわよ、うふふッ」
「………汐恩、お前、随分変わったな」
吉継は柔らかく微笑む汐恩の顔を不思議そうに見つめた。
「あら、変ですか?」
案じ顔で汐恩は尋ね返した。
「いいや、何て言うのか。前の汐恩だったらクラスメートの食べ物の好みなんて全く興味も示さなかっただろうし、今回は元が『頭数』って言うのにも反論してたしな。態度が軟化したせいか、みんな気軽に声を掛けてくるようになった。底抜けに明るいマリアさんの影響だな、きっと」
「それはコバ君が全部お膳立てしてくれたお陰です」
「んな事はない。晶も母さんも父さんも協力してくれた。忠時さんだってそうだ」
「でもいつもその中心にいてくれたのはコバ君です。その節はありがとうございました」
汐恩は深々と頭を下げた。
「止めてくれ、お前から感謝されると何かむず痒い」
「………あの、まだ私の事は、怖いですか?」
前に立ち、下げた手を組んだ汐恩は悲しげな顔で聞いた。
吉継は伏せた汐恩の額を人差し指で軽く押し上げた。
「変わったって言ったろ。それは俺も同じだし、お前への礼なら俺にだってある」
「私に?」
「昔、殴られていた時、助けてくれてありがとな。あの時ちゃんと伝えてなかったから。これでもお前には恩を感じているんだぜ。一応、大事な友達のつもりだからさ」
吉継は頰を掻いて照れた顔を背けた。
「コバ君………うふふッ」
「何だよ、その笑いは?」
口を押さえてクスクスと含み笑いをする汐恩に吉継は半睨みで問い質した。
「いえ、私も変わったのなら本当にコバ君も変わりましたね。以前は料理以外我関せずという冷めた態度でしたのに。夏頃から積極的に人と関わるようになりましたもの。何かあったのですか?」
【ほほう、何かあったのかのう】
と金吾が入ってきた。
【てめえのせいだよ、全部!】
吉継はポケットの二色鉛筆をギッと握りしめた。
「あの、コバ君、大丈夫ですか?」
ポケットに不愉快顔を向けている吉継に汐恩は不可解そうに案じた。
「あ、いや。何でもない。ところで今日はマリアさんはいないんだな」
「ママなら茶会に向けての衣装作りとか張り切って下さっていますのでこの場には出向けないと連絡がありました。多分今頃ミシン掛けの真っ最中だと思います」
「何か申し訳ないな。まさか手作りしてもらえるなんて思ってもいなかったよ」
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