「ガラシャの人生は儚い一生に思えます。また悲劇の女性と哀れまれます。しかし私はそうは思いません。前半生は辛い思いもしましたが最後はキリスト教という楽園を見出したのです。艱難汝(かんなんなんじ)を玉にすとの諺にあるように、苦難があってこそ人は成長するのです。ガラシャも、夫の忠興もそうですが宣教師達に導かれて人生が変わりました。私達も同じです。儚いけれど短い時の中でお互いが調和して成長する。私にはそれこそが一期一会の精神だと思われるのです」
すると昭子は少しだけ笑んで菓子を全て食べ切った。
「ほんならお茶を頂きましょうか」
昭子は汐恩に促した。
しかし汐恩は首を横に振った。
「いえ、その前に少し別の花を添えさせて頂きたいと存じます」
「別の花?」
汐恩は側に控えていた秀晶に目で合図した。
すると秀晶はベールを直して立ち上がり、汐恩の隣に立つと手を胸の前で組んでアカペラで『アメイジング・グレイス』を歌い出した。
「Amazing grace how sweet the sound That saved a wretch like me.I once was lost but now am found,Was blind but now I see.(素晴らしき恩寵。何と美しい響きでしょう。私のような者までも救って下さるとは。道を踏み外し彷徨っていた私を神様は救い上げて下さり、今まで見えなかった神様の恩寵を今は見出す事ができるのです)'Twas grace that taught my heart to fear,And grace my fears relieved,How precious did that grace appear,The hour I first believed.(神様の恩寵こそ私の恐れる心を諭し、その恐れから心を解き放ち給うのです。信じ始めたその時の神様の恩寵の何と尊い事でしょう)
When we've been there ten thousand years,Bright shining as the sun, We've no less days to sing God's praise Than when we'd first begun.(何万年経とうとも太陽のように光り輝き、最初に歌い始めた時以上に神様の恩寵を歌い讃え続ける事でしょう)
客はその状況に全員息を呑んだ。
秀晶の驚異的な歌声もあったのだが、何と歌に合わせるように背後の二分咲きの桜の花が突然満開に咲き出してその花びらを大量に空へ舞わせたのである。
「奇跡だ」
テレビのカメラマンが思わず呟いた。
吉継も、そして当の秀晶さえ驚きの表情を隠せないでいた。
呆然とする昭子にいつの間にか点てていた茶を汐恩は「どうぞ」と差し出した。
「え、あ」
混乱しつつも毅然とした態度に戻った昭子は「お点前頂戴致します」とテルエルの茶碗を上げてその茶をズッと飲み切った。
そして茶碗を手前に置くと「汐恩さん」と弟子に厳しい顔を向けた。
「こらとても茶聖から受け継いだ三斎の茶やおましまへんな」
うっと汐恩は声を詰まらせた。
吉継も「駄目だったか」と落胆した目を伏せた。全てにおいて伝統を破壊している茶屋である。その家元からすれば叱られても当然であった。
しかし、昭子は次いでニコリと微笑んで放言した。
「こら新しい三斎流の茶や。汐恩さん、ようここまで精進しなはりましたな」
「先生………」
「古の伝統も守らなあきまへんが、新しい時代に挑んでいくのもまた茶の道やと私は思います。それをあんさんは大胆に成し遂げた。全て素晴らしい工夫でしたえ」
そのまま昭子はお辞儀して言った。
「美味しく頂戴致しました」
汐恩も頭を下げた。初めて認めてもらえたその目には感動の涙が浮かんでいた。
「来る!」
吉継は直感的に呟いて受付に首を向けた。
すると今の中継を見ていた会場のお客が我先にと汐恩の茶屋の前に大行列を作り始めた。
吉継は水屋の女子にVサインをして声を掛けた。
「大成功だ!忙しくなるぞ!」
わあッと皆は喜び勇んで満杯になった縁台のお客に茶菓子と茶を振る舞い始めた。
それからはもうチーム汐恩の快進撃であった。
汐恩の立ち居振る舞いと秀晶の美声、そして西洋の茶室を求めて次々とお客が押し寄せ、あっという間に三百の菓子は売り切れとなった。
一方元達の茶屋もかなりの遅れはあったが全ての茶菓子を売り切った。
それから時間は瞬く間に過ぎて茶屋比べ終了の時刻が訪れ、一時間後にはふれあいセンターの広場で投票の結果が公表された。
大人の部門と、中高生の茶道部の部の優秀賞が発表された後で、小学生の部の投票数が告げられる。いよいよだと私服に着替え終えたチーム元とチーム汐恩の両団体と、クラスの男子達が固唾を飲んでその結果に耳を傾けていた。
主催者代表の忠時がマイクでその投票数を述べた。
「小学生の部、織部流茶屋、得票数145。三斎流茶屋、得票数455。よって三斎流の勝利」
「わはは、大勝利だよ。やったー!」
圧勝のチーム汐恩は大喜びで飛び上がったりお互い抱き付き合っていた。
吉継も勢いで隣の秀晶にハグした。
「やった、すげえ!」
「くぁwせdrftgyふじこlp!」
思い掛けず抱き付かれ顔を真っ赤にして目を回す秀晶へ吉継はアルスで言った。
【刑部どの、あの桜の開花は驚きました。まさか貴方に時間を進める能力があるなんて知りませんでしたよ】
「また刑部かい!」
正気に返った秀晶は吉継にボティーブローを手加減無く食らわせた。
ぐはッと腹を押さえた吉継は秀晶に小声で聞いた。
「だ、だったら晶の歌に力があったのか?」
「知らないわよ。私だって驚いたんだから。刑部じゃないでしょ、あれ?」
秀晶はポケットの消しゴムに説明を求めた。
【吾も知らぬな。しかし、あの速度で桜が咲くなどとは奇跡としか思えぬ。五助にもかような力は宿っておらぬしな。金吾どのでは?】
【いや、吾にもそのような能力は無い。ううむ、どちらかの神の気紛れやもしれぬ。まあ、どちらにせよ、二人ともお疲れであったのう、ヒック!】
【あ、金吾、またお前どこかで酒飲みやがったな!俺の小遣い減るだろうが!】
二色鉛筆がただの赤鉛筆になった金吾を吉継は捻った。
【あはは、金吾どのは相変わらずよのう。しかし、主、吾も少々疲れたぞ。テレビ放送で主に芸能界のスカウトが来られても困るからの。発信元の動画やスマホには主の声と姿は消えるよう細工しておいた】
【ありがと、刑部。助かるよ。でも汐恩には群がるんじゃないの?】
【それは心配無用じゃ。汐恩嬢は細川家の令嬢。自身か、家のSPが撃退するであろう】
「あ、あの、コバ君」
吉継は背後から優勝の賞状と千利休のレリーフの付いた楯を片手に抱える汐恩に声を掛けられた。
「お、汐恩、やったな!大差で勝ったぞ!」
吉継は右手を肩にまで挙げた。
「え、何ですの?」
「勝利のハイタッチだよ。ほら同じ風に左手を挙げて」
「こうですか?」
「そう、イエイ」
吉継はパシッと汐恩の手を叩いた。
するとこの時思い掛けない事が起こった。
右手の薬指に嵌められていた運命の指輪が一瞬パアッと金色に光り輝いたのである。
「………えッ!?」
この指輪は新たなモンストルゥムの依巫が現れる兆しを示す神具で、その依巫に触れれば二度だけ眩く光を放つと説明を受けている。
吉継は急に真顔になって右手と汐恩の顔をマジマジ見比べた。
「汐恩………お前………」
「何ですの?」
不思議そうに首を傾げる汐恩に吉継は「何でも無い」と手を振った。
汐恩は優勝の品をチームに渡すと深々と頭を下げた。
「コバ君、今日まで色々ありがとうございました」
「おう、よかったな。これで細川家の面目も立つぞ」
「いえ、家名より私が変われた事が嬉しいのです。これはコバ君のお陰です。本当にありがとう」
虚栄心の欠片もなく汐恩は吉継の両手を包み込んで素直に目を細めた。
しかし吉継はその笑みには気付かず汐恩の手の中で再び光る自身の指輪を呆然と見つめていた。
「オホン!私も少しは協力したと思うんだけど」
秀晶が咳払いしてその手を離させた。
汐恩は「そうでした」と笑って晶にも礼を言った。
「それよか、テンムちゃん遅いね。クラス集計の方はどうなったんだろう」
一般投票は終わったけれどクラスの投票結果は武美から知らされていない。
「結果ならもう出てるわよ」
後ろから元が一枚の二つ折りにされたA4用紙をヒラヒラさせながら現れた。
「元」
「テンムちゃんが汐恩にも渡してくれってさ。はい、投票結果」
ブスッと不機嫌に元は汐恩へ紙を渡した。
「何、クラスの結果出たの!?」
チーム汐恩が一斉に集まってその広げられた用紙を眺めた。
汐恩は内容を読み上げた。
「男子・松平票一、細川票十四、女子・松平票三、細川票十二」
この大勝の結果を受けて全員が「あー」と同情の目で元を哀れんだ。
「ちょ、そんな気の毒そうな目で見ないでよ!」
「元の所の女子票は多分クロと真央か、しかし、それ以外全員こっちって………」
「うるさいわよ、コバ!私だってこんな展開予想外よ。まさかラム酒嫌いがそんなに多いなんて思ってなかったもん。それに、長月も途中から汐恩の映像見て急に緊張しちゃったみたいでミスばっかで、私もフォロー出来なかったし。色々マズかったわよ」
「それだけ敗因の分析出来てりゃいいんじゃねえの」
「うるさいって言ってるでしょ。落ち込んでる長月を励ましにいかなきゃならないから以上ね」
「おい、元、待て!」
吉継はその肩を掴んで引き留めた。
「お前、俺に何か言うことあるだろ、ん~?」
勝ち誇った笑みを浮かべる吉継に元は「ああ、もう」と振り返って頭を下げた。
「前の言葉は取り消します。あんたのお母さんは凄いです。それにあんたのお菓子も凄かった。ごめんなさい」
「結構!」
「汐恩も人望がないなんて酷い事言ってごめん。でもさ、大茶湯、これで最高に盛り上がったからよかったでしょ?」
頭を上げた元はガッツポーズをした。
汐恩は驚いて言った。
「元さん、貴女まさかこのイベントのためにわざと私達を挑発したんですの?」
「さあ」と元は意味深の笑みで返した。
「あ、それよりコバ、ちょっと」
グイと吉継を引っ張って元は小声で聞いた。
「私達に入れた男子の一票ってまさかあんたじゃないでしょうね。同情票なら怒るよ」
「馬鹿、俺がそんな寝返る真似するか。誰かの気紛れじゃねえの」
「そっか、気紛れか。じゃいいや。汐恩、勝利おめでとね」
「あ、いえ、どうも」
足早に立ち去る元の後ろ姿に汐恩は忍び笑いをした。
「フフ、私達結局元さんの掌の上で踊らされていたような感じですね」
「関ヶ原が大好きな馬鹿だからな、アイツも」
「元さんも度量の大きな人物ですね」
「そうだな。それよかそろそろクロージングイベントの最後の落語、そこのステージで始まるぞ。『荒茶』、お前ももちろん観るだろ」
「あ、はい。梅町先生にお帰りの挨拶をしてから参ります」
「じゃ、俺達先に場所取りしてるな」
「では後に」
汐恩は二人に手を振ってから師匠の見送りを済ませ、会場へ再度向かっていた。
やがて吉継と秀晶の姿を確認すると汐恩もそこへ足を進めた。
と、その時、
【汐恩、あの者達に妾(わらわ)の事を話さずともよろしいのですか?】
汐恩の心の中に玉を転がすような声が響いた。
【珠姫(たまひめ)?】
汐恩はバレッタに触れた。
【彼の二人は紛れもなくモンストルゥムの依巫でしょう。恐らく尸者(ものまさ)として憑いているのは小早川金吾どの、そして大谷刑部どの。なれば妾は同士。貴女のこの髪留めに憑いているのは細川ガラシャであると正体を明かしても差し支えありませんよ】
【いいえ、それは未だ控えておきます、珠姫】
【何故?妾は一向に構いません】
【私はモンストルゥムの依巫の中でもREINCARNATIO(レインカルナーティオー)の依巫、つまり私は姫の魂の生まれ変わりなのですから、二人とは依巫の純度が違います。なので暫し様子を伺いたいと】
【ふふふッ、それだけではないでしょう。汐恩、貴女は彼の小早川どのを憎からずと思っているはず。その彼に依巫だと知られればどう思われるか不安なのでしょう】
【そ、そんな事はありません】
汐恩は真っ赤になって否定したが珠姫はそれを更に否定した。
【魂の分離たる妾には隠し立ては無用ですよ。それに恋は女子にとって一番大切な事。自分に素直になりなさい。まして彼の者は依巫の中でも特に珍しい巫覡(ふげき・男の依巫)、レインカルナーティオーの依巫とは充分釣り合いが取れると思うのですが】
【しかし、コバ君が気に入っていたのは珠姫であって私ではありません】
イジイジ汐恩は指をこねくり回した。
【いいえ、貴女は変わりました。それも充分魅力的に。それにああいう鈍い手合いは積極的に出ないと全く気付きませんよ。なんなら先程の桜みたいに私のVICE VERSA(ウィーケ・ウェルサ)で時間を進めて力を貸しましょうか?】
【珠姫、あれは些かやり過ぎです。桜の開花時期を変えるなどネットでも大騒動になってます】
【咲き誇る 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ、ですよ】
【もう、全く貴女は昔から変わっていませんね。手術後に頭の中で声が聞こえるなど、最初は病気の後遺症か、幻聴かと自分を疑いました】
【貴女は頑なでしたからね。妾が貴女の母者の事を教えようとしてもそれだけは頑迷に聞き入れようとはしませんでしたし。今はこうして誤解も解けめでたく終結しましたけれども。全てはあの小早川どののお陰でしょう】
【はい。彼には感謝してもしきれません】
【ならば攻めなさい。そして勝利をもぎ取るのです。貴女の母のマリアも娘の貴女を応援しているではありませんか。小早川どのにこうも申しておりました。『¿Te casarás con mi hija bonita cuando crezca?(大人になったら私の可愛い娘と結婚してくれますか)』と】
【そ、それはママが勝手に言っていただけです】
焦って汐恩は反論した。
【私が通事となり訳してあげたのに平気な顔をその場でよく取り繕えましたね。しかし、貴女の心の臓は早鐘の如く脈打っていたのを妾は知っていましたよ。いっそここで彼を好きだと認めなさい】
【珠姫!】
【あれあれ、この期に及んで汐恩はウブですね………おや、少し雲行きが変わってきたようですよ。大谷嬢を見なさい】
珠姫は汐恩に秀晶を注視するよう指示した。
視線の先には肝を冷やしてこちらを垣間見ている秀晶がいた。
「えッ、汐恩が依巫!?嘘!!」
吉継から推論を耳打ちされた秀晶が遠くの汐恩を振り返った。
「しッ、声がでかい!」
荒茶の落語で皆が笑っている中、吉継は人差し指を立てた。
【マジで?何か話し掛けられたの?】
前に向き直りアルスで秀晶が確認してきた。
吉継は刑部との約束で指輪などの事は内緒にして語った。
【いや、今までの言動を考えると辻褄が合うんだよ。さっきの桜の開花も汐恩か尸者の能力だとすればおかしくないだろ?】
【そういえば汐恩だけ驚いてなかったね。でもどうして私達に黙ってるの?警戒してる風でもないし】
【理由は分からないけど、こっちも知らない顔でいる方がいいと思う】
【ね、ヨシ、汐恩の尸者ってもしかして………】
【十中八九、ガラシャだろうな】
元々細川ガラシャは当時「フォム・モンストロ」と呼ばれており、超人的な才能の持ち主であったと伝わっている。汐恩の従者となればその能力が何らかの形で発揮されても不思議では無かった。
吉継もチラリと汐恩に振り返った。すると汐恩ははにかんで小さく手を振りこちらに小走りで向かってきた。
【ど、どうしよう、ヨシ】
【そんなに慌てなくてもいいだろ。お前らもう親友なんだし、普通に接すれば】
【うー、なんか複雑だよ】
秀晶は身を隠すように吉継の右にピッタリくっついた。
「あら、もう中盤にまで差し掛かっているんですね」
汐恩は吉継の左肩に寄り添うように並んだ。
「コバ君はこの江戸落語はご存じ?」
「ああ、『荒大名の茶の湯』だろ?元は『関が原合戦記・福島正則荒茶の湯』だったかな」
落語『荒茶』は福島正則・加藤清正・池田輝政・加藤嘉明・浅野幸長・黒田長政が本多正信の茶の招きに応じたのであるが、主役の細川忠興以外は茶の作法を知らず、茶席で忠興の真似をして全て失敗しお笑いに終わるという筋書きである。
「まあ、これは史実なら殆どの大名がお茶を嗜んでいたから成り立たないんだけど、落語ならではだな。でも忠時さんもやるな。イベントの最後をこんな面白い笑い噺で締めるなんてさ」
ニカッと笑う吉継に合わせて丁度隣の公園の桜から風で舞った花びらが会場に舞い落ちてきた。
落語も落ちがついてその場がどっと笑いの渦に包まれた。
汐恩はその不思議な光景に思わず口に出した。
「あの、コバ君、大人になったら私の家の専属シェフになって頂けませんか?」
「は?」
「ですから将来は私だけに料理を作って頂けたらと」
すると吉継は「はー」と息を吐いて断った。
「あのな、どこかのお抱えなんてよっほど腕が立たないと駄目だし、それに俺は特定の人間だけじゃなく色々なお客さんに料理を食べてもらいたいんだ。悪いな」
「あ、いえ、そういう意味ではないのです」
「どういう意味だよ」
「それはつまり………」
暫くマゴマゴとしていた汐恩はやがて思いの丈を口にしかけた。
「私のだん………」
すると汐恩の言葉を遮るように唐突に吉継の背中にドンと何かが突進してきた。
「ぐわッ」
吉継が振り返るとそこには恨めしい右目を光らせた長月が立っていた。
「く、クロ?」
長月はそのまま吉継のみぞおちに「ヨシの馬鹿」と頭突きをゴンゴンと何度も食らわせた。
「いてて。おい、クロ止めろって」
「菓子作り、手加減ぐらいしてよ、馬鹿。私が本気のヨシに勝てる訳ないじゃん。それなのにさ、終わってもこうやってずっと汐恩とか晶とばっかといるしさ。ヨシなんて地獄の業火でローストされてケルベロスのドッグフードになればいいんだよ」
「あー、悪かった悪かった」
吉継は長月の頭を手で受け止めてグシャグシャと髪を撫でた。
「後でちゃんと様子見に行くつもりだったんだ。ほら、さっき露店でお前用に買っておいたヤツ」
吉継はポケットから小さな桜餅を象ったストラップを手渡した。
長月は惚けた顔を上げた。
「これ私に?」
「ああ。でも親友のお前が敵になるのは今日で勘弁な」
すると長月はそれを早速スマホに付けて不敵に笑った。
「うむ、捧げ物とは褒めてつかわす。汝を我の下僕にしてやらんでもないぞ」
「どこの魔王だ、お前は」
吉継は長月の額に軽くデコピンした。
「ねえ、ヨシ、私には無いの?」
秀晶がストラップを羨ましそうに見て吉継の腕を揺すった。
「私だって色々協力したし、アカペラだって何度も歌って声枯れそうになるまで頑張ったんだから。なのに長月だけなんて依怙贔屓~」
「こら揺らすな、ちゃんと買ってあるって。ほい、これ、焼き鯖寿司のマグネット」
吉継はポケットから押し寿司の形をしたプラスチックのメモ止めを渡した。
秀晶は苦笑いの片唇を上げた。
「………嬉しいけど何か違う」
「何だよ、クロと同じフードシリーズだぞ」
「まさか汐恩の分は卵の何かとかじゃないでしょうね」
「よく分かったな」
吉継は小さなフライパンに焼かれている黄身が二つある目玉焼きチャームを取り出した。
秀晶は哀れんだ表情で吉継の肩に手を置いた。
「ヨシ、少しは女の子の好みとか勉強した方がいいと思う」
「何だよ、黄身がダブルだぞ。可愛いだろうが」
「そういう視点じゃなくて。いや、色気のないヨシに期待した私が馬鹿だった」
心底呆れる秀晶であったが、汐恩はそのチャームを吉継の手からひょいと取り上げた。
「これ、私に頂けるんですよね?」
「あ、ああ」
「私は気に入りました。大切にします。それと長月さん、本日はお疲れ様でした。結果はどうであれ良い戦いだったと思います。だからこれを機に私ともお友達になって頂けませんか?」
汐恩は柔和な笑みを浮かべて長月に握手の手を差し出した。
「へ?相手間違えてない?私だよ」
長月は手を出すのに戸惑った。何せこれまで反抗心丸出しで冷酷な眼差しを向けられていた相手であったのが今ではまるで別人に変わっていた。
「いいえ、貴女です、長月さん。私達が限界まで追い詰められたのは長月さんの力量があってこそです。私は茶を嗜む一人として貴女を尊敬します。それに私、密かに晶さんと長月さんが仲良くしているのが羨ましかったんです。これからは私もその輪に加えてもらえたら嬉しいです」
すると長月は手を握り返して笑った。
「そうか、クックックク。よかろう。貴様も我の手下になりたいと………いたッ」
長月は吉継にまたデコピンを食らわされた。
「今は厨二を封印しろ。汐恩、こんな弾けた奴だけどよろしく頼むな」
「はい」
「それよかさっき何か言い掛けてなかったか?」
「いえ、今日は止めておきます。それよりまた新学期から皆さんよろしくお願いします」
汐恩は爽快に笑って答え、大茶湯は無事に終了した。

それから春休みは終わり、四月七日(金曜日)の始業式では五年一組はそのまま六年一組と繰り上がり、担任も副担任も全く同じ顔触れとなった。
そうして四月十日の月曜の朝のHRでは学級委員長を決めるよう武美から指示があったが、何と汐恩が元を他薦した事で呆気なく決定した。
これには汐恩対元の選挙戦になると予想していただけに、推薦された元だけでなくクラス全員も驚いていた。
「汐恩、お前、本当に委員長にならなくていいのか?」
席替えのくじ引きで吉継の右隣の席に座った汐恩へ吉継が聞いた。
「ええ、委員長には関ヶ原を愛する元さんが相応しいと思います」
恐らく今回のクジにも細工し、吉継の隣の席を選んだであろう汐恩の真意を確かめるべく吉継は尋ねた。
「で、本心は?」
汐恩はサラリと本音を話した。
「委員長の仕事をしている時間の余裕がありません。春から私、すべき用件が増えましたので」
「習い事でも増やしたのか?」
「実は音依さんにお願いして週に何度か料理を教えて頂くことになりましたの」
「え、母さんに?俺そんなの聞いてないぞ」
「だって内緒にしてもらってましたもの」
「マジ?」
「大マジです。だから夜ご飯も貴方の作った物を御馳走になると思います。ですからよろしくお願いしますね、晶さん」
汐恩は吉継の左席の秀晶に声を掛けた。
秀晶はその事を音依から聞かされていただけに反対も出来ず、ただ「むー」と不満げに唸っていた。
「まあ、母さんが了承してるなら仕方ないか」
「それでですね、その、二つほど貴方にお願いがありますの」
「ん?」
「これ、詳しく教えて頂けませんか?」
汐恩は目玉焼きチャームの付いたバッグの中から戦国無双のソフトを取り出した。
「何、お前、買ったの?」
「はい。お父様にお願いしてハードも買って頂きました。でも出来れば夕食後にヨシ君のお宅で一緒にプレイしたいのです」
「そりゃ構わないけど………ん?ヨシ君?」
「それが二つ目のお願いです。よろしければ今日から名前で呼ばせて下さい」
「そんなのは別に好きに呼べばいいんじゃねえ。晶もクロもそう呼んでるし」
「よかった。ではこれを!」
汐恩は次いで参考書の山を吉継の机の上にドサドサと積み上げた。
「な、何だ、これは?」
「本日より私がヨシ君の勉強を念入りに教えて差し上げます。細川家に入って頂くためには親類縁者に認めてもらうようそれなりの学力も必要ですので」
「細川家にって。お前、専属シェフの件は断っただろうが」
「そうではありません。ああ、もどかしい」
汐恩は業を煮やして言った。
「つまりは私の忠興になって頂きたいのです!」
「は?」
「ちょっと、汐恩、それどういう意味!?」
吉継の代わりに秀晶が立ち上がって問い質した。
「そのままの意味ですわ。晶さん、今日からまたライバルに戻りましたけど、違うライバルにもなりました。しかし私こればかりは譲れませんのでお覚悟の程を」
汐恩はニコリと不敵に微笑んだ。
「汐恩、あんたねえ、よくもいけしゃしゃあと」
「おい、何を言い合ってるんだ。二人とも仲良くしろよ」
「仲良くなんて出来ないわよ!」「仲良くなんて出来ませんわ!」
秀晶と汐恩は揃って吉継に噛み付いた。
すると、聞き耳を立てていたクラスの男子がいつの間にか吉継の周りを取り囲んで、
「ほう、両手に花とは良いご身分だな、ええ、ヨシ?」
「いつの間に細川さんとそんな深い仲になったんだ?」
「大谷さんに飽きたらず今度は細川さんにまでたらし込んだか」
などと散々言い立てた。
「おい、何を言ってるんだ、お前達は!晶も助けてくれ」
吉継は秀晶を振り返ったが秀晶は「大谷さんに飽きたらずって、もう」と照れた顔で嬉しそうににやついていて話にならない。
三大がポンと肩に手を置いて冷静に言った。
「鳶に油揚げをさらわれるってのはこういう事なんだな」
「ち、ちょっと待て。だから意味分からないって言ってるだろ」
吉継は言い訳を試みたが誰も聞く耳持たずに男子の怒号が教室にこだました。
「この小早川の裏切り者―――――ッ!!!」


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