「おねさん、この料理の後でのお酒はある?」
ライスペーパーまでスナック感覚で全て食べきってから信義は音依に向いて問うた。
「最後は和風になりましたから、熱燗がお勧めでしょうか」
「じゃあ、一本つけて下さい」
「あ、私も」
「あれ、また飲まれるんですか」と吉継は須和子に呆れた顔をしつつ、直ぐにカウンター越しに身を乗り出し信義に迫った。
「それよりどうでした、俺の料理?」
急に子供っぽい言葉に戻って目をきらきらと輝かせる。
「え、ああ。定番にしていいと思うよ」
「やった、よしッ!三日間考えた甲斐があった」
吉継はガッツポーズをした。信義は半笑いで聞き返した。
「あれを三日で思い付いたのかい」
「大変でした。特にアメリカが。ベルギーはフレンチの影響がありますから良かったんですけど。アボカドあってよかったです」
「しかし、まだ続いているとは思わなかったよ、新作メニュー通ったらお小遣いアップ」
「クッキング・イズ・マネーですので」
指で丸を作る吉継の目には¥マークと$マークが映っていた。
「相変わらず現金だね、君も」
「こら~、ヨシちゃん、お客様の前でお金の話なんてみっともないでしょ」
頭をこつんとチョップした音依は銚子とお猪口を盆に載せて運んできた。
「ははは、おねさん、子供の小遣いの話だよ。怒らなくても」
「そうだよ、母さん。別に現物取引とかFXとかじゃないんだから」
「そんな変な用語をネットで覚えるより学校の勉強をもっと頑張りなさい~」
吉継は音依にこめかみを拳でグリグリされた。
「いたた、やってるよ。テストだって点数落ちてないし」
「なら、この前菜から問題出してあげる。ゲティスバーグの戦いの総称は?」
「えっと、南北戦争、だと思う」
「ワーテルローは?」
「ナポレオン戦争」
「そこの主戦場は?」
「ええっと…」
「はい、時間切れ。ラ・ベル・アリアンスね。じゃ、ナポレオン戦争にはなく、関ヶ原の戦いと南北戦争には戦いの形においてある共通点があります。それは何でしょう。六十秒で答えなさい」
「えー、えーっと」
「カンニングは無し」
音依は吉継が盗み見ようとしていたスマホを取り上げた。
「ブブーッ、はい、時間切れ~。今月のお小遣い十パーセントカット」
「えええッ、それはないよ」
「料理の出来がよくてもその背景を知らないと意味が無いっていつも注意してるでしょ。料理に限らずよ。上っ面だけじゃなくもっと奥まで観察なさい」
「…鬼」
「何か言ったかしら~?」
「いいえ、何も」
静かに見据える目がギラリと光った。母は何故か一部の客から「女帝」と呼ばれている。その通称の通り恐ろしい。
「ハハハ、ヨシ君の師匠はスパルタだね」
吉継は信義に泣きついた。
「武田さん、問題の答え知ってます?普通小学生には、いや大人だって分かりませんよね。小遣い減額なんて酷いですよね」
「ナポレオン戦争はフランスと、イギリス軍・オランダ軍・プロイセン軍の同盟軍との戦い。対して関ヶ原の戦いと南北戦争は内戦、国内の戦いだよ」
「あれ?」
スラスラ返答されて拍子抜けした。
「フフ、残念だったわね、ヨシちゃん」
「ちぇッ」
小遣いアップが半分に減り吉継はうな垂れて料理皿を下げた。するとその様子に信義は閃いて財布を取り出し、とある提案をしてきた。
「じゃあ、敗者復活戦なんてどうだい、ヨシ君」
「復活戦?」
「今回のオードブルが美味しかったから私からチャンスをあげよう。これから君には即席で一品を私たちに作ってもらう。音依さんにもね。それで君の料理の方が美味しければ私からチップをあげる」
「それって母さんと対決しろって意味ですか」
「そうだよ」
「無理です、母さんは俺の師匠ですよ。勝てっこありません」
皿をシンクに沈めて吉継は断った。
「ハハ、もちろんハンデを付けるよ。内容はそうだね、洋食でなくラーメンなんてどうかな。お腹も空いてきたしシメにね」
「あ、私もラーメン食べたーい」
頬杖をついた酔眼の須和子も逆手を上げた。吉継は拒絶の手を振った。
「いえ、ウチはパスタはやってますけどラーメンはメニューにありません」
「あら、いいんじゃない、ラーメン」
音依は賛成した。
「母さん、何言ってんの。ラーメン用のスープも麺もないよ」
「スープは顆粒であれば鶏ガラがあるし、それからは工夫で何とかなるわよ」
「麺は?まさかパスタで代用しろってんじゃないよね」
「中華麺なら家用の乾麺が一杯あるからそれを使えばいいわ。別にメニューとして載せる訳じゃないし。ま、勝負のポイントはスープの味と具になるわね」
「何、乗り気になってるの。俺は受けないよ、そんなの」
「あれれ、そうかい、残念だね、私たちが二人とも君に票を入れれば五千円をあげようと思ったんだけど」
樋口一葉のピン札が信義の指で挟まれている。
「………五千円?」
「もっとハンデをつけようかな。一票でも入れば三千円を進呈しよう」
「やります。いえ、やらせて頂きます、社長!!」
目を爛々と輝かせ吉継はその札の手を握った。
「………ホントにブレないね、君は」
「では、何のラーメンにしますか?」
「うーん、そうだね。あ、確か、おねさん、以前二色ボウルをメーカーに特注してたね。家紋が器にプリントされた」
「ええ、一昨日届きましたけど」
これですと音依は奥のバックヤードに置いてあった箱から包装紙に包まれた白い器を取り出した。
紙を開けてみると、真ん中で仕切られた丸い丼鉢が姿を見せた。音依が二つのスープを一度に楽しめるようにと窯元に頼んでいた器であった。側面には関ヶ原で戦った東軍と西軍のカラフルな武将家紋が印刷されている。
その分かれたボウルの内底の「見込み」には向かって左に家康の葵紋、右に三成の大一大万大吉の旗印が刷られてある。二つの味に対応するようレンゲに似た二本のスプーンにも同じ家紋が誂えてあった。
この鉢セットを音依は店のお土産品として扱うつもりであるらしく、鉢の箱は五十ほど積んであった。
「これでお互い二色のラーメンを作ってもらおう」
信義の提案に吉継は尋ね返した。
「ざっくりしてますね。味は何でもいいんですか」
「それは任せるよ。ただしこの鉢の家紋同様関ヶ原らしくね。判定はこの家紋コースターで決める。ヨシ君は三成のコースター、おねさんは家康のコースター。これがそれぞれの票になるから」
信義はカウンターの大理石コースターを夫婦分の四つ集めて示した。
「分かりました」
母親は和洋中大体なんでもこなすがラーメンを作っているのは覚えがない。もしかしたら勝てるかもと吉継はほくそ笑んだ。
麺は同じだから問題は確かに具とスープであった。
吉継は冷蔵庫と冷凍庫の中身を覗いて早速内容を決めた。
音依は逆にノンビリしている。やがてガスバーナーで丼の内側に火を当てていたが、それ以上あまり際だった動きはない。
それから二十分が経過し、音依が麺と具を器に盛っていた。フレンチではないが手際の良さは変わらない。完成した器からは熱々の湯気が立っていた。
「あらあら、私の方が早かったみたいね。ヨシちゃん、お先」
音依は未だ調理中の息子に振り向くと夫妻の前に匙がそれぞれ添えられた二色のラーメンを召し上がれ、と差し出した。
「名前は、関ヶ原二色ラーメンです」
「ハハ、ひねりがないね」
音依のネーミングセンスの無さに半笑いした信義はラーメンの中身を見た。
左は鶏ガラの素を使った赤味噌ラーメンらしい。燻製ゆで卵とチャーシューがトッピングされていてスープの少し上の縁には赤味噌がグルリと塗ってあり、その表面はバーナーで焦がされていた。対して右は葱ともやしとキクラゲと豚肉が浮いており、汁は油の漂った白濁色をしている。
信義は先ず右のラーメンスープをレンゲですすった。
「ん、お酢が入っている。これはどこかで食べた記憶があるよ」
「それはそうだと思いますよ。近場で『近江ちゃんぽん』です。スープは鰹に昆布出汁。麺が違いますからちゃんぽん風ですけど」
「ああ、近江には石田三成の佐和山城があったものね。じゃあ左は」
ズズッと麺とスープを味わった。焦げた赤味噌が途中でスープに加わり味が変化していく。土手鍋の応用である。
「このチャーシューはもしかして猪?」
「ええ、この辺りは鹿や猪が多いですから。最近はジビエの一環として当店もボタンチャーシューの名前で使っています」
「なるほど、家康と三成のご当地ラーメンか。お、ヨシ君も出来たみたいだね」
吉継がお盆に二つのラーメンを運んできた。
同時に香りが強く漂ってきた。
「お待たせしました。『紅白熱戦甘辛麺』です」
吉継のラーメンは左が揚げたニンニクと炒めた長ネギともやしと輪切り唐辛子がたっぷり乗った真っ赤な担々麺、右には麺の上にすりゴマがどっさり乗っていた。スープは真っ白である。
信義は左から食べてみた。瞬間体温が上がり汗が噴き出した。
「ふんッ、唐辛子の辛さがくるね。それに隠れていた細切りショウガがより辛味を増す」
鶏ガラ味噌ベースで超激辛でもないのだが、スパイシーな調味料が口内を刺激した。しかし、そのまま具を食べると辛さが和らいだ。
「でも揚げてあるニンニクとカットトマトが甘いから丁度いいバランスだ」
「はい。ベトコンラーメンの改良版にしました」
「うん、岐阜に発祥の一つとされる有名な店があるね。で、右は、これは胡麻スープかい?」
「そうです。胡麻ペーストのシジミ白味噌仕立てです。それに焙煎したばかりのすりゴマと冷凍のむきシジミと、自家栽培の黄ニラを足しました。後は調味にハチミツも」
赤いスープとは対照的に甘さが際立ち、汁も具も滋味に浸る。
「うーん、良い胡麻の香りだね。食欲をそそるよ。でも何故紅白に?」
「あー、いえ、対決というと学校の運動会の色分けがそうなので」
「ははは、そこは小学生らしいよ。ま、紅白の戦いは源平合戦が元になっているらしいからこれも同じではあるけど」
暫くして夫婦は両方のラーメンを食し終えた。ただ、酔って眠くなってきたのか須和子はカンターにうつぶせになっている。採決の時が来た。
「私はおねさんのを選ぶ」
信義は徳川のコースターを挙げた。
「私はこっち~」
うつむいたまま寝ぼけ眼の須和子が挙げたコースターも葵紋であった。
「あー、クソー、完敗か~」
一票でも入れば三千円を手に出来たのにと裏表がなく吉継は悔しがった。
「小学生の世界も大変だけど大人の世界も大変だよ、ヨシ君」
「そうですね。勉強になりました」
落胆して肩を落とす吉継に信義は励ました。
「味は素晴らしかった。ただ、テーマの関ヶ原らしさが欠けていたかな。また勝負の機会があればリベンジを期待しているよ」
「はーい」
力が抜けた吉継は会計を頼まれた他のテーブルに向かった。
「………おねさん、何故手を抜いたんだい?」
吉継が離れたのを確認してから信義は残った日本酒を飲みながら小声で音依に尋ねた。
「あら、私は真剣に戦いましたけど」
「そうかな?家康と赤味噌なんてフランス料理界を席捲した『レーヌ』にしては少し安直だと思うけど」
「………その名はやめて下さい。昔の話です」
「フレンチの巨匠にて王様マルセル・ルロワに師事した若き女性料理人、レーヌ・トロワ・ゼトワールこと『三つ星の女王』・木下音依。別名『女帝』」
「武田さん、しつこい男性は嫌われますよ」
グラスを拭きながら音依は笑顔で睨んだ。
「ごめんごめん。それより赤味噌を焼いてある土手鍋の、あれはルーツが広島の調理法だよ。三河じゃない。それに近江ちゃんぽんに至ってはそのままの味。らしくないね」
「それならどうしてヨシちゃんに票を入れなかったんですか」
「あの子はもっと化けてくれる、と内心期待しているんだ。だから」
「あら、随分ウチの子を買って下さるんですね」
音依は少し笑んで言った。
「もちろんだよ。ところで、前々から感じているんだけど本当にヨシ君は小学五年生かい。話し方や内容も大人だし、腕はそこいらの料理人より遙かに上。まさしく神童だ」
信義はテーブルを片付けている吉継を横目で見て言った。
「あの子がキッチンに立つ時、とても厳かというか不思議な気配がする。まるで別人が調理しているようだ。食を司る豊受大神が守護神と告げられたのもあながち嘘ではないのかもしれないよ」
「外宮での一件ですか。さあ、それはどうでしょうね」
音依も我が子を見つめ、吉継が赤子の際、伊勢神宮へ親子共々参拝した過去を思い出していた。外宮の本殿前で吉継を抱いて参拝していると近くを通りかかった老婆から「この赤子には豊穣の、御饌(みけ)の大神が降りている。霊依の器だ」と宣言されたのである。
「ヨシ君にはその話を?」
「いいえ、伝えていません」
「どうして?良い神託だと思うけど」
「神前なのに何か喜べない感覚があったんです。理由は分かりませんけど。それに料理上手なのを神様の力だって決め付けられるのは違うと思うんです」
親バカでしょうが、と音依は首を振った。
「あの子は人一倍の努力で料理を学んできたんです。話し方が大人びているのは幼い頃からこの喫茶店と居酒屋の中で育ったせいでしょう。ここの空間には老若男女の喜怒哀楽が溢れてますからね」
「にしてもだよ。とんでもない才能であるのは間違いない。おねさん、家内にカクテルを作る時、指定したのはヨシ君じゃ?」
「ええ、そうです」
「やっぱりね。ヨシ君のラーメンを食べて直ぐ分かったよ。あの子は二日酔い防止にと柿のカクテルを選んだ。柿にはビタミンCやβ-カロテンが多くて、アルコール分解を促すタンニンも含まれているから。ブランデーやウオッカの量を減らしたのもそのため。それに家内のこれが色々証明しているよ」
信義は吉継のラーメン丼と音依の丼を比べて見せた。音依のはスープが残っているのに対し、吉継の丼の見込みには家康と三成の家紋旗印がくっきり姿をあらわしている。
「無意識にヨシ君のラーメンを全部平らげていた。それはこのラーメンの具材のせいじゃないかな」
「ニンニク・トマト・ショウガ・胡麻・ニラ・シジミ・ハチミツ。ヨシちゃんは悪酔いしないよう奥様のために作ったんです」
「気付いていたのかい?」
「曲がりなりにもあの子の母親で料理指南役ですからね」
「そう。説明があればヨシ君の勝ちだった。胡麻は家康の好物だし、薬も自分で調合する程医学オタク。ヨシ君のラーメンは医食同源。まさに家康の思想だ。それに黄ニラを使っていた。合戦後捕まった三成が柿でなく所望したのがニラ雑炊。その解説があれば私はヨシ君に軍配をあげていたよ」
「完勝していたでしょうね、ヨシちゃんは」
「え?」
「奥様は間違ったコースターを挙げていたんです。『私は、こっち』と仰ったでしょう。同意見なら『私も、こっち』となるはずです」
「そこにも感付いていたとは、さすが」
「それに武田さん、私は黙っていましたけどあの子は歴史的背景とは関係無くちゃんと関ヶ原らしいラーメンを仕上げていましたよ」
「ん?」
「赤のラーメンスープには隠し味に『森商店』のニンニク味噌を、そして白い胡麻スープには『胡麻の郷』の胡麻を使っていますから」
「ああ、そうか。両方とも関ヶ原にある会社と博物館だ」
「町内には詳しいですよ、ヨシちゃんは」
「この店の飲食の値段が格安なのもそれが一端でもあるね」
「可能な限り地産地消。他の店や企業との相互協力。それが当店のモットーでもありますから」
にっこり音依は笑った。
地域の農家が作る米や野菜を使い、若い農家にハーブのハウス栽培を委託し、それを新しい産業にしようとする音依の計画も信義は知っていた。ホワイトアスバラガスや黄ニラの軟白栽培も軌道に乗れば他の農家にも教える予定を立てている。
鹿が増えすぎれば山が台無しになるとの講習会を受けてからジビエ料理にも積極的に力を入れている。
町内の店舗で良い食材があればそれを活かした料理を作る。
逆にひすとり庵の業務用燻製機での燻製を他店から依頼された場合快く応じる。そうすればお互いが豊かになり、結果町に活気が出るというのが音依の考えであった。
「足りない物を補い合う。対立でなく調和を。おねさんらしい発想だ」
「かつての戦場のこの町も今は平和な観光地です。誰もが美味しい物を食べられれば争いは起きない。そんな平穏な関ヶ原が発展すれば人も増える。若い子が地元を好きになってくれれば未来は明るい。それが、私たちがこの店を開いた理由です。ヨシちゃんもそうあってくれればいいんですけど」
「ヨシ君は裏切らないよ。町のためというより人に対して」
「そう願っています」
ところが吉継は遠くでそんな会話が交わされているともつゆ知らず、金吾鉛筆とテレパシーで喧嘩していた。
【またテメーは勝手にアポートで酒を飲みやがったな】
【良いではないか、少しくらい】
吉継の掌で金吾はヒックとしゃっくりをした。軸の色が酔っ払っているせいか二色鉛筆がただの赤鉛筆になっている。
小早川秀秋は無類の酒好きで、北政所からも五百両借金していた。他からも金を借りており奢侈な生活を送っていたと伝わっている。
吉継はその意外な史実を知らない。
【ワンショットで一杯三千円もするウイスキーもあるんだぞ。今日も学校で高級食材散々使いやがって】
【客の酒を少々分けてもらってるだけじゃ。貢献しておろう~】
【その金は結局俺の小遣いから出てるんだ、ふざけんなよ、ああん】
吉継は鉛筆をひねって格闘していた。その不可思議なドタバタ喜劇を遠目に眺めていた信義は案じて言った。
「たまに風変わりな言動があるけど、期待、裏切らないといいね」
音依はため息を吐いて頷いた。
「………そう、願っています」
酩酊する金吾に思わずテレパシーでなく吉継の叫びが夜の店内にこだました。
「金吾、てめー、この裏切り者ーーーーーッ!」






                                  終




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