「あ、そっか、分かった。こんな手の込んだ悪戯をするのはTBSのモニ●リングだ。心霊ドッキリだな!」
吉継はポンと閃きの手を叩いた。
いつも観ているテレビ番組がまさかこんな田舎まできたのか。
ならば隠しカメラがどこかにあるはずと吉継は周囲を歩き回り機材を探しまくった。しかし、一向にカメラも発見されなければテレビクルーもいない。
「徒労に終わったな。いい加減現実を受け入れるべきじゃ」
路傍休憩地と書かれた山頂に設置されている東屋の切株の椅子で遠い目になって項垂れている少年の足下で二色鉛筆は気楽にピョンピョン跳ねていた。
「ヨシちゃん、どうしたの、大丈夫?」
屋根の影が落ちた顔を上げるとカンカン帽姿の母がそこにいた。
関ヶ原小町と昔から評判高い母は三十五の年になっても二十代を思わせる程若く美人である。つばの上を巻いている黒のリボンには関ヶ原合戦に参加した東西武将の家紋がプリントされ、脇に三頭巴紋がカラフルに描かれた白いTシャツが眩しい。やや小柄で童顔でもありピンクジャージを履いているから高校生と詐称できるレベルである。
名前は音依(ねい)、生粋の関ヶ原っ子で皆からは「おね」の愛称で親しまれていた。
「母さん、どうしよう。俺、異様な声が聞こえるし、おかしな物が見える」
思わず母の腕を掴んで振った。栗色のセミロングの髪が肩で揺れる。
「ヨシちゃん、あなた」
ゆっくりと音依は掌を息子の額に当てて熱を測った。
「ほら、暑いからこれを持っていきなさいと注意したでしょ」
どこからか取り出した黒い帽子を音依は少し怒った顔で吉継の頭に無理矢理被せた。つば付き帽子のデザインには違い鎌の模様が刺繍してある。
「熱は無さそうだけど、ちゃんと帽子は被らないとダメよ。小早川の旗印が嫌とか駄々こねてる場合じゃないからね」
「いや、母さん。そうじゃなくて」
「ん?」
「鉛筆が喋っているんだよ、普通に立って、ほらここに」
と、地面を指さしたがそこには文具の姿は無かった。
「あ、あれ?さっきまでいたのに」
「あらあら、なあに、額の邪気眼がうずいた?」
クスクスと笑う母に吉継は苦い顔で弁明した。
「厨二病の設定とかでもなくて!!ホントにいたんだってば、信じてよ」
「ハイハイ、そういうゲームのやり過ぎね。昨日寝るの遅かったでしょ。私が知らないとでも思ったら大間違い」
「…それは、まあ」
「きっと夜更かしで疲れたのよ。それに思春期にはたまに変な感覚がする時もあるわ。とくかくこれ飲んで少し落ち着いてから家に帰ってきなさい。ゴミ袋は運んでおいてあげるから。お疲れ様」
帽子の頭を優しく撫で音依は参加賃として配られた五百㎖のポカリスエットをベンチの横に置いて去っていった。
「ほー、今のがそなたの母者か、穏和な御仁じゃな」
消えていた鉛筆が目の前に再びパッと現れて左右に揺れタクトのリズムを取っていた。赤色が常時上を向いているから青色が下半身なのだろう。
「で、あんた、小早川って名乗ったよな」
諦めた表情で吉継は鉛筆を睨んだ。
「ハハハ、ようよう観念したか」
「別に認めた訳じゃない。幻覚だとしても話くらいは一応聞く。それで小早川———」
「金吾である。我が体の側面にも記してあろう」
見せつけるように空中に浮かび目の前に文字を近づけた。
(なるほど、これはKing owじゃなくKingow〈金吾〉と読むのか)
吉継はその鉛筆をガッと右手で鷲づかみにするとボソリと口にした。
「金吾中納言って事はお前、小早川秀秋か」
「無礼者!諱(いみな)は止めよ。真名(まな)を口にしてはならぬ故を知らぬのか!」
鉛筆は吉継の拳をすり抜け頬をペシペシ叩いてきた。
軽快な身のこなしながら痛くもかゆくもない猫パンチのような攻撃である。
吉継は何か段々馬鹿馬鹿しくなってきた。
こういう所はさすが小学生で不測の事態への順応は早い。
ちなみに諱、真名というのは苗字でない下の実名である。日本では古来人の名前を口にするのは忌み嫌われ禁忌とされていた。昔の武将が~守とか~介と名乗るのはそのためである。
空中に縦に浮かんでいた色鉛筆を今度は両手で捕まえ吉継は強気に断じた。
「じゃ、金吾」
「この痴れ者!敬って殿を付けぬか」
「嫌だね、そもそも諱は生きている時の士分以上の人間の名前だろ。たかだか色鉛筆風情が偉そうにするな」
「うぬぬ、年端もいかぬ童のくせに小癪な」
モゾモゾと抜け出そうとする鉛筆に吉継は、
「大体平成の世で戦国時代の風習なんて知ったこっちゃ無いや。ところで金吾、お前、筑前の領主だったろ」
「うむむ、反駁(はんばく)したいのは山々じゃが、問いには答えてやろう。左様、筑前三十五万七千石、その後は備前岡山城主じゃったがな」
「実の父親は木下家定」
「よう存じておるな」
「太閤秀吉の正妻、北政所の甥」
「左様じゃが、吾はともかく豊国大明神や高台院様には贈名(おくりな)の礼を尽くせ」
「それで文禄には能を舞ったな、確か『羽衣』と………」
「『東岸居士』じゃ。ほほう、よくぞそこまで…うん?」
キリキリと鉛筆が絞られていく。柔らかいなら力を込めてねじり折ろうとする吉継に金吾は反抗して暴れた。
「痛つつつッ、何を致す。離せ、童」
「どうやらマジに小早川秀秋だな」
「先程から左様…申しておる…ではない…か。痛いぞ、千切れる千切れるぅ」
「ヘン、ざまあ。いいか、てめえのせいで俺は昔から裏切り者と後ろ指さされまくったんだ!この呪われた小早川の苗字のせいでな。それもこれも全部お前が関ヶ原で西軍を裏切ったせいだ」
恨みを晴らすのはここぞとばかり力がこもっていく。しかし、
「ま、待て待て、ストップ、タイムタイム」
「………タイム?ストップ?」
戦国大名が英語を使った。
吉継は最高に胡散臭そうな眼差しで鉛筆を離した。それはヒュッと地面に自立した。
「お前、誰だ?」
「全く童は力加減を知らぬから恐ろしいわい。先より小早川金吾じゃと申しておろう。とはいえ、関ヶ原の頃の吾とは些か魂の造りが異なるがな」
金吾鉛筆は捻れた体を反対にひねって真っ直ぐに戻した。
「どういう意味だ」
「んー、知りたいか?」
鉛筆は鼻歌まじりで尊大に軸を揺らした。
「別に興味ない。じゃあな、キンゴミ鉛筆」
吉継は無表情で立ち去ろうと立ち上がった。すると突然金吾は足下にすがりついてあからさまに態度を変えた。
「ああッ、行かないで下さい。お願いします、お願いします。こうやって人と会話するのは久し振りなんですから。話し掛けても怖がって逃げていくばかりで」
(こいつ、これが素か)
鉛筆の豹変した低姿勢に呆れ気味の吉継は踵を返し椅子に座り直した。
「ふーッ、わざとじゃないにしろもう人間を驚かすなよ。松尾に変な噂が広まると商売してるウチが困る」
「それはもう必ず」
「分かった、ちょっと待ってろ」
スマホのLINEで母に、もう少し山頂にいる、父さんによろしくと伝えると、「で?」と文具に話を続けさせた。
聞くと関ヶ原合戦の二年後に死亡した秀秋は何故か成仏も出来ず四百年以上もこの世をさまよい続けてきたという。そして十年前に一女性の秀秋を慕う声に引かれてから彼女が作った自作の鉛筆を尸者(ものまさ)としたらしい。
尸者というのは憑依物、つまり死霊の容れ物である。
そうすると、ここで一つ吉継が腑に落ちた節があった。
この鉛筆が落とし物であれば持ち主は懸命に探すだろうし、会話が成り立てば落ちた場所も特定出来るだろう。つまりは捨てられたのである。
「なんでその人とずっと一緒にいなかったんだ?お前が好きだったんだろ。そこまで入れ込む小早川マニアってそういないぞ」
足を組み片肘をついて吉継は反問した。
金吾も昔の口調に戻って答えた。
「吾もそれを願っておったが、おなごの気は移ろいやすいゆえな」
「つまり飽きられてポイか」
「………おぬし、先程から口が悪いの。童でも婉曲の優しさを学べ」
「でも、喋る鉛筆なんて珍しいのに、普通捨てるか」
「声は尸者と依巫(よりまし)の間でしか聞き取れぬからな」
「よりまし?」
「吾ら死者が物に憑いたのが尸者、神霊が人間に降りる場合、その者を依巫と呼ぶ。吾の場合、主となっていたおなごらが依巫じゃ。が、依巫とて声を明確に識別出来る者はあまりおらぬ。どの神が降りてくるかで声の感度は違う。いや、声というよりむしろ精神感応じゃ。その感応の波長を感知せぬ一般人からは気が触れたとしか見られぬ」
「じゃあ、俺が今こうやってお前と喋っているのを誰かが見付けたら」
「神経を疑われるな、間違いなく」
「前の持ち主はそれが理由で捨てたのか」
「………」
金吾は暫く沈黙した。
「おい、金吾」
「あ、いやな、依巫によっては愛想を尽かすと持ち主の手元から吾が離れる、と別言する方が適切じゃ」
吉継の隣の椅子に飛び乗って金吾は空を見上げた。
「ふーん」
「おぬしはこの褪せた軸の色を日に焼けたからと考え違いをしているらしいが、この退色は吾に対する愛情のレベルゲージみたいなものじゃ。リセットされればまた美しい印刷面に戻る」
「………リセットとかレベルゲージってゲームじゃねぇんだからさ」
妙な知識に二の句が継げない。
「ははは、初期設定でラスボスを倒せるぞ。吾は依巫を通じ一部のネットにも繋がるゆえデータ改ざんはお手の物じゃ」
「チーターか!」
チーターとはオンラインゲームのインチキ者の蔑称である。
「しかしまこと現代の遊びは痛快じゃの。サッカーも趣がある。吾は蹴鞠も得意じゃったし」
「現代に毒されすぎて違和感半端ねえんだけど。お前大名だったんだろ」
「吾は長きにわたり世界中を眺めてきた所以で今やハーバード大学首席並みの学がある。それに異文化や外国語、更にアニメやオタク文化にも詳しくなった。それゆえ、吾は己を魔法の二色鉛筆、マジカルペンシル・キンゴ・オルタネィティブ、略してMPKAと名乗る事とした」
「かなりの痛さだぞ、それは………」
オルタネィティブが二者択一を意味しているため二色鉛筆のあだ名には間違いないのだが、突っ込み所が多すぎる。
「せめてマジカルペンシルだけにしとけ。で、さっきの話に戻るけど、要するにお前の元持ち主の気持ちが冷めたんだろ」
「………恐らくな」
「それでそのオリジナル鉛筆を作った人が松尾山の山頂に捨てた、と」
「いや、それは三人目のおなごじゃ」
「は?」
「吾は結構イケてるモテ文具である」
「容姿基準があるのか、鉛筆に!?」
「丸軸二色は一番人気、次いで六角軸の2B、五角軸のHBは三枚目」
「マジか!」
「ジョークじゃ」
「………笑わないぞ」
「ま、若輩者で、その上志半ばで他界した吾に好意を持ってくれた者が些かなりともいた証よ。二人目はヒデアキング、三人目はキンゴダムとかの愛称で可愛がってくれたからな」
「全員ネーミングセンス悪ッ!」
「おぬし、先からツッコんでばかりじゃな」
「したくてしてんじゃねぇよ。全然話が進まんだろうが」
額に怒りマークを浮かべた吉継は鉛筆を捕まえ再度折ろうとした。ギブギブと許しを請いながら金吾は過去から現状まで至る経緯を説き明かした。
「元来、魂は死後にはあの世へ返る。じゃが、吾は思念が妨げとなり成仏が叶わぬ状態になっておる」
「思念?」
「日の本の民の、吾に対する悪感情じゃ。怨恨と換言してもいい。裏切り者の誹りは永遠に免れぬ。その思いが足枷(かせ)となり吾をこの世に縛り付けておる」
「なるほど、地縛霊みたいなもんか」
「いや、この土地に縛られておるのではない。たまたま前の主が決別の地にとしてこの山を選んだに過ぎぬ」
「魂の造りが違うってのは?」
「歴史の営みを眺めるにつれ、吾の心境も変わってきた。死んで暫くは悔しくて泣いてばかりいたのう。大坂方を裏切った愚か者として代々伝えられる皮相にな」
「そりゃあ、自業自得だろ。裏切ったのは事実なんだからよ」
蝉の鳴き声が一層激しくなり、周りの木々の葉を揺らせ、裏切りの代名詞ともなっている違い鎌の幟が大きくたなびいた。
吉継は帽子を飛ばされないよう押さえた。
「フフフ、揃いも揃って口を開けば一つ覚えのように自業自得自業自得。無分別な愚か者。もう聞き飽きたわい。吾は裏切ってはおらぬ。当初より東軍じゃ。それ、おぬしの被っているその帽子にもEASTと描いてあろうが」
吉継は帽子をさっと取ってクシャッと握り潰した。この帽子が嫌いなのは違い鎌の旗印が刺繍してあるだけでなく、東軍とプリントされていたのが癪に障っていたのである。
「おぬし、吾のせいで大変な目にあったと憤っておったな。では吾の生涯についても調べておるのだろう。吾は端から江戸方、つまり徳川内府殿に味方しておった。それを邪魔したのは大坂方、石田治部たちじゃ。よって裏切りと評されるのは不愉快極まりない」
「じゃあどうして関ヶ原まで来る途中で西軍と戦わなかった!最後の最後であんな汚い不意打ちをしたから裏切りって罵られるんだろうが!」
勢い余って帽子を地面に投げつけた吉継は思わず大声で怒鳴った。
反面金吾は冷静に対応した。
「窺っていた機会が訪れず、最後の地が関ヶ原であったに過ぎぬ」
反省もない抗弁に吉継の怒りは募った。
「俺の下の名前は大谷吉継から取られたものだ。三成のために戦って死んだ。お前の裏切りを前もって知っていて、病気の体でも指揮を執り続けた。義の武将だ。お前には何がある。豊臣の親戚なら豊臣側として戦えよ」
「おぬし、年はいくつじゃ」
出し抜けに鉛筆は話題を変えた。
「は?九歳だ」
「幼いながらもよう学んでおる。とはいえそちの非難は納得しかねるぞ」
「どこが」
すると「こっちに参れ」と金吾は山際に設けられている合戦陣形図パネルの下に跳躍した。そこには合戦時の陣形と東軍西軍の武将名、そし反応軍と傍観軍が色別で記してあった。
金吾は吉継にその絵図を詳しく見るよう指示して口調を強めた。
「豊臣側として戦えと申すなら関ヶ原の戦は、徳川本隊と井伊や、松平、本田を除けば他は全て豊臣家臣じゃ。いわばあの戦は豊臣家の内輪揉め。石田対反石田。福島や黒田もおぬしの主張に従えばまた裏切り者よ」
「………あれは、家康がまだ豊臣家の五大老筆頭だったから」
「上杉中納言(景勝)殿も豊臣五大老の一人じゃ。内府殿はそれを討とうと会津へ向かった。その遠征が豊臣家存続に繋がると心底信じていた東軍諸将は少ないじゃろう。徳川に味方すればお家はこの先安泰との算盤勘定が皆にはあった。考えてもみよ、関ヶ原で東軍として戦った者で大坂の陣に豊臣へ与した大名は誰がおる?」
「けど」
「まあ、吾が声高に己の立場を釈明したところで無駄な足掻きよ。悪いがこの件でこれ以上議論するつもりはない。そもそもおぬしが息巻いたとて今更何かが変わる訳でもなかろうて」
金吾は再度東屋の影に戻って椅子に飛び乗った。
「そりゃ、そうだけど。ああ、もう!」
吉継も隣に座り直して合点出来ない頭を掻いた。
確かに関ヶ原合戦は徳川対豊臣の戦いと勘違いされがちだが、実際は内紛なのである。家康が陰でリードしていた点では間違いでもないのだが、関ヶ原の時点においては秀頼と戦をしたのではない。佞臣(ねいしん)の三成を倒し豊臣家を救うとの大義名分をそそのかされれば豊臣恩顧の大名も従わざるを得ない。
その一人が金吾である、と表明すれば反論は難しい。関ヶ原の後家康に所領を増やされたとはいえ、結局秀秋は間もなく死去、小早川家は容赦なく取り潰された。
秀吉の親戚に産まれたのが悲劇の始まりでもあった。
実子のない秀吉に関白候補の一人として大層祭り上げられ、秀頼が誕生すると途端邪魔者扱いで小早川家の養子へ送られた。それでも秀吉の期待に応えようと朝鮮攻めでは自らが武具を携え前線で必死に戦った。が、それを軽挙妄動と秀吉に咎められ、戦歴は認められなかった。それから秀吉が世を去り、間もなく関ヶ原の戦いが始まり、東軍・西軍の両方から味方するよう迫られ、最終的に家康に与した。
裏切りの伝説はこの時から永遠に語り継がれた。
実は少年吉継は一パーセント程度、心の内に秀秋の生涯を不憫だと感じていた。だが、敬愛する石田三成や大谷吉継の終焉の潔さと比較すればやはり燻っているわだかまりは消えない。
「俺はそれでも………」
と吉継は反論しようとした。しかし、
「ただ吾の名のせいでおぬしに迷惑がかかっていたならそれは相済まぬ、許せ」
金吾はペコリと赤色頭を下げた。
「え、ああ、ん」
もっと押し問答になると思いきや、呆気ない謝罪に拍子抜けした。
吉継はポンと閃きの手を叩いた。
いつも観ているテレビ番組がまさかこんな田舎まできたのか。
ならば隠しカメラがどこかにあるはずと吉継は周囲を歩き回り機材を探しまくった。しかし、一向にカメラも発見されなければテレビクルーもいない。
「徒労に終わったな。いい加減現実を受け入れるべきじゃ」
路傍休憩地と書かれた山頂に設置されている東屋の切株の椅子で遠い目になって項垂れている少年の足下で二色鉛筆は気楽にピョンピョン跳ねていた。
「ヨシちゃん、どうしたの、大丈夫?」
屋根の影が落ちた顔を上げるとカンカン帽姿の母がそこにいた。
関ヶ原小町と昔から評判高い母は三十五の年になっても二十代を思わせる程若く美人である。つばの上を巻いている黒のリボンには関ヶ原合戦に参加した東西武将の家紋がプリントされ、脇に三頭巴紋がカラフルに描かれた白いTシャツが眩しい。やや小柄で童顔でもありピンクジャージを履いているから高校生と詐称できるレベルである。
名前は音依(ねい)、生粋の関ヶ原っ子で皆からは「おね」の愛称で親しまれていた。
「母さん、どうしよう。俺、異様な声が聞こえるし、おかしな物が見える」
思わず母の腕を掴んで振った。栗色のセミロングの髪が肩で揺れる。
「ヨシちゃん、あなた」
ゆっくりと音依は掌を息子の額に当てて熱を測った。
「ほら、暑いからこれを持っていきなさいと注意したでしょ」
どこからか取り出した黒い帽子を音依は少し怒った顔で吉継の頭に無理矢理被せた。つば付き帽子のデザインには違い鎌の模様が刺繍してある。
「熱は無さそうだけど、ちゃんと帽子は被らないとダメよ。小早川の旗印が嫌とか駄々こねてる場合じゃないからね」
「いや、母さん。そうじゃなくて」
「ん?」
「鉛筆が喋っているんだよ、普通に立って、ほらここに」
と、地面を指さしたがそこには文具の姿は無かった。
「あ、あれ?さっきまでいたのに」
「あらあら、なあに、額の邪気眼がうずいた?」
クスクスと笑う母に吉継は苦い顔で弁明した。
「厨二病の設定とかでもなくて!!ホントにいたんだってば、信じてよ」
「ハイハイ、そういうゲームのやり過ぎね。昨日寝るの遅かったでしょ。私が知らないとでも思ったら大間違い」
「…それは、まあ」
「きっと夜更かしで疲れたのよ。それに思春期にはたまに変な感覚がする時もあるわ。とくかくこれ飲んで少し落ち着いてから家に帰ってきなさい。ゴミ袋は運んでおいてあげるから。お疲れ様」
帽子の頭を優しく撫で音依は参加賃として配られた五百㎖のポカリスエットをベンチの横に置いて去っていった。
「ほー、今のがそなたの母者か、穏和な御仁じゃな」
消えていた鉛筆が目の前に再びパッと現れて左右に揺れタクトのリズムを取っていた。赤色が常時上を向いているから青色が下半身なのだろう。
「で、あんた、小早川って名乗ったよな」
諦めた表情で吉継は鉛筆を睨んだ。
「ハハハ、ようよう観念したか」
「別に認めた訳じゃない。幻覚だとしても話くらいは一応聞く。それで小早川———」
「金吾である。我が体の側面にも記してあろう」
見せつけるように空中に浮かび目の前に文字を近づけた。
(なるほど、これはKing owじゃなくKingow〈金吾〉と読むのか)
吉継はその鉛筆をガッと右手で鷲づかみにするとボソリと口にした。
「金吾中納言って事はお前、小早川秀秋か」
「無礼者!諱(いみな)は止めよ。真名(まな)を口にしてはならぬ故を知らぬのか!」
鉛筆は吉継の拳をすり抜け頬をペシペシ叩いてきた。
軽快な身のこなしながら痛くもかゆくもない猫パンチのような攻撃である。
吉継は何か段々馬鹿馬鹿しくなってきた。
こういう所はさすが小学生で不測の事態への順応は早い。
ちなみに諱、真名というのは苗字でない下の実名である。日本では古来人の名前を口にするのは忌み嫌われ禁忌とされていた。昔の武将が~守とか~介と名乗るのはそのためである。
空中に縦に浮かんでいた色鉛筆を今度は両手で捕まえ吉継は強気に断じた。
「じゃ、金吾」
「この痴れ者!敬って殿を付けぬか」
「嫌だね、そもそも諱は生きている時の士分以上の人間の名前だろ。たかだか色鉛筆風情が偉そうにするな」
「うぬぬ、年端もいかぬ童のくせに小癪な」
モゾモゾと抜け出そうとする鉛筆に吉継は、
「大体平成の世で戦国時代の風習なんて知ったこっちゃ無いや。ところで金吾、お前、筑前の領主だったろ」
「うむむ、反駁(はんばく)したいのは山々じゃが、問いには答えてやろう。左様、筑前三十五万七千石、その後は備前岡山城主じゃったがな」
「実の父親は木下家定」
「よう存じておるな」
「太閤秀吉の正妻、北政所の甥」
「左様じゃが、吾はともかく豊国大明神や高台院様には贈名(おくりな)の礼を尽くせ」
「それで文禄には能を舞ったな、確か『羽衣』と………」
「『東岸居士』じゃ。ほほう、よくぞそこまで…うん?」
キリキリと鉛筆が絞られていく。柔らかいなら力を込めてねじり折ろうとする吉継に金吾は反抗して暴れた。
「痛つつつッ、何を致す。離せ、童」
「どうやらマジに小早川秀秋だな」
「先程から左様…申しておる…ではない…か。痛いぞ、千切れる千切れるぅ」
「ヘン、ざまあ。いいか、てめえのせいで俺は昔から裏切り者と後ろ指さされまくったんだ!この呪われた小早川の苗字のせいでな。それもこれも全部お前が関ヶ原で西軍を裏切ったせいだ」
恨みを晴らすのはここぞとばかり力がこもっていく。しかし、
「ま、待て待て、ストップ、タイムタイム」
「………タイム?ストップ?」
戦国大名が英語を使った。
吉継は最高に胡散臭そうな眼差しで鉛筆を離した。それはヒュッと地面に自立した。
「お前、誰だ?」
「全く童は力加減を知らぬから恐ろしいわい。先より小早川金吾じゃと申しておろう。とはいえ、関ヶ原の頃の吾とは些か魂の造りが異なるがな」
金吾鉛筆は捻れた体を反対にひねって真っ直ぐに戻した。
「どういう意味だ」
「んー、知りたいか?」
鉛筆は鼻歌まじりで尊大に軸を揺らした。
「別に興味ない。じゃあな、キンゴミ鉛筆」
吉継は無表情で立ち去ろうと立ち上がった。すると突然金吾は足下にすがりついてあからさまに態度を変えた。
「ああッ、行かないで下さい。お願いします、お願いします。こうやって人と会話するのは久し振りなんですから。話し掛けても怖がって逃げていくばかりで」
(こいつ、これが素か)
鉛筆の豹変した低姿勢に呆れ気味の吉継は踵を返し椅子に座り直した。
「ふーッ、わざとじゃないにしろもう人間を驚かすなよ。松尾に変な噂が広まると商売してるウチが困る」
「それはもう必ず」
「分かった、ちょっと待ってろ」
スマホのLINEで母に、もう少し山頂にいる、父さんによろしくと伝えると、「で?」と文具に話を続けさせた。
聞くと関ヶ原合戦の二年後に死亡した秀秋は何故か成仏も出来ず四百年以上もこの世をさまよい続けてきたという。そして十年前に一女性の秀秋を慕う声に引かれてから彼女が作った自作の鉛筆を尸者(ものまさ)としたらしい。
尸者というのは憑依物、つまり死霊の容れ物である。
そうすると、ここで一つ吉継が腑に落ちた節があった。
この鉛筆が落とし物であれば持ち主は懸命に探すだろうし、会話が成り立てば落ちた場所も特定出来るだろう。つまりは捨てられたのである。
「なんでその人とずっと一緒にいなかったんだ?お前が好きだったんだろ。そこまで入れ込む小早川マニアってそういないぞ」
足を組み片肘をついて吉継は反問した。
金吾も昔の口調に戻って答えた。
「吾もそれを願っておったが、おなごの気は移ろいやすいゆえな」
「つまり飽きられてポイか」
「………おぬし、先程から口が悪いの。童でも婉曲の優しさを学べ」
「でも、喋る鉛筆なんて珍しいのに、普通捨てるか」
「声は尸者と依巫(よりまし)の間でしか聞き取れぬからな」
「よりまし?」
「吾ら死者が物に憑いたのが尸者、神霊が人間に降りる場合、その者を依巫と呼ぶ。吾の場合、主となっていたおなごらが依巫じゃ。が、依巫とて声を明確に識別出来る者はあまりおらぬ。どの神が降りてくるかで声の感度は違う。いや、声というよりむしろ精神感応じゃ。その感応の波長を感知せぬ一般人からは気が触れたとしか見られぬ」
「じゃあ、俺が今こうやってお前と喋っているのを誰かが見付けたら」
「神経を疑われるな、間違いなく」
「前の持ち主はそれが理由で捨てたのか」
「………」
金吾は暫く沈黙した。
「おい、金吾」
「あ、いやな、依巫によっては愛想を尽かすと持ち主の手元から吾が離れる、と別言する方が適切じゃ」
吉継の隣の椅子に飛び乗って金吾は空を見上げた。
「ふーん」
「おぬしはこの褪せた軸の色を日に焼けたからと考え違いをしているらしいが、この退色は吾に対する愛情のレベルゲージみたいなものじゃ。リセットされればまた美しい印刷面に戻る」
「………リセットとかレベルゲージってゲームじゃねぇんだからさ」
妙な知識に二の句が継げない。
「ははは、初期設定でラスボスを倒せるぞ。吾は依巫を通じ一部のネットにも繋がるゆえデータ改ざんはお手の物じゃ」
「チーターか!」
チーターとはオンラインゲームのインチキ者の蔑称である。
「しかしまこと現代の遊びは痛快じゃの。サッカーも趣がある。吾は蹴鞠も得意じゃったし」
「現代に毒されすぎて違和感半端ねえんだけど。お前大名だったんだろ」
「吾は長きにわたり世界中を眺めてきた所以で今やハーバード大学首席並みの学がある。それに異文化や外国語、更にアニメやオタク文化にも詳しくなった。それゆえ、吾は己を魔法の二色鉛筆、マジカルペンシル・キンゴ・オルタネィティブ、略してMPKAと名乗る事とした」
「かなりの痛さだぞ、それは………」
オルタネィティブが二者択一を意味しているため二色鉛筆のあだ名には間違いないのだが、突っ込み所が多すぎる。
「せめてマジカルペンシルだけにしとけ。で、さっきの話に戻るけど、要するにお前の元持ち主の気持ちが冷めたんだろ」
「………恐らくな」
「それでそのオリジナル鉛筆を作った人が松尾山の山頂に捨てた、と」
「いや、それは三人目のおなごじゃ」
「は?」
「吾は結構イケてるモテ文具である」
「容姿基準があるのか、鉛筆に!?」
「丸軸二色は一番人気、次いで六角軸の2B、五角軸のHBは三枚目」
「マジか!」
「ジョークじゃ」
「………笑わないぞ」
「ま、若輩者で、その上志半ばで他界した吾に好意を持ってくれた者が些かなりともいた証よ。二人目はヒデアキング、三人目はキンゴダムとかの愛称で可愛がってくれたからな」
「全員ネーミングセンス悪ッ!」
「おぬし、先からツッコんでばかりじゃな」
「したくてしてんじゃねぇよ。全然話が進まんだろうが」
額に怒りマークを浮かべた吉継は鉛筆を捕まえ再度折ろうとした。ギブギブと許しを請いながら金吾は過去から現状まで至る経緯を説き明かした。
「元来、魂は死後にはあの世へ返る。じゃが、吾は思念が妨げとなり成仏が叶わぬ状態になっておる」
「思念?」
「日の本の民の、吾に対する悪感情じゃ。怨恨と換言してもいい。裏切り者の誹りは永遠に免れぬ。その思いが足枷(かせ)となり吾をこの世に縛り付けておる」
「なるほど、地縛霊みたいなもんか」
「いや、この土地に縛られておるのではない。たまたま前の主が決別の地にとしてこの山を選んだに過ぎぬ」
「魂の造りが違うってのは?」
「歴史の営みを眺めるにつれ、吾の心境も変わってきた。死んで暫くは悔しくて泣いてばかりいたのう。大坂方を裏切った愚か者として代々伝えられる皮相にな」
「そりゃあ、自業自得だろ。裏切ったのは事実なんだからよ」
蝉の鳴き声が一層激しくなり、周りの木々の葉を揺らせ、裏切りの代名詞ともなっている違い鎌の幟が大きくたなびいた。
吉継は帽子を飛ばされないよう押さえた。
「フフフ、揃いも揃って口を開けば一つ覚えのように自業自得自業自得。無分別な愚か者。もう聞き飽きたわい。吾は裏切ってはおらぬ。当初より東軍じゃ。それ、おぬしの被っているその帽子にもEASTと描いてあろうが」
吉継は帽子をさっと取ってクシャッと握り潰した。この帽子が嫌いなのは違い鎌の旗印が刺繍してあるだけでなく、東軍とプリントされていたのが癪に障っていたのである。
「おぬし、吾のせいで大変な目にあったと憤っておったな。では吾の生涯についても調べておるのだろう。吾は端から江戸方、つまり徳川内府殿に味方しておった。それを邪魔したのは大坂方、石田治部たちじゃ。よって裏切りと評されるのは不愉快極まりない」
「じゃあどうして関ヶ原まで来る途中で西軍と戦わなかった!最後の最後であんな汚い不意打ちをしたから裏切りって罵られるんだろうが!」
勢い余って帽子を地面に投げつけた吉継は思わず大声で怒鳴った。
反面金吾は冷静に対応した。
「窺っていた機会が訪れず、最後の地が関ヶ原であったに過ぎぬ」
反省もない抗弁に吉継の怒りは募った。
「俺の下の名前は大谷吉継から取られたものだ。三成のために戦って死んだ。お前の裏切りを前もって知っていて、病気の体でも指揮を執り続けた。義の武将だ。お前には何がある。豊臣の親戚なら豊臣側として戦えよ」
「おぬし、年はいくつじゃ」
出し抜けに鉛筆は話題を変えた。
「は?九歳だ」
「幼いながらもよう学んでおる。とはいえそちの非難は納得しかねるぞ」
「どこが」
すると「こっちに参れ」と金吾は山際に設けられている合戦陣形図パネルの下に跳躍した。そこには合戦時の陣形と東軍西軍の武将名、そし反応軍と傍観軍が色別で記してあった。
金吾は吉継にその絵図を詳しく見るよう指示して口調を強めた。
「豊臣側として戦えと申すなら関ヶ原の戦は、徳川本隊と井伊や、松平、本田を除けば他は全て豊臣家臣じゃ。いわばあの戦は豊臣家の内輪揉め。石田対反石田。福島や黒田もおぬしの主張に従えばまた裏切り者よ」
「………あれは、家康がまだ豊臣家の五大老筆頭だったから」
「上杉中納言(景勝)殿も豊臣五大老の一人じゃ。内府殿はそれを討とうと会津へ向かった。その遠征が豊臣家存続に繋がると心底信じていた東軍諸将は少ないじゃろう。徳川に味方すればお家はこの先安泰との算盤勘定が皆にはあった。考えてもみよ、関ヶ原で東軍として戦った者で大坂の陣に豊臣へ与した大名は誰がおる?」
「けど」
「まあ、吾が声高に己の立場を釈明したところで無駄な足掻きよ。悪いがこの件でこれ以上議論するつもりはない。そもそもおぬしが息巻いたとて今更何かが変わる訳でもなかろうて」
金吾は再度東屋の影に戻って椅子に飛び乗った。
「そりゃ、そうだけど。ああ、もう!」
吉継も隣に座り直して合点出来ない頭を掻いた。
確かに関ヶ原合戦は徳川対豊臣の戦いと勘違いされがちだが、実際は内紛なのである。家康が陰でリードしていた点では間違いでもないのだが、関ヶ原の時点においては秀頼と戦をしたのではない。佞臣(ねいしん)の三成を倒し豊臣家を救うとの大義名分をそそのかされれば豊臣恩顧の大名も従わざるを得ない。
その一人が金吾である、と表明すれば反論は難しい。関ヶ原の後家康に所領を増やされたとはいえ、結局秀秋は間もなく死去、小早川家は容赦なく取り潰された。
秀吉の親戚に産まれたのが悲劇の始まりでもあった。
実子のない秀吉に関白候補の一人として大層祭り上げられ、秀頼が誕生すると途端邪魔者扱いで小早川家の養子へ送られた。それでも秀吉の期待に応えようと朝鮮攻めでは自らが武具を携え前線で必死に戦った。が、それを軽挙妄動と秀吉に咎められ、戦歴は認められなかった。それから秀吉が世を去り、間もなく関ヶ原の戦いが始まり、東軍・西軍の両方から味方するよう迫られ、最終的に家康に与した。
裏切りの伝説はこの時から永遠に語り継がれた。
実は少年吉継は一パーセント程度、心の内に秀秋の生涯を不憫だと感じていた。だが、敬愛する石田三成や大谷吉継の終焉の潔さと比較すればやはり燻っているわだかまりは消えない。
「俺はそれでも………」
と吉継は反論しようとした。しかし、
「ただ吾の名のせいでおぬしに迷惑がかかっていたならそれは相済まぬ、許せ」
金吾はペコリと赤色頭を下げた。
「え、ああ、ん」
もっと押し問答になると思いきや、呆気ない謝罪に拍子抜けした。
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